第16話 二人の協力者

 私は妻を助けるためなら何でもしようと思った。たとえ、それが犯罪に当たることでも、必要ならやっただろう。そしてそれは、妻に対する嘘も含んでいる。4年前、がんが発見されたときも同じだった。衝撃で初めて目の前が真っ暗になる経験をした私は、どうやったらこの状況を耐えられるだろうと考えた。夫婦のこと、私生活のことと考えると、とても耐えられそうになかったので、私はこれも仕事だと考えることにした。妻を助けるというミッション。仕事なら耐えられそうな気がした。

 恥ずかしながら、私は意気地の無い男である。短気のわりに喧嘩は弱いし、激しいアトラクションすら苦手である。しかし、仕事となると不思議と変身できた。どんな困難も耐えられたし、目の前に日本刀をちらつかされ(実話です。)ようが、客に襟首をつかまれ(実話です。)ようが、動揺せず冷静に対処できたので、職場では無鉄砲で度胸満点と思われていた。仕事と考えることで、私は冷静でタフに妻の病気と向き合うことが出来たと考えている。

「しょせん、血がつながっていないからよ。」

 真相を知った妻の叔母が言ったことがある。

しかし、それは違うと思う。

妻は私の家族だ。血のつながりと無関係に、誰にも代えがたい存在だ。申し訳ないが、たとえ、それが父や母でも同じだ。


 冷静に考えると、一人で妻の病気のフォローをするのは限界があった。妻に内緒で協力者を作る必要があった。妻の身内で、義母や義弟に隠し続けることのでき、必要な援助をしてくれる人物。私には思い当たる人が二人いた。


 ひとりは、先に述べた妻の叔母、叔母と言っても年が近く姉のような存在だ。私たちは、新婚当初からしばしば東京の叔母の家へ遊びに行き、愛犬福ちゃんを預けたりした。妻ががんになった当初、何度も西宮に足を運んでくれ、大変お世話になった。私が個人的信頼関係を築いた数少ない妻の身内だった。


 もうひとりは、妻が愛してやまない甥である。義弟の一人息子だが、幼いとき両親が離婚し、妻が母親代わりに育てていた時期があった。親権を巡る裁判の末、再婚した母親に引き取られていたが、新しい父親に馴染めなかったのだろう。私たちの結婚を機会に、母の了承を得て義弟の下に戻っていた。そのときは小学生だった甥っ子も、いまや大学生。東京の大学の4年生だ。せっかく戻ってきたが、父である義弟との関係が上手くいっておらず、妻の心配の種だった。詳しくは話せないが、私から見て問題は明らかに、子離れできない義弟にあった。進学に関して、イラストレーターになりたいと言う甥の希望を頭から否定し、自分と同じ経済学部に進学させた。私は会社経営している義弟が、甥っ子に跡を継がせたいんじゃないかと思ったが、妻は真っ向から否定した。義弟は賢く思慮深い、甥っ子の自覚を促しているだけで、本人が強く希望すれば認めるはずだと言うのだ。私とは見解が違った。妻は身内びいきが激しすぎる傾向があった。

 甥っ子にとって、私は長年、唯一と言って良い相談相手だった。高校の時、進学の相談にわざわざ西宮を訪れたほどだ。反対に、義弟にとっては目障りでしょうがない義兄だったろうが。


 二人に真相を打ち明けた。

二人とも、私の申し出を快諾してくれた。

そして、二人ともすぐ鹿児島に来てくれた。

あくまでも遊びに来た体でだ。

妻は単純に喜び、病気を忘れて案内できる観光地をピックアップした。

叔母一家とは指宿に行き、砂蒸しや素麺流しを堪能した。

入れ替わりにやってきた甥っ子とは、伊集院方面で、

いちご狩りや金山蔵探検を楽しんだ。


二人が来ていたとき、妻の体調は本当に絶好調だった。

このまま免疫が上がってくれてがんが無くなればいいのにと思った。

鹿児島に居たままで、民間療法を見つけて何とか治癒を目指すか。

可能性はわずかだが、私たちの財産状況を考えて、もっとも現実的な手段だった。

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