第1次選考 俺のラノベが一次落ちするはずがない。③ 

 うっすらと目を開けた。


 そこに白い世界はなく、普通の秋月家のリビングがあった。

 暴風に翻って、リビングを周回していたテーブルや食器などは何事もなかったかのように定位置に戻り、鳩ではなく梟が飛びだしてくる振り子時計は休まず時を刻んでいる。


 一度めくられたはずの魔導書も閉じられていた。


 何もかもが元通りのまま。

 唯一、変化を上げるとするなら、目の前に「人」が立っていたことぐらいだ。

 人とは言ったが、首と四肢が有り、割と知性を感じる生物を人間と呼ぶならば、眼前に佇むものは人間なのだろう。


 いや、その少女はどこか人間離れしていた。


 高地に潜む鳥の羽のような無垢な白髪。うっすらと血管が浮き出た二の腕。かと思えば、アスリートのように引き締まった足腰。

 口にはうっすらと淡いピンクのルージュが引かれ、目は燃えさかる炎のように赤かった。

 余程、人の容姿から外れた美貌を持った少女の身体には、ドレスでも、可愛い洋服でもないものが着飾られている。


 甲冑――。


 それもおそらく少女の身体の重さとほぼ同等であろう分厚い鉄の板が、足、腰、手首、肩、そして未知数の胸に収まり、少女の肢体を隠していた。


 それぞれには、見たことのない文字とも紋様とも取れる模様が刻まれており、白く発光した後、眠るように輝度を収縮させていく。


 軽く顎を上げ、少女は紅蓮の瞳で俺を見つめた。

 背は俺よりも少し小さい。平均的な女性よりは少し上ぐらいだろう。

 甲冑を鳴らし、近づいてくる。よく見ると、腰に大きな両刃の剣が下がっていた。牛を一刀で切り伏せられそうな分厚い剣は、甲冑と同じ文字が刻まれた鞘に、収められている。


 甲冑が鳴る音が途絶える。


 すぐ側に少女の真っ白な顔があった。

 きっと見据えられた後、腰ひもから鞘ごと剣を取り外した。おもむろに腰を折り、剣を床に置くと、跪いた。


「主の真言に感銘し、馳せ参じました。どうか我が望みを叶えるべく、主の望みの一助としてなんなりと申しつけください」


 涼やかな声の中に、頑なな意志と厳格さが漂っていた。

 少女の綺麗な白いつむじを見ながら、俺は固まった声帯を何とか動かした。


「き、君は……」


 何者だ、というところまで声が続かなかった。

 俺の反応は、如何にも利発そうな少女には十分過ぎるほどの情報だったらしい。


「失礼した」と断った後、すっくと立ち上がった。

 悪意も、侮辱も、卑下もない。曇りのないルビーのような瞳は真っ直ぐに目の前の男子高校生を射抜いた。


「我が名は悪魔騎士フルカス」


 自らの胸を叩き、再び跪く。


「東の王の一鍵いっけんラジエの知恵ゲーティアの七十二の一柱にして、二十の悪霊を束ねし、唯一の騎士にございます。どうか、貴殿の知恵の泉の中にお加え下さい」


 再び畏まる。

 俺もまた口を閉ざした。

 呆気にとられているのでない。何を聞けばいいのかわからないのだ。


 いや、聞きたいことは山ほどある。

 魔導書に始まり、悪魔騎士、東の王、悪霊、望み……。

 つっこみどころなどいくらでもある。それこそ科学の証明など一笑してしまうほどの事象がたった数分数秒程度で連続して起こったのだ。そんなものなど、この世にはいないと、大人たちから教え込まれた事実が、今まさに眼前に存在しているのだ。


 今日の下着の色でも尋ねろと? それはもはや変態だ。というか、それを口にした途端、殺されるか、もしくは本当にそれを願いとして聞き届けてしまう危うさが、彼女には存在した。


 子供のような純粋さが目の奥で見てとれたからだ。


 ともかく話を進めることにした。この物語をめくったのは、おそらく俺――秋月勇斗。それだけはわかっていた。常識では説明つかないことなど、後にしてしまえばいい。


 ふっと息を吐いた後、フルカスと名乗った少女に尋ねた。


「フルカス、いくつか質問する。気に障った事があれば、遠慮なく申し出てくれ。正直、悪魔というのは人生で初で、勝手がわからないんだ」


 自分でも驚くほど、淡々と喋る事ができた。

 逆に、フルカスは俺を見上げ、きょとんとした顔を見せた。


「君の望みってなんだ?」


 はたまた悪魔は目を瞬かせた。王の威厳のようなものすら存在していた少女の顔が、いつしか年端もいかない村娘のような無垢な表情をのぞかせた。


「何故、そのような事をお尋ねになる?」


 反射的にフルカスは拝する事をやめて立ち上がった。

 いきなり俺の質問は、彼女の琴線に触れたらしい。若干、上気する少女に対して、俺は慌てることなく言った。


「そうだな。君の望みが、世界征服だったり、世界を滅ぼすことだったり、誰かを殺すことだったり、まして俺の魂を頂く――なんてベタな望みなら、叶えることに協力は出来ないからだ」


 至極真っ当な答えで返した。

 当然だ。見た目は少女とはいえ、悪魔騎士なんて物騒な肩書きを持つのだ。子供の身体をバラバラにして、プロレスを挑んでくるような展開はごめんだ。


「なるほど。盲点でした」とフルカスは断った後。「失礼した。我らが召喚に応じる場合、たいていの場合術者の望みに応じるもの。その際、すでに我が望みを知った上の所行ゆえ、少し戸惑ってしまいました」


 少しとは言ったが、案外フルカスは驚いていたように見えた。


「有り体に申し上げます」


 一旦言葉を切った後、フルカスは改まった。

 またあの瞳で、俺を見つめてくる。淀みはなかった。


「私はあなたの魔導書を頂きたく参上しました」


 はあ? と俺は声を上げた。

 そして考えてみた。フルカスの意図を、思考を。

 これでも小説家を目指そうとするものの端くれだ。言葉の意味を、文法を、文節を分析する力は、一般人より優れていると(勝手に)思っている。

 が、どこでどう考えてみても、どのように文法を変化させてみても、文節を区切ってみても、一つの答えになる。

 俺の魔導書が…………ほしい、だって?


「待て待て。そんなの無理だ!」

「無理とは?」


 フルカスは眉根をひそめた。


「俺は魔導書なんて持ってない。そもそもお目にかかったことも、書いてある内容すら知らない。知っているのは、それが悪魔の召喚だったり、魔術の行使に必要だったりするという知識だけ。っていうか、それもラノベとかゲームの設定で――」

「それはおかしい」

「おかしいのはお前の望みだ」


 悪魔騎士にツッコミを入れる。

 初対面の悪魔に少々失礼だと思ったが、フルカスは全く意に介していなかった。


「いや、主よ。それはおかしい。何故なら、あなたの魔導書はそこにあるからだ」


 と指差した。その指先の延長線上に俺は目を向ける。伝っていった先にあったのは、先ほど大事を起こしてくれた魔導書とおぼしき装飾本だった。

 さっき一瞬めくられたかと思ったのだが、表紙は閉じられ、休息を取るかのように静かに佇んでいる。


 確かに装飾本が魔導書であると認識はしているものの、それが自分のものであるという感覚はない。そもそも書いたことも、書き方すら――いや、その内容すらちゃんと把握していないのだ。

 装飾本を取り上げる。ともかく俺は確認がしたかった。

 表紙と背表紙の間に力を入れる。やはりビクともしない。


「な、何をなさっておられるのですか?」


 冷静が服を着たような騎士が慌てて止めに入る。


「いや、中身を確認しようと思ってさ。お前なら開けられるのか?」


 軽い気持ちでポンとフルカスに投げた。

 騎士の顔が一気に青ざめた。

 分厚い籠手を付けた手を差しだす。一度、取り損なったものの、ラクビーの選手みたいにしっかりと胸でキャッチする。

 ほっと息を吐くと、鋭い眼差しをさらに研ぎ澄まし、刃のように突きつけた。


「お気をつけください、我が主。“君主の読物マスターブック”に傷一つでもつけば、あなたの望みも叶えることが出来ません」

「マスター――――ブック………………?」

「さよう。これは単なる魔導書ではありません。“君主の読物マスターブック”と言って、あなたにとっては私との契約書。そして私にとっては魂も同然なのです」

「契約書? 魂?」


 フルカスと喋っていると、ラノベでしかお目にかかれないような単語がどんどん現れてくる。


 俺が鳩を豆鉄砲を食ったかのような顔をしていると、いい加減向こうも様子がおかしいことに気付いたらしい。烈火に燃える表情を収めると、“君主の読物”に付いた埃を丁寧に掻きだし、俺に返した。


 手を顎にあて、何かを真剣に考え始める。ロダンの考える人ではないが、それだけの動作で一石の彫刻になりそうな美的雰囲気がある。悪魔と名乗るものの、少女の美しさは常軌を逸している。まさに悪魔的なほど。


「では、もしかして“書鬼官デーモンメイカー”という単語もご存じでない」

「コーヒーメイカーは知ってても、デーモンメイカーなんて単語は初めて聞いたよ」


 正直「悪魔を作る者」なんて物騒な単語――ラノベのネタとしてはいいが、現実では使いたくもない。


「失礼ですが、どうやら主は全くの魔導の素人のようですね」

「そのようですね。――ってさっきからそう言ってるじゃねぇか。俺は魔導書を書いた覚えもないし、君主の読物も、も聞いたことすらない」

「弱りました」


 悪魔騎士は神にでも助けを求めるかのように天を仰いだ。見上げた先にあるものは模様がついた白い天井と丸いシーリングライトだけだった。

 こんなことがあるのか、と再び黙考し始める。

 俺は何かの手違いだと思っていた。悪魔を呼び出せる魔導書と間違うなんて事は万に一つの可能性もないが、絶無とはいえないだろう。しかしフルカスは反論する。


「ありえません。何故なら魔導書を書いたもの以外、君主の読物を開き、悪魔を呼び出す事が出来ないからです」


 ぼんやりと思い出す。

 魔導書が光り始めた瞬間、確かに「めくれ」と命じた。何故か記憶はあいまいなのだが、それだけは覚えている。フルカスが言うことが本当なら、確かにこれは俺が書いた魔導書なのかもしれない。


 しかし何度も言うが、俺には記憶がない。

 そのことを再び主張すると、フルカスは首肯した。


「当然です。一度開き、悪魔と契約した君主の読物の内容は、作者であっても確認は出来ません。また作者は書いた内容を忘れてしまうと聞きます。主が覚えていないのは、魔導の摂理なのです」

「けど、俺はそんな魔導書なんてご大層なもんは書いた事がねぇ。俺が書くのはラノベだぜ、ラノベ。自分が書いてるもんを馬鹿にするわけじゃないけどよ。レベルが違うだろう」

「ラノベ……?」


 フルカスは片眉を上げて、不思議そうにこちらを見た。


「ライトノベル。まあ……言ってみりゃあ、俺ぐらいの中高生を対象にした娯楽小説だよ」

「小説なのですか? なら問題はありません。魔導書は小説なのですから」


「はあ?」とその時の俺の顔はさぞかし奇妙に歪んでいたに違いない。


「魔導書は基本的に小説の形式で書かれます。先ほども言いましたが、魔導書は魂なのです。わかりやすい言葉でいえば、歴史や経験ということでしょうか。我々悪魔は長い年月を生きることが出来ますが、長い生ゆえに自身の歴史や経験を忘却する性質を持っています。故に代用の歴史として人間から魂を奪ってきました。しかしある時、人間は魂の代用品として魔導書を生み出したと聞いています。小説という形式にするのは、語りやすくまた悪魔に魅力を感じてもらうためでしょう」

「じゃ、じゃあ、何か? フルカスは俺の――仮に自分の魔導書だとして――俺の小説が面白かったから、召喚に応じたってことか」

「ひとえに相違ないかと」

「面白かったのか?」

「はい。面白かったですよ」


 あっさりと認めた。

 俺はただ呆然と立ちすくんだ。これまで二百回も落選してきたのだ。編集やプロの作家はおろか下読みの人間にすら認められず、落ちてきた。つまり面白くなかったのだ。

 何の因果かいきなり目の前に現れた悪魔は、俺の作品を「面白かった」という。どんな作品で、どんな内容だったのか自分で確認できないことは非常に残念だが、素直に嬉しかった。


「ありがと」


 きっと俺の顔は今、超絶赤いに違いない。

 なんか凄ぇ恥ずかしくなってきて、何度も頬を揉んで誤魔化したが、にやける顔が抑えられなかった。


「と、ともかく……。百歩譲っていや一万歩譲ってだな。俺の作品で君を呼びだして。何をすればいいんだ? お前に望みを叶えてもらえばいいのか?」


 そりゃ、俺だって健全な男子高校生だ。ギャルのパンティーってわけじゃなく、それなりに欲望がある。例えば、二次元の中に入れるとか。好きなキャラクターのフィギュアを等身大にして、毎日添い寝してもらうとか。幻想郷に連れて行ってほしいとか。異世界に言って、美少女たちとともに魔王を倒しにいって、ハーレムエンド迎えるという――男子学生なら至極当たり前な願望を備えている。


 それに、と悪魔に視線を向ける。

 願いを叶えないというのもいいかもしれない。

 格好はともかくとしてフルカスは、人外ともいえるほどの美少女だ。そんな女の子と食事をしたり、一つ屋根の下で暮らすというのも、まさに望外の喜びだ。

 何げにさっきから「主」と呼ばれているのも、ポイントが高かった。


「いえ、あなた様の願いはすでに決まっています」


 フルカスはたった一言で、俺の妄想を一刀した。すかさず、二の次を放つ。


「主の願いは、書鬼官デーモンメイカーになることです」



 ……はあ?



 我が目――いやいや我が耳を疑った。


 待て待て。ちょっと待て。デーモンメイカーってなんだ。いや、さっきなんか聞いた気がするが、そう言えばその単語についてまだ何もレクチャーは受けていない。


「言葉通りですよ。悪魔を作る人間。つまり魔導書の作者になるということですね」

「俺が?」

「はい」


 フルカスは淡々と応じる。


「待て。俺にはラノベ作家になるという夢があって。魔導書の作者なんか――」


 形はどうあれ、俺の作品を認め、一次選考を通してくれた出版社に感謝の気持ちはある。だが、ラノベ作家を目指す俺からすれば、カテゴリーエラーも甚だしい。純文学やミステリーの賞に引っかかったというならまだしも、得体もしれない魔導書の作者になる気なんて毛頭ない。

 そもそもソロモン出版なんて出版社に、俺は自分の作品を送った記憶などないのだ。


「しかし主には書鬼官になってもらわねば困ります」


 フルカスがやや気落ちした顔で、俺を見つめてくる。


「と、ともかく……だ。少しこの話は後にしよう」


 俺はずっと握りしめ、くしゃくしゃになった一次通過の知らせの紙を開く。

 貴作品……云々と書かれた左下には、ソロモン出版編集部と住所が書かれていた。だが電話番号はない。それだけですでにうさんくさい。


 おそらく今、置かれている状況はニアミス。なんらかの手違いで、誰かの作品が俺のものだと思われているかもしれない。

 フルカスを見る。小首を傾げ、不思議そうに俺の挙動を見ていた。


 ――仕方ない。


 俺はソロモン出版へ向かうことに決めた。

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