(3)
*
「ねえ、職員室ってこっちで会ってるのかな?」
赤神ネネは修吾や恋子の一つ上の先輩だった。とはいっても元から修吾達の通う高校である、
「実はボクは今日からこの学園に転校してきたんだけどね。職員室の場所を知らなくってさ」
そんな風に話しかけられたのが、赤神ネネとのファーストコンタクトだった。
「あ、それだったら私達案内しますよ」
修吾の隣の恋子がそう応えた。朝、修吾が登校していたら偶然恋子と一緒になり、靴箱で上履きに履き替えた時に赤神とかいうその女に話しかけられたのである。
「ああ、すまないね。助かるよ」
「こっちです」
恋子は率先して歩き出す。
「君達は何年生なの?」
恋子の後ろを付いて行きながら、女は質問した。
「私達は二年ですよ。私は蒼空恋子といいます。で、こっちが……」
「依城修吾です、ども」
「ふーん、恋子ちゃんに、修吾くんか」
やけに綺麗な女だった。小さな顔に高い鼻とアーモンド形の瞳。つやのある黒い髪は背中まで伸びている。
「だとするならボクは君達の先輩ということになるな」
ニヤリと、片頬を吊り上げながら女は笑った。
「ボクの名前は赤神ネネ。ボクを呼ぶ時は略してアカネ先輩と呼ぶといいよ」
「は、はあ……」
いきなり自分の呼称を指定され、何となく二人は面喰う。
「時に恋子ちゃん」
「はあ、なんでしょう……」
しかしこの女、いきなり人のことを下の名前で呼ぶなんて馴れ馴れしい奴だな、という感想を修吾が抱いていると、アカネはこんなことをいいだした。
「君ってさ、可愛いよね」
「ほへッ!?」
恋子の口から妙な声が漏れた。
「うん、可愛い。すっごく可愛い」
「……え? え?」
「いやホント可愛い。今すぐ結婚したいぐらい可愛いね」
「けけ、結婚!?」
腕を組み、品定めするように恋子の全身を見回すアカネ。一方恋子は恥ずかしそうに俯くのだった。
「へ、変な冗談はやめて下さい」
「勿論、冗談なんかじゃない。ボクは本気で君のことを可愛いと思ったから、ただ素直な気持ちを述べているだけさ」
「いや、その……」
「ふふふ、そうやって恥ずかしがっている様子も可愛いなあ」
「や、やめて下さい……」
アカネの指がすっと伸びて、恋子の顎に触れようととする。
「おい、その辺にしとけ」
思わず手が出た。修吾の掌がアカネの腕を掴む。
「いやがってるだろ」
「……」
アカネは修吾をまっすぐ見つめていた。アカネは修吾の視線に怯える様子もなく、寧ろ口元には余裕の笑みさえ浮かんでいた。
「おっとすまない。初対面なのに失礼だったね。いやー、ボクって時々ついつい調子に乗り過ぎちゃうところがあるんだよね。ごめんごめん。悪かったよ」
などと極めて軽いカラッとした声と表情で、アカネはのたまうのだった。
「で、ここが職員室で合ってるかな?」
アカネは目の前の教室を指差す。扉には『職員室』という標識が下がっている。
「ありがとう、おかげで助かったよ」
「あ、いえ……」
「恋子ちゃん」
有無を言わさぬよう、アカネの瞳は恋子を射止める。
「多分君とはこれからも縁があるような気がするよ。ひとつよろしくね」
いいながらアカネは片手を差し出した。どうやら握手を求めているらしい。
「……よろしくお願いします」
おっかなびっくりその手を握る恋子。二人は短くそっと手を握り合った。
「ではでは」
そしてアカネは後ろ手に手を振りながら職員室へと入っていくのだった。
「何だアイツ?」
開口一番、修吾の口からはそんな言葉が出る。
「変な女だったな」
「そうだよね。いきなり可愛いねとかいわれても、ちょっと意味わかんないよね……」
恋子は握られた手を、反対の手でさすりながら応える。
「ああいう手合いにはあまり関わらない方がいいと思うぞ」
「うん。私もちょっとあの人恐いかな……」
恋子はやや否定的なニュアンスの、曖昧な笑みを浮かべていった。
そう、ファーストコンタクトの時点では恋子はアカネに対して特別な感情を持っていた様子ではなかった。どちらかといえば怯えた感情が強かったような気さえする。はじめて出会った時、恋子はアカネに良い印象を抱いていたわけではなかった。
だというのに、気が付けばアカネは恋子のすぐ隣にいつも居る存在に、いつの間にかなっていたのだ。
「あ、恋子ちゃん」
そう声を掛けようとして、修吾の挙動は停止してしまった。日曜日、街をふらついていたところ恋子の姿を見かけたので軽く話し掛けようかと思ったのだが。
恋子の隣に居たアカネの姿に驚いてしまった。
恋子のシャツにジーンズというラフな姿とは対象的に、アカネは学生服を着ている。休日だというのに。それも虫籠学園の制服ではない。どこか別の学校の制服だ。アカネが何かおかしな冗談でもいったのか、恋子はお腹を抱えて笑っている。その笑顔はえらく楽しそうだ。傍目から見ていると、仲の良い友達にしか見えない。
意外だった。恋子がいつの間にか、あのアカネとかいう女とああも距離を近づけていただなんて。
あの軽薄な雰囲気のアカネと、恋子が仲良くなるなんて考えもしなかった。修吾が知っている限りでは、真面目な恋子はどちらかといえばアカネのようなタイプの人間は好みではないと思っていた。
それが、いつの間に。
一体二人の間に何があったのか。
何か妙な不安を感じずにはいられない修吾だった。
「なあ恋子ちゃん。あのアカネって人と最近仲良くしてるんだ?」
ホームルームの終了後、一緒に下駄箱に向かっていた恋子にそんな風に話しを振ってみた。
「え? ああアカネ先輩のこと? うん、最近は凄く仲良しなんだ」
修吾の問いに、恋子は嬉々として応えた。
「だって君、ちょっと恐いとかいってただろ?」
「うん、最初はね。でも仲良くなってみると凄く優しくていい人だったんだ。それに頭良くて、話が滅茶苦茶面白いんだよね。あ、あとひとを褒めるのも凄い上手。何かある度に可愛いっていってくれるんだ。やっぱそういう風に褒められると嬉しいよね」
なんて話を、本当に楽しそうに語るのだ。
まるで意中の相手を語る、いたいけな少女のように。
「……へえ」
「あ。私これから部活だから。修吾くんも話してみたらアカネ先輩のこときっと気に入ると思うよ。それじゃーねバイバイ」
「ああ、バイバイ」
恋子の背中を見送りながら、修吾は何か納得の出来ないような気持ちになる。先日見たあの光景は嘘じゃなかったのか。いつの間にか、あのアカネとかいう女と恋子ちゃんの距離は近付いていて……。
「やあ、依代修吾くん、だったかな。こんなところで奇遇だね」
突然背後から声を掛けられた。
「アカネ、先輩……」
「君も帰るところかい?」
振り返ると腕を組み、不遜そうに胸を張ったアカネの姿が目に入る。アカネはじっと、修吾を見入っている。
「なあ修吾くん、一度君には聞いてみたいと思っていたんだが……」
「……」
急な出現に戸惑っている修吾を気にもかけず、アカネは質問をぶつけてくるのだった。
「君ってさ、恋子ちゃんのことが好きなのかな?」
「……っ!」
普段ポーカーフェイスを徹底している修吾だが、前振りのない唐突な質問にうっかり顔に答えが出てしまう。
「ふーん、やっぱりそうなんだ」
「……いや、俺は」
「誤魔化さなくたっていいさ。君は恋子ちゃんに恋をしているんだろ? だって彼女可愛いもんなあ。恋子ちゃんに聞いたよ。君達幼馴染なんだって。そりゃあんな可愛い娘が幼馴染だったら恋に落ちない方がおかしい。自然な反応さ。寧ろ全国の可愛い幼馴染がいなかった男子全員に謝らなきゃいけない義務が君にはあるんじゃないかなあ」
「……」
冗談めかしながら赤神ネネはいう。修吾には全く笑えなかったが。
「でもさ、あの娘はボクの物だ。君には渡さないよ?」
「っ!!」
ニヤリと、また片頬を上げアカネは笑う。その笑顔は悪意と嘲笑にまみれた、悪魔的な笑みだった。
修吾をまとう空気が一瞬にして変質する。
アカネから放たれる、黒い空気。
この女は俺に敵意を向けている……っ!
「それにさ、きっとあの娘もボクのことを好きなんじゃないかな。まあ、相思相愛という奴だね。あと、君のことを恋子ちゃんがどう思ってるか、本人に聞いてみたこともあるんだぜ? まあ単なる幼馴染以上には、特に何とも意識していない感じだったよ」
「そんなこと、知っている……!」
修吾は力強く応えた。
「そ。じゃあ君はあの娘がボクの物になる過程を精々指を咥えて眺めていればいいんじゃないかな」
言い残し、アカネは背を向けその場を去ろうとする。
「待てっ!」
背中に向かって強い口調で修吾は呼び止める。ピタリ、と足を止めるアカネ。
「恋子ちゃんを不幸にする奴を俺は許さない」
睨み付けるようにして、修吾はいう。アカネは首だけをこちらに向けた。
「……そうなのかい?」
「あんたがそういう奴だというのなら、俺はお前を殺す!」
「おいおい、殺すだなんて物騒な奴だなあ君は。高校生だって人を殺せば重い罪に問われるんだぜ?」
修吾の気迫に、アカネは全くひるむ様子はない。相変わらずへらへらとしたニヤケ顔でそう応えた。
「だが、全く君は面白い奴だな」
ポンと、修吾の肩に軽く手を置かれた。
「ボクに取られるのが嫌なら、その前に君が恋子ちゃんを守ってあげることだね。まあどちらにせよボクはやるべきことをやらせてもらうけどさ」
言い残し、アカネは修吾の前を去って行くのだった。
この時修吾は確信したのだ。根拠なんて別にない。ただの直感だ。この女を恋子ちゃんと一緒に居させてはならない。あいつは危険だ。一緒に居れば、恋子ちゃんの身に何か良くないことが起こる。何とかして、一刻も早く二人の距離を離さないと。
だが修吾が何か具体的な行動を起こす前に、その必要は無くなってしまった。
意外な形で。
このやり取りの三日後、赤神ネネは身体の上下を真っ二つに切断された形で発見される――
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