第1次選考 俺のラノベが一次落ちするはずがない。⑥

 空っぽにした頭の中で、一つだけ消えなかったイメージがある。


 炎――――。


 イメージの傍らにあったのは、常にフルカスの瞳だった。

 何者も焼き殺してしまうような危うさを秘めた紅蓮のまなこ


 逆に何者も優しく包んでくれそうな紅炎の双眸。


 そして悲しさを秘めたルビー・アイ。


 初めはそれだけのイメージで十分だった。


 炎を纏って生まれた少女の物語。

 忌み子として嫌われながらも、ついに騎士として王の剣となる。


 主人公は若干十五歳の若王。女たらしで有名で、宮中の嫌われ者。少女を騎士として召し上げたのは、自分の側に置き愛でるためだ。

 騎士は夷狄いてきが現れば、王のために剣を振るい、時には悪魔すら相手をした。


 そんな中、二人は自分たちに共通する部分を見つける。


 嫌われ者――。


 騎士と王との禁断の愛。大陸制覇を目指した一大スペクタクル。

 もちろん、ハーレム、ラッキースケベ――王様だから何でもありだ。

 ――というか、それがメイン。つーか、俺の中での常識だ!


「よっしゃ! 燃えてきた!」


 雄叫びを上げた瞬間、頬に熱いものがかかった。

 気が付くと、目の前に真っ赤に燃え上がった本が出来上がっていた。


 熱く。また厚い。だが持てないわけじゃない。むしろ脳内に充満した興奮物質が、毒と傷の痛みを一時的に忘れさせる。火だるまとなった本を持ちながら、俺は「一体、これが行使された時何が起こるのだろう」と恐ろしいまでの高揚感に襲われていた。


「属性付加の王錫書(スペアブック)やと!」

「そんな馬鹿な! プロでも扱える人間は限られているんだぞ!」


 驚いていたのは俺だけではない。ライバル達が口々に叫声を上げる。


 おかげで、俺は我に返ることが出来た。

 二匹の悪魔相手に奮戦する我が悪魔を見やる。

 言うことを聞かない体を無理矢理動かし、俺は大きく振りかぶった。


「フルカス! 受け取れ!」


 投げる。

 古代の投石機のように放られた王錫書は綺麗な弧を描き、フルカスへと向かっていく。

 騎士は好機を見逃さず、全身全霊を持って二匹の攻撃を弾くと、大きく後ろへ下がった。弾道を予測し、着地点へ滑り込む。そして剣を掲げた。


 すると、俺の王錫書はすっぽりと両刃の剣に突き刺さった。

 折角の王錫書を! な、何をしてるんだ! と俺は叫びそうになったが、事は次瞬に起きた。


 王錫書から発生した炎は、まるで鞭にようにフルカスの剣に巻き付く。一気に沸点へと駆け上がった剣は赤く膨張し、自ら炎を吹き上げ始めた。さらに炎の帯は全身へと伝っていき、鈍色の鎧を、真紅に輝かせる。暴れ足りない炎は、彼女の周囲を蛇のようにのたくった。


 鈍色の騎士は、今や紅炎の騎士へと変貌し、同じ色の瞳で二匹の悪魔を睨み付けた。


 境内にいる誰もがフルカスの姿に瞠目どうもくし、言葉を失った。

 かくいう俺もそうだ。


 鑿歯さくしも、シラウスも、素人目から見ても、かなり上位の悪魔なのだろう。なのに、今はその基準が赤子レベルだったという事に気付いた。

 今のフルカスは強い。圧倒的に。敵に同情したくなるほどに……。


 騎士は動いた。

 炎をまき散らし、玉砂利の地面を溶かしながら、ゆっくりと鑿歯とシラウスに迫ってくる。

 対して二匹は動こうとはない。逆にじりじりと後退していく。


「何をしている! 鑿歯! シラウス! 行け!」


 やっと状況を理解した蒔村は悲鳴じみた声で、自身の悪魔に命令する。

 もはや開戦当初の余裕は微塵もない。同い年ぐらいだった容貌が崩れ、まるで瞬時に十歳以上年を取ったように見える。


 主の命令に、鑿歯とシラウスは顔を合わせた。

 先に出たのは、鑿歯だ。

 間合いを徐々に測りながら、にじり寄る。フルカスは意に介さずといった感じで、前方へと歩いていく。


 鑿歯との間――距離2メートルに迫った瞬間だった。


 矛が神速の速さで、装甲の薄い脇腹へと滑り込んでいく。

 対してフルカスは構えも取っていなかった。


 取られた――――鑿歯とすれば「取った」と思っただろう。


 果たして結果は逆だった。

 鑿歯は胴から真っ二つにされ、上半身は矛を持ったまま闇に舞い上がった。

 フルカスの剣がまるで蠅でも払ったかのように右へ向けられていた。


 戦闘はそれで終わらない。

 鑿歯の下半身に隠れていたシラウスが飛び出す。奇襲。フルカスの脳天へと向かって鎌を振り下ろした。フルカスの体勢は不十分。今度こそ攻撃が決ま――――。


 ジュン!


 ――――たかに見えた。


 正確に言えば、シラウスの攻撃は当たった。

 別の意味で表現するなら、手で受け止められていた。手の平からわずかだが血が滴っていた。


 シラウスの顔が変貌する。

 目を「へ」の字に曲げ、口を大きく開けたのだ。


「何を笑っている?」


 王錫書で強化されたフルカスは、初めて口を開く。


「主が受けた痛みを万分の一で味わうために、あえて受けたのだ。しかし杞憂であったな。この程度の痛み、毒……。主の膝はつかせても、心を折ることはできん!」


 フルカスはシラウスの顔を掴んだ。

 ぐっと力を入れた瞬間、炎が爆ぜる。全身毒の体液で覆われたシラウスは一瞬で沸騰し、弾けた。逃げるように散乱した毒液は、さらに炎にまかれ、蒸発し跡形もなくなる。後に残ったのは腐臭ではなく、焦げた匂いだけだった。


 苦戦していた二匹の悪魔を、三十秒と持たず倒してしまった。

 騎士は進行を止めようとはしない。真っ直ぐ蒔村に向かっていく。


 二匹の悪魔を失った蒔村。半狂乱になりながら「鑿歯!」「シラウス!」と叫ぶ。

 何を思ったのか、紙を広げ、何かを書き始めた。しかし手が震え、うまくペンが握れない。しまいには、紙を取り落とし、砂利に広がった。拾おうとした瞬間、篝火とは別の赤い色が見えて、蒔村は顔を上げる。


 紅の悪魔が立っていた。憤怒の形相で。


「ひぃぃぃぃいいい!」


 手を無茶苦茶に振り上げ、ペンを投げ、紙を飛ばした。すべて燃えかすになり消えていく。


「わ、悪かったよ! あんたの主を毒にしたのは戦略上仕方なくだったんだ。立場が違えば、もしかしてあんたの主だって」


 フルカスの剣がゆっくりと上がっていく。蒔村はまた悲鳴を上げた。


「別に責めてはいない。私は確認した。書鬼官デーモンメイカーへの直接攻撃を禁ずるや否や、と。つまり、今あなたに危害を加えても、なんら問題はないということだ」

「フルカス!」と叫んだのは俺だ。「もういい。蒔村にもう戦闘能力はない」


 怒りに――まさしく――燃える悪魔をなだめる。が、フルカスはこちらを向かなかった。


「いえ。彼はまだ“君主の読物マスターブック”を見せていません。もしかして三匹目の悪魔を隠し持っているかも」

「待て待て。俺は二匹しか持っていない」

「信じられませんね。あなたの戦略ということもありうる」

「本当だ。真実だ。ほら、このとおりだ」


 蒔村は跪くと、供物でも捧げるように鑿歯とシラウス二体分の君主の読物を掲げた。

 奇しくもそれは俺が取った行動と真反対の姿だった。


「な。間違いないだろ」


 目から涙を垂れ流し、涎もふかず、鼻水で唇をぬらした男は、哀願するように言った。


 フルカスは剣を振り下ろした。


 一瞬の事で何が何だかわからず、蒔村も俺も口を開けて固まることしか出来なかった。

 二つの魔導書が真っ二つに割れる。次の瞬間、炎を巻き起こった。


 蒔村の情けない悲鳴が上がる。白目を向いて、倒れると動かなくなった。スラックスの股の部分にシミが広がり、汚物の匂いが境内に立ちこめた。


筆鬼ひっき終了!」


 怒号のような声は、神海だった。いつの間に能舞台からやってきたのか、隣に立った女性編集長は、俺の腕を掴むやいなや高々と掲げた。


「よって二次選考最初の通過者は、秋月勇斗!」

「やっしゃあ!」


 能舞台から歓声が上がった。

 何人かの人間が舞台から飛び出してくるのが見える。

「ようやった! ぼーず!」


 館川が俺の頭を撫でる。


「いやぁ! スカッとしたでホンマに! よっしゃ、次は俺の番やな!」


 と一人テンションを上げる。

 そんな男を見ながらも、俺は全くリアクションを取れないでいた。


「勝ったのか?」


 夢心地だった。万年一次落ちの俺が、三次選考まで進んだのだ。

 それが魔導書というジャンルで、悪魔という得体の知れないものを操り獲得した勝利けっかだったとしても。


 俺は――――嬉しかった。


「はあ……」


 神海に腕を引っ張られながら、俺は膝を崩した。

 咄嗟に、俺の体を支えたのはフルカスだった。


「主! 大丈夫ですか?」


 そこに炎の悪魔の姿はなかった。白髪に、真っ白な肌をした妙に綺麗な少女が、心配そうに俺を見つめている。

 安心してもらいたくて、なんとか笑ってみせるのだが、やはりまだ上手く体が操る事が出来ない。それでもどうしても言いたいことがあって、必死に口を動かした。


「フルカス……。ありがとな」


 瞬間、目の前が真っ暗になった。

 遠くでフルカスの声が聞こえた。


 心地の良い天使の歌声のようだった。

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