第3次選考 これって戦争なのよね、とあの人も言ってました。⑥
ざらり……。
ソロモンの悪魔の中で、王と呼ばれた存在の末期は、水ではなく砂のように崩れていく姿だった。
左肩から右腰部にかけて、袈裟切りにされた体は、水しぶきも血しぶきも上げなかった。ただただ砂城が雨風に浸食されるが如く消えていく。
魔力の結合を両断した青白き剣は、左斜めに止まったまま――。同胞の最後を看取るのを嫌い、蒼白の瞳は剣の切っ先を見つめていた。
悲鳴を上げることもなく。命乞いをするわけでもない。ただ1点。同胞の顔を見つめていた。
そして魔力の流れを断ち切られた悪魔の肢体は、ついには消滅した。
ザガンという巨大な存在の最後は、呆気ないものだった。
雌雄は決した。
その光景を見ながら、一つ息を吐く。
勝ったには勝ったがどこか釈然としない。それもそうだ。これはそういう部類の戦いなのだ。
勝利を得。自分の目標を達成した喜びよりも、どちらかというと失意の方が今は勝っている。いつか時を経て、その感覚はいつかなくなるのだろうか。今はそんな疑問しか浮かばない。
殺し合いを経て、得る勝利などそういうものなのかもしれない。
俺としてはザガンも救ってやりたかった。
悪魔といえど、あいつは人に危害を加えたわけではない。過去、どんな過ちを犯してきたのかはわからないが、その事について契約者たる人間側がどうこう言う資格などない。
何より、俺の先輩――嶋井鳴子の悪魔なのだ。
隣に立つ先輩に向き直った。
あ、と口を開けてから、また口を閉じる。
勝者がかける敗者への言葉など、どれほど価値があるのかとも思ったが、声をかけずにはいられなかった。
「なるほど」
勝負が決まった場面で、先に唇を動かしたのは敗者の側だった。
「ザガンを取り巻く水の分子をプラズマによって震動させ、体内に直接熱を伝えたのか。いわゆる電子レンジ効果というヤツだな。なかなか面白い。――そして」
と俺が持っている王錫書を見る。
「君が持っている王錫書は紛れもなく雷属性の魔導書だ。正直、それだけでも希有な才能だが、君が非凡なのはそれだけに終わらないことだ。二重付加するにはいくら愛称のいい火属性の悪魔であるフルカスとて、高負荷と高魔力が要求される。だから君は、フルカスに刻んだ王錫書の特性は魔力の伝達性に重きを置くことにした。間接的に王錫書を与えることによって高負荷を軽減し、魔力を効率化させ、二重属性を可能にしているというわけだ」
「お見事です」
才能を褒めてくれたのは嬉しいが、俺から言わせれば数度の攻撃で見切ってしまった鳴子先輩の方が、非凡だと言わざるえない。
きっかけは二次選考後のフルカスの魔力量が急激に下がってしまった事だった。選考が行われている最中は、闇語りによる補給を受ける事は出来ない。だが、魔力を食うフルカスの必殺技はあまりに効率が悪い。だから、その身体を王錫書に見立てて、組み替えたのだ。
フルカスから聞いた静原光里の話。王錫書で己の肉体を強化していたという彼女と、筆鬼術によって遠隔操作していた日野霧音の『
「なるほど。これはなかなかの好敵手かもしれないぞ。なあ、ザガン」
『肯定①』
寒気が電撃のように背中を走った。
俺は反射的に距離を取った。
何故?
それは、ザガンの冷たい声が、先輩の口からもたらされたからだ。
先輩の体が氷のように溶けていく。
黒いドレスが。真っ白な肌が。銀色のアクセサリーが。フリルが。大きな双眸が。そして長い黒髪が。傘までも。何もかも。鳴子先輩だったものが溶けていく。
「うあぁあ!」
思わず悲鳴を上げた。
主の叫びを聞きつけ、フルカスは戻ってくる。
まだ鳴子先輩である者は、溶けかかった傘の先を騎士に向けた。
「
水の矢が飛び出される。
不意打ちのカウンター。フルカスの反応が遅れる。回避は叶わず、剣で受け止めた。だが、その水圧は今までの比ではない。腰が入っていなかったとはいえ、軽く十メートルは吹っ飛ばされる。
体勢を整えるフルカス。再び移動しようと前傾姿勢をとったが、足は踏み出さなかった。
敵はすでに俺の隣にはいない。
その時フルカスは首筋や頭皮に、何か冷たいものが当たった事に気付いた。
「フルカス! 上だ!」
即座に反応した騎士は、上を見上げる。滴を垂らしながら、鳴子先輩はフルカスの頭上を飛んでいた。手には水で出来た長槍が握られている。
「
冷淡な声とともに槍を投擲する。
フルカスは真上に向かって剣を薙ぐ。水の槍は青白い炎に弾かれる――かに見えた。
無数の滴となった槍は、今度は雨のように降り注ぐ。
長短剣を振り回したフルカスは、また剣で払うには体勢が追いつかない。ステップしてかわすものの、弾丸と化した雨の洗礼を受ける。
「がっ――は――――ぁ!」
綺麗な肌が真っ赤に染まる。
殺傷能力は低いらしい。フルカスはそのままステップを続け、雨から少し距離を置く。
対して先輩――いや、すでにその姿は先輩ではなかった。
透き通ったアクアブルーの髪。流体的なフォルムを持つ体躯。南の海よりも濃厚な碧眼の瞳。薄い胸をはだけ、一糸すら纏わぬ姿のまま、地上に降り立つ。これほど周囲を驚かせているというのに、その表情はやはり無感情なままだった。
「ザガン――」
フルカスは口の周りについた血反吐を拭いながら、僚友を睨み付けた。
「じゃあ、先輩は――」
どこに、と尋ねるまでもなく、声は後ろから聞こえてきた。
「前座にしては、なかなか見応えがあったな」
紛れもない嶋井鳴子先輩だ。
「まさかそこでずっと見ていたんですか?」
「ああ。どこぞの誰かさんが、どんな戦いをするのか、と思ってな。思いの外、殺し合いに馴染んでいて驚いたが、文芸部の先輩としては少々心配だな」
「それまでずっと俺は、ザガンが作った偽物と喋っていたのかよ」
「私の悪魔との会話は楽しかったかね。もっともザガンは内気な子だから、上手く男と話せたかどうか心配だったのだが」
なんだ、無口キャラじゃなく、男と喋れないタイプかよ。
――って、ほとんど先輩だと思ってこっちは話していたんだが。
「ずっとこっちの戦力を分析していたというわけですか?」
「己を知り、敵を知れば百戦危うからずというではないか。フルカスについての文献は少ない。多少のスカウティングは必要だろ。おかげで君たちの底は見えた。ザガン――」
「了承①」
一度ザガンは、先輩の側に戻ってきた。フルカスも同じく体勢を整えるため、俺の側へと飛んでくる。
先輩は一冊の王錫書を取りだした。それをザガンの肉体に差し入れる。魔力量が上がるのを見てとれた。だが、ここに来て虎の子の王錫書を強化だけに使うとは思えない。
嶋井鳴子は本気だ。ただの王錫書ではないだろう。
「
質問されて、俺は頷いた。
フルカスのネットワークで知った知識だが、
二次選考で蒔村が公言していたように、リーダビリティが高い王錫書を吸収した鑿歯は、飛んでもない速さを身につけていた。
「私の王錫書は、主に六曜の構成に振ってある。さて、君たちは私のザガンを倒すことが出来るかな」
ザガンは自分の主を守るように、自分を中心にして水壁を張る。
「君たちが残された時間は四分。その間に君たちがこの壁を抜けば、秋月君の勝利。晴れて書鬼官というわけだ。――しかし、壁が抜けなかった場合、君たちの負けだ」
「そんなの決まって――」
「決まっているのだ。……今から行う筆鬼術はそういう類のものだからね」
先輩は文庫本を開くと、腕を振り上げた。
「筆鬼術
先輩の腕がまるで機械のように正確に動き始めた。
速い!
手元の動きが見えないくらい、文庫本に文字を刻んでいる。
あっという間に、ページを埋め尽くすと次々とページをめくっていく。
4分ならば中編一本ぐらいを書き上げるペース。
俺ほどではないにしろ、今までのどの対戦者よりも速い。
「フルカス!」
指示するよりも一拍速く騎士は動いていた。
剣に青白い炎を纏わせ、ザガンの水壁へと突撃していく。何か邪魔してくるかと思いきや、あっさり距離を詰めることが出来た。
跳躍。
落下速度を利用し、フルカスは両刃の剣を叩きつけた。
ギィン!
鉄同士を叩きつけたような耳障りな音が響く。
弾かれたフルカスは目を丸くする。
水壁の――水という特性を超えた硬さに、身体が止まった。
『起(き)』
先輩はそう――まるでカウントダウンをするように1つの言葉を叫んだ。
「あれが噂に名高い
感心して見ていたのは、レフリーを務める館川だった。
「ぼーず、気を付けや。あの起承転結が恐ろしいのは、その後や。……あの子はあの技とその後にやってくるであろう筆鬼術で、若干九歳ながら新人賞を受賞したんやで」
館川に言われなくてもわかっている。
先輩があそこまで自信満々に宣言する筆鬼術だ。今、破らなければやられる。
『承(しょう)』
カウントダウンは無情に告げられていく。
フルカスはその間、何度も打ち込むが傷一つ付けられない。
地味だが、理想的な技だ。圧倒的な防御力によって己を保護し、その間に
一度強固な防御手段を講じてしまえば、リスクを抑える事が出来る。
結果、質の高い王錫書を書くことが出来るというわけだ。
『転(てん)』
3分が経った。
俺は決断する。
雷属性を帯びた王錫書を投げつけた。
意図を察したフルカスは、雷撃の魔導書を剣に突き刺す。
先ほどまで纏っていた雷の何倍もの電流が、竜のように暴れ回った。
わずかに少女の顔に苦痛の顔が歪む。
二重属性はまさしく両刃の剣。体力と高い魔力を要求する。
が、今はなりふりかまっていられない。
フルカスは再び跳躍した。
剣に雷電を纏わせ、一気に水壁へ振り下ろす。
先ほどとは威力が全く違う。
節約を無視した高出力の魔力を叩きつける。
火柱ならぬ雷柱が立ち、雷鳴のように轟いた。
世界は青白い光に包まれ、暗闇を一瞬で白く塗り替える。
目を開けているのも難しい光量に、戦の結果も確認できず、逃れるように目をつぶった。
けたたましい轟音は次第に止んでいく。時を同じく光も収縮していった。
目を開ける。
凄まじいほどの蒸気が辺りを包んでいる。
朝靄のような状態。ふっと空気を吸うと、妙に喉が爽やかな感じがした。
冷たい秋風が次第に霧を吹き飛ばしていく。
三つの影が、オレンジ色の光を浴びて、現れた。
剣を持つ騎士。大きく腕を伸ばした少女。ペンを持つドレス姿の書鬼官。
三者三様のまま固まっている。
否――。一人だけ動いていた。耳をそばだてると、かすかに音が聞こえる。昔の
霧が晴れた。
水壁は――――破られていなかった。
『結(けつ)』
タン、と気持ちいい音ともに、ペンは止まった。
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