第3次選考 これって戦争なのよね、とあの人も言ってました。⑤

「先手必勝!」


 俺は二冊ある王錫書のうち、1冊をフルカスに渡した。


 赤い炎を噴き出す王錫書スペアブック。それを突き刺した剣が激しく共鳴する。明かりもない中、闇に染まっていた刀身は紅蓮に輝き、周囲の空気を熱し始める。渦巻いた空気に引っ張られ、無数の木の葉が吸い寄せられていく。


 炎の剣に触れるまでもなく、葉は燃え上がり、辺りは火の粉で満ちていった。


 周辺を赤く染めながら、炎は貪欲なまでに空気を喰い散らし、さらに膨張していく。


 大地に生まれた極小の太陽。

 中心温度は千度を越えるであろう熱量に、契約主ですら近寄ることを恐れ、二メートルほど距離を開けた。


 最終選考にかけるフルカスの思いが伝わる。俺は改めて気を引き締めた。


 全力全開。フルブースト。


 魔力は満ちている。


 炎を纏った悪魔は、一足飛びで二十メートルの距離を制圧する。

 対して、先輩とザガン組は、


 炎魔破斬剣カリドゥス・ラーミナ


 一喝――。そして一刀のもと――――。


 巨大な炎刃は迷うことなく振り下ろされた。


 巨躯の竜を一蹴したフルカスの大技。火山すら蒸発させる威力を持つという炎魔破斬剣カリドゥス・ラーミナ


 その剣は美しい弧を描き、対決者たるザガンに撃ち込まれる。


 ――はずだった。


 事の変化を察したのは、その一瞬後だった。


 火柱のような炎の剣。


 それが透明な壁に阻まれていた。


 否――。透明な壁ではない。無色ではあるのだが、盾といった金属で防がれたのではない。


 水だ。


 大量の水が、高圧で打ち出され、剣を止めている。


 証拠に――剣と水の間からは、水蒸気が吹き出し、辺りは濃霧に覆われた。真っ白なカーテンは、近くにいるはずの館川の顔すら確認できないほどだった。


 フルカスはなお剣を押し込む。


 想像を絶するほどの水圧なのだろう。少女の顔は苦悶に歪んでいた。柄を握った手からは鮮血すら垂れている。もはや水の壁が剣の攻撃を支えているのではない。水の壁を炎の刃で受け止めているのだ。


 一瞬の気の緩みすら許されない。

 初の邂逅がいきなり緊迫した状況となった。


「嘲弄①。片腹痛し!」


 必死になって押し込もうとするフルカスに対し、ザガンは1歩踏み出す。そして2歩、3歩と押し切っていく。制圧した距離をどんどんと縮めていった。


「先制攻撃というのは悪くない。だが、レディーファーストという言葉を知らないのか、君は」


 戦いの場にあって、鳴子先輩は軽口を止めない。

 それだけ余裕があるということか。


「先輩後輩の仲でしょ。先制点ぐらいもらってもばちは当たらないと思いますよ」


 俺はかろうじて笑みを浮かべて、対抗する。


「親しき仲にも礼儀ありというが」

「無礼講といきませんか、この際――。だって俺達、これから殺し合うんですよ」


 返答はなかった。


 薄い煙の中にいるような状況で、俺は必死に声の主を探す。


「が――――っ!」


 悲鳴が上がった。

 上を見上げる。赤い炎の塊が水柱に弾かれ、火の粉をまき散らしながら四散した。


「フルカス!」


 その声に呼応するかのように、一旦崩した体勢を整え、地面に着地する。


 額には汗。肩で息。しかし戦意は衰えていない。それどころか増すばかりだ。


 フルカスは武人。一片の気の緩みすらなかっただろう。高負荷の水圧に身体がついていなかった。ずっと精神だけで耐え抜いていたのだ。


 フルカスは最高の悪魔だと思う。並の悪魔など敵ではない。鑿歯やシラウスといった東洋西洋の悪魔、竜と呼ばれる悪魔すら追随を許さず、圧倒的な武力を見せつけた。


 が――。


 今、相手をしている悪魔は違う。同じ柱の悪魔ながら、格が一つも二つも上だ。


 想像以上――。


 一合だけの打ち合いで、フルカスをこれほど消費させた姿を見て、今ごろそんな印象を感じていた。


 膝をついていたフルカスはよろよろと立ち上がる。


 数々の戦をくぐり抜けた愛剣を握り、正中に構えた。


 真正面。フルカスが見据えた先の霧が払われる。二つの人影が姿を現した。

 鳴子先輩は不敵に微笑み、ザガンは無表情だった。


「殺し合いか……。なるほど。覚悟はそれなりのようだな」

「承認①。主よ。あれらは壊していいのか?」


 抑揚のない声で、己の契約者に確認する。少し鼻声な声音は可愛いのに、言葉の意味合いも相まって聞いただけで総毛立つ。


「どうやら、それが望みらしい。ザガンよ。後輩の望みを叶えてやってくれまいか」

「承知①」


 ザガンが動いた。


 フルカスとの間合いを詰めるため、突っ込んでくる。その手にはなんの武器もない。武具どころか、防具すら彼女にはない。一糸まとわぬ姿でこちらに向かってくる。先輩の方を見ると、王錫書を使うそぶりすら見受けられなかった。


 俺の悪魔も動く。


 雄叫びを上げながら、足を止めるのは性に合わないと言わんばかりに、高速移動する。


 一直線に駆けてくる半透明の悪魔に対して、フェイントを混ぜながらジグザグに接近する。


 お互いの動きを見て、俺は悟る。いくさ馴れしているのは、おそらくフルカスだ。

 足運び。剣の握り。目つけ。局地戦に置ける戦術。王よりも騎士の方が、一歩先んじている。いくら高い位を持つ悪魔とて、経験が無ければ強さは半減する。


 フルカスがザガンの左サイドを侵略する。剣を右斜め下に構えた。体勢は十分。とった――と俺は思った。


 ズヴァアアアアアン!


 袈裟斬りとは逆。右脇腹から左肩に一閃――するはずだった刃は大きく弾かれる。


 見えない壁。あの水流の壁だ。


 フルカスの動きが一瞬止まる。ザガンは見計ったように水壁を一点に収束し、弾いた。

 弾丸のように打ち出された水の塊は、フルカスのがら空きになった左脇腹に撃ち込まれる。騎士曰く精霊金属ミスリルよりも硬いと豪語する魔力の甲冑。だが装備者の期待を裏切り、貫通すると、脇腹を抉り、内臓を引きちぎり、体外へと放出された。


「ぐあっ!」


 フルカスの口から鮮血が飛ぶ。


 致命傷を負いながらも、なんとか後退し、距離を取った。


 ザガンの攻撃は留まらない。

 再び水流の壁を作って、突進してくる。

 高速移動。が、怪我が影響して一歩遅い。咄嗟に剣を横に構え、受け止める。

 だが渾身の一撃すら弾いた壁だ。手負いのフルカスを紙のように弾くことなど造作もない。


「うわああああああ!」


 再び悲鳴が響く。

 小さな騎士の身体は夜空を舞い、弧を描いて数十メートル先に落下した。


 俺はまたフルカスの名前を呼んだ。


 受け身もろくに取れず、脇腹に大きなダメージを受けた悪魔は、微かに身じろぎした。何度も咳き込みながら、衝撃で浮き上がった横隔膜を沈めようと試みる。


 額に脂汗が浮かび、必死に息をしようとする。


 だが対戦相手に慈悲はなかった。

 水の壁を発動しながら、ザガンは飛び上がった。1個の隕石となって、フルカスに飛来する。敵の気配に気付き、咄嗟に目を開けたフルカスは、辛くも横に逃げる。


 高圧の水は普段の性質から想像出来ないほど凶暴化し、玉砂利を敷いた地面を抉る。


 敵が方向転換する間、フルカスは剣を杖代わりにして立ち上がる。息はいまだ整わず。むしろまだ出来ていない。身体は大量の熱を帯びているというのに、顔は真っ青だ。


 ザガンのエメラルドグリーンの瞳に、フルカスが映る。


 水が収束。今度は無数――。ショットガンのように打ち出された水弾が、フルカスを襲う。

 騎士は剣を振るって必死に対応する。が、すべてを弾くには、あまりに数が多すぎた。質も硬い!


「ぐうぅ!」


 右肩と左腿に水撃が貫通する。

 溜まらずフルカスは崩れる。敵は見逃してはくれない。再び水流の壁を張ると、突進する。


 防御もままならず、悪魔の騎士は再び宙を舞う。

 そのまま1基の篝火に激突し、ぴくりとも動かなくなった。


 ザガンの攻撃は悪魔らしく容赦がない。

 水蒸気を上げながら篝火に入っていくと、騎士の白い髪を掴み、軽々と片手で持ち上げる。もう片方の小さな手の平には、サッカーボールほどの大きな水玉が生み出された。


 それをそのままフルカスの傷ついた腹に押し込んだ。


「うがあああがっっがあああっがががああ!」


 聞いたことがない少女の咆吼が、闇夜に響き渡った。


「嘲弄①。老いたなフルカス」


 水弾で同じ柱の悪魔をなぶりながら、ザガンは罵倒した。


「比較①。我は王。七十二の悪魔の頂点に君臨する存在。同じ柱の悪魔とはいえ、騎士と王とでは天地の開きがある。それは一度お前が身を以て知っている事だと認識していたが」


 ザガンの攻撃と口撃は止むことを知らない。


 強い――。


 ここまで開きがあるとは思わなかった。最初は戦術を練り、冷静に戦えば勝機はあると考えていた。2次選考。ショッピングセンターの一件。その戦いを見て、フルカスは並の悪魔ではないと強く信じていた。


 甘かった。


 俺自身の愚かさを呪うほど認識が甘すぎた。


 ザガンは強い。圧倒的に。フルカスが赤子に思えてしまうほど。


 俺の中で「リタイヤ」という言葉が思い浮かぶ。

 このままでは本当にフルカスは殺される。


「どうした、秋月勇斗?」


 目が覚めるような声は、対面に立った少女からだった。


 漆黒のドレスを着た先輩の視線は、全く悪魔同士の対決からそらされていない。否――あれを対決と言っていいのか。もはや一方的な虐殺だと言い換えてもいい。


「あれが君が望んだ殺し合いだぞ」


 冷酷に冷淡に――。その声は一機の殺人マシーンの警告にすら聞こえた。


 語らう間も悪魔の王は決して攻撃を止めようとはしない。

 悲鳴も血反吐も吐かなくなったフルカスに対し、執拗に追い打ちをかける。水弾を右へ左と操り、騎士の身をこれでもかと削っていく。


 何か怨念すら感じさせるしつこい攻撃ではあるのに、ザガンの表情は一片も動いていない。大きな目を見開き。エメラルドグリーンの虹彩を絞り、口は閉じたまま全くの無表情でなぶり続けている。


 俺は唇を噛んだ。

 やめろ、と出かかった言葉を飲み込む。


 先輩の言うとおりだ。これは望んだこと。俺とフルカスが誓った願望への道程。


 引き返すことは簡単だ。

 だが、今引けば、すべてが水の泡になる。


 殺される事を覚悟していなければ、最初から参加しなければよかったのだ。


「めくれ」


 俺は用意していた白紙の文庫本に命じる。

 言葉に応え、書は自分の腹の中を見せた。


「どうするつもりだ? 雌雄は決したぞ」

「やるだけの事はやりますよ。……いや、やらなければならない。やらねば、勝利はない」


 用具を取り出す。

 出雲大社で売っている三十本入り千五百三十円の鉛筆。


 幼なじみがわざわざ大社まで行って、手に入れてくれた一品。

 持ち手の馴染む感じを確認しながら、大きく手を振り上げた。


「執筆開始(リライト)!」


 俺の腕が光速すら超えて動き出す。


 執筆迅雷ライトニング・ブレッドと誰かが称したそうだが、まさに神にすら見抜けないほどの速度で、書のページを蹂躙する。


 腕に稲妻。

 紙に記された文字は焼け跡のように黒く穿かれていた。


 そんな神すら超えた神技じんぎを、平然とした顔でやってのける。


 腕が熱い。

 筋肉の繊維が悲鳴を上げているのがわかる。だが今は関係ない。


 ただ俺の中にあるのは、物語の構想。

 この絶望的な状況下を圧倒し、制圧しうる作品。


 決めていたクライマックスを排除し、さらなる障害を主人公にぶつける。


 読者がもう駄目だと顔を覆う展開を用意し、作者すらはい上がることを予想できないシチュエーションを構築し、徹底的に主人公を落とし込み、なぶり、身も心も絶望の中の絶望に落とす。


 そして俺は考える。ここから立ち上がる方法を。


 さらに願う。自分が作った主人公(キャラ)がここから立ち上がってくれることを。成長することを。


 俺は戦う。

 なんとしてもでも、この状況を打破する。


 作者が納得し、読者が感動する結末へと着地してみせる。


 今まで、こんな難行に挑んだことはない。

 話をバランスと枚数を考えて、セーブしていたこともある。


 だが、俺自身怖かったのだ。

 ここまでキャラと作者じぶんを追い込むことが。


 後押しするのはたった一つの感情だ……。



 必ず勝利し、絶対に書(か)ってやる!



 と――。


「執筆完了」


 俺は小さく呟いた。


 だからと言って、何かが起こったわけでもない。何かが逆転したわけでもない。


 ただ沈黙が降りた。


 俺が魔導書を書き終えても、ザガンがやることは変わらない。

 一撃。二撃。三撃。四撃と殴り続けている。対するフルカスも同じだ。サンドバックと化した悪魔騎士は、一言の呻きすら上げずにされるがままになっていた。


 五撃――と加えようと、ザガンが水玉すいぎょくを構える。


 変化は直後に起きた。

 一定の動きしていた悪魔の王が急に動きを止めた。すでに敵悪魔の機能は停止し、自身の勝利を確定したと思いこんだのか。それならば、もっと前から攻撃を中止していたはずだ。


 なのに攻撃を止めた。

 主からの命令もなく。


 自身の悪魔の動きに、主たる鳴子先輩も眉をひそめる。「どうしたの、ザガン」と尋ねても、契約悪魔は身じろぎもしない。


 代わりにこちらの方を見るが、俺はただ黙って魔導書を開いたまま仁王立ちしている。


 最初に変化に気付いたのは、ザガンだった。


「疑問①。汗……?」


 ザガンは額に浮かんだ滴を拭う。手に付いた水分を見ながら、自問した。

 その言葉に反応したのは鳴子先輩だった。


「汗……。嘘でしょ? あなたの身体の九十パーセント以上は水分なのよ。汗なんて掻くはずがない」

「事実①」

「そんな……」


 一体何が起こっているの――怪訝に歪んだ表情を後輩に向けた。

 俺は薄く笑っていた。


「検証①。私の身体のほとんどが水分で出来ている。だが、その結合力が失われつつある。魔力では維持できないほどの強力な力によって」

「ザガン! とどめを! フルカスにとどめを刺しなさい」


 水の悪魔は腕を振り上げた。

 表れたのは、水弾ではない。槍――水で作られた長槍だ。


 柄を両手で握ると、刃をフルカスの喉元に向かって構える。胴と頭が離れれば、いかな悪魔とて絶命は免れない。



 その言葉には、重い感情の響きがあった。

 躊躇うことなく、喉に刃を滑り込ませる。


 が――。


 寸でのところで、刃は霧散する。

 ザガンがやったわけではない。まして俺でもない。先輩が指示したわけでもない。


「逃げろ、フルカス」


 俺は呟いた言葉通り、フルカスは動いた。

 ザガンになぶられながらも、その意識はギリギリ保っていたのだ。


 虚を突かれたザガンは、一瞬反応が遅れる。水流の壁を使って、再び突進を開始するが、水槍と同じで、本人の意志に反して維持が出来ない。


「困惑①」


 何度も試みるものの、壁は全く出来ない。


 四苦八苦する様子を見ながら、フルカスは口の中でシャッフルされた鮮血を吐き出す。自身の血反吐が付いた顎を拭いながら、ザガンを睨め付けた。


 剣を構え直して、突進した。かろうじて水壁を発生させ塞ぐ。だが生成して崩れ、生み出しては消えていくのを繰り返している。おかげでフルカスの刃に押し切られようとしている。


「さようならとは随分寂しい事を言うではないか。もう少し私と戯れてはくれぬか」


 悪魔の王は瞳を大きく見開き、口を開いた。

 折しも、契約者も同じ顔をしていた。


 同時に先輩の顔が歪む。鼻をひくつかせ、空気の匂いを嗅いだ。

 空気は無味無臭。含有されている窒素も、酸素も、二酸化炭素もすべて無色無臭だ。


 にも関わらず、匂いがする。


 微かに――。全身全器官を集中し警戒しなければわからないほど、微細に。


 燃やされた木の葉の匂いではない。もっと歪な匂い。卵が腐った――というあの匂いほどではないが、例えるならもっともそれが近い。


「あなた達、一体何をやったの!」


 普段、冷静な先輩が怒鳴り声を上げた。

 そしてやっと俺が手に持っている王錫書の特異性に気付いた。

 その王錫書には全く炎が宿っていなかった。代わりに付随していたのは、雷――。


 炎に続く、もう一つの属性。


「二重属性か。小細工を労したところで、我々の勝利は揺るがない。……だが、何故だ? 何故、君はその魔導書を持ったままだ。悪魔に捧げずに、属性を付与出来ている」

「おや。わからないですか?」


 悪戯っぽく笑った。

 しばらく先輩はフルカスの様子を眺めていたが、完敗だと言わんばかりに肩を竦めた。


「フルカスの首筋に少しだけ見えませんか?」


 俺の悪魔の方を向き、先輩は目を細めた。篝火の明かりだけで、十分な照度が保たれていない中、対戦者はフルカスの首筋に文字のようなものが刻まれているのを見えた。


「お前、まさか!」

「そうです。フルカスに直接王錫書を刻んでいるんですよ。悪魔である彼女なら、魔力を帯びた文字に対して耐性がありますからね。彼女も2つ返事で了承してくれました」

「君はなんてことをしたんだ!」


 鳴子先輩はいきなり怒り始めた。


 尋常じゃないテンションに、俺は思わず後ずさりする。悪魔に魔術文字を描くことが、そんなに御法度とは知らなかった。一応、出版社にも確認してあり、一冊の王錫書としてカウントするならば、という条件で許可をもらっている。


「フルカスに直接魔術文字を刻むなど――。つまりは、彼女の裸を見たということだろうが!」


 俺は一気に赤面した。


「ち、ちちち違いますよ! 刻んだのは彼女の背中で! ま、ままままま前は見てません」


 わずかに目をそらしながら、答えた。


「違うわ! そんなことを言っていない! 何故、私を呼ばなかったのだ!」


 ツッコミそこ! 今、この戦場で言う言葉か!


「許せん! 絶対に勝って、あの肢体をひんむいてやる!」


 何故か異様に闘志を盛り上げた。いや、勝っても負けてもフルカスは帰っちゃうんだって。


 先輩は「しかし」と続けた。


「その持っている魔導書に関しての答えはもらっていないが」


 俺はにかっと笑って、唇に人差し指を押し当てた。


「答えは見てのお楽しみです」



        ※          ※          ※



 最初に異変に気付いたのは、やはり当事者であるザガンだった。


 騎士が纏う温度が徐々に上がっている。原因は目に見えてわかった。剣に宿った炎の性質が赤から青へと、変化してきている。ちょうどフルカスの主が、新たな魔導書を書いてからだ。


 先ほどとは比べものにならないほどの高温を帯びたフルカスの剣。それでも水流を高速で操り、進行を阻む事は出来ている。最初は驚いたが対応策はあった。


 剣と壁がぶつかった境目から立ち上る水蒸気もコントロールし、瞬時に液体へと戻し再利用し続ける。


 無限の壁。鉄壁というにふさわしい。

 このまま押し込み。戦車のように騎士を圧殺すればよい。


 そうしていれば決着が付くはずなのに、ザガンは一歩も動けずにいた。

 フルカスが放つ高温によって、思ったよりも水流の調整に苦戦している事が原因かと思えば、そうではない。明らかに体がだるい。意志に反して、手足が動こうとはしないのだ。


「疑問②。どういうことだ?」


 それに熱い。とんでもなく熱い。

 フルカスがそれほど熱いのか。いや、それはおかしい。


 ザガンは、肉体を人間のそれと似せてあるフルカスとは違う。感覚器がなく、もちろん触覚もなければ、温点冷点などという概念すら存在しない。


 なのに、身が溶けそうなほど熱い。


「質問①。フルカス、貴様……我に何をした?」

「さあな。難しい事はしらん。私は主が描かれたシナリオ通りに動いているだけに過ぎない」


 過激な戦場の中で、フルカスは微笑んだ。


「だが1つだけわかっている事がある」

「再問①」

「我が主の勝利のため、私はまだ這い蹲るわけにはいかないのだ!」


 ザガンは唇を噛む。この日、二度目の感情を露わにした。


 撤退する。


 忌々しいことだが、今は原因究明が先だ。

 ザガンは水壁を一度解く。同刻、自分に水の弾を打ち出すと、勢いよくその場を離れた。


 身に起きた正体不明の熱が冷めていくのを感じる。


 やはりフルカスが纏う高温の影響なのかもしれない。敵対者を睨め付けると、すでにその姿は赤から青へと変化し、青白い炎を噴きだしていた。もはや一本の蒼い剣そのものだった。


 特徴的な『赤よりも紅ルビー オブ ルビー』の瞳も、今は青い炎を巻いて、燃えさかっていた。


 王たる位を持った悪魔に、蒼き騎士は容赦なく追撃する。考える暇を与えないようだ。


 ザガンは再び水壁を張る。

 プラズマと成した剣を受け止めることに成功するものの、また体が火照ってくる感覚に襲われる。


 ふと水壁に映った自身の姿を見る。


 ザガンは息を呑んだ。


 体が縮んでいる。全体的に五センチ以上は身体が小さくなっている。

 柱の悪魔――その王たる悪魔の胸中にふと暗いものが浮かび上がった。


 ザガンは再び距離を取る。


 だが、動揺したのか、先ほどのように水撃を使った高速移動ではない。単なるバックステップだけで後退した。


「失敗①」


 フルカスは大上段に剣を構えた。

 長さ一メートル弱の長短剣。分厚い両刃の剣に火が灯ると、一瞬にして火の柱が逆巻いた。


 さらに足先から伸びた雷電が、甲冑を伝わり、剣へと伸びていく。

 プラズマ化した剣は、まるで光のような白い炎へと変わった。


 フルカスと同じ白色の炎。


 それはまるで自身が、一本の炎の柱になったような光景だった。

 ザガンは一度解除した水壁を張ろうとする。だが、半瞬遅い。


 蒼紋雷迅撃フルグ・ド・カエセル――――!


 雷鳴の轟きを持って、フルカスの渾身の必殺技は振り下ろされた。


 巨大な白き炎が水棲の少女を一瞬で飲み込んだ。


 さらに閃光は辺り一面を白く染め、大地に突き刺さる。


 大気は震え、轟音が辺りに響き渡った。


 爆風が放射線状に広がり、少し離れてみていた俺ですら、立っているのがやっとだった。


 末期の叫びも上げず、苦悶の表情も浮かべることもなく、72柱の悪魔――第61位にして33の悪魔の軍団を従える長官にして王は、ここに陥落した。

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