第2次選考 目を覚ますとそこにはお約束が。④

「おおおぉ」


 珍しく声を上げたのは、フルカスだった。


 場所は駅前のセンター街。大型ショッピングセンターや商店街、ビジネス街などが立ち並ぶ町の中心地だ。多くの車が行き交い、休日ということもあって、家族連れや恋人同士などで賑わっていた。


 センター街を横切る歩道橋の上で、フルカスはビルに囲まれた周囲を眺める。今にも「これはなんだ、主よ」と言いださんばかりだ。


 フルカスが現世に顕現したのは、二千年前。その頃に比べれば、もはや異世界も同然だろう。


「とりあえず、俺はその辺をぶらぶらしてるから、女同士で楽しんでこいよ」


 フェードアウトを試みるが、すかさず殺気が俺の背中を舐めた。


「もちろん、我々は楽しむさ。だが、そのために荷物持ちという大役がいないと事には成立しない」

【ゆーちゃん、逃げるの。逃げるつもり。逃げないよね】


 やや生気を無くしたような目でよみが睨んでくる。


「いや、私はある――あ、いや、あき、秋月さささんに荷物持ちなど」


 おお、フルカス。お前はやっぱりいい悪魔だ。

 が、対して悪魔の首領はチッチッチッチッと指を振った。


「シャラップ! 男は女の荷物持ちである。byバ~イ フランツ・ヨーゼフ・ハイドン」

「ハイドンがそんなこと言うか! だいたいあの人は男で、作曲家だろうが!」

「気分だ」

「あんたもプロの作家なら、気分で嘘つくなよ」

「さて。行くぞ」


 完全無視して、女性陣はショッピングセンターへと足を向けた。

 どうやら男の俺に人権というものはないらしい。




 で、ど定番だが、女性陣が始めにやってきたのはランジェリーショップだった。


 俺は頭を抱えた。


 予想はしていたが、先輩がここまでネタを外さない人だったとは思わなかった。


「入るか?」


 という台詞まで、テンプレだ。


「かろうじて変態で止まっている俺を、今度は犯罪者にでもするつもりですか?」


 先輩は一瞬きょとんとしてから「ち! ばれたか」と舌打ちした。


【でも、フルカスちゃんはどうなのかな?】

「あの~、傘薙殿。ちゃん付けはあれほどやめてくれて、とお願いしたではありませんか」

「ふむ。確かに秋月の男としての視点というのは、知っておかなければならない」


 フルカスを無視して話を進める。


「え? ええ? なんですか、一体? いや、そのある――あき、秋月さんも一緒にいてくれると心強いのですが……」

「――だ、そうだが…………」


 ふふん、と鼻を鳴らす先輩。この悪魔め!

 対して、小さくなったフルカスは上目づかいで俺に哀願してくる。白い顔が頬を染めると、赤さが一層引き立つ。戦いでは、恐ろしい殺気を放つ瞳も、今は憂いを帯び、問答無用で肯定させる魅力を持っていった。かわエエ……。


 顔が火照るのがわかる。そしてランジェリーショップを見た。

 中の店員と視線が合う。店員のにこやかでありながら、どこか影を帯びた笑顔が見えた。


「ごめんなさ~い」


“秋月勇斗は逃げ出した”


 ショッピングセンターの端まで逃げてきた俺は、手すりに掴まりながら、息を整えた。


 先輩は怒っているだろうが、おそらく決めるのに2、3時間はかかるだろう。何度か二人の買い物に付き合い、こうして荷物持ちに抜擢された事があるので、だいたいパターンはわかっていた。頃合いを見計らい、メールして後で合流すればいいのだ。


 待っている間どうしようかと考えたが、作家志望がすることと言えば、本屋に行く。これしかない。ちょうど贔屓にしているラノベの最新刊の発売日なのだ。


 案内板を見ながら、本屋を探していると、ふと見覚えがある人物の姿が視界に入った。

 ショートカットの髪に、水色のラインが入った隣町の制服。特徴的なマフラーに、背中に背負った竹刀袋のような包み。


 名前は確か静原しずはら光里ひかり。2次選考で館川のおっさんを破った書鬼官候補。

 そして3次選考でぶつかる相手。


 静原が着ている制服はこの辺の高校の制服だ。彼女がショッピングセンターにいるのはおかしいことではない。だが、俺はどこか胸騒ぎを覚えた。


「――!」


 静原の首が動いた。俺の方にやってくる。

 慌てて顔を隠す。もちろんその必要はないのだが、反射的に身を隠していた。そっと角から顔を出す。静原の姿はすでに消えていた。


「秋月君ではありませんか?」


 いきなり声をかけられ、俺は思わず飛び上がった。

 ゴキブリみたいに地面を這うと、10メートル開けて、くるりと旋回する。そこでようやく俺は、自分に声をかけてきた人物を見上げた。


 トレードマークのサングラスに、幽鬼のような白い顔。どこかのエージェントを思わせる黒いスーツを着た女性が、小さく手を振っている。


「神海編集長――と」


 俺が隣を見ると、わざわざその人物は丁寧に頭を下げた。

 年は神海と同じくらいの大人の女性。綺麗に前髪を切りそろえられたおかっぱ頭に、フリル付きのカチューシャを装備し、紺のワンピースの上からこれまたフリル付きのエプロンを着用している。整った顔にのった化粧は薄く、体の前で重ねられた手は楚々として美しかった。


 徹頭徹尾――完璧なまでにメイドさんだった。


 はわぁ、と背景をお花畑しながら、目の前の桃源郷を観賞した。

 見覚えがある。おそらく二次選考にて観覧していたギャラリーの一人の中にいたはずだ。


水無月みなづき白羽しらはと申します」


 挨拶した。声も美しい。


「おおおおお俺ははははははは」


 これほど完璧なまでにメイド然とした女性を前に、ついどもってしまう。

 水無月さんはそっと口を押さえながら、微笑する。


「存じ上げておりますよ。フルカスを操る若き書鬼官候補。秋月勇斗さんですよね」

「は、はい!」


 名前を呼ばれ、サーイェッサーという感じで直立した。

 メイドさんは再び笑った。可愛い……。


「ところで、どうしてお二人がこんなところに……」

「あら、秋月君。いくら私たちが人外を操作する特殊な人間とはいえ、買い物ぐらいは普通にしますよ。水無月様の案内もかねていますがね」


 答えたのは神海だった。


「二人は――どういった関係で」

「クライアントと出版社の編集長という関係です」

「まあ、冷たい。これでも十年来のお付き合いなのに」

「そういう数字を言わないでもらいたいですね。秋月君に我々の年がばれてしまう」

「彼はそんな無粋な事はしませんよ。ねぇ」


 突然、俺に顔を近づけて来る。凄い甘い匂いがして、と思った。


「少しだけあなたにはお話しといた方がいいかもしれませんね。……あたながデビューした場合、彼女のために魔導書を書いてもらうことが、一回目の仕事になります」


 え? と俺は頭の中が冷たくなっていくのを感じた。


「書いてもらうって、それってつまり――」

「つまりデビュー作を書いてもらうということです。耳慣れないとは思いますが、魔導書の新人賞は、受賞作イコールデビュー作というわけではありません」

「どういうことだ?」


 慎重な面もちで尋ねると、神海は肩を竦めた。


「フルカスが言っていませんでしたか? あなたの望みを叶えるため、契約した――と。あなたの望み――つまりプロの書鬼官になった時点で、契約は満了されるんですよ」


 そう言えば、そうだ。

 あいつは俺を書鬼官にするために、召喚に応じたと言っていた。俺が新人賞を受賞すれば、契約満了ということになる。


「じゃ、じゃあ。俺が受賞したら、フルカスはどうなるんだ?」

「契約を満了した悪魔は異界に帰ります」

「帰ったらどうなる?」


 俺は身をぐっと神海に寄せて詰め寄った。


「再召喚されるのを待ちます。フルカスのような高位の悪魔を呼び出す確率は、かなり低い。さらに付け加えるなら、彼女は今まで2回しか召喚に応じた事がありませんでした。再召喚される確率は絶望的と言えるでしょう」


 顔面蒼白になった顔を、神海がのぞき込む。


「どうしました。書鬼官になるのが嫌になりましたか?」


 神海に問われ、反論しなかった。

 そもそも俺はまだ書鬼官になるとは決めていない。

 二次選考も、単にフルカスの泣き顔が見たくなかっただけ。

 何よりあいつと一秒でも長くいたかっただけだ。


 けど、俺が書鬼官になれば、結局あいつはいなくなる。


 なら、いっそ――――。


 そっと手を握られる感覚に、俺は我を取り戻した。


 目の前にはメイド姿の水無月がいる。ピアニストのような細い指はしっかりとペンだこがついた俺の手を握りしめていた。


「大丈夫ですよ、秋月さん。もしあなたが受賞したとしても、フルカスさんはまた再召喚に応じてくれますよ。もちろんあなたが諦めなければの話ですけどね」


 軽くウィンクした。

 彼女の言うとおりだ。諦めなければ、またあいつに出会うこともあるかもしれない。


 でも――――。


 と俺は思う。

 それは一生、魔導書を書き続ける事に他ならない。

 書鬼官であることが前提だろう。なら、ラノベ作家はどうなる?


 ああ、くそ! 

 考えが順繰りして、何を優先したらいいかわからねぇ。


 悩む俺をよそに、水無月は謳うように言った。


「ああ。出来れば、私もフルカスちゃんほしいわ。メイド服着せたい!」

「仮にも魔術界3大財閥の一人メイザース大公爵の館のメイド長にして、メイドでありながら男爵位のあなたが言う台詞ではありませんね」


 編集長はため息を吐いた。


「神海ちゃん。そう言う現実的なこといわないで。――あ、そうだ。もしフルカスさんが私の悪魔になったら、いつでもお屋敷にいらしてくださいな」

「え? でも、それは……すいません」


 水無月と神海に向かって俺は頭を垂れた。


「もし俺がフルカスをまた召喚できたら、俺に買い取らせてほしい。お金なら払うから。頼む」


 水無月さんと神海はお互いの顔を見ながら、ぷっと吹きだした。


「フルカスさんはとっても可愛いですものね」

「あ、いや。その……」


 俺は顔を赤くする。


「私としては代金をいただけるなら構わないですよ。現にそうしている書鬼官は少なくない。君も知っている文色先生もその一人だ。その前に、君はまず書鬼官にならなくてはいけません」


 書鬼官になる。そう聞いて、俺は今フルカスが置かれている状況を思い出した。


「神海編集長。……一つ相談があるんだが」


 切り出し、俺は事情説明を始めた。

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