俺のラノベは魔導書じゃない!

延野 正行

第1次選考 俺のラノベが一次落ちするはずがない。① 

 残念ながら、貴作品は一次選考にて落選いたしました。


 俺はしばし呆けた後、一文を隅々まで見渡した。


 英語で、スワヒリ語で、イヌクティクット語でもない――見まごう事なき日本語。明朝なのか、行書体なのか、ポップ体なのかは知らないが、企業の封筒らしい四角四面な感じの文体が使われ、最後には「次回のご応募を心よりお待ちしております」と結ばれていた。


 どこにも俺が望んでいた二文字はない。跡形もない。


 試しに火で炙ってみようと思うが、レモンの甘酸っぱい香りはどこからもしてこなかった。

「通過」「合格」と書けばいいものを、わざわざ画数の多い「落選」と書くのか。これをワープロで打った編集者の悪意を感じないわけでもなかった。


 ともかくどうやら俺は――いや、俺の作品は一次選考に落選したようである。


 つまり一次落ち。


 はな赤坂あかさか高校の文化棟。いくつもの文化部がひしめく建物の一区画に存在する文芸部部室。かつては物置小屋だった小さなスペースの片隅で、呆然と立ちすくんだ。


 ポンと肩を叩かれた。


 ねじ巻き人形みたいに振り返ると、少女が立っていた。

 俺好みに後ろで括られたポニーテール。ギュッと握られた小さな手よりも大きな胸は、夏服のブラウスのボタンを今にもはじき飛ばしそうな勢いで揺れている。頬は上気し、小さな鼻の穴からふんふんと息を吹き出していた。

 まん丸の瞳はいささかの翳りもなく輝き、希望に満ちた目で俺を見つめている。


 ――俺のラノベが一次落ちするはずがない。


 まさしく無言で訴えかけていた。

 傘薙かさなぎよみ。俺の小学校からの幼なじみ。読者一号。そして作者以上にライトノベル新人賞の結果に期待を寄せる人間である。

 たった一言「落ちた」とは言えず、俺は押し黙ってしまった。


「よみ君、やめたまえ。希望の押しつけはかえって人に無用のプレッシャーを与えるものだ」


 よみの後ろから声が聞こえてきた。


 首をひねると、少女がパイプ椅子に足を組み座っている。

 丁寧に三つ編みで結われた長い黒髪。真っ新な原稿用紙のような白い肌。どこから持ってきたのか高級そうなカップの柄に、右の人差し指をかけ、反対の手には年季が入った文庫本が収まっていた。

 やや縁の厚い眼鏡は、俺ではなくやはり文庫本に向けられている。

 一人クールにお茶なんか飲んでいる少女は、一年先輩の嶋井しまい鳴子なりこ。文芸部部長にして、すでに文壇を騒がしている女子高生作家。そして俺とよみが所属する文芸部の部長だ。


 長袖のブラウスの上からサマーセーターを着た先輩は、全く俺の方を見ようともせず、言い放った。


「どうせ落ちているのだろう」


 心臓に深い槍のようなものが突き刺さった。

 ボロボロの長机の中央に高級茶器を広げた先輩は、俺の胸中を全く意に介さず、平然とカップに口を付けた。


 よみはくるっとポニーテールを振り乱し、一人英国貴族を気取る少女に抗議の声――ではなく、抗議のボードを掲げた。


【ひどいです、先輩。勇ちゃんはこのためだけに努力してきたんです。先輩のいじめ――じゃなかった――しごきに耐え、寝る間と勉強時間を惜しんで、一生懸命書いたんですよ】


 俺の大腿部にボーガンの矢が指し貫いたような鋭い痛みが走り、膝から崩れた。

 よみはさらに書き足す。


【勇ちゃんはそのために学校の成績が落ちちゃったです。そこまでして、落選していたら】

「落選していたら?」


 後輩を煽るように鳴子先輩は不敵な笑みを浮かべる。


【勇ちゃんは社会的にいらない子になっちゃいます】


 ずがびぃいぃぃん!!

 脳髄をレールガンで打ち抜かれた俺は、白目になり、口をあんぐりと開けて倒れ込んだ。

 よみはハッと息を呑み、慌てて駆けよってくる。

 何度も俺の背中を揺すり、声なき声を上げた。まん丸のお目目はすでに真っ赤に腫れ上がっている。今にも「衛生兵!」と叫びださんばかりだ。

 合否が書かれた書類を、先輩は俺から取り上げる。


「残念ながら貴作品は一次選考にて落選いたしました。ほら、やっぱり落ちているじゃないか」


 プラプラと一枚の紙切れを振る。


「嘘だ!!」と言わんばかりに、先輩から紙をひったくる。


 内容を何度も何度も読み返すあまり、眼がスロットのように揺れている。

 一分ほどそうした後、とうとう現実を受け入れたらしく、俺とともに文芸部の床に手をついた。その顔には生気がなく、あれほど輝いていた瞳は深淵の宇宙よりも暗く濁っていた。

 また何やらボードに書き込み始めると、そっと俺の手を握る。


【大丈夫】

「な、何が……?」

【勇ちゃんは私が養うから】

「何故そうなる!」


 俺は盛大に首を横に振った。


「相変わらず、君たちは仲がいいね。お邪魔なら、私は図書室にでも行って本を読んでくるが」


 鳴子先輩はパイプ椅子を引き、所定の位置に戻ると、またカップに口を付けた。


「何言ってるんですか! 今からしますよ、反省会!」と俺は立ち上がる。

「反省会ねぇ」と先輩は薄く笑みを浮かべた。

「結構自信があったんですよ」

「ほう。自信があったのか? なら何故、ネットで確認しなかったんだ。今時、新人賞の結果なんて、ほとんどネット発表だろう。それを評価シートが来るまで待ち続けるとは。ホントは自信がなかったんじゃないか?」

「ネットは信用できませんからね」

「前時代的だな。いや現実逃避か。まあ、いい。……昨日、原稿も一段落して、多少時間をもてあましているところだ。付き合ってやらんわけでもない」

「よろしくお願いします」


 腰を折って、先輩に頭を垂れた。

 文芸部というが、割と鳴子先輩は体育会系のノリを好む人なのだ。


「しかし反省会というのは、げんが悪いな。それに、この机に載っているものを考えると、反省会という気分ではないだろう」


 長机に載った品々を眺める。俺もよみもそれに倣った。

 そこにはたくさんのケーキやらお菓子やらが並べられていた。ジュースやソフトクリームのサーバー、各種パーティーグッズまで取りそろえられている。部室の壁際にはポンポンやら折り紙で出来たリングやらで飾り立てされ、まるでお誕生日会みたいな様相を呈していた。


「よみ君がここまで盛大に祝宴の準備をしてくれたんだ。もう少し明るくいくべきだと私は思うが、諸氏はどう思うかね」


 もう一度よみが用意してくれた品々を見つめた。

 確かに俺は一次落ちした。この祝いに見合う結果を得られず、むしろ台無しにしてしまった。

 それでも感謝しなければならない。こうして俺を応援してくれる人。落ちても、本人と同じぐらい――いや、それ以上に落ち込んでくれる人に。


「ありがとな、よみ」


 そっとよみの頭を撫でた。

 柔らかな髪をさわられながら、ポニーテールの少女はくすぐったそうに笑った。


「どんとやりましょう。反省会」


 よみもボードに【賛成】と書き込んだ。

 後輩の反応に鳴子先輩は満足そうに頷くと、椅子を引いて立ち上がった。

 小さな黒板に書かれた「勇ちゃん、一次突破おめでとう」という文字を消す。

 その上から、先輩は大きな文字でこう書いた。


『祝!! 一次選考落選 二百回記念!』


 黒板を見た瞬間、俺の中で溜まっていた何かが弾けた。

 そして――。


「うあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあああぁあぁっぁぁああぁぁぁぁぁっぁあああぁっぁあ」


 泣き声を上げ、廊下に飛び出していた。


 俺の名前は秋月(あきつき)勇斗(ゆうと)。華赤坂高校一年生。

 趣味はラノベを読むこと。夢はラノベ作家になること。

 そして今日、新人賞一次選考に二百回目の落選を記録した。

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