第二章「蟲刀」

(1)

「でさ、君は結局何がしたかったんだい?」

 赤神ネネは、唐突に修吾に疑問を投げかけて来るのだった。

「まさか恋子ちゃんと一緒にボクの仇を取りたかった、ってわけじゃどう考えてもないよね。だって生前君と僕との仲はお世辞にもよかったとはいえないし」

 ここはどこだろう。

 何か今すぐにでもやらなくちゃならないことがあった気がする。

 だけど頭にもやがかかったように、上手く記憶が引き出せない。

 俺は何をしようとしていたんだ?

 混乱する修吾を気にも留めず、目の前のアカネは修吾に問いかけて来る。

「何で君は恋子ちゃんの復讐に手を貸そうと思ったんだい?」

「……そんなこと、決まっている」

 相変わらず頭をもやが覆っている。何がどうなっている。良く分からない。兎に角、修吾はその女を睨み付けていった。 

「俺は恋子ちゃんを守りたい、ただそれだけだ」

「なるほど、ね。守りたい。それが君の動機であるわけだ」

「……」

「殺人犯探しなんて危険な仕事、か弱い女の子の恋子ちゃんには一人で背負うには荷が重いと君は考えたわけだ。或いはこんな風に考えてもいたのかな。君の大好きな恋子ちゃんの両手を血で汚させたくない。そんなの絶対嫌だ。もし恋子ちゃんが犯人を殺すつもりだというのなら、代わりに自分の手を汚した方がいい、とか?」

「……」

「胸ポケットにスタンガンを隠し持っていたりしたのは、つまりそういうことなんじゃないかな?」

「……ふん、その通りだよ」

 苦々しく、コーヒー豆を口の中ですり潰したような表情で修吾は応えた。

「ははは、面白い奴だな君は。面白すぎて、ちょっと気持ち悪く思えて来たぜ」

 ニヤリと、例の片頬を吊り上げる笑みでアカネは話すのだった。

「にしても後輩甲斐のない奴だな君は。ボクは死んじゃったんだぜ? もう少し喪に服すとか、そういうボクとの今生の別れを惜しむ仕草なりなんなりを見せてほしいものだよ。そんなに君ってボクのこと嫌いだったのかい?」

「……嫌いも何も大嫌いだったよ。あんたみたいな危険な奴は恋子ちゃんに近付くべきじゃない。毎日毎日、あんたの存在が鬱陶しくて仕方なくて、頭がおかしくなりそうだった。勝手にくたばってくれて精々してるよ」

「辛辣だなあ、ちょっと傷付くな」

 オーバーリアクション気味に両手をあげ、そんな風にうそぶくアカネの姿は明らかに傷付いている人間の態度じゃない。

 本当に、死んでくれてよかったと修吾は思うのだった。

「しかし君は本当に気持ちの悪い奴だ。恋子ちゃんの親じゃないんだからさ。ちと、過保護すぎるんじゃないかい?」

 いつの間にか。

 気が付けばアカネの手には刀が握られている。

 美しく磨き抜かれた、鏡のようなその刃。

 恐らくそれは、奈琴やあのヤンキー女が振り回していたのと同じ種類の得物だ。

「そろそろ君も親離れならぬ、恋子ちゃん離れをした方がいいんじゃないかな?」

 アカネは誰かの首元に、その刃を近付ける。

 目隠しをされ、口はガムテープで塞がれ、後ろ手に手錠を掛けらた上でしゃがまされているその人物。

 小柄な体型。特徴的なポニーテール。

 修吾がこの世界で最も大切にしているモノと、あまりにも酷似した彼女。

「お、おい、何してる!」

 修吾は声を荒げアカネに飛び掛かろうとするが、進めない。透明なガラスのような板が、修吾とアカネの間を隔てているのだ。

「よせ、やめろ!」

 修吾は板に自分の拳を叩き付ける。激しく。力一杯。何度も。

 だが板にはヒビ一つ入る様子がない。

「ボクがさ、君が大人への階段を一つ登るのを手伝ってやるよ」

 アカネは刀を自分の頭上へ高々と掲げ、そして。

「やめろぉぉぉぉおおお!!」

 刃が振り下ろされた。


「はあ、はあ、はあ、はあ」

 白い天井が広がっていた。所々朽ち果てた、コンクリートの天井だ。

「恋子ちゃん……!?」

 修吾は辺りを見回した。だが恋子の姿はどこにも見当たらない。

 記憶が混濁している。何か恐い夢を見た気がする。どこまでが夢で、どこからが現実なのかまだ目覚めたばかりの修吾にはまだ良く分からない。

「うっ……」

 頭が酷く痛い。手で頭頂部を抑えるが、痛みは一向に無くなる気配はなさそうだ。動こうとすると、浮遊感に覆われた。修吾の身体は落下し、全身に衝撃が当たる。どうやら自分はベッドに寝かせられていたらしい。

「くっ……。ここは、どこだ?」

 ふらつく身体をなんとか起き上がらせる。その部屋はまるで独房だった。本当に何もない、真っ白な部屋の中央にベッドだけがぽつんと置かれている。端にある薄汚れた白い物は便器だろうか。部屋の出口は格子の向こう側にある。頑丈そうな鉄の格子が重々しく部屋を分断していた。

「おい、どうなってる!?」

 修吾はその格子を掴み、全力で揺さぶる。無論格子はビクともしない。

「おい、誰かいないのか!? おい!」

「目が覚めたのか。やかましい奴だな」

 がちゃり。

 格子の向こうの扉が開く。

 現れたのは、体格のいい大男だった。身長も高く、二メートル近くありそうだ。筋肉質でガタイが良く、太い首はラグビー選手を思わせる。

「……おい、ここはどこだ? 恋子ちゃんはどうした?」

「やれやれ、起きて早々質問が多いな」

 大男は壁にもたれ、腕組をしながらこちらを見据えた。隙のない、どっしりとした構えだ。

「ゆっくりと時間を掛けて、その質問に一つ一つ丁寧に応えてやってもいいが……お前、何ともないのか?」

「?」

「まだ蟲が身体に定着し切ってはいないだろう」

 途端、先程の頭痛がぶり返し始めた。

「ぐぁ……!」

「体中に激痛が走っているはずだがな」

 激しく、痛い。

 だがその痛みは頭だけではない。

 左胸にも、焼けるような鋭い痛みが走る。

 そう、その部分は。

 修吾は思い出す。

 通り魔に刀で刺された箇所のはずだった。

 慌ててシャツを捲り、傷口を確認する。

 血は一滴も流れていない。

 確かにあの刃は自分の背中から胸へ、ついでに心臓も一緒に串刺しにしていたはずなのだが、穴はいつの間にか塞がっている。

 赤々とした、大きな傷跡だけが残されていた。

 まるで内側から、無理やり縫合を施したような奇妙な傷跡だ。

「が、ぐっ……!」

 痛みは更に激しさを増し、修吾の全身を焼く。

 全身の血管にマグマが流し込まれたかの如く著しい痛み。

「あぁぁぁ!」

 あまりの痛みに、修吾はもう立っていられなくなる。蹲りながら、なんとかこの痛みが一刻も早く去ってくれることを願うしかない。

 そして痛みは彼の左手へと集中していく。

 苦しみ悶えながら、修吾は自分の左手指が奇妙なモノに触れたことに気付く。

「な、なんだよ……これ?」

 それは確かに掌から生えていた。

 体内に密かに寄生していた植物が、皮膚を突き破ってきたみたいに。

 赤い棒切れだ。何か、刀の柄のようにも見える。

 棒切れは生き物みたいに、どくんと脈動して見せた。

「う、うわぁあああ!!」

 脈動に合わせ、再びマグマが彼の全身を駆け回る。

 堪え難い程の痛みが一気に襲い来る。

 猛烈な痛みに、彼の意識は耐えられない。身体が無意識に海老反りの形を取る。そして、修吾はそのまま失神したのだった。

「まあ、とりあえずもうちょっと休め」

 薄れていく意識の中で、男のそんなつぶやきが修吾の耳に届いた。

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