第15話 秘密と嘘
2014年2月17日、職場で私は、誕生日をサプライズで祝ってもらい、4月以降の契約更新の話までされて、上機嫌で自ら誕生日ケーキを買って家に帰った。家では、いつものように妻と愛犬たちが迎えてくれた。特別な日には必ず作る妻のてんぷら、揚げ加減が絶妙で、正直こんな美味いてんぷらを食べたことが無い。それと、定番のちらし寿司。ケーキまで食べた私は腹いっぱいになった。久しぶりにビールまで飲んで、良い調子で妻に言ったのを覚えている。
「誕生日は最も運気が高まる日だそうだ。矢でも鉄砲でも持ってこい!と言う気分やね。」
それならと、こちらを向いて正座した妻がいた。その後の話、実はよく覚えていない。頭が真っ白になる内容だったのだ。
かろうじて覚えているのは単語中心。
再発、3年も前に、西宮を出るとき既に、肝臓と肺へ転移、今度は大腸は無事、無数のガン、大きいのから小さいの、手術は無理、内緒で東京での同窓会の際に病院を回ってセカンドオピニオンを受けたが無理、鹿児島の主治医が私と話したがっている。
落ち着こうと思った。とにかく落ち着け、ほんの4年前、目の前が真っ暗になる状況を乗り切ったじゃないか。どうやったっけ、思い出せ、思い出せと頭の中で繰り返した。私はどちらかと言うと短気な方だが、秘密にされていたことに、別に腹は立たなかった。一人で抱え込むのは辛かったろうなと思った。よく考えてみると、時々妻が、妙に捨て鉢なことを言う時があった。そのたびに励まし、気を強く持てとたしなめて来たが、妻は気づいてほしかったのかもしれないと思った。妻が良く言ったいたが、私はどちらかと言うと鈍感なほうでもあった。
翌日、休みを取って二人で主治医のところに行った。主治医は20代の若い医者だった。以前、半年ごとに主治医が変わり、どんどん若くなると妻が話したことがあった。
良いことじゃない。
何も知らない私は冗談めかして言った。
再発防止のための治療と、妻から聞かされていた。
主治医が経験の少ない人に変わるのは、状態が良くなっている証拠だと勝手に思い込んだ。
実際は全く逆だった。病院は病状が進行する妻の治療を諦め、より経験が少ない医者にバトンを渡していったに過ぎない。
初対面の若い医者は、にこやかに言った。
この病院でのこれ以上の治療は出来ない。
おそらく、現代の医学でも、これ以上の治療は出来ない。
病院としては、無痛治療に切り替えることをお勧めする。
「それはもう治らないということですか。」
黒い影が無数に散らばった肺や肝臓のレントゲンを指しながら、若い医者は冷静なトーンで言った。
「無理ですねえ。手術もできませんし、投薬もこれ以上は。」
以前なら、かっと頭に血が上り、医者の胸ぐらを掴んでいたかもしれない。
4年前の経験で、治療に一番大切なことを私は知っていた。
決して諦めない。
これしかなかった。医者が諦めても私は諦めない。医者は神様ではないのだ。命を左右する権限など持っていない。経験上、勘違いしている医者をたくさん見てきたが。
これ以上、諦めている病院に妻を任すことはできなかった。
その日から転院を視野に入れた病院探しと、民間で有効と言われている治療法探しが始まった。
いろんな病院にメールや電話で問い合わせし、ネットで情報を収集、自然食品など良いと言われるものをどんどん取り寄せた。
もうひとつ大切なことがあった。
妻の家族、特に義母に伝えないわけにはいかない。
妻にその話をすると、話すときは自分で話すから私から伝えることはしないでくれと言った。
4年前と同じ、あの時はそういうわけにはいかないと、妻の弟と私の父にだけ話した。私の父は黙っていたが、妻の弟は秘密に耐えかねて、人づてに母に伝わるようにしてしまった。あの時の妻の嘆きを思い出した。結局手術が成功したので笑い話になったように思っていたが、やはり妻の思いに反する結果になった後悔は残っていた。
わかった。
私は約束した。今回は私の父にも言わない。もし、このことで後々私が攻められるなら、あまんじて罰を受けようと思った。
このときは想像できなかったのだ。
この決心が後々私を激しく追い込み、うつの手前を覗く事態となってしまうとは。
とにかく、妻さえよくなれば、嘘も秘密も笑い話に出来る。
完治を目指して頑張るしかない。
二度目の予備試験は3か月後に迫っていたが、勉強どころではないと思った。
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