第2次選考 目を覚ますとそこにはお約束が。⑧


 俺がよみと合流できたのは、騒ぎが起こってから三十分経った後だった。


 負傷者を運ぶ救急車が集まる広場から少し離れた場所で、よみはうろうろしていた。側にはフルカスはいない。心配そうな顔で辺りを見渡し、手を前に組んで祈るようなポーズを取っていた。


「よみ!」


 大きな声を上げて、名前を呼んだ。

 こちらに顔を向ける。歓喜が爆発したような表情をした後、丸い目から涙がこぼれる。

 駆けよると、一瞬ふらついたよみをなんとか支えた。


「大丈夫か、よみ!」


 大きなポニーテールが縦に揺れる。


 見たところ、外傷はかすり傷程度のもので大事には至っていない。少し憔悴しているようだが、概ね問題は見受けられなかった。


「フルカスは?」


 今度は首を振った。ボードを取りだして、書き始める。


 鳴子先輩とはぐれたこと。

 フルカスが竜の化け物から助けてくれたこと。

 先ほど突然、飛び出していってしまったこと。

 大雑把だったが、だいたい理解はできた。


 とその時だ。


「ぎびゃああああああああああああああ!」


 この世のものとは思えない甲高い声が、東の方――雑居ビルが建ち並ぶ場所から聞こえた。

 東の空を見る。暮れなずむ空に、カンブリア紀の海洋生物のようにうねうねと体をくねらせ、宙を舞う化け物が見えた。駅前から離れ、郊外の方へと向かっている。

 まさか、と思った瞬間、悪魔が飛び去った方へ体を向けた。が、その俺の腕を掴み、よみは進行を妨げた。


「離してくれないか。寂しいのはわかるが、俺はフルカスを助けないと」

【どうして?】とよみはボードを見せる。

「どうしてって……。そりゃ、あいつが――」


 俺の悪魔だから、と言いかけた言葉を慌てて噤んだ。

 よみはさらに同じ場所に書き足した。


【どうして? フーちゃんを召喚したの? あの時ダメだって言ったのに】

「よみ、まさか――」


 言いたいことをすべて察して、よみはこくりと頷いた。少し目に涙をにじませながら、ボードに文字を描く。


【全部知ってるよ。フーちゃんが悪魔だってことも。ゆーちゃんが書鬼官になるため、新人賞に挑んでいることも】


 そして、とよみは続けて書いた。


【私が闇語りブラックテラーだってことも】


 その時の俺はどんな顔をしていただろうか――?


 望んでいた闇語りを見つけて、喜んでいたのだろうか。

 これでフルカスを助けられると、息巻いていただろうか。

 それとも、単純に幼馴染みが魔導の人間であった事に、ショックを受けていたのだろうか。

 もしくは幼馴染みを傷付けまいと、なんのことはないと無表情を装ったのだろうか。


 一つ確かなのは。


 どんな顔をすればいいのか、わからないということだった。


【ゆーちゃん。ごめんなさい】


 謝りたいのは自分の方だった。


【本当は私が悪いの。フーちゃんを召喚してしまったのは、半分私のせい。あの時、私が電話越しで叫ばなかったら、ゆーちゃんは普通の学生でいられたのに】


 俺はその時初めて気付いた。

 契約の際、あの場に必要だったのは、契約者たる俺。媒介となる魔導書。そして魔力も必要だったはずだ。


 しかしリビングの中にあったのは、俺と魔導書だけ。魔力を注げる闇語りはいなかった。闇語りと書鬼官の才能を同時に持つ人間がこれまでいなかった事を考えれば、俺がその役割を担ったという可能性は薄い。


 となれば、答えは一つ。


 電話越しに叫んだよみの声が、トリガーとなった可能性だ。

 俺はありとあらゆる可能性を考え、それを否定しようとした。だが、最後にはその結論にいたる。友達が……。それも幼なじみが、魔導の才能を持っていることをやはり信じたくはなかった。


【だから、せめて私にも手伝わせてほしい】

「だめだ!」


 俺は即答した。


「何言ってるんだ、よみ。お前の夢は声優になることだろう。俺のラノベがアニメになったら、ヒロインをやるんだって、言ってたじゃないか!」


 よみはペンを走らせる。

 くるりと向けたボードには【諦める】と見えた。

 瞬間、ボードを手で払っていた。


「諦めるなよ!」


 と絶叫した。


「俺はお前にだけは夢を諦めてほしくない」


 それが、俺が巻き込んだことであれば、尚更だ。

 それに――と心の中で付け加える。血と殺戮が伴う魔導の世界に、よみはいてはいけない。天使のように微笑む幼なじみには、あまりにかけ離れた世界なのだ。


 よみにはずっと前を向いてほしい。そして夢を成就させてほしい。

 燃えたぎる胸中とは裏腹に、淡々と地面に落ちたボードを拾い上げると、ポニーテールの少女は埃を払った。ペンを握り、何事もなかったかのように文字を書き始める。


【じゃあ、フーちゃんはどうするの?】


 俺は怯んだ。もっとも言ってほしくない言葉だった。

 フルカスの状態は最悪だ。すでに魔力は空になっているかもしれない。早急に闇語りの力がいる。だが、水無月さんに今から頼んでも遅いかもしれない。


 正直、今目の前にいる幼馴染みの手を借りる以外、良策は思い浮かばなかった。


 けど――俺は言う。


「だったら、俺は書鬼官になることを諦める。……よみまで、巻き込みたくない」


 瞬間、よみは手を振りかぶった。


 殴られる!


 覚悟して、俺は目をつぶった。

 だが思いの外、打撃は小さかった。

 よみは軽く俺のおでこを叩いただけだった。


【ある人に言われたの】と書いてさらに書き足す。【ゆーちゃんはいつかプロの書鬼官になるかもしれない。もしその時が来たら、ゆーちゃんを助けてやってほしいって】

「でも、お前には声優になるって夢が――――」

【声優も大事な夢だよ】


 とよみはボードをめくり。


【でも、今はゆーちゃんが書鬼官になってくれる事が私の夢だから】


 だから、と書いて、よみはボードを真っ新にしてから大きく文字を書いた。


【私の夢を叶えて】


 馬鹿げている。

 人の夢が自分の夢だなんて。そのために自分の夢を諦めるなんて。


「お前は馬鹿だよ。……最高のお節介焼きだ」


 言いながら、俺は涙が出そうだった。

 だが、泣いている場合ではない。一刻も早くフルカスを助けなければならない。

 薄く潤んだ目を揉んで、俺は涙を誤魔化す。それでも両目を真っ赤にした俺の顔がよみの大きな瞳に映り込んでいた。


「手伝ってくれるか?」


 目尻に溜まった熱いものを払いながら、改めて尋ねた。

 幼なじみは満面の笑みで頷いた。その言葉を待っていたかのようだった。

 大きく頷き、またボードの書いた。


【フーちゃんは私の友達だから!】


 まったく、と息を吐いた。

 悪魔と友達宣言なんて、俺の幼馴染みも大した強欲の持ち主らしい。


          ※      ※      ※


 フルカスは網の目のように張り巡らされた雑居ビルの中を疾走していた。


 日の光が届きにくい路地は、夕暮れ時になると夜と変わらない。逆に街灯が点く時間になれば、まだはっきり見えるだろう。


 ほとんど闇夜と変わらない場所。時々ビルから漏れる明かりだけを頼りに原付並の速度で走っていた。


 前方を注視しながらも、上方の警戒は怠らない。

 鯨のように大きな巨躯が夕闇の空を遮っている。十二枚の羽根と巨体をくねらせ、ワニの頭を持った竜は悠然と追いかけて来ている。


 カルキュドリ――。ラジエの書ゲーティアに並ぶ魔術秘奥エノクに記された竜の悪魔。相対的にはフルカスの方が格上だが、基礎能力は向こうが上回っている。


 加えて、フルカスは魔力が空っぽの状態だ。武装する力も、ショッピングセンターの一件で使い切ってしまった。おまけに身体はボロボロ。折角、よみからもらった制服も、所々引き裂かれ、糸が解れてぼろ切れ同然になっていた。


 今出来ることといえば、なるべく被害を広げないようカルキュドリを誘導することだけ。一時間もすれば、この小さな外郭すら維持出来なくなる。


 つとフルカスは立ち止まった。


 魔力〇(ゼロ)という状態は、最良ではないのか。静原の狙いは自分自身。自滅を持ってすれば、矛を収めてくれる。ならば、大量の魔力を消費して一矢報いる――――。


「いや、だめだ!」


 フルカスは口に出して否定した。

 魔力の枯渇は、鑿歯さくしやシラウスを倒した時とは違う。悪魔の骨格とも言うべき星体アストラルボディの維持が出来なくなるため、悪魔は一時的に召喚契約から離れ、異界へと転送される。星体が回復すれば、再召喚も可能になる。


 だが、悪魔の血液である魔力の欠乏は、すなわち人間で言うところの“死”を意味する。完全な消滅――。再召喚も不可能の上、異界にも転送されない。つまりは無だ。


 ――まだ、私にはやるべきことがある。


 フルカスはまた走り出した。

 状況は絶望に近い。それでも逃げなければならない。


 カルキュドリから逃げおおせ、主と合流できれば必ず闇語り《ブラックテラー》を連れてきてくれる。


 傘薙よみ。もはや彼女に期待するしかないかもしれない。


 フルカスは再び立ち止まった。前方に光が見える。車という箱形の乗り物が交互に行き交う姿が見えた。大きな幹線道路に違いなく、雑居ビル群は一度そこで途切れていた。


 大通りの向こうまで、ざっと四〇メートル弱ぐらいだろうか。その間、カルキュドリが襲ってこないという保証はない。いや、必ず襲撃してくる。そうなれば、一般人を多く巻き込むだろう。それは主の望むところではない。


 ふと隣にあるビルが目に入った。


 電灯の点いたフロアはない。精神を鋭敏にし探ってみると、人の気配はなかった。


 フルカスは腹を決め、裏口のドアを壊してビルの中に入っていった。


 五階建てのビルは、先ほどのショッピングセンターとは違ってフロアごとの高さもない。柱もしっかりとしていて、カルキュドリの巨躯では容易に攻められない。もし自身フルカスが目的なら、ビルごと壊すような真似はしないだろう。


「しばらくしのげるか」


 壁にもたれかかる。体力温存も考えて、へたり込みたいのは山々だが、いつ襲撃があるかはわからない。


 若輩だが、静原の目には確かな意志が宿っていた。この程度の逆境で、そうそう諦めるような人間ではない。なんらかの方法を使い、フルカスを炙り出すか――――。


「仕掛けてくるか――か」


 一人呟くと、もたれた壁から背中を離した。


 誰かいる。


 入る時、確かに確認した。フルカスは悪魔であると同時に、戦闘のプロだ。人の気配を読むのには長けている。ビルに入った時には、人がいなかったはずだ。


 一瞬、主だとも考えたがそれも違う。勇斗とフルカスの間には魔術回線パスがあり、正確な位置を掴む事が出来る。どうやらこちらに向かっているようだが、合流はまだ先だ。


 ならば、答えは一つ。

 フルカスがいるフロアのドアが開け放たれる。


 そこにいたのは、予想通り――静原しずはら光里ひかりだった。


 ボーイッシュなショートカットに、マフラーで顔の半分を隠した少女の手には、槍のようなものが握られている。刃先に反りがあり、曲剣のようであったが、木刀になっていた。あれでは斬れない。


 他に気配はない。静原一人が対峙している。

 舐められたものだ。殺傷能力の低い武器と、生身一つで挑むとは。


 弱っているとはいえ、フルカスは悪魔だ。小さな体でも大人四人ぐらいなら軽々と持ち上げる事が出来る。いくら捕獲することを主任務にすえているとはいえ、静原の行動は勇敢を通り越して無謀だった。


 だが、フルカスは油断しない。つまり、彼女には弱った悪魔を押しとどめておくだけの能力があるという事なのだろう。


 騎士はなけなしの魔力を使って丸い棒を生成する。相手は人間。殺すわけにはいかない。


 静原も半身になり、槍を両手で握ると、腰の辺りで構えた。両足の踵が付くぐらいの位置で股幅を取り、背中をピンと立てる。目先は無論、相手の眼底に向けられていた。


 良い槍術そうじゅつ使いだ。


 目は闘志を漲らせているのに、体はリラックス出来ている。日々の鍛錬の賜物だろう。体に構えが染み付いているのだ。若輩と侮れば、痛い目を見る。


 が、それでもフルカスの能力を上回るとは到底思えなかった。


 先に動いたのは、静原だった。

 顔がギュッと迫ってくると、いつの間にか目の前にいた。


 木刀の切っ先が矢のように飛んでくる――喉元!


 フルカスは片方の手を棒から離す。右肩を突き出すようにして、静原の後ろへ回り込んだ。

 飛んできた静原はそのまま突きを繰り出した。木の槍はコンクリートの壁に突き刺さると、衝撃を伴って砕け散る。


 バラバラになった壁を見ながら、一瞬フルカスは自分の身が止まった事を悟る。背後からカウンターを諦め、二歩下がった。


「あ、あなたは……」


 もう一度壊れた壁を見ながら、フルカスは相手を睨め付け構え直す。

 およそ人の力ではない。それにいつの間にか目の前にいた特殊な足運びとスピード。尋常ではない。


「大人しく捕まれば、危害は加えません」


 淡々とした調子で、静原は告げた後、さらに言葉を続けた。


「魔力はないのでしょう」


 悟られている。

 いや、この姿を見れば一目瞭然か。ともかくこうなった以上、なんとか時間を引き延ばすしかない。折りを見て、この場を脱出し、再び逃亡の構えを取る。残された道はそれしかない。


「何故、私を狙うのですか?」


 フルカスは問いかけた。

 あからさまな時間工作だが、若い武芸者が何故自分を狙うのかというのには興味があった。


 静原は何も答えなかった。


「一合の立ち会いで見切りました。あなたは一流の武芸者です。素直な太刀筋。よく鍛錬している成果でしょう。……しかし――一抹の迷いがあった」


 なおも沈黙。


「おそらくあなたは首謀者ではない。あなたの裏には誰かがいる。私はそう悟りました」


 たん、と静原は地を蹴った。


 中構えの状態から、今度はフルカスの足先を狙う。体から僅かに突き出た右親指の付け根。フルカスは半歩後退する。槍は床を抉った。すかさずフルカスが上段を上げて飛び込む。が、無理矢理静原は槍を立てると、体ごと小さな少女にぶつける。


 鉄球をぶつけられたかのような衝撃を受け、後ろに飛ばされた。フロアに残ったオフィス用品に突っ込む。盛大な音が静かな雑居ビルにこだます。


 静原は追撃。槍を上段に構え、一気に振り下ろす。フルカスはすぐに体勢を整え、横に逃げた。敵対者を中心にサークリングすると、背後に回った。


「これが組織ぐるみの犯行であるなら、これほどの騒ぎを起こした理由もわかる。大規模な魔術的な方法を使って、今回の騒動を封じるつもりでしょう。……あなたは組織の構成員ですか?それとも強制的にやらされているのですか?」

「黙れ!」


 静原は猛る。


 今度は手元を狙う。フルカスは一旦腕を引いて、空振りを誘発する。すり足で静原との距離を狭め、面打ちを狙う。静原は柄と体を返して、受ける。戦車のような力でフルカスを押し込み、壁に叩きつけた。


 一合目とは違う強引な攻め。狂ったように乱れた息。まるで野獣のようだ。


 視界一杯に広がる静原を見ながら、フルカスは微妙な違いを見つけていた。

 槍を持った少女の背後で、煙のようなものが見えた。はじめは土煙かと思ったが、徐々にそれは形をなし

、人の顔に変化していく。血のように爛れた瞳と視線があった。


 フルカスは静原の腹に自分の足を入れる。そのまま強引に自分から引き剥がした。

 正中に構えを戻し、よく観察する。確かに彼女の周りに煙のようなものがまとわっているのが見えた。


降霊術こうれいじゅつか」


 生霊、悪霊、死霊など霊的な存在を自分の体に降ろし、自身の力を何倍も引き上げたり、予言や占術を行う事が出来る術式だ。すでにソロモンの時代から体系化されつつあった。その歴史はかなり古い。


 だが霊の力を借りたところで、フルカスを圧倒的できるものではない。

 そこでもう一つ気付いた。

 静原が巻いているマフラーが戦闘によって、少しほどけ、首筋が少し見えていた。そこには無数の文字が刻まれていた。


 ――なんということ……。


 憤りを禁じ得なかった。おそらく静原は一冊の王錫書スペアブックとして機能している。身体に直接書き込むことによって、降霊と肉体の強化を同時に行っているのだ。


 魔力を帯びた文字を直接肉体に書き込むのは、相当な苦痛を伴う。さらに一編の小説と言うことならばなおさらだ。静原一人でやったということは考えにくい。間違いない。彼女の裏には誰かがいる。


 ぴるるるるるるるるるるる……。


 突然、場違いともいえる電子音が、雑居ビルのフロア内にこだました。

 1回、2回、3回とコールされていく。音源は静原のスカートのポケットからだが、本人がとる気配はない。

 フルカスはあえて構えを解いた。目で「出なさい」と指示をする。


 時間稼ぎというよりは、単純に電話向こうの人間に興味があった。

 静原も槍を収める。携帯を取り出すと、耳に押し当てた。10回目のコールだった。


『いやぁ、お・そ・い~。遅いよ、光里ちゃぁん。あんまり退屈だから、あそこを○○○○PPPPしちゃうとこだったじゃない』


 まるで子供のような甲高い声で、いきなり卑猥な言葉が受話器から漏れてきた。


『まあ、いいや。別に光里ちゃんには用がないから、とっととスピーカーモードにして、フルカスちゃんとお話しさせて』


 携帯を操作すると、受話器をこちらに向けた。音量が上がり、聞こえやすくなる。そんな事をしなくても、フルカスには聞こえていたが。


『初めまして。東の王の一鍵いっけんラジエの知恵ゲーティアの72の一柱にして、20の悪霊を束ねし、唯一の騎士――フルカス。お会いできて光栄ですわぁ』

「何者ですか?」


 挨拶もせずに、フルカスは不躾に尋ねた。


『あら、私に興味ありありですか。いやん、私ってばモテモテ。モテすぎて、罪な女ってヤツ! きゃはははは』


 小悪魔みたいに笑い始める。


『残念ながらぁ、まだお教えするわけにはいかないの、シクシク。……で~も、そこの光里ちゃんを倒したら、考えてあげなくもないですわ。お気づきかと思いますけどぉ、光里ちゃんは強いですよぉ。あら、違った。私の「騒霊文掌ゴーストライター」が強いのかぁ、てへ』

「騒霊文掌?」

『筆鬼術の一つですわ。相手の体に文字を描き、コントロールする』

「まさか彼女の体に文字を描いたのは!」

『そう。私ですわ。……どうか光里ちゃんをぉ、ぶち倒してぇ。制服ひん剥いてぇ、光里ちゃんの起伏の乏しい体が放っておいてね。私の美文を堪能してくださいませませ。おらぁ、光里ちゃん! とっととフルカスちゃんに首縄付けてもってこいやぁ! ――じゃあね。バイバイキン!』


 電話は一方的に切れた。


 静原は静かに折り畳み式の携帯をしまう。だが、次は別の着信音がなり、また開いて中身を確認した。


「あなたは、納得しているのですか! あなたは操られているんですよ!」

「なら、大人しく捕まってくれますか?」


 刃物のような反論を喉元に突きつけられ、フルカスは言いよどんだ。


「フルカス。あなたがそうやって口を噤むように、私にも言葉に出来ない事情がある。それだけです」

「脅迫ですか?」


 電話向こうの人物の筆鬼術『騒霊文掌』がどこまで人間を操る事が出来るかわからない。だが、魔術の中でも操術という部類は完全に人を操るところまではいかない。


 しかし静原の動きは多少迷いはあるものの、心身のズレは少ない。それは彼女自ら望んで、電話越しの人間に協力しているということだ。


 さかしい!


 フルカスは唇を噛む。あの電話はフルカスに、ここまで推測させるための策略だったのだ。静原と戦いにくくさせるために。


「う! うわああああ!」


 突然、静原が苦しみ出す。持っていた携帯と槍を取り落とし、頭を抱えた。嗚咽を漏らし、鼻や口から体液を垂れ流す。まさしく憑き物に取り憑かれたかのように白い肌が、青白く変貌していく。


 フルカスは静原が取り落とした携帯電話に目を向けた。開いた携帯のディスプレイには文字が刻まれている。


「まさか! 王錫書スペアブック!」


 君主の読物マスターブックとは違い、原則的に王錫書は文字が書けるものだったらなんでも良いと言うことになっている。携帯のメール機能もその限りではないだろう。


「うがあ!」


 振り向くと、静原の顔があった。


 顔を鷲掴みにすると、一気に力をかける。人外を脱した筋力にフルカスは抗うことも出来ず、引きずられていく。そのまま壁に押しつけると、造作もなくぶち破る。さらに今度はフロアの端までやってきた。


 壁を抜けば、外だ。


 凶人と貸した静原は、何の躊躇いもなくフルカスを押しつけると力をかける。再び壁をぶち抜き、さらに隣のビルの外壁を破壊する。次第に加速がかかると、静原は一気にビルのフロアを突き抜けた。


 ラスト――窓ガラスを破壊すると、フルカスは中空に放り出された。眼下には大通りが見える。不味い! と思い、今度は上空を見た。


 待ってました、と言わんばかりに、悪魔の大きな顎門が見えた。

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