最終選考 受賞は遠き魔導の果てに……。 ③
よみに抱きかかえられ、俺はゆっくりと戦線を離脱していた。
青の世界から脱出し、石畳の上を入口の方に向かっている。
身体は全く言うことをきかない。
全身に、どんなに力を入れても、筋肉が応えてくれない。
なのに背中の痛覚だけは働いているらしく、焼けるような痛みが断続的に襲ってくる。
が、それに反応する術は、俺にはない。
そんな気力もなかった。
よみに担がれながら、俺は思った。
――だせぇ……。
自分の悪魔一匹守れなかった書鬼官。
その元凶になった相手に、拳一発も当てる事が出来なかった男の子。
しかも自分より小さく非力な女子に抱えられ、背中を向けることしか出来なかった幼馴染み。
――――俺は
――あまりに……
無力すぎた――――。
悲しくなってくる。
いっそ痛みのあまり泣き叫んだ方が、どんだけ格好がつくだろう。
そんな情けないことしか考えられない自分に、また腹が立ってくる。
すぐ顔の隣にあるよみの表情を見た。
大きな瞳を広げ、真っ直ぐ前を向いている。
足取りは力強く。決して立ち止まったりはしない。
凄いな、と思う。
背中の向こうはすぐ戦場だ。
爆発音や鋭い金属音が断続的に聞こえてくる。
わずかに香ってくる焦げたにおいが、不安を増長させる。
でも、よみは決して振り返らない。黙々と戦場からの距離を伸ばしていく。
強いな。いつの間にこんなに幼馴染みは強くなったのだろう。
昔は――そう――逆の立場だった。
声を出せないよみをからかう同級生から守ることが、俺の役割だった。
自分で言うのもなんだが、ヒーローは俺の方であったはずだ。
けど、今は違う。
「よみは強いな」
譫言のような独白に、よみは息を弾ませながら頭を振った。
「いや、お前は強いよ。……けど、俺は無力だ」
「そんなことはない!」
今度は力強くはっきりと否定した。
逆に俺は、弱々しく首を振った。
「俺は無力だよ。……何にも出来ない」
「そんなことはない!」
もう一度言った。
「ゆーちゃんは最終選考までいったんだよ。それは誇っていい事実だよ」
「そうだな」
けど――。
「それが何の役に立つ。俺はただ小説を書くしか能のない男なんだぞ」
小説を書く能力なんて、一体日常生活で何の役に立つというのだろうか。
特に――今――戦場にあって、この能力にどんな存在意義がある。
それならいっそ、身体を張って、先輩の弾よけになるほうが、よっぽど有意義じゃないのか。
そうだ。
そうすればよかった。
フルカスの仇を取れなくても、今こうして自分だけ逃げているよりよっぽどマシじゃないか。
「私ね」
と切り出したのは、よみだった。
「昔、ゆーちゃんの真似をして、小説を書いた事があるんだよ」
「え?」
痛みも忘れて驚き、幼馴染みを見た。
「でも、ゆーちゃんみたいに書けなくて、途中で諦めちゃった。だから、いつもゆーちゃんの小説を読みながら、いつも考えてた。どうしてこんな風に書けるのかなって」
「どうしてって……?」
自分の右手を見つめた。
鉛筆の黒鉛で真っ黒になった手の平。
手のあちこちに岩のように固いタコができていて、中指は第一関節からぐにゃりと変形している。
思えば、どうしてこんな歪な形になるまで、俺は小説を書いていたのだろうか?
――なあ、秋月勇斗。……君はなんで小説を書く?
ふと先輩の言葉を思い出していた。
俺は自分の小説を読んでくれる人のために書く――。
そう思っていた。
間違いではない。
先輩やよみ、フルカスのために書いていたと言っても、過言ではない。
けどそれは今の話だ。
果たして初めて小説を書こうと思った時、同様の事を思って書いただろうか。
読者を意識し、ラノベ読者や周りの事を考えて書いていただろうか。
違う。そうじゃない。
俺は――ただ面白い小説を書きたかったから、書いていたんじゃないだろうか。
じゃあ、面白い小説ってなんだ?
俺が面白いと思えるものってなんだ?
「ゆーちゃん」
よみは声をかけてきた。
「書くことって、ゆーちゃんが思っていること以上に素敵なことだよ」
よみは笑った。
落ち込む幼なじみを励まそうと精一杯の笑顔を向けている。
肌は煤だらけ。柔らかなポニーテールも、熱と水で痛み、ほつれている。
それでも、頬を朱に染め、大きな瞳を細め、口を大きく広げて笑っていた。
素直に思った。
可愛い女の子の笑顔だと。
その時、稲妻のような閃きが俺を襲った。
「そうだ。簡単なことじゃないか!」
思わず叫んでいた。
いきなり大声を張り上げた俺にびっくりして、よみはこれまで歩み続けてきた足をついに止めてしまった。
どうしたの? という具合にのぞき込んだ。
丸い瞳に映った俺は、よみに負けないぐらい笑顔だった。
だが、それはよみの顔が天使だとするなら、俺は悪戯を思いついたかのように無邪気な子供だった。
下ろしてくれ、と頼む。
幼馴染みはあっさりと応じてくれた。
どうやら、何かを感じてとってくれたらしい。
「そうだよな。……まだプロじゃないけど、魔導書しか書けないかもしれないけど、俺は小説家なんだよな。――だったら、やることは一つじゃないか」
「ゆーちゃん、どうするの?」
「書くんだよ」
ポケットから鉛筆を取り出す。
出雲大社で売っている合格祈願用の鉛筆。よみが俺のために買ってきてくれたものだ。
「無理だよ。そんな身体で。……元気になったら、また書けばいいよ」
「駄目だ!」
と強く否定した。
「今じゃなきゃ駄目なんだよ。今、この時にしか書けない。……フルカスを」
「フーちゃんを!?」
俺はこくりと頷いた。
「でも、フーちゃんの魔導書は……」
よみの声が小さくなる。
俺は振り返る。
青い水槽のような世界がまだ見える。
爆発音が依然轟いている。
まだ先輩や神海は戦っているのだ。
「だったら、書けばいい。もう一度」
「ゆーちゃん、魔導書の内容覚えてないんでしょ。……先輩から聞いている。魔導書の内容は悪魔しか知らない。書き手であっても、その内容は覚えていないって」
「ああ。その通り。覚えていない」
「だったら!」
「覚えていないけど、あいつとの8日間はちゃんと覚えてる!」
「え――?」
よみは絶句した。
俺は用意していた
表紙には俺の血がべったりと付着していたが、書くのには問題なさそうだった。
そして俺はあの言葉を呟いた。
「めくれ」
文庫本は俺の意志に呼応し、自ら1ページ目を開く。
書いてくれ!
そう――せがまれているような気がした。
腕を振り上げる。
息を吸い込み、お腹の中でためた。
目の前の白紙の紙に集中する。
もし、魔導書が悪魔の魂であり、歴史というなら。
俺はお前と出会った数日を描こう。
何千年という
たった8日間足らずの出来事……。
けど……!
この8日は、どんな魔導書にも負けてはいない。
俺にとって、この8日間の出来事は、100冊のラノベの中で最高の出来なのだから。
これは秋月勇斗の物語。
そしてフルカスという悪魔の歴史。
小さな小さな歴史絵巻かもしれない。
ちょっとエッチな低俗なライトノベルかもしれなけど。
でも――。
面白い小説に書いてみせる。
何より、お前を可愛く書いてみせる。
輝かせてみせる。
だって、俺が小説を書く理由。
それは。
世界一可愛い女の子を描きたい――なのだから。
さあ、始めよう。
じゃあ、最初の一行は何にしようか。
そう。1つインパクトがある1文がいい。
ならば、これならどうだろう。
残念ながら、貴作品は一次選考にて落選いたしました。
それが最初だった。
「執筆開始(リライト)!」
呪文のような詠唱が、力強く神社の中に響き渡った。
3
俺は夢を見ていた。
地平の彼方まで広がった草原の上。赤い太陽が、西へと沈む――壮大な風景。
一人の少女が立っていた。
綺麗に丸く曲げられた肩当て。いかにも重たそうな
如何にも武侠な騎士の出で立ち。
だが少女の顔は純真で、まだ幼さが残る面立ちしている。
穏やかな風雪のようになびく白い髪。青白い血液が浮き出るほどの白い肌。輪郭は緩やかな曲線を描き、鼻筋にかけては有名な芸術家たちがため息をもらすのではないかと思うほど、整っている。
淡いルージュが引かれた唇は、微笑を浮かべ、特徴的な赤い瞳は、夕焼けを見ていても、自分の色を主張し輝いていた。
芸術の極致ともいうべき少女は、ふとこちらを見た。
口端をさらに広げて、笑みを浮かべる。
そしてそっと、腕を差し出す。
つと迷ってから、誘われるように腕を出した。
少女の手は冷たかった。
けれど、伝ってくる心音は、激しく脈打っていた。
※ ※ ※
「はあ……。つ・ま・ん・な・い~」
少女の甲高い“声”が響く。猫がじゃれるような“声”は千差万別で、人によってはそれが可愛いというものもいれば、耳障りだと思うものもいるだろう。仮に統計をとってみるなら、わずかに後者の方が上かもしれない。
“声”が響いた場所は、少々風変わりな場所だった。
四方に張り巡らされたグリッド線。
時々、それは切れた電線が弾けるように、強い電気を通して白く発光している。
背景の奥には、何か明滅するものがあって、数でいうなら無量大数という数字の最高位に匹敵するほどの量であった。
よく見るとそれは「0」「1」の羅列であったが、あまりに細かすぎてただの模様にしかみえない。大量の電流が駆け抜けるたびに、その模様は過敏に反応し、様々な顔を見せた。
世界に名を与えるなら“
可視できない領域の世界。
人間が見ることが出来るのは、やはりそれが作ったものに過ぎない。
いや、このスペースでさえも作られた世界なのだ。
その時、カツンと冷たい雑音が、世界の中で響き渡った。
“声”は振り返った。
自分しかいないはず。
自分しか到達できないはずの世界に、人が立っていた。
それも電脳世界とは無縁な古式ゆかしい戦支度をした騎士が立っていたのだ。
白い髪をなびかせ、赤い炎のような瞳を“声”に向けていた。
「ちょっとぉ。ど、どうして、あなたがいるのぉ?」
信じられないといった調子で、“声”は声を上げた。
騎士はわずかに笑った。
「なるほど。見つからぬはずだ。……こんなところに隠れているとは。鳴子殿の大胆な仮説がなければ、人間ではないことすら思い浮かばなかったであろうな」
「聞いてるぅ? 私はぁ、なんであんたがここにいるのかって聞いてンの!」
激昂する“声”に対して、騎士は涼しげな顔のままだった。
「相手が悪魔で少し安心した」
「なんですってぇ!」
「別に卑下しているというわけではない。ウィルオーウィスプ……。悪魔にもなれない亜種が首謀者だった事には、驚いてはいるのだ。私が安心したのは、貴様が行った所行が、悪魔の行いであったと言うことに安心したのだよ」
「あんたぁ? 舐めてるの?」
「なめているのだ。お前と私は格が違う」
はっきりと断言した。
「ええ! そうよ! 確かに私はあなたと違って、低級な悪魔だわ。けどね。ここでは私が王様なの。世界の王よ! あのザガンだって、ここまで来れ……ない…………ん、だから」
“声”の声が次第に小さく萎んでいく。
ねえ、と言ってから、質問した。
「なんであなた、ここにいるの?」
はたまた騎士は口端を緩めた。
「さあな。詳しい事は知らん。私は一振りの剣に過ぎぬからな。ただ斬れと言われた相手を追いつめたまでのこと」
そう言って剣を立てる。
強力な雷を帯びた剣は、まるで発動する時を待ちかねるように鋭い光を放った。
「ちょっとぉ! なによ、それ! まさか星体を電気的な信号に変えて、ここまでやって来たっていうのぉ」
「言っているだろう。詳しいことは私も知らないと」
右手でゆっくりと上段に剣を掲げ、左手を添えると、強く握り込む。
「そんな馬鹿な! 私はここの王様なのよぉ。なんだって出来る。外の人間を操ることだって。魔導書を書かせることだってできる。何でも見えるし、何でも探す事が出来る」
“声”は一瞬言葉を詰まらせた後、にやりと笑った。
「ねぇ。あなた……。私と組みましょう。メリットならあるわ。私は何でも見つける事が出来る。そしてあなたがソロモン王を探していることも知ってる」
「…………」
「当たりでしょ。私はなんでも知っているんだから。ザガンとあなたの会話も聞いていたの。私の力をもってすれば、ソロモン王を見つける事が出来る。ねえ、悪くない取引だとは思わない」
“声”は騎士にすがりつく。
騎士は一度剣を下ろした。顎を引き、少し俯き加減で呟いた。
「そなた、私の言葉を聞いていなかったのか?」
「え?」
「私は王を探す旅を諦めた」
「だったら、また探しましょうよ。一匹よりも二匹の方が見つかるかもしれない」
「それに、私の今の主は秋月勇斗だ!」
騎士は剣を再び掲げた。
青白い炎の柱が伸びていく。まるでこの世界を縦断するような勢いで。
「ひぃぃいいいいいいいいいいい!」
“声”は叫声を上げながら、世界に命じた。
グリッド線に高圧の電流が流れる。世界はまるで積乱雲の中にいるように、無数の電気が走る。何万ボルトという電撃を浴びながら、騎士は構えを崩さない。
そして――。
気合い一閃。
グリッド線と「0」と「1」で囲まれた世界は真っ白になった。
振り下ろされた白き剣は、電撃すら切り裂き、“声”と一緒に世界を両断する。
呪いのような末期の悲鳴を上げながら“声”は、白い世界に包まれて消えていった。
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