第22話 一番たいせつなもの

 妻が一番大切にしていたのは甥っ子であるというのは以前述べた。その甥っ子が父親と衝突し、実家から逃げ出し姿を隠して東京で暮らしていた。その際、相談に乗った私は、妻の親戚の援助が期待できないなら、別れた母親の親戚を頼るように忠告した。甥っ子は成人していたが、大学を中退したばかりで信用が無い人間が、一人では生きるのは難しいと思っていたからだ。いっそ、私たちと一緒に暮らさないかと提案したが、妻は義弟をはばかって消極的、甥っ子も何かのきっかけで居場所が知れるのを恐れて断ってきた。甥っ子は大学当時住んでいた場所から引っ越し、川崎に近い稲城市で暮らし始めていた。


 義弟は高校卒業時、アニメのシナリオライターになるため専門学校に行きたいといった甥っ子の申し出を一蹴し、強引に自分と同じ東京の大学の経済学部に入れた。そのことで、義弟と話したことがあるが、「あいつは本気じゃない。自分の意見なんか持っていない。ただ遊びたいだけだ。親がちゃんと行く道を決めてやらんといかん。」と言っていた。私は「失敗してもいいじゃないか、自分で責任を取ればいいんだから。自分で決めたことを、思いっきりやらせてみたらいい。」と意見を述べた。しかし、「親として子供を失敗させるようなことはできない。兄貴は分かってない。口は出すな。」とにべもなかった。妻は私には、「あの子は才能がある。やりたいことをやらせたらいいのに。」と言っていたが、義弟には黙っていた。

 義弟と話した印象で、私は義弟は甥っ子に、産廃処理や飲食業という自分の事業を継がせたいのではないかと感じた。義弟は、島でスーパーを繁盛させていた義母をスポンサーとして、大学卒業と同時に会社を立ち上げていた。自分と同じ道を歩かせたいんじゃないかと妻に言ったら、妻は珍しく怒った。

「弟はちゃんと、甥っ子のことを考えている。自分がしっかり考えをもって、自分の道を進んでほしいと思っているはずだ。あなたは他人だからわからないのよ。」

 私にはそうは思えなかったが、それ以上その話はしなかった。


 私は就職がなかなかできない新卒者を、まずインターンとして企業に送り込む仕事をしていて、3か月間で250名以上のインターンシップを成立させた。受け入れ先企業には、テレビ等のアニメの仕事を下請けしている会社があり、シナリオライターも募集していた。しかも、独自のインターンシップ制度を持ち、未経験者も一から育ててくれるが、才能が無ければ一週間で放り出される厳しい会社だった。

 これはいいんじゃないかと思った。私の仕事は新卒者対象なので、中退した甥っ子は対象外だが、独自のインターンなら受け入れ可能だ。場所も幡ヶ谷で、甥っ子の住所から決して遠くない。その会社の担当者と話したところ、一度連れて来てみてくれと言うので、私は甥っ子に話した。喜ぶだろうと思った甥っ子の反応は、意外なものだった。「ちょっと、そこはいいかな。」

 コンビニとまんだらけのバイトを掛け持ちして忙しい甥っ子は、他に夢をかなえる努力はしていないようだった。このままでは、周りの先輩のようにフリーターとして30歳を迎えてしまう。私はよく考えるように言ったが、甥っ子の考えは変わらなかった。何事も自分でやりたいと、頑固に考えているようだった。これ以上の無理強いは義弟と同じになる。しかし、義弟の甥っ子に対する評価も、わかるような気がした。


 甥っ子は、月に一回ペースで我が家を訪問した。妻は自分から頼ってきてくれると喜んでいたが、実はからくりがあった。私が、甥っ子が自分から来たように工作したのだ。妻の病状を知っても、甥っ子は自分から心配して訪問するようなタイプではなかった。自分のことで精一杯、これが今の甥っ子だった。毎月、そろそろ来てくれと何回か懇願しないと来てくれない。あくまでも極秘裏に、私は甥っ子に頼み続けた。


 甥っ子が来ると知ると、妻は体調がすぐれない時でもすぐ元気になって、鼻歌交じりで、甥っ子が好きなメニューを料理するのが常だった。

「可愛い奴だなあ。やっぱり私を頼ってくるのよね。」

 楽しそうな妻の背中を、後ろから穏やかに眺めているときが、私には一番大切な瞬間だった。

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