六章「蟲飼いたちの夜(後編)」

(1)

「あなた、どうして……だってあなたは死んだはずじゃ……」

 栗子は目の前の人物に対して問いかける。

 赤神ネネは、確かにそこに存在していた。

 断じて幽霊などではない。明確な存在感を持ってアカネはその場に立っている。生きた一人の人間だ。何が嬉しいのかニヤつきながら、アカネは栗子の瞳に視線を合わせている。

 あり合えない。葬式で、栗子は彼女の死体を確認した。赤神ネネは死んだのだ。もうこの世にはいない。

 だが、一方で。

 栗子の中で曖昧にぼやけた仮説が、急速に形を持ち結実していく。

「……そう、あなたが内通者だったというわけね」

「ご明察。流石だね。そう、ボクは『七色蠍』のスパイなんだ。クマノミをずっと見張ってたってわけさ。組織内情を見極め、その構成員を抹殺する為にね」

 アカネの振舞い方は、かつてクマノミに居た頃とまるで変わらない。以前と同じ調子で栗子に語り掛けてくる。

――最早その関係性は決定的に変化してしまったというのに。 

「随分手の込んだやり方ね……」

「そう、本当に手こずらされたよ。最初はもっと早く終わるミッションのはずだったんだ。こうも予定が狂ったのは、奈琴玲仁くんのお蔭だね」

 アカネは嘆息しながら述べる。しかしながらその表情は、やはりどこか偉く嬉しそうだ。

「ボクに課された任務は優木栗子の首を取ることと、共存派組織クマノミの壊滅。当初はボクが内側から、美隷ちゃんが外側から組織を切り崩していくつもりだったんだけどね。実はボクがクマノミの構成員名簿のデータをコピーしているところを奈琴くんに見付かってしまってね。以降彼は徹底的にボクのことを監視してくるから、全く動きが取れなくなってしまったんだ。彼、蟲飼いとしての実力はイマイチだったけど、そういうところは抜け目ない強敵だったよ。それ以上決定的な証拠を与えて、尻尾を捕まれるわけにもいかないからさ。で、死んだフリをせざるを得なくなったんだよね。いやあ、じれったいったりゃありゃしなかったよ。もしも奈琴くんが居なかったらもっと早くこの仕事は終わってたと思うんだけどね。お蔭で上司には散々叱られてしまったよ」

「『業者』の連中が出向いてきたのもあなたの手引きなのね」

「そうそう。予めボクが情報を流しておいたんだ。まあ、出来たらもっと戦力を削って欲しかったんだけど。思ったより役に立たなかったけどね」

「……あの死体もフェイクだったと」

「そ。ウチはここと違ってさ、組織力も半端なくてね。死体の一個や二個を偽造するなんてチョロいもんなのさ」

 極めて軽い口調でアカネは言ってのける。あの葬式上で栗子が見た死体。あれはどう見ても赤神ネネ本人の遺体であるようにしか見えなかった。もしあれが偽装であるというのなら、あれだけの物を軽々と作れる七色蠍の組織力は、確かに栗子の想像以上だ。

「とはいえボクの仕事はこれでお仕舞。ボクの仕事はあなたを始末すること。美隷ちゃんがクマノミ戦闘員の注意を引き付けている間に、ウチの戦闘部隊が非戦闘員を片付ける。そういう手筈なのさ」

「……っ!」

「今頃あのアジトの方でも美隷ちゃんが暴れまわってる頃だろうね。彼女には実力を抑えた上で、ワザと捕まって貰ったのさ」

 やはりみんなと連絡が通じないのはそういうわけなのか。自分の予測が的中したことに、栗子は痛恨の念を抱く。湧き寄せる後悔。だが、そんな気持ちに構っている時間はない。

「あなたを、殺すわ。そして一刻も早くみんなの元へ駆けつけて、一人でも多くを助ける」

 いいながら栗子は掌に手をかざし、蟲刀『愚血』を抜く。

「ようやくあなたを殺せる。この機会をどれ程待ちわびたことだろう」

 ニィ、っと。

 心底嬉しそうに。

 赤神ネネは笑う。

「あなたは強い。一対一の状況に持ち込まなければ、あなたを殺せる確信が持てなかった」

 アカネもまた自身の掌に手をかざし、蟲刀を引き抜く。頭から尻まで、全身紫のその刀剣。

「さあ、殺死愛ころしあいを始めよう」

 瞬間、二本の刃が交差した。

 早い、と栗子は思う。自分と同等かそれ以上の早さだ。大口を叩くだけのことはあり、その実力はどうやら本物らしい。以前、クマノミに居た頃に手合せした時とはまるで違う力と速さ。あの時は手を抜いていたのだろう。

 栗子は斬撃を三つ、瞬くスピードで叩き込むが、アカネの刃にその全てを合わせられ相殺される。

「この力でこの手数を打ち込んでくるなんて、流石は元ソラノ会ナンバー2!」

 頭部を狙ったアカネの回し蹴り。放たれた瞬間に既に栗子は後方へ僅かに身体を逸らしている。かすりもしない。

「ぐ……っ」

 退いたアカネの口から呻きが漏れる。かわしがてら打った栗子の蹴りが腹部に当たったのだ。

 だが。

「ふう」

 一呼吸付き、再びアカネは攻勢に転じる。ダメージは浅かったようだ。

 刀を点に構え、瞬時に間合いを詰め突きを放つアカネ。

 栗子は身体を斜めに逸らしかわす。

――しかしアカネの狙いはそれではない。

 柄を持つのとは反対の掌。岩石のように固く握りこまれた拳。

 インファイトからその拳をぶち込む。

 突きはダミーで、アカネの狙いはそれだ。

――既に栗子はその動きを読んでいる。

 僅かに相手の腰が後ろに引けていたのを確認していたからだ。

 アカネの拳は放たれない。放つ前に、栗子の掌がそれを包み込み抑えている。

 そして振り下ろされる、栗子の刃。

 あと一ミリでも刃の位置がずれていたら皮膚をかすっていた。ほとんど神業的な身のこなしによって、アカネは栗子の一太刀を避ける。

「がは……っ」

 だが続いて打ち込まれた蹴りまでもをかわすことは叶わない。肘を貫き、脇腹にまで到達した衝撃はそのままアカネを壁に叩き付ける。

「強いな……」

 いいながら、アカネは口元に垂れた血を拭う。

 さっきの蹴りはかなり上手く入ったはずだ。アカネの左腕に幾らか損傷を与えただろう。

 しかしながら、栗子はまだまだ自分には修業が足りないと痛感する。さっきの一太刀、あれがかすかにでも当たっていれば、勝負は決していたのに。栗子の蟲刀『愚血』の毒は斬りつけた相手を傷口から石に変える。如何にアカネが腕の立つ剣士だとはいえ、石化した身体を引きずりながら栗子と互角に戦い合えはしない。

(早くしなきゃ……)

 早くみんなの元に駆け付けなくてはならない。こみ上げる、焦る気持ちをどうにか栗子は抑え込む。相手は焦りながら勝てるような相手ではない。冷静に対処し、ここを切り抜けられなければ誰も助けることは出来ない。

 相手の蟲刀の能力も分からない。あの深い紫の蟲刀。何か不穏な空気を発している。慎重にかわしつつ刺さないと。

「どうやら後のことを考えて実力を出し惜しんでいる余裕はないようだ……。今持ち得る全力を使って、あなたを殺す」

 口元の血を袖で拭いながら、アカネは刃を構える。再度、突きの構え。

 だが先程とは違い、今度は構えに力みがない。

 身体の全てに均等に力の流れた、美しい構え。さながら職人が丁寧に仕上げた、荘厳な観音像を彷彿とさせる。まるで隙が見当たらない。

(来る……っ!)

 栗子が身構えた瞬間だった。

 それは一陣の風だ。

 一切の防御を捨て、この一撃に全身の力を込めた攻撃。

 怒涛の疾風。

 その速さは、最早肉眼では捉えられない。アカネの姿が栗子の視界から消える。

――眼に頼ると受けきれない。

 感覚だけの反射。

 栗子はその風を皮膚で感じ、刀に力を込める。

――そして。

――瞬くの火花。

――二本の刃が交差する瞬間。

 結論からいうと、勝負は栗子の勝ちだった。

 栗子は自らの蟲刀『愚血』を用い、アカネの疾風の如き突きの軌道を逸らした。

 そして同時に放たれた栗子の膝蹴り。

 栗子の膝は、アカネの腹中心を正確に捉えていた。

 すさまじい勢いで突っ込んできたアカネのエネルギーの全てが、その膝によってアカネの腹に返されていた。

「ぐ、げふッ!」

 奇妙な音と共に、アカネの口から大量の血の塊が吐き出される。

「はあ、はあ、はあ」

 呼吸することも辛いのか、アカネは息を荒げる。

「苦しい戦いだった……。だが……」

 ごふ、と再びアカネは咳き込む。

 そして。

 ニヤリと笑みを浮かべて。

 アカネはこう告げた。

「ボクの勝ちだ」

「ああ」

 ぽかんと開いた栗子の口から、意味を為さない音が零れる。

「あああ」

 アカネの放った疾風の突き。栗子はその刃を確かに自らの蟲刀で受けたが。

 首筋の後ろ。

 定規で測れば精々一センチにも満たないであろう、小さな傷。

「ああああああああ」

 刀傷だった。

 アカネの刃は、栗子に防がれながらもその防御の上から僅かに彼女の首筋をかすったのだ。

「あああああああああああああああああ」

 意味のないその音が、口から漏れ出るのを栗子は止められない。最早それは彼女の意思に無関係に漏れ出る音声なのだ。

「ボクの蟲刀、名前は『故舞羅こぶら』。その毒の能力は――」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 栗子にはもうその声を停めることは出来ない。

 何故なら優木栗子は既に”壊れていた”からだ。

 そして。

「――その能力は即死。ボクの『故舞羅』に傷付けられた者は、全身に即死の毒が周り瞬く間に死ぬ。例外はない」

 眼と口を大きく開きながら、栗子は倒れた。口と鼻からは湧き出した血が垂れている。瞬き一つしない。

 優木栗子は死んでいた。

 力なく垂れた両腕は、既に生気を感じさせない。

 もうその身体には意識が宿っていなかった。

 この戦闘、体術的には栗子の勝利だった。アカネの繰り出す技の数々を、栗子は見事身をこなし全てあしらった。

 栗子の攻撃は確実にアカネを押していたし、体力を徐々に削り取っていた。

 もしもこれが純粋な体術だけの勝負であれば、間違いなく栗子の勝利に終わったはずだ。

 だが。

 体術では勝りながら、アカネの放った一閃が栗子の首元を僅かに掠めた。

 たったそれだけのことだ。それだけのことが、事態を全てひっくり返らせた。

 蟲刀の毒は千差万別。

 故に戦闘の中で相手が如何なる毒を有しているか、それを知る前に決着を付けなければならない。

 何故なら相手の毒を知ったとき、多くの場合それは自分の敗北を意味するからだ。

 優木栗子が赤神ネネの蟲刀『故舞羅』の毒の能力を、その身をもって知ったように。

 体術的には栗子の勝ちだったが、それでも最後に立っていたのはアカネの方だ。

――蟲飼い同士の戦いとはそういうものである。

「……とはいえ、本当に苦しい戦いだった。流石のボクももうこれ以上の戦闘は無理そうだな」

 いいながらふらつき、アカネはその場に座り込む。左腕が酷く痛む。ヒビが入ったのは間違いない。あばらも何本かイッているだろう。

「優木栗子、噂に違わぬ強敵だった……」

 アカネの身体は疲労が色濃い。既に歩くのも、立つのもやっとという状況だ。出来ればもう七色蠍の基地に帰って、手厚い看護を受けたいところだった。

「……でも、そうはいってられないな。可愛い後輩が待っているんだ」

 疲れた体を無理に起こしながら、アカネは何とか立ち上る。やや足を引きずるようにして歩きながら、扉まで行き、ふと何かを思い出したように振り返り栗子の死体の元へと引き返して来る。

「そうだ、これを忘れてはいけない」

 栗子の手元に転がった蟲刀『愚血』。

 アカネは栗子の蟲刀と、栗子自身とを結ぶ蟲管を引きちぎった。

 そして刀を引きずり歩き、その場を去るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る