(4)
「で、恋子ちゃん?」
翌日。
放課後。
修吾と恋子は物陰に身を隠していた。顔だけをそっと覗かせ道路の先を見る。
「あの男が事件の手掛かりってわけだ」
「そうだよ」
男は一見するとどこにでもいるようなごく普通の大学生に見えた。よくある顔。やや長いぼさっとした髪が特徴といえば特徴だろうか。平均的な身長とウエスト。軽率過ぎず、真面目過ぎもしない着こなし。街の景色に良く溶け込んでいる、そんな印象の男だ。怪しいところがあるようにはとりあえず見えない。唯一、常に何かを警戒しているような鋭い視線。それだけが印象的といえばそうだった。
「あれが
「なるほどね」
頷きながら修吾は昨日、あの後恋子の話した情報を思い出す。
「私ね、アカネ先輩が殺されたあの日、部活の帰り際偶々駅前によって、そこで先輩が誰かと言い争いをしているところを見たの」
「言い争い……?」
「といっても、先輩はいつもの余裕綽々って感じであまり真剣に聞いてる感じじゃなかったんだけどね。でも相手の男の方はすごい剣幕で先輩に詰め寄ってた。傍から見ていて殺意を感じるくらいに」
「……」
怒れる男と、それを全く意に介していないようなアカネ。修吾は頭の中にそんな場面を思い描く。
「男の名前は奈琴玲仁。性別は男。歳は21歳。現在は大学生。灰茨市内にアパートを借りて一人暮らしをしている。恋人はなし」
「凄いな、良く調べたね」
「まあね。私も何もせずただ引きこもっていたわけじゃないんだよ」
「というか、そんな情報何処で出に入れたんだよ」
「それは内緒」
などと秘密めかして恋子はいった。
というわけで翌日早速、修吾と恋子はその謎の男『奈琴玲仁』を探し出し、とりあえず彼の跡をつけているのだが……。
「なんか妙にキョロキョロしているな。確かに怪しいといえば怪しい」
修吾は再び物陰から男の顔を覗く。歩きながら男は左へ右へと素早く視線をやった。何かを探しているように。さっきからウロウロ歩いては立ち止まり、ずっとそんな調子だ。率直にいって挙動不審な男である。
それに男の歩く道はどうやらずっと同じコースを辿っているようだ。そろそろ三週目に入るだろうか。コースは駅前周辺の広範囲を渡り辿っているので、ただ付いて行くだけでも軽い運動になりそうだった。
「確認だが恋子ちゃん、奴はアカネ先輩に具体的にはどんな風に突っかかってたんだ?」
「それが、遠くだったから良くは分からなかったんだけど……」
言いよどみながら、恋子は続ける。
「でもあいつとアカネ先輩との間にトラブルがあったのは間違いない。そしてアカネ先輩が殺されたのは私が言い争いを見たその日の晩だよ。怪しいでしょ? 絶対あいつが犯人だよ」
断定するように、恋子はいう。
その話を聞いた限りでは、彼が犯人だと言い切れるように修吾には思えなかったが、とはいえ他に何か役立ちそうな情報もない。
「まあ、とりあえず証拠を探さないとな」
修吾は再び物陰から奈琴玲仁の姿を覗き見る。あの男が、本当にアカネを殺ったのだろうか。今の時点では修吾には白とも黒ともいえないが、新聞の情報によるならアカネの死体は上半身と下半身を刃物で真っ二つに切断された状態で発見されたとのことだった。パッと見る限りでは奈琴玲仁は華奢そうな男だ。人体を二つに出来るほどの筋力があるようには見えない。
それにしても、アカネの殺され方は異様な手口だ。犯人は何のためにあんな殺し方をしたのだろう。まさか戦国自体の辻斬りじゃあるまいし、刀で通り魔的に斬られたというわけでもないだろうし……。
奈琴のルート巡回はその後、夜遅くまで及んだ。
深夜を周ろうかという頃合いになって、ようやく奈琴は巡回を止め、自宅アパートへと姿を消したのだった。
「で、あの男は一体何をやってるんだろうな?」
「……」
恋子は無言で応えた。
修吾は電信柱から顔だけを覗かせる。例の男、奈琴玲仁は相変わらず今日も同じコースを挙動不審にウロウロ歩き回っているのだった。
奈琴を尾行し始めてから既に三日目。
その間彼は毎日この調子で、深夜まで駅周辺の道を歩き回る生活を繰り返している。
「何かを探しているように見えるけど、その『何か』ってのは一体なんだろう?」
「分からない。でもそれはもしかすると先輩が死んだことと何か関係があるのかも」
「……なあ恋子ちゃん、このまま毎日跡を着けてても埒があかねーぜ。なんならアイツに聞いてみないか? 直接」
「……でも危なくないかな? 相手は先輩を殺した犯人かもしれないんだよ?」
「まあ、最悪の場合は俺がなんとかする」
いいながら修吾は自分の胸ポケットの膨らみに軽く触れる。
恋子は少しの間考える。
「……そうだね。そうした方がいいのかもしれない。応えによっては私はあの人を殺すんだから」
きっと、恋子の顔が鋭く豹変する。
それは明かな殺意。
復讐を必ず遂げると決めた眼だ。
「……そんなに先輩のこと、好きだったんだ」
修吾が話すと、恋子は慌てたように表情を変える。人畜無害を装った、いつもの恋子の表情だ。
「うん」
「……」
「私はね、アカネ先輩と居る時はいつも幸せだったよ」
「そうか」
「だからね、許せないんだ。どうして先輩はあんな惨たらしく死ななくちゃいけなかったんだろうね。あんなに優しくていい人が、なんであんな目に合わなくちゃいけなかったんだろうね」
「……」
「分かってるよ。こんなことホントはしちゃいけないって。でもね、他にどうしようもないんだ。こうでもしないと私がおかしくなっちゃう。だから……」
「ああ、分かってる」
「……」
既に日は落ち、深夜に近い時間帯に近付きつつある。
辺りは暗く、街灯がぼんやりと闇に包まれた世界を照らしていた。
「そろそろ今日も終わりだろうか」
奈琴玲仁はもう巡回を切り上げるつもりなのか、自宅の方へと足を向けている様子だった。
巡回している時とは違い、男の警戒心は僅かに緩められているように感じられる。
「なあ、お前――」
その時。
ふと。
街灯の照らす彼方。
女が一人、向こうから奈琴の方へと歩いてくる。
「お前、あたしを探してるんだろ?」
歳は修吾達と同じくらいだろうか。色白で金髪の、目の青い女だった。ピンク色のジャージ上下に、スリッパというスタイル。両手はポケットの中だ。耳にはじゃらじゃらと大量のピアスが付けられている。やや日本人離れした、西洋人めいたルックスである。
「お前は……」
奈琴玲仁は立ち止まり、女の方を鋭く見つめる。
にぃっと、女は怪しい笑みを浮かべ、自分のことを指差した。
「そうそう、あたし。あたしがお前らの仲間を殺ったんだ」
「……!」
「で、次はお前を狩っちまおうってワケ♪」
瞬間だった。
奈琴は瞬く速さで、その女に距離を詰め寄る。
男の手には何か長い得物が握られていた。
電灯の光を反射し煌めくそれ。
一メートルくらいありそうな武器。
あれは、そう刀。
日本刀だ。
馬鹿な、と修吾は驚く。
さっきまで奈琴はそんなものどこにも持っていなかったはずだ。なのにアレは一体どこから取り出したんだ?
修吾のそんな疑問にはお構いなく、奈琴は握った刀で女に切りかかる。だが女は後方に大きく飛び、奈琴の刀はかすりもしない。
「……え。なに、あの動き」
非日常的なその景色に、思わず恋子がつぶやいた。今度は女が距離を縮め、奈琴へと襲い掛かる。女の手にもいつの間にか、やはり刀が握られている。奈琴は宙に飛んでそれを避ける。
彼らの動きは明らかに、人間の限界を超えたそれだった。現実の光景だとは思えない。まるでバトル漫画の世界だ。
とても付いて行けない。
奈琴の動きは速い。人を超えた速さで攻撃を避ける。俊敏な、動物的な動き。だが女の速さはそれ以上だ。その動きは殆ど肉眼で捉えることが出来ない。例えるならまるで雷鳴だ。
金属音を辺りに響かせ、二本の刀を交差させながら、舞うような女の速さに奈琴は徐々に追い詰められていった。
「はい、これで終わり」
「ぐふッ……」
蹴り飛ばされ、壁に叩き付けられる奈琴。蹲る奈琴の前に女は立ち塞がる。横に飛んで逃げようとしたのだが、女の足に邪魔され再び奈琴は地面に手を付く。
「……ぐぁっ!」
女は刀を横に一閃走らせた。奈琴の腕から刀が吹き飛び、壁へと突き刺さる。痛々しく自分の腕を抑えながら、奈琴はその場に沈み込んだ。
修吾達からは、そういう風に見えた。
だがより正確に今起きたことを描写するならこうだ。
彼の持つ刀、その鍔の下部から生えている細い管。その管は奈琴の掌へと伸びており、皮膚を突き破り、彼の体内で根深く結びついている。女はこの管を切断し、奈琴と刀との繋がりを断った上で刀を吹き飛ばしたのだ。
「なんだお前、ただの雑魚じゃん。『毒』を使うまでもないね」
「ぅ……」
うずくまる奈琴を、女は高みから見下し笑う。女は奈琴の首元へと切っ先を突きつけた。
「死ね♪」
そして女の振り上げた刃が、奈琴の首の肉を捉える。刃は肉を断ち、骨を断ち、そして彼の身体を抜ける。太刀筋は一瞬だ。修吾には、女の手と身体が一時的に消えたように見えた。
ぶしゅっ、と。
血の噴水が辺りに吹き出し。
そして。
ごろりと。
奈琴の首が地面を転がった。
「っ!」
呆けたように開かれた奈琴の眼が虚空を見つめている。
恋子は目を見開き、口に手を当て声が出ないよう必死に抑えていた。
修吾も同じく内心の動揺を隠せない。
あまりにもあっけなく、目の前で人が死に。
ペンキをまき散らしたみたいに周囲を血が塗りつぶしていく。
それは彼らの普段生活している、当たり前の日常とはかけ離れた光景だった。
そんな異常な光景を前に、いち早く適応し、何の驚きもなく最善の判断を下せる方がどうかしている。
彼らを責めることは出来まい。
だが。
切り落とされた首を視界に捉えた瞬間。
衝撃に思わず息を飲み込んだ二人の呼吸音。
女は僅かなその音を聞き逃さなかった。
「……誰だ?」
修吾が視線を戻した時、既に女の姿はそこにはなかった。
「なんだ、ただの一般人かよ」
「っ!」
背後から声がした。
修吾は素早く胸ポケットに手を入れる。
「くくく。可哀想な奴……」
「に、逃げろ恋子ちゃん!」
修吾が引き出した得物。
スタンガンである。
恋子の復讐を手伝うと決めたにあたり、もしもの場合に備えて予め修吾が秘かに買い揃えていたアイテムだ。危険な橋を歩こうとしている恋子を守る為、修吾の用意したとっておきの武器。
だが目の前の相手に、こんなモノで果たしてどうなるというのだろう。
気配もなく、一瞬で背後に周り来む怪物。
最早人間の芸当ではない。
そんな相手に、こんなちんけな得物で何が出来るというのか。
完全に想定外だ。分かっていたらもっとちゃんと準備したのに。
だがやるしかない。
でないと死ぬ。
自分も。そして恋子も。
「見られたからには、生かしておくわけにはいかないね。悪いがお前らも殺す」
女が刀を振り上げるよりも早く。修吾はスタンガンを起動し、手を突き出す。
手ごたえはない。
目の前には誰もいない。
「……ごふっ!」
焼けるような痛みが修吾の左胸に走った。
たらりと、何か液体が自分の口から垂れ落ちるのを感じた。
――血だ。
「何でお前スタンガンなんて持ち歩いてんの?」
彼の左胸、丁度心臓の辺りを貫くようにして、刃が生えていた。
すぐ背後から漂う女の気配。
「とりあえず彼氏の方から先に狩ってやったぜ」
何かがぶつかり、修吾の身体は前のめりに吹っ飛ぶ。どうやら女が刀を引き抜くため、修吾の背中に蹴りをいれたらしかった。
「しゅ、修吾くん! 修吾くん!」
恋子の悲痛な叫び声が聞こえる。だがそれはぼんやりと膜が掛かったような、曖昧な声だった。
馬鹿な。おかしい。
立ち上ろうとするのだが、全く身体に力が入らない。指一つまともに動かすことさえ出来ないざまだった。
「んじゃあ次。女の方も狩っちゃいますか♪」
「こ、こいこちゃ……にげ……ごふ」
自分の口から洩れる言葉が酷くか細かった。
視界が薄くぼやけていく。
刺された胸の痛みが、燃えるような激痛が、どんどん鈍くなっていく。
徐々に意識が遠のいていく。
眠りに入る直前のように。
これじゃあまるで俺は今から死ぬみたいじゃないか。
おかしい。
そんなことがあっていいはずがない。
でないと俺は何のために、恋子ちゃんに付き添ったのか分からない。
恋子ちゃんを守りたかった。
ただそれだけだった。
それだけの為に生きてきた。
だが、これではまるで犬死だ。
何の意味もない。
そんなことがあっていいはずがない。
違うだろ。
そうじゃない。
俺は恋子ちゃんを守るんだ。
早く立ち上がらないと。
恋子ちゃんが死んじゃう。
動け。
頼む。
動いてくれ。
…………………。
…………。
……。
彼の意識は沼の底へと沈んでいく。
そして。
――依城修吾の人生はここで終わる。
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