第21話 どしゃぶり
昨日、私はいつものように仕事を終え、帰宅して愛犬たちにご飯を食べさせると、赤いドッグカートに乗せて近所の公園に向けて散歩に出かけた。犬だけの留守番という環境にやっと慣れたみたいだが、去年の今頃は二匹とも体調を崩して週1回は医者通い、原因はストレス性と診断された。犬も人間と同じ、家族がいなくなるということを、ストレスに感じるようだ。
もう少しで公園というところで、バケツをひっくり返したような大雨が突然降りだし、私たちはずぶ濡れになりながら、途中の廃ビルの軒先に逃げ込んだ。いつ止むともしれない滝のような雨。街灯に照らされた無数の雨の軌跡を、ぼんやりと眺めながら、私は同じことがあったなと思い出した。
東京生活にも慣れたある日、私はたまには早く帰ろうと仕事を切り上げて家路についた。千代田線町屋駅で降りて歩いて20分、様々なルートを検証した末の最短コースだ。もう夜の7時、辺りはすっかり暗くなっていた。町屋の良い感じの飲み屋街、昔だったら立ち寄っていたところだが、今は少しでも早く家に帰ってやらねばと思った。妻は新婚当時から、仕事が終わって家に帰ると、私にくっついて回って離れず、一人でどこかへ出かけたり、友人と出かけることは滅多になかった。休日もそうである。私も次第に友人たちとの付き合いをやめ、時間が空けば妻と過ごすようになっていった。東京に来てからは、叔母とどこかへ出かけることはあったが、一緒にいたいと言う気持ちはますます強くなったようであった。司法試験に向けた勉強をしなければならないと口で言いながら、何かと二人で出かける予定を入れて、私を勉強できなくする矛盾した行動をとってきたのも妻だった。
尾久の原公園辺りに来たとき、突然黒雲がモクモクと沸きだした。鹿児島では経験したことのない東京の集中豪雨だ。前が見えない程の雨に、私は走って近所のスーパー”ライフ”に逃げ込んだ。同じように避難した人が大勢いる。暫く待っていたが雨は一向に止む気配が無い。家までは150メートルくらいだが、その近距離ですら怖気づくほどの大雨だった。仕方なく私は妻に電話した。しばらくして、傘を持った妻が迎えにやって来た。
「だから傘を持って行けと言ったでしょう!」
怒りながら、妻は役に立ったのが嬉しそうだった。そうだ。妻は派手な見た目とは真逆に、いつでも一歩引いて、人のサポートに徹し、それに喜びを感じるタイプだった。箱根駅伝、陸上、オリンピック、何でも応援が大好きで、私たちはよくスポーツ観戦に行った。東京女子マラソンの高橋尚子の激走に感動し、大坂女子マラソンの福士の爆走には「かっこいい。」と涙を流した。
妻の人生も前に出ない、一歩引いたものだった。4年制大学に行きたかったのに、義母の言う通り、義母の母校の短大に入り、義母の言う通り、就職せずに義弟や義母や、実家のサポートに徹した。義母の勧めで日舞を始め、与えられたマンションからお琴に通った。ひとつ逆らったとすれば、見合い相手を次々と断ったことくらいだ。いや、もうひとつ。私と結婚し、何を言われても別れなかったことが最大の叛逆だったろう。結婚式で、なぜ私を選んだかについて妻はこう言っていた。
「この人になら、自分を素直にぶつけられる。」
言葉通り、妻は私に対してわがまま言い放題、甘えたい放題だった。まるで、生まれてからのストレスをぶつけるように、ときに無茶を言ったりした。こんなことがあった。新婚当時は遠距離通勤で、朝5時に起きなければならないので、早々に寝床に就いていると、夜中に何度も妻に起こされた。
「どうかした?」
妻の答えはいつもこうだった。
「暇だったから。」
我儘をぶつけられることに慣れた私たちの夫婦の関係は、標準のそれとはずいぶん違っていただろう。大変でしょうという妻の親戚もいたが、私は平気だった。私の弟や妹が、妻を非難するようなことを言うと、身体を張って妻を庇った。妻が癌になって、その傾向はどんどん高まった。私たちの関係は、夫婦と言うより姫と従者。格好よく言えば、私は癌という悪竜から、ボロボロになって姫を守る騎士だった。
いつ止むとは知れない雨。
もう私たちに、傘を持って来てくれる妻はいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます