第20話 すれ違う思い

 東京に行く前から、私たちの思いは徐々にすれ違っていたのだと思う。

 私は、妻を何とかして治したいとのみ思っていた。毎日、散歩を兼ねて近所の神社へ詣でるのが日課だったが、一番に願うのは妻の回復(知らなかった当時は再発しないこと)だった。司法試験には落ち続けていたが、妻が回復する(再発するくらい)なら、一生弁護士になれなくてもいいと思っていた。

 妻は、なんとかして私を合格させたいとのみ思っていたようだ。公務員だった私が、役所を辞め、無謀にも弁護士を目指し、給料が2分の1になって、慣れない民間で契約社員をやっているのは、自分のせいだと思い込んでいるようだった。自分が死ぬ前に、何とか成功のレールに乗せてあげたいと、これのみを思っていたようだった。


 妻との出会いは、私が36歳のとき、妹の嫁ぎ先の紹介だった。見合いという堅苦しいものではなく、二人だけで食事に行けばくらいのものだった。公務員だった私は、それまで何回か結婚のチャンスはあったと思う。しかし、仕事人間で、酒が弱いくせに、格好つけて仕事が終わると後輩と飲み歩いていた私は、結婚に踏み切れないでいた。ひとりが気楽、飲み屋のお姉さんたちと遊んでいる方が楽しいのだとそう思っていた。

 待ち合わせした老舗デパートの入り口で、私は気乗りしない様子で”妻”を待っていた。2つ年上と聞いていたし、定職を持ったことが無い年増のお嬢様で、日舞のお師匠さま、鹿児島にはお琴を習うためにマンションを買い与えてあると聞いていた。今までの人生で関わったことのない人種だった。嫁ぎ先の顔を立てるために会ってやるが、ご飯を食べたらすぐ別れようと思っていた。

 当時の私は荒れていた。東京の本庁勤務に推薦されていたのが、内示の2週間前に覆り、鹿児島から希望もしていない鹿屋への転勤を命じられ赴任した。鹿児島のときは良好な成績を上げていたので、庁舎内をでかい顔をして歩く生意気な男が、鹿屋では一番経験年数が少なかったので、新人の時以来、朝は誰よりも早く出社し、所属の全ての机の雑巾がけから仕事を始めなければならなかった。しかも、鹿屋での仕事はやることなすこと上手くいかなかった。自尊心をズタズタにされた私は、死すら考えるようになっていた。


 待ち合わせより30分前に到着した私は、同様に待ち合わせをしているらしい四十くらいに見える何人かの人に声をかけようか悩んでいた。そもそも興味が無かった私は、”妻”の写真も見ておらず、特徴すら聞いていなかった。

 時間間際になって、ある人に声をかけようとしたとき、入口に猛スピードでタクシーが滑り込んできた。冬の雑踏に色鮮やかな花が咲いたかと思った。タクシーから颯爽と降りた”妻”は、綺麗な長い黒髪、クリーム色のロングコート、白いワンピースにベージュのスカート、今まで見たことのないオーラをまとった人だった。

 

 私は一瞬で恋に落ちた。


 その日、30分の予定が6時間になった。話が尽きない。そして、離れがたかった。後から聞いたが、妻も同様の思いだったようだ。連絡先を聞いた私は、その日から毎日電話をし、1か月後には妻のマンションに転がり込んで、一緒に暮らし始めた。生まれて初めてする、息子の大胆な行動に、当時、私の両親は呆れていた。

 結婚まで8か月、私たちは同棲を続けた。それまでにいろんなことを聞いた。医者や弁護士、公認会計士、議員や会社社長、様々な社会的地位のある人たちのプロポーズを”妻”は断り続けていた。

 なぜ、私のような一介の公務員を?私は聞いてみた。

 妻はニコリと笑って「運命だと思った。」と言った。

 あとで知ったことだが、妻の田舎の島には、未だにユタ神という生神様がおり、結婚後、妻と義母で相談に行ったことがあるそうだ。そこでユタ神のお姉さんが妻に言ったらしい。

「結婚前に相談してくれたらよかった。あなたは、その人とだけは結婚してはいけなかったのに。」


 私は妻に誓った。必ずそれなりの人になって、周りに結婚して良かったと認めさせて見せる。「俺、頑張るから。」と言った。妻はニコニコし乍ら、「そう決心したなら頑張れ。」と言った。

 腐っている場合じゃない。私は仕事を頑張ったが、結局、組織の論理の前に、個人の頑張りは無に帰すことは身にしみてわかっていた。私の代わりに本庁に行ったのは、派閥に所属する職員だったからだ。一匹狼気質の私は、仕事さえきちんとしていれば、誰か見ていてくれると思っていた。本庁に推薦されたときは、自分は正しかったと思ったものだ。ここでは無理だ。そんなとき、ロースクールの記事を目にした。職場では法律関係に詳しい方だった私は、これだと思った。

「仕事を辞めたい。」

こういった私に、妻はあっさり「がんばれ。」と言った。


 東京に行って2か月、私は生活費がぎりぎりであることに苦しんだ。案の定、叔母からこれ以上の支援を受けるのは無理そうだったのだ。妻が辛抱しているのに、心が痛んだ。残業をすれば、1時間二千円の残業代が入る。私は妻には内緒で、予備校に行ったふりをして残業するようになった。翌月から、二十五万の手取りは四十万くらいになり、貯金する余裕もできた。

 その裏で、勉強時間が少なくなった私は、初めて択一に落ちた。妻は私以上にショックを受けていたが、私は明るく「しょうがない、また来年。」と言った。

妻に来年など無かったのに。



 

 

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