第2次選考 目を覚ますとそこにはお約束が。②

 ザクザク。


 小気味よい包丁の音が台所から漏れてくる。


 ザクザク。


 白い蒸気が上がり、みそ汁の匂いが立ちこめてきた。


 ザクザク。


 伝統的な日本の食事の風景。

 なのに、包丁で切る音にこれほど殺気を感じた事が、かつてあっただろうか。


「うわあい。久しぶりのよみの手料理だ。嬉しいなあ」


 背筋を伸ばし、椅子に座った俺は、額に汗をかきながら子供のようにはしゃいだ。嬉しいという言葉とは裏腹に、内心は恐怖しかない。


 ふん、と鼻息を荒くするのは、台所に立ったよみだ。


 目をレーダーサイトみたいに光らせ、逐一俺の様子を観察している。ちなみに先ほどから、ずっと彼女は何かを切っているようなのだが、怖くて確認出来なかった。一体、どんな夕食が出てくるのだろう。怖すぎて、喉も通りそうにない。血の味がしなければいいが。


 ベッドの上にいた幼女は全く起きる気配はなく、そのまま寝かせてある。


 よみには、母が外国で知り合った知人の娘だと説明した。もちろん、よみがそれで引き下がる訳もない。意外と疑り深い性格をしているのである。


 なので女の子は世界に三人といない特殊な楽器を弾ける名人で、テレビに出演する事になった。保護者は急遽女の子に同伴できない事情が出来て、唯一日本人の知り合いである母に相談した。だったらと言って、母は自分の家を提供したのだ、というもっともらしい嘘をついてなんとか諫めた。


 ――かに見えたのだが、俺とベッドをともにしていることについて追求された。


 俺は――故郷から何千何万キロと移動し、初めて親元から離れた女の子は、寂しくなって自分のベッドに潜り込み、俺は日本の子守唄を歌って、なんとか彼女の心を癒そうとしたのだが、結局自分も眠り込んでしまい、さっき起きたところによみが入ってきたのだ――となかなか説得力がある嘘をついた。


 甲斐あって、なんとか状況を理解してくれた幼なじみは、最後まで、今に至るのである。つまり説得は失敗した。


 二人で夕食をとりながら、ふと思い出した事を口にした。


「なあ、よみ。昨日さ、電話した時――」


 話し始めた瞬間、よみは突然机の上に勢いよく箸を置いた。

 ボードを取り、さらさらとホワイトマーカーを走らせた。


【ごめん。そう言えば、今日お母さんが寮に来る日だから、早く帰るね】

「え? おい、そんな大事な約束、今ごろ――」


 よみはまたボードに文字を書く。


【ゆーちゃん、明日はどうするの?】

「ええっと。まあ、明日は休みだし。彼女を街に案内しようと思ってるんだ」


 よみはポニーテールを揺らし頷くと、鞄を持って、リビングから出ていった。

 その様子はどこかおかしい。俺は玄関まで追いかけた。


「よみ。まだ怒っているのか?」


 よみは即座に首を横に振った。

 しかし、いつもの明るい幼なじみの雰囲気とは明らかに違った。


 軽く手を振り、よみは秋月家をあとにした。


 女心と秋の空。なんて言うが、時々よみの気持ちがわからない時がある。

 あいつが喋ることが出来るなら、もっとあいつのことがわかるのかもしれないけど。


「ご学友ですか?」

「ああ、まあな。幼なじみってヤツ――」


 不意に聞こえた質問に、反射的に答えていた。

 振り返ると、思わず飛び退いた。

 二階へと上がる階段の目の前に、先ほどの女の子が立っていたのだ。


「どうしました、主? まるで幽霊を見るような顔で。……ああ、甲冑姿ではない私を珍しがっているのですか」


 白い長衣の裾を摘んでみせる。

 白い髪に、透き通るような白い肌。幼いながら、どこか気品に溢れた目鼻立ち。

 何より聞いたことがある口調と、グラスの中で転がしたワインのように生気が溢れた赤い目。


 そんな人間――いや、そんな人外の美しさを持った存在など、俺は一人しか知らない。


「まさか、フルカスか……?」


 と指差す。

 フルカスは怪訝な顔をした後、ハッと何かに気付き、自分の四肢と顔を改めて検分した。


「なるほど。……あなたが疑問に思うのは無理からぬ格好ですね」


 額に手を当てながら、ため息混じりに話した。


「事情をご説明します。……立ち話もなんですから、どこか話しやすい場所を用意してください。先ほどから、夕餉(ゆうげ)の匂いがするのですが、出来れば腹に何か入れさせてもらうと有り難いのですが」


 と悪魔騎士は付け加えた。




 夕食を食べ終えたフルカスは、茶で一服した後、満足したように息を吐いた。

 小五ロリ姿の騎士を見て、俺は複雑な気持ちで動作を見守る。一挙手一投足すべてにどこか気品があるのだが、今の姿からはあまりにかけ離れすぎていた。つまり――。


「かわいさが足りない」

「は? 何か言いましたか」


 パチパチと赤い目が瞬く。

 こっちの話だ、と俺は茶をすすった。


「さてどこまで話したものやら」

「まずはその姿について説明してくれ?」


 聞くことは山ほどあるのだが、どうしてフルカスがそんな姿になったのかが一番の問題だ。おかげで俺にロリコン疑惑が浮上してしまった。可愛いは正義だが。


 フルカスは少し顎に手を当て、考えてから話を切りだした。


「有り体に申せば、大量の魔力を失ったからです」

「魔力?」

「我々、悪魔は人間界に顕現する際、大量の魔力を使って星体アストラル・ボディを維持しています。昨日の戦闘のように、膨大な魔力を消費すれば、自身の星体を維持するのは難しくなります。だから魔力の消費を抑えるため一時的にその規模を抑えているんです」


 なんか悪い事をした気分になる。彼女の魔力を強制的に引き出したのは、紛れもなく俺の王錫書の効果だろう。


「じゃあ、戦いがない場合、お前はずっとその姿なのか?」

「いえ。これはどちらかというと緊急処置に過ぎません。主がお望みであるならば、この体躯のままお側にお仕えすることは可能ですが、戦闘にはあまり向いてはいないでしょう」


 拳を突きだしたフルカスは、己のリーチを確かめるように腕を眺めた。

 深く深く考えた。

 凛として剣を振るうフルカスもいいが、幼女フルカスも実に捨てがたい。

 いや、剣ではなく、魔法の杖でも持たせて「悪魔魔法使い見習いフルカス」みたいな設定もなかなか乙なものではないだろうか? お、閃いた。今度はこのネタで行こう。


 想像するだけで、涎が出てきそうだった。


「主、話を続けてもよろしいでしょうか?」

「あ、すまん。……で、それを元に戻すにはどうしたらいいんだ? 昨日の戦闘みたいに王錫書を書いて、強化すればいいのか?」

「確かに王錫書を書いても一時的には魔力を回復させる事は出来るでしょう。ですが、王錫書はどちらかというと魔力の流れを調整したり条件付けするもので、根本的な魔力の受け渡しを行う行為ではありません」

「じゃあ、どうすれば?」


 しばしお待ちを、と言ってフルカスは目を閉じた。

 選考前に聞いたが、人間にインターネットがあるように、悪魔にも知識を共有するためのネットワークが存在するらしい。昨日、誰かが言っていたように、二度目の顕現であるフルカスでも、容易に現代の知識を得ることが出来るそうだ。


 古代イスラムにいた悪魔が、日本語を喋っているのもそのおかげだろう。


「そう言えば、館川はどうしたんだろう?」


 検索している最中にも関わらず、つい質問に及んでしまった。


「彼は落選しました」

「そっか……」


 少々残念な気がした。口は悪かったが、割と世話好きな気のいいオッちゃんという印象があった。蒔村まきむらぎんの卑怯なやり方に抗議してくれた時は、感謝したものだ。


「彼が操るエキドナは、悪魔の母と呼ばれるほどの強力な悪魔でした。が、相手が悪かった」

「そんなに強かったのか?」


 確か名前は静原しずはら光里ひかり。あまり印象は薄いが、俺と同い年ぐらいの少女だったはずだ。


「ええ。ドラゴン――でしたからね」

「ドラゴン!」

「その眷属の付随する悪魔とでも申しましょうか。攻撃力と体力においては、私を遙かに上回る相手です」


 魔導書ってのは竜まで呼び出せるのか。やはり奥が深い。

 しかもフルカスがあっさりと自分の戦力より上と断じた相手。ということは、三次選考までには、絶対フルカスの魔力を回復させなければならない。


「と、ところで主よ」


 と言ったフルカスの反応がおかしい。顔は赤いままだが、体をもじもじさせ、上目づかいで俺を「主」と呼んだ。その様子が心臓を直接猫じゃらしか何かで撫でられているかのようにこそばく、可愛い。


 こっちまで顔が赤くなってしまう。


「な、なんだ?」

「あの…………ところで、私……何かすでにご迷惑をおかけしていませんでしょうか?」

「ご迷惑って……特にはない、と思うのだが」

「その……ですね。…………実は私は、若干……いやかなり……その……悪癖がありまして」

「悪癖……? まあ、それぐらいなら誰でもあるだろ。気にする事じゃない」


 夜な夜な生き血を吸いたくなるとか。突然人を斬りたくなるとか。そんなことじゃないならいいだろう。フルカスはこう見えて悪魔だが、とてもそんな事に快楽を見いだすようなヤツには見えない――と思う。


「いえ、それが…………ですね。…………主にも直接関係がありまして」

「まさか俺の血を吸いたくなるとか」


 反射的に答えていた。

 フルカスは首と手を何度も振って、激しく否定した。


「ととととととととんでもありません。主の血をすするなど……。恐れ多い」


 じゃあ、まさか人を斬りたくなる――とかじゃないだろうな。


「実は、その…………私の寝姿…………と、いいましょうか……。夜な夜なフラフラと動いてしまい――――」

「寝姿?」


 一瞬――そうほんの一瞬だけ脳裏に映った映像を見て、俺はいきなり椅子からずっこけた。

 頭を打った俺だったが、ぼんやりと脳に浮かんだ映像は消えない。

 そう――あれだ。先ほどの事件。いわゆる目を覚ますとお約束が……というヤツだ。


「主よ。どうなされた!」


 テーブルを回って、ちびっ子フルカスがやってくる。


「いいいいや、なんでもない」


 ぶんぶんと頭を振ったが、もちろん思い出は消えない。

 果実のような甘い匂い。天使のような寝顔。


 くそ! 今思えば、写メの一枚ぐらい撮っておくべきだったぜ。


「大丈夫ですか?」


 天使――もとい悪魔はのぞき込んでくる。


「いや、大丈夫だ。日本の風習でな。寝起きが悪い時はこうやって頭をぶつけて、目を覚まさせるんだ!」

「ほう。初めて聞いたぞ? それともその風習はこの家限定なのか?」


 同時に、俺達は声の方へ体を向ける。

 慌てる俺とは裏腹に、闖入者はカップに口を付け、紅茶を飲んでいた。


「インスタントしかないなんてがっかりだな。まともな茶葉はないのか、この家には? まあ、頭をぶつける事を習慣づけているぐらいだから、仕方ないか」


 いきなり駄目出ししたのは、真っ黒なゴスロリ衣装を着た少女だった。

 一本の乱れもないストレートの黒髪。ピアニストのように細い指先には、白い手袋を付け、フリルが付いた短めのスカートから健康そうな太股が見えている。瞳は大きく、遠くから見ればお人形のようであったが、鋭い眼光は相手がきつい性格であろうと言うことを容易に想像することが出来る。


 西洋人形がそのままはこから飛び出してきたような少女を俺は知っていた。


 昨夜、俺に魔導書を渡してくれた人物だ。

 色々言いたい事はあったが、ともかく俺には宣言しておくべき事があった。


「突然現れて、言うことがそれかよ! これだけは言っておく。うちは抹茶派だ」

「今、この状況で言うことかね」

「まだあるぞ。俺は割とゴスロリが嫌いじゃない」

「主よ、不審者の格好を褒めてどうするのですか?」


 頭を抱えたのはフルカスだった。


「黒こそ至高!」

「ほう。なかなか君とは、よい酒が飲めそうだ」

「主は未成年です!」


 いつの間にか、ツッコミ役になったフルカスだったが、彼女は至って真面目に話しているつもりである。


「で――。あんた、一体何者だ?」

 文色あいろなんて、編集長に声色を使わせるぐらいだからプロなのだろう。だが、正直ここまでなれなれしくされる覚えはない。


 少女はカップに口をつけながら、ちらりとこちらの様子を伺った。

 視線は僅かばかりの間だけで、すぐに外すと、カップをソーサーに戻した。


「そんなことよりも、教えてやろうか。悪魔の魔力の回復させる方法を。知らないんだろ、お前達」


 そう言えば、検索している最中だった。


「随分、気前がいいな。タダでいいなら、教えてくれ」

「私はそんな些少な人間じゃない。タダで教えてやる。そもそもこんな情報など一銭にもならん。書鬼官デーモンメイカーなら誰でも知っているし。そこの悪魔が本気になれば知ることが出来ない知識ではないだろう」

「主よ。この者のことを知っているのですか?」


 フルカスの質問を制し、会話を続けた。


「タダっていうなら、聞いてやる」

「聞いてやるか……。まあ、いい」


 一瞬少女は薄く笑った。


 空になったカップから手を離し、椅子を引き、立ち上がった。

 やたらと紐がついた黒いブーツを鳴らしながら、テーブルの周りを歩き、講義を始める。


「まず闇語りブラックテラーを見つけろ」

「ブラック………………テラー――――?」

「魔導書出版において、魔力とは文字だ。一文字にこめる流麗さ、力強さ、おのが感情……。その一つ一つが魔導書そのものの力となり、悪魔の魔力の源にもなる。書鬼官がその流れをコントロールする調律師だと言うなら、闇語り《ブラックテラー》は奏者。その魔力をく者の事を言う」

「つまり、書鬼官とは違う能力を持っているのが闇語りブラックテラーって訳か。それは俺もなれるものなのか?」

「どういうわけか、この二つの能力を同時に所有した人間はいない。一人を除いてな。伝承程度のもので、本当に二つの能力を体得していたという確証はないが」

「ソロモン王か?」

「ほう。なかなか勉強熱心だな」

「バカにするな。――で、あんたはどうなんだ。今度も俺を助けたりしてくれるのか?」

「生憎と私も奏者よりも、裏方が向いているようでな」

「なるほど。やっぱりあんたもご同業ってわけか? あんたのこと、一つだけわかったよ」


 俺が不敵に微笑むと、少女もまた口端を緩めて笑みを浮かべた。


「講義はここまでだ。……質問時間もない」

「せめてその闇語りっていう能力を持った人間を紹介してもらうことは出来ないのかよ」

「甘えるなよ、アマチュア書鬼官。それぐらい自分で見つけろ」


 少女は室内だと言うのに、パッと傘を開いた。

 しずしずと言った感じで、リビングの出入り口へと向かう。

 慌てて追いかけると、少女はくるりと向き直った。


「そこの悪魔を召喚した時のことを思い出せ」

「フルカスの?」


 意識を昨日のことに移す。


 あの運命のような夜の出来事を、そしてそこにいた者の事を思い出す。しばし記憶を辿ったが、ヒントになるようなものは思い出す事が出来なかった。


 手を顎にあて、思案していた俺は、少女の姿が消えていることに気付いた。


 リビングを飛び出し、玄関へと向かう。

 そこにいたのは黒い衣装を来た少女ではなく、別の少女だった。


 南海の海を思わせるようなエメラルドグリーンの瞳。金属のようになめらかなながら、どこか流体を思わせるような無機質な肌。小さな体躯に対して、手足は長く、アクアブルーの髪は異様なまでに透き通っていた。


 体格は人間。しかしまるで地球外生命体のような異形の姿をしている。


 俺は無意識のうちに息を呑んでいた。


 なんとなくわかる。

 悪魔――。それもかなり高位の――――。


「ザガン――――」


 呟いたのは、背後のフルカスだった。

 能面をつけたかのように無表情だった少女は、一瞬だけ唇を動かした。


 次の瞬間、ぼんやりと消えていく。


 まるで水面に一石を投じたかのようにザガンと呼ばれた少女の姿は歪み、そして消滅した。

 俺は何がなんだかさっぱりという顔をして首を傾げたが、フルカスだけはザガンが消えた床の上をじっと見つめていた。


 ザガン――。


 ソロモンの七十二柱の悪魔。

 そしてたった九柱しかいない悪魔の王の一柱である。

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