第11話 愛犬たち(8)
福ちゃんの時代から、愛犬たちに対する躾は、時に厳しすぎるように感じた。雛ちゃんなど、妻を怖がり私の方により懐いたほどだ。
そこまでしなくとも、自由に育てればいいじゃない。
妻に言うと、決意を秘めた瞳できっぱりと言った。
「この子たちは、いずれよその家の子になる。どこに出しても恥ずかしくないように躾けてあげる義務がある。」
自分の死を前提にした言葉だった。まだ再発を知らなかった私は、その考え自身が免疫力を下げてしまうことを心配し、妻がそう言う度、気を強く持て、がんばれ、この子らのためにもと励ました。
2015年、体力的に愛犬たちを抱くことも出来なくなり、いよいよ死期が迫ったと確信した妻が言った。
「里親を探して。」
「そんなこと言わない。万が一何かあっても俺が育てるよ。」
「あなたには絶対無理。いいから探して、この子たちの幸せのために。」
妻がどう言おうと、長い間一緒に暮らし、情が移った私に里親探しなど出来るはずが無い。妻のために飼った愛犬たちだが、今や私にとっても大切な家族だった。私は食い下がった。
妻が言うように、超面倒くさがりの私に、ペットを飼うことは無理だろう。しかし、家族なら別、子供なら別である。
「この子たちは、俺の子供も一緒だよ。一生懸命育てるさ。」
その言葉に、妻は折れた。実家に帰る時も、念を押していった。
「あなたは、この子たちを子供と言ったんだから、ちゃんと育てなさいよ。」
島に帰ってからも、ときどき愛犬たちに留守電が入っていた。
「宝ちゃん、雛ちゃん、げんきー、良くなったらまた一緒に遊ぼうね。」
痛み止めのモルヒネで、意識が混濁しながらも、愛犬たちのことを心配し続けたのだろう。
妻が死んで、鹿児島に引き上げるとき、弟がアドバイスした。今後の就職など再出発を考えたら、里親を探したら。
怒った。家族を里子に出せるか。妻との約束もある。
余りの剣幕に、弟はそれ以上言ってこなかった。
鹿児島ではまず実家に帰った。しばらくいるつもりだった。しかし、犬好きの筈の父が、座敷に犬を上げるのを嫌がった。居づらくなって、2,3日で転居先を探し引っ越した。親でさえ、自分の家族では無くなったような気がした。自分の家族は、この愛犬たちだけだ。
引っ越した当初、愛犬たちは環境の変化についていけず体調を崩した。その後、徐々に生活リズムを作っていき、健康を取り戻した。
平日は毎朝5時に起きて、犬たちの世話をした後、準備して会社へ。犬たちは留守番。
休日一人で出かけようとすると、悲嘆の声を上げて悲しむが、平日の仕事は我慢しなければならないと思っているらしく、二匹とも顔を伏せたまま見送ってくれる。
帰ったら夕食を食べて1時間ほど散歩。よほどの大雨でない限り出かける。
休日は午前と夕方、二回の散歩。
もうどこかへ旅行に出かけることもできない。一度、施設の完備したペットホテルに預けたことがある。帰ってきた雛は、神経性胃腸炎になり、一週間ほど血便が止まらなかったからだ。やはり、ある日突然、妻が居なくなった不安は、尾を引いているのだろう。そして、私も居なくなるんじゃないかと。
私は幸せである。妻のために飼ったと思っていた二匹の愛犬は、実は自分のために飼ったのだと気づいたからだ。妻を失った衝撃を、分かち合うこの子たちがいなければ、私は生きていることができなかったろう。そして、人生に小説のように章立てがあるなら、この子たちのおかげで、未だ私は、妻と過ごした章の続きを、紡いでいけるのである。
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