第2次選考 目を覚ますとそこにはお約束が。⑨

 俺はよみとともに東へ走っていた。


 カルキュドリが巨体を翻し、何度も上空を旋回しているため、大まかには掴めていたが、正確な位置まではわからない。どうやら網の目のようになっている雑居ビルの中に入ったようで、一つ一つ確かめている時間はなかった。


 悪魔や魔術師なら魔術回線パスによって、お互いの場所を知ることが出来るのだろうが、俺にそんな鋭敏な感覚は備わっていない。しらみつぶしに当たったが、芳しくないという状況だ。


「くそ!」


 汗を拭いながら、側の壁に怒りをぶつけた。

 この辺にいるのは、なんとなくわかっている。だが、今はなんとなくではダメなのだ。自分の鈍感さを呪いたくなる。


【ゆーちゃん】


 ボードを出してきたのは、汗びっしょりの傘薙(かさなぎ)よみだった。


【フーちゃんはこの近くにいる事は間違いないんだね】


「ああ。多分な。けど、大まかにはわかっていても、正確にはわからねぇ」


 だったら、とよみはボードに書くと裏返して、言葉を続けた。


【じゃあ、ここで闇語りを始めよう】

「お前! ここでって!」


 俺は周りを見渡す。俺達がいるのは人の多い大通りだ。もしこんなところで、よみの声が響き渡ったら、大勢の人間に影響がある。カルキュドリが暴れるよりも惨事になる可能性だって存在するだろう。


「あ」


 ぐるりと周りを見た時気付いた。


「そうか。カルキュドリを見て、みんな逃げたのか!」


 周囲を見渡して初めてわかったが、休日の午後だというのに、人っ子一人通りにはいなかった。車もすぐ先の道路で規制されているのだろう。車道には全く自動車の姿がない。


 つまりよみが闇語りをするには、もってこいのロケーションなのだ。


「あ。じゃあ、俺はどうなるんだ?」

「ゆーちゃんは私の声を聞いても、大丈夫でしょ」


 普段でも極力声を出すこと控えているよみは喋った。久しぶりに聞いた。


 可愛くて、少しうっとりしそうな甘ったるい声。


 もう何年ぶりに聞いただろうか。それすら思い出せない。


「よし! やろう!」

「うん!」


 よみは大きく頷いた。


「よし、とりあえずどうすればいい?」

「ゆーちゃん。王錫書スペアブックを持ってる?」

「おう。持ってる」


 ずっと腰に差していた文庫本サイズの王錫書を取り出す。

 フルカスの助言で、“君主の読物”とともに肌身離さず持っていたのだ。

 よみは王錫書を受け取ると。


「めくれ!」


 声を発する。

 封印を解かれた王錫書は、黄金色に光ながら中身をさらした。早速、魔導書の内容読み始める。ページをめくりながら、ストーリーを読み解いていく。


「ゆーちゃん」

「どうした?」

「誤字多すぎ」

「ほっとけ!」

「こんなの先輩が見たら、発狂するよ」

「まだ見られていないから大丈夫だ」


 俺は明後日の方向を向いた。


 鳴子先輩に見られた時の事を想像して、肌が粟立つ。

 正直、あの人の文章へのこだわりは半端ない。プロの文章すら真っ赤にしてしまうぐらい、厳しいのだ。


 即興で、全く推敲していない文章を見た日には、リアルに市中を引き回されそうだ。


「とりあえずこれで行くけど、内容はもっと直した方がいいよ」

「お前、手伝うのか、俺の作品をけなしたいのか、どっちなんだ?」


 よみは魔導書を持ちながら、子供のように笑った。


「じゃあ行くね」

「頼む」


 よみは大きく吸い込んだ。




「王よ。こんな感じでよろしいですか?」

「うん。なかなか良いピンクをしている」

「どちらかと言えば、赤の方が」

「僕はピンク色の方が好きなんだよ」

「ひゃん! かかっちゃいました」

「だ、大丈夫かい! ごめんよ。ちょっと今、手が……」

「心配無用です。このように舐めて取れば……じゅる……」

「君はいつからそんなにはしたなくなったんだい?」



 突如、よみはパンと魔導書を閉じた。


 そのまま足を上げ、大きく振りかぶり、魔導書を投げた。

 剛速球で飛んできた本は、俺の鼻面にクリティカルヒットし、自分が書いた小説とともにその場に沈んだ。


「フ――――! フ――――!」


 よみは無言の抗議の声を上げる。顔は耳たぶまで真っ赤で、今にも白い蒸気がモクモクと昇ってきそうだった。


 魔導書を拾い上げ、バンバン表紙を叩く。聞かなくてもわかる。内容について言っているのだろう。


「よみ。落ち着け。それはミスリードだ。次のページを開けばわかるが、それは単に騎士と王がケーキを作っているだけで、騎士の副長が扉越しでそれを聞いていて勘違いするという――」

「ひゅ――ひゅ――――は――――は――」


 どうやら混乱しているらしく、喋れる事も忘れコミュニケーションしようとしている。


 俺しかいないのだから、ちゃんと声に言えばいい、とツッコミたいのだが、当のよみが真剣すぎて、何も反論が出来ない。


 というか、読む前に気づけ。


 俺はしばらく「ふー」とか「はー」とか言われながら、斬新な手法で説教を受けていた。よみの声なき声が、何だか武道の達人が行うような特殊な呼吸方法に思えてきた。


 なので、すっかり俺達がどういう状況に置かれているか忘れていた。


 がひゃあああん!


 大音量の擬音が背後から聞こえた。


 咄嗟によみに覆い被さり、舞い散るガラスの破片から守る。


 顔を上げると、静原光里、そしてフルカスが中空を舞っていた。

 そこにカルキュドリが猛スピードで突っ込み、大きな顎門を開けて――今まさにフルカスに向けて牙を突き立てんとしていた。


「まずい」


 よみをかばいながら、俺は叫んだ。


「よみ! 百七十ページだ! そこはクライマックス! Hなシーンは一切ない」


 よみからのアクションは何もない。

 何故か疑惑の視線を感じた。


「本当だ。信じろ!」


 俺が叫ぶと、ふんふんと同意した。


「めくれ!」


 よみの声が夜の街中にこだます。

 再び金色とともに魔導書が開帳する。

 よみはまた息を吸い込む。


音読開始リード!」



 剣は黄金色に輝いていた。

 それは彼女が欲し求めていた光。

 そして一番大事なものと引き替えに手に入れた光。

 ゆらりと状態を起こす。ふっと一息で振り上げ、剣を高々と掲げた。

 さらに剣は輝きを帯び始める。

 周囲は黄金郷のように金一色にそまり、すべての闇を取り払う。

 しかし皮肉にも剣の主たる少女にはそれはあまりに眩しすぎた。



 心地のよい声だった。


 ふっと心が澄み渡るような、身体が軽くなったような気さえする。


 だが俺はふと自分が泣いている事に気付いた。


 その声はあまりに心を抉り、物語の世界を突きつける。

 物語のクライマックス。王たる主人公が自ら犠牲になり、騎士をかばう。だが皮肉にも、主人公の死こそが、騎士が求めていた金色の剣を手にする鍵だった。悲嘆にくれながら、騎士は最後の決戦へと挑もうとする。


 その騎士の悲哀が、自分の魂に直接注入されていくようだった。


 それほど、よみの「読み」は世界観を忠実に再現していた。

 まるでそこに物語の舞台と主人公達が、息づいているように感じた。


 途端、夕闇に染まった世界が真っ白になる。振り返ると、空中を舞ったフルカスの体が白く光っていた。あの夜の事を思い出す。


 悪魔の騎士が頭を垂れたあの日のことを。


「フルカス!」


 無意識的に叫んでいた。


 ここにいる。さあ、来い! と手を伸ばす。

 突然フルカスの姿が中空から消えた。主のオーダーに答えるように側に跪くと、前方を向いて立ち上がった。


「フルカス……」


 自分の悪魔の姿を確認して、これほどほっとしたことはなかった。

 悪魔の少女は白い髪をなびかせ、こちらを向く。紅玉の瞳からは涙が溢れていた。


「お前……」

「主よ。申し訳ありません。……ご心配をおかけしました」

「いいのか?」


 問うと、フルカスは深く頷いた。

 しかし涙が止まらないらしい。何度も手で赤い瞳を拭っては、なんとか押しとどめようとしていた。


「フルカス。本当に大丈夫か?」

「はい。……申し訳ありません。魔力は問題なく補充できたのですが」


 心配になって、よみもフルカスをのぞき込む。

 ボードを見せ、同時にハンカチも差しだしてくる。


【私の闇語り……駄目だった?】


 小首を傾げるよみに、フルカスは笑顔で否定した。

 ハンカチを受け取り、涙した悪魔は紅玉の瞳を拭った。


「いえ。今まで聞いたことがないほど、素晴らしい音読でした。ありがとうございます」


 礼を述べる。

 改めてフルカスの体を検分する。何か変わった感じがしない。体躯も幼女のままだ。


「本当に大丈夫か。魔力が回復したって感じじゃないが」

「魔力の回復は、人間でいう心の回復に似ています。感動する心こそが、我らの糧なのです」

「だから、小説を書き、読まれることを望むのか。なんかお前と一緒にいると、今まで抱いていた悪魔のイメージがどんどん崩れていくな」

「悪魔が望むのは魂の代用。書物とはそう言うものではありませんか」


 ――魂の書物……か。


 俺はふと心の中で呟いた。

 フルカスは再び甲冑姿へと体躯とともに変化させる。


 一瞬にして、騎士姿の少女が現れた。幼女姿のフルカスも愛らしく、ビジュアル的にいえばそちらも好みなのだが、固い口調とマッチするこっちの方が合っている。


 フルカスは片膝を付き、俺とよみに向かってかしづいた。


「主ならびよみ殿。この度は、不甲斐ない私のために尽力いただきありがとうございます」

「気にするなよ。不甲斐ないのは俺の方だ」

【私は全然気にしてないよ】

「さてと。お待ちかねだぜ」


 俺は上を見上げた。


 十二の羽根を羽ばたかせ、ワニの頭を持つ竜が大きな口を開けて、威嚇していた。その頭の上には、静原が乗っている。少し見ない間に容姿が変わったらしく、野獣のように吠えていた。


「なるほど。人気者は困りますね」


 フルカスはゆっくりと鞘から剣を抜いた。


 ちょうど三尺ほどの長短剣は、闇の中にあっても鈍く光を放っている。いや、いつも以上に輝いて見えた。


「ショータイムだ」


 俺は用意していた王錫書スペアブックを渡す。

 フルカスはそれを受け取った。


「わずか10秒足らずではありますが」

「存分に見せてやれ!」

「委細承知!」


 フルカスは地面を蹴った。


 その背中に向かって、よみは拳を突き上げ「いけー」とエールを送った。


 魔力をフルドライブ。高速移動が可能となったフルカスは、一気にビルの屋上まで上り詰めた。その動きはカルキュドリの複眼を持ってしても追えていない。一拍遅れて、騎士が駆け上がった事を確認すると、身をくねらせ、巨体を屋上へと向けた。


 フルカスは俺から受け取った王錫書を剣で突き刺した。

 そして高々と突き上げる。


 その姿はまさに俺が描いた騎士の姿と酷似していた。


 月の光を受け、鈍色に輝く剣に、炎が灯る。

 一瞬にして、それは柱となり闇夜を赤く照らす。


 冷たい秋の風は、常夏の空気のように熱く。急激な温度上昇は、気流を生み出す。逆巻いた空気はどんどんと剣に吸い込まれ、赤い柱を増幅させていった。


 強大な炎。そして膨大な魔力。


 容易にそれはカルキュドリの魔力を圧倒していた。

 フルカスの力に戦き、首をすぼめる。


「くっ」


 その時フルカスの目に映ったのは、静原光里の姿だった。戦意を失う悪魔とは対極的に、我を忘れて吠え立てている。ここで大技を放てば、無傷というわけにはいかない。


 迷う悪魔の騎士。その時、彼女に迫る影があった。


「ザガン!」


 突如、横から現れたのはアクアブルーの髪を持つ小さな悪魔だった。


 手をかざし、大きな水球を作ると、そのまま静原に直撃する。

 無衝撃のまま彼女を水牢に閉じこめた。

 もがき苦しむ静原は必死に出ようとするものの、ザガンが造った液体の檻から逃げ出せない。


 強化された静原の力をもってしても、悪魔の王が作った檻にはまるで太刀打ち出来なかった。


 ついには息を切らし、静原は意識を失う。すかさずザガンは、水牢に飛び込むと、書鬼官候補を救出する。地面へと着地体勢に入った盟友は、ちらりとフルカスの方を見た。


 瞬間、フルカスは猛る!



 炎魔破斬剣カリドゥス・ラーミナ



 フルカスは横薙ぎに技を振るった。

 巨大な炎柱と化した炎の剣は、弧を描き周囲を薙ぎ払う。


 カルキュドリの巨体は紅蓮の刃に飲み込まれた。


「ぎぃえあああぁああええああええああああ!」


 この世のものとは思えない叫喚が響き渡る。


 もんどり打ち、小さな足を掻いて火を消そうとするが、獅子のような体毛にも炎が揺らめいていた。十二の羽根は、先端まで紅蓮に包まれ、炭化し始める。大きな顎門を何度も開け、叫声を放つものの、人の手のように伸びる炎からは逃れられない。


 次第に声は炎に焼かれ、巨躯は灰燼へと帰す。後にはちりも残さない。身体、手足、頭を飲み込み、魂すら奪っていった。


 煙さえ炎にまかれ、鼻が曲がりそうなほどの腐臭だけが辺りに残った。


 圧倒的な武力。カルキュドリに同情すらしてしまう。

 あれが、俺に向けられたならと思うだけで、ぞっとする。


 フルカスは額に汗し、息を乱しながら、振るった剣を収める。ビルから飛び降り、俺が待つ通りへとやってきた。


 俺達は笑顔で迎えた。


「やったな」

「はい」


 ほっとフルカスは胸をなで下ろした。重圧から解放された――そんな晴れ晴れとした顔を俺に向けた。


「嘲笑①。下等悪魔を殲滅したぐらいで、片腹痛い」


 抑揚のない声。一切の感情を廃したような――それでいて、ぞっとするほど透き通った声。

 俺達は同時に同じ方向を向いていた。

 信号の上に、人が立っていた。


 いな――人ではない。少女の形をした悪魔だ。


「ザガン」


 フルカスは前に出て、剣を抜いた。

 そう――俺の家で一回。俺達は出会っている。


 ソロモン72柱の悪魔が一柱にして、九匹しかいない王の一人。


 その小さな腕には少女が抱えられていた。静原光里だ。気を失っているが、気色は普通の人間とさほど変わらないところまで戻っていた。


「ザガン……。フルカスを責める必要はない。書鬼官がヘボだっただけだ」


 今度は背後から声をかけられ、俺は振り向いた。


 白のフリルをふんだんにあしらわれた黒のドレスの少女。細い指先に黒の傘の柄を絡め、以前会った時とは違い、パニエで膨らんだロングスカートをゆっさゆっさと揺らしながら、こちらに歩いてくる。


 相変わらず不機嫌そうな顔を俺に向けた。


「秋月勇斗……」

「なんだよ?」

「三次選考通過おめでとう」


 全く良きしていなかった一言に、呆然と立ちすくんだ。何が何やらで頭が働かず、ただ「へ?」という言葉しか、口から出てこなかった。


「なんだ。嬉しくないのか? 万年一次落ちの君が、三次選考までパスしたんだぞ。泣いて喜ぶべきだと思うが」

「これって選考だったのかよ!」


 もし本当なら出版社に対して憤りを隠せない。

 奇跡的に死傷者は出ていないとはいえ、やることが滅茶苦茶すぎる。


「そんな訳ないだろ。あくまでこれは事故だ。――が、三次選考で戦うはずの人間が罪を犯した。よって失格。君は自動的に最終選考へ進む事が出来たというわけだ」


 最終選考――――。

 その言葉を聞いて、俺は軽いパニックになり、言葉を失った。


 さらなる不意打ちは側面からやってきた。


「ふ――――――!」


 よみがいきなり俺の首を巻き付き抱きついてきた。


 大きな胸が、俺の顔面を襲い、汗ばんだ少女の体臭が鼻孔を刺激する。


 だがよみはお構いなし。「ふーふー」と興奮しながら、胸を押しつけてくる。初めは天国にいるような気分で、突破したことなど頭の片隅に追いやられていたが、段々マジで息が苦しくなってきた。


「よみ、やめ!」


 なんとか巨乳の幼なじみを引き剥がした。


「ずっと見てきたが、お粗末なものだな。私の助言をちゃんと聞いていれば、すぐにでも傘薙よみが闇語りだと気付いただろうに。評価としては減点だな」

「うるせぇ! だいたい何であんたは俺を助けてくれる。それに選考って――。選考委員か何かかよ」

については、察しがいいな。私が今回のソロモン新人賞の選考委員だ」

「マジか!」

「嘘をついて、どうなると言うんだ? 信じるか信じないかは君次第だが」

「そもそもあんた何者なんだよ。俺の家に上がり込んだり。かと思えば、いきなり目の前に現れたり。あんたは何か? 俺の才能を買ってくれている足長おばさんなのか?」


 やれやれと言った感じで、少女は大きくため息を吐いた。


「全く君というヤツは……。勘がいいのか悪いのか」


 少女は髪の毛をヘアバンドで軽く二つに括る。すると今度は、ドレスのスカートの隠しポケットから眼鏡を取り出した。


 端正な顔に、赤い縁の眼鏡をかけられる。


 そうして正面から、少女は俺を見据えた。


鳴子なりこ先輩!」


 そう――その姿は紛れもなく文芸部部長にして、文壇のアイドルと言わしめる作家嶋井鳴子先輩だった。


 俺は口をあんぐりと開け、指差したままの姿勢で固まった。

 そんな俺を見ながら、鳴子先輩はやや恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「まったく……。君というヤツは――。普段、あれほど接していながら、女が化けるだけで気付かないとは。少しレディに失礼ではないか。最初は私も面白がってはいたが、ここまで袖にされると、私に対する認識を疑う!」


 びし! という感じで、傘の先を突きつけた。


「けど! ……その…………ですね」


 たじたじになりながら、俺は鳴子先輩を見つめる。

 薄い肩ひもがついた黒のワンピース。白と黒のフリルがあしらわれ、スカートは大きく広がっている。片方の手に指輪がはめられ、もう片方の腕にはラメが入ったロンググローブが装着されている。細い撫で肩はむき出しになり、首にはリボンがついたチョーカー。頭には小さな黒のハットを被っている。


 非の打ち所がないゴスロリ衣装。実は俺の好みで直球ど真ん中のところに収まっていた。


「そんなになめ回すように見るな、変態め!」


 俺の頭に傘が振り下ろされる。

 頭を抑えながら、尋ねた。


「その衣装は自前?」

「私の趣味だ! 悪いか!」


 カミングアウトしながら、顔は真っ赤だ。そんな先輩もなかなか可愛い。


「もしかして、よみが言ってた“ある人”って」


 よみの方を見ると、幼なじみは笑顔で頷いた。


「私も気付いていましたよ」と言ったのはフルカスだ。「てっきりご友人だから、我々を助成してくれているのだとばかり思っていましたが」

「いつからだ?」


 尋ねたのは鳴子先輩だった。


「家に来た時、あなたに触られた折り、かすかに悪魔の匂いがしましたから」

「ああ、なるほどな」


 得心したように先輩は頷く。


「つまり、先輩のシナリオ通りだった――ってわけですか?」

「は! そんなわけないだろう。……そもそも君の作品が魔導書の新人賞に送られていた事を知ったのは、よみ君から相談を受けるまで知らなかった。事態を知って動いた時には、二次選考の会場にいたのだ。当初、なんとなく魔導書の存在を知らせて、ラノベ作家から書鬼官にへとシフトしていこうとしていた私の計画は、完全にパーだ」


 そ、そんな計画があったのか。


「この際だから、はっきり言っておく。君の作品が、一次落ちを続けていたのは、内容がどうのこうのというわけではない。すべて私が出版社に手を回して、作品を回収していたんだ」

「いつから!」

「三年ぐらい前か。魔導書の出版社の依頼でな。魔導書を一般書籍に送っている者を調査した時、君の作品を見つけた。以来、君の作品を回収しに回っている」


 三年前といえば、俺が新人賞に送り始めた時期と同じだ。


「素人が魔導書を書いてしまう事はさほど珍しい事象ではない。だが、君の作品はあまりに危険だった」

「俺の作品が……危険…………?」


 唖然とする俺を見て、先輩は背を向けた。

 自分の身を隠すように傘を開く。非常に言いづらそうに、話を続けた。


「君の作品はよみ君の声と一緒だ。……魔力がこもっている。ラノベ作家になりたいと思えば思うほど念が入り、ただの紙の束が魔導書と化す。そうなれば、普通の人間が読むことは不可能だ。最悪、意識を失うことすらあっただろう」


 俺の作品が人に害をなしていた。

 普通の人は読むことが出来ない。


 それはつまり……もはや…………小説家には一生なれないということ。


 ラノベ作家には、絶対になれないということ……。


 感想を聞くことも、選評が送られることもない。

 読まれることもない。


 俺は真っ白になった。


 物書きにとって、人に自分の小説を読んでもらうということは、何よりの喜びだからだ。

 それが出来ないということは、もはや死に等しい。


「心配しなくても、私やよみ、そして魔導に関係する人間ならば読むことは可能だろう。だが、はっきり言うが、君の作品は呪いに等しい。もう決めているならいいが、君の道はもはや書鬼官しかない」


 パチ、と乾いた音が聞こえた。

 呆けていた俺は、顔を上げ、その光景を網膜に映す。


 よみが先輩の頬を平手で叩いていた。


「ゆーちゃんの作品は、呪いなんかじゃない! 例え、先輩でも今の言葉は許せません!」


 はっきりと少女は宣言した。その目は潤んでいる。はたいたよみの方がダメージを受けているように見えた。実際、その通りなのだろう。鳴子先輩はよみにとって、尊敬する先輩であり、大好きな作家の一人なのだから。


 だが、呪いという言葉の意味をよく知っているのも、よみだった。


 タイミング悪く、誰かの携帯電話が鳴った。

 はたかれた頬を軽くさすった後、先輩は懐から電話を取り出す。その電話はボロボロで、いくつもの傷があった。明らかに先輩のものではない。


「それは」と反応したのはフルカスだったが、先輩は手で制して、スピーカーモードにした。


「もしもし」

『あれぇ~。光里ちゃんじゃないのぉ』


 聞こえてきたのは、子供のように甲高い少女の声だった。


「静原光里は我々が確保した」

『あらら。光里ちゃん捕まったんだぁ、使えな~い』

円環クラブのものだな」


 俺は初めて聞く単語に息を呑んだ。


『あら、そんな察しがいいのは、どこの子かなぁ?』

「なに、文色あいろめいという落ち目の作家さ」

『うそぉ! あの有名な文色先生なのぉ! チョー感激! 私、大ファンなんですよ』

「ありがとう。サインを書いてあげるから、お名前を教えてもらえるかな」

『WAHAHAHA。……さすがにそんな手は乗りませんよ、先生。じゃあ、申し訳ないけどぉ。光里ちゃんに言っておいてくれますぅ。妹がどうなってもしらないよって』

「な! てめぇ! まさか人質とっていたのか!」


 話を聞いていた俺は、先ほどまでのショックを忘れて、受話器越しに怒鳴っていた。


『やあん! 今度、誰子さん』

「フルカスの書鬼官――秋月勇斗だ」

『ああ。フルカスちゃんの。……ねぇ、お願いだから、フルカスちゃんもらえないかしら』

「誰がてめぇなんかに!」

『ええぇ! ケチ! いいもん。無理矢理でもフルカスちゃん寝取っちゃうから。じゃあね。バイバイキン』


 また一方的に切られた。


「先輩、今の何なんですか? 人質って!」

「案ずるな。静原光里の妹は保護してもらっている。彼らが手出しすることはもうない」

「彼ら――というのは? 先ほど円環クラブという言葉を言っていましたが?」


 質問を挟んだのは、フルカスだった。

 先輩は深いため息を吐いた。


「黙っていてもしょうがないことだから言っておこう。円環というのは、魔導書の自炊業者だよ。あいつらはもっともらしく写本スクリプトなどと呼んでいるがね」

「魔導書ってコピー出来るんですか?」

「原理的には不可能じゃない。一字一句間違わなければ、量産は可能だ。が、読むことが出来ない魔導書を正確に写経しろなんてことは無理だろ」


 超能力者でも無理だ。


「が、写本というのは過去に例がないわけではない。そしてその結末は決まっている」

戦争いくさですか?」


 噛みしめるようにフルカスは言った。

 経験があるのだろう。表情が苦虫をかみ砕いたかのように冴えない。


「写本なんて途方もない事をやろうとする人間の考えなど、たかがしれているからな。そもそも写本は魔導書を手に出来ない民間から広まった文化だ」

「戦争って! 魔導書ってそんな価値があるものなんですか?」

「何を今さら。これほど人の手を汚さず傷つくことなく運用出来る兵器はないと思うが」


 後ろを振り返る。惨事となったショッピングセンターがここからでも確認出来る。土煙に混じって、黒い黒煙も見えた。一部火事になっているのだろう。遠くの方でサイレンが聞こえる。止む気配はない。


 先輩の言うとおりだった。


 一瞬にして、巨大な竜を蒸発せしめるフルカスの魔力。そんなものが戦争に投入されれば、町一つぐらいなら一日で壊滅させるだろう。数が増えれば、さらに被害は大きくなり、過去の大戦が子供の喧嘩みたいに思えるような大惨事が巻き起こるだろう。


 ぶるっと、背筋に悪寒が駆け下った。


 今まで気付かなかったが、俺はそんな力を振るっているのだ。


「書鬼官が嫌になったか?」


 体をくの字にし、両肩を抱いた俺に、先輩は冷たい眼差しを送った。


「辞めるなら今のうちだ。だが、書鬼官を諦めるというなら、君はもう筆を折った方がいい」

「そんな――」


 ことはない。そう言いかけた言葉を噤んだ。


「最初に言ったはずだ、秋月君。君がどちらの選択をするにしろ、君にとっては最大の不幸であることは間違いない、と。選ぶのは君だがね」


 ふとその時、大粒の雨が降ってきた。

 雲一つなかったというのに、いつの間にか夜空は真っ黒な雲に覆われていた。


 先輩は腫れた頬をさすりながら、取り落とした傘を掴む。

 雨をしのぐように差すと、大通り向かって歩き始めた。


「先輩!」


 我ながら情けない声を上げながら、ゴスロリ少女の背中に声をかける。

 俺の声から逃げるように先輩は傘を背に回した。


「そうそう。一つ言い忘れていた。次の選考の説明だ。最終選考は、悪魔と書鬼官とのタッグ戦。その点は二次選考と変わらない。ただし――――」


 言葉を切り、ゆっくりと先輩はこちらを向く。

 大きな目を細め、敵意をむき出しにして俺を睨んだ。


「相手は私とザガンだ」


 銃弾を胸に受けたような衝撃が、俺の身体を貫いた。その言葉は落ち込んでいた俺の肩にさらに重くのしかかる。少しの揺らぎだけで、もう心がバラバラになりそうだった。


「私とザガンは強いぞ。……悪いが手加減してやらんから覚悟しろ」


 そう言って、先輩は消えた。

 ぴしゃりと水を弾く音が聞こえて、そちらに顔を向ける。


 信号から降り立ったザガンが側に立っていた。

 エメラルドグリーンの瞳は、同じ柱の悪魔を見ずに、俺の方に射掛けられていた。


「忠告①。フルカスをうまく使うべき。でなければ、つまらない戦いになる」


 ザガンはまるで天気予報でもするかのように言い残し、主の背中を追いかけていった。


 雨中。ずぶ濡れになった俺は、雨水を含んだ私服の重みに耐えられなくなったみたいに、その場に手と膝をつき倒れ込んだ。


 頬に伝った熱いものが、雨なのか涙なのかさえもわからなかった。

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