第13話 人生のフラグ(2)

 人間は愚かしい。私は、と言うべきかもしれぬ。鹿児島に帰った私は、妻の再発を知らないままで、未就職の新卒者を企業に実習生として送るプロジェクトを委ねられ、忙しいが充実した毎日を送っていた。何も知らない私は、再発だけを恐れ、免疫を上げるため、仕事終わりと休日は、妻のやりたいことにつきあった。妻は相変わらず、二匹の愛犬の衣装を作り、いろんなところを連れ歩いて、交友関係を広げていった。

 このときできた友人が、妻が死んでから、その時の私を評して言った。

 後ろで静かに見守る感じ。

 その通りだと思う。この時私は、一生妻を見守る人生でもいいやと感じていたように思う。


 しかし、愚かな私に二本目のフラグが立つ日がやってきた。私は恋愛は自分から押すタイプで、押されたことは無い。そして、自分がこんなに押しに弱いとは思わなかった。プロジェクト実施に当たって、内部の事務処理担当がどうしても必要だった。そこで、受け入れ先の決まっていない実習生の一人を、受け入れ先が決まるまで、一旦、私のサポートをしてもらうことにした。20歳の可愛い子だったが、私は別に恋愛感情は持っていなかった。二人で鹿児島中車で出かけて仕事をした。当然、平日は妻より彼女といる方が多くなった。


 彼女は精神的に不安定な所があり、事務所においても勝手に抜け出すことがあって目が離せなかった。親身に指導し、時に泣かすまで怒ったこともある。彼女は私を慕い、実習先が決まってからも、しばしば事務所を訪れたり、相談で呼び出されたりした。その中で、どう見ても私を好きなのかなと思う発言、行動等をした。男は勘違いが多いという。私は惚れっぽい方なので、勘違いかもと思ったが、どう考えてもそうとしか思えなかった。だんだん気になってきた私は、思い切って自分から打ち明けた。好きだと。笑ってくれと。

 彼女の返事は、こうだった。

「私は不倫はいやよ。」


 どうしろというのか、妻と別れるなど考えられないが、その後も頻繁に会い、毎日、いちゃいちゃと電話した。もちろん、あのときと同じ、一線を超える勇気はない。そして、12月24日のクリスマスイブ、その日はやってきた。

 仕事で遅くなった私は、せめて電話だけでもと思い、自宅もよりの2つ前のバス停でおり、彼女に電話して、たわいない話をしていた。1時間くらいかけてゆっくり歩き、自宅マンションに隣接する公園のグランドに着いた。ここを抜けると近道できる。しかし、私は立ち止まってそのまま会話を続けた。すると

 「バカヤロー!」

グランドの向こうから、甲高い叫び声がこちらへ向かってくる。不審者か!私は思わず身構えた。

 しかし、グランドには人っ子一人いなかった。周囲にそんな声を張り上げそうな人影もない。明らかに、こちらに声が向かってきたのに。

 「どうしたの。」

電話の向こうで彼女が聞いてきた。

 「今、大きな怒鳴り声がしただろ。」

そう言ったが、何も聞こえなかったという。背筋が寒くなった。何かの警告と言うより、カチッと何かのスィッチが入った感じがした。それは不吉な予感だった。


 その後、なんとなく気まずくなり、彼女と連絡を取ったり会うことはしなくなった。翌年2月の誕生日に私は、妻から実は手術の翌年再発していたと打ち明けられる。そして医者が、もう治療は無理だと言っていると。なぜ気づかなかったかと、後悔しながら、私は、自分があんな馬鹿なことをしていなければ、どんな誕生日が待っていたのだろうと考えた。もしかしたら、去年のように、何事もない平穏で幸せな誕生日を迎えていたのかもしれない。

 私があんなことをしたので、こうなった。それは医学的にはあり得ない考えだ。しかし多元宇宙論が本当で、無限の選択肢が同時に存在しているとしたらどうか。妻が再発していない過去、現在、未来もあったのではないか。なぜか、それが正解のように思えた。

 そして、はっと思い出した。あの甲高い声、あれは、私の声に似ていた。滅多に怒鳴らない私が、死んだ福ちゃんを抱え、彷徨った時の。

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