(2)

 昼休み。

 お友達と輪になって弁当を突っつき談笑に勤しむ時間。

 賑やかな教室を後にして、修吾は校舎屋上へと足を向けていた。踊り場には人気はなく、教室の騒ぎようとは対照的だ。しんと静かな空間の中で、自分の呼吸の音が聞こえる。修吾は階段を上りきり、突き当りの扉を開く。扉の外、屋上に足を踏み入れると一気に視界が開け開放的な景色が広がる。

 そして修吾は転落防止の手すりにもたれかかるお目当ての人物を見付けた。

「やあ、恋子ちゃん。偶然だね、君もここで昼食を?」

「あ、修吾くん……」

 修吾は手に持った弁当を軽く上げて見せた。

「え。ていうか修吾くん、偶然っていうか私のこと探したでしょ……」

「……」

 恋子のつぶやきに修吾は特に答えず、彼女の隣に腰を降ろした。

「珍しいね恋子ちゃん。今日はパンなんだ」

「……うん、まあ。何となく作る気になれなくて」

 アカネのあの事件の後、学校を休み始める前、恋子は毎日自分でお弁当を作って持って来ていた。昼食だって屋上ではなく、前は教室でクラスメイトの友達と一緒に弁当を食べていたのだ。わざわざこんな場所で一人昼食を食べるということは、まだどういう顔をしてクラスメイト達と関わったらいいのか距離感を取り戻せていないことの表れだろうか。――なんてことには修吾は敢えてつっこまなかった。

「修吾くんのお弁当は相変わらず美味しそうだね」

 包みを開いた修吾のお弁当を恋子は覗き込む。

「ちょっとなら食べてもいいぞ」

「ほ、ほんとに? えっとじゃあこの卵焼きを……」

 遠慮がちに恋子は指を伸ばした。

「う~ん、修吾くんの作る卵焼きは甘くてやっぱり美味しいね」

 頬をもぐもぐ頬張らせながら、目を輝かせて恋子はいう。

 修吾は現在ある事情から一人暮らしをしている。家の掃除、洗濯、調理など家事は全て自分でこなしている。今修吾が食べているお弁当も、自分で作った代物だ。

 暫く二人は昼食を頬張る。恋子は自分のパンを食べながら、時々修吾のおにぎりや、から揚げや、プチトマトなんかをつまむのだった。

「ごちそうさまでした」

 二人同時に手を合わせる。

「いやー、やっぱり修吾くんのお弁当は美味しかったなあ。お腹いっぱいだよ」

「そうか。それは良かった」

「から揚げは自分で揚げたの? 冷凍じゃなくて?」

「そうだな。といっても昨日の夕食の余りだけど」

「すっごく美味しかったよ」

 恋子は精一杯の笑顔で美味しさを伝えようとする。

「そう?」

「うん、良かったらまた食べさせてくれる?」

「君が望むのなら」

「やったーっ! 嬉しいなぁ」

「……君に喜んでもらえてよかったよ。それはそうと恋子ちゃん」

 やや間を置いてから、修吾は切り込む。ばっさりと。

「もう気持ちは落ち着いたのかい?」

「え……?」

 一瞬の沈黙。

「アカネ先輩の例の事件があって、恋子ちゃんが登校拒否をはじめてそろそろ一カ月になるけど。こうして今日久しぶりに学校に来れたってことは、もう大分気持ちは落ち着いたと考えていいのかな?」

「……うん。大分落ち着いたよ。アカネ先輩が亡くなってすごくショックだったけど、いつまでもくよくよしてられないしね」

 恋子は呼吸を整えるようにしていった。教室と同じ、冷静な様子の恋子。だが修吾は表情が変わる一瞬、零れかけたその感情を見逃してはいない。

「ホントに?」

「……」

「本当に?」

「……」

 暫しの沈黙。修吾はじっと恋子に視線を向け逸らさない。一方恋子は眼を合わせずに俯き、その表情は窺えない。

 そんな沈黙が約三分続いただろうか。

「あーあ、やっぱり修吾くんに嘘は付けないや」

 先に折れたのは恋子だった。

「そうだよ。今だって頭の中はいっぱいいっぱいだよ。ホントは気持ちの整理なんて全然ついてない。だから私決めたの。先輩を殺した犯人を絶対に見付けるって」

 さっきとは打って変わり、恋子はあっけらかんというのだった。

「……見付けるって、どうやって?」

「一応、ちょっとした手掛かりがあるの」

「警察が動いているわけだけど」

「勿論警察が捕まえてくれたらそれに越したことはないけど、今のところ順調にはいってないみたいだしね」

 警察の捜査は難航しているらしい。犯人に至る確信的な手掛かりは未だ掴めていないようだ。事件の第一報があって以来、今日まで犯人逮捕に類するような情報は何一つ発表されていなかった。

「犯人を捕まえてそれでどうするの?」

「それは……警察に突き出すよ」

 何か含みを持った風な言い方だった。

「なるほど、ね」

「当たり前でしょ。逆にそれ以外どうしたらいいんだろ?」

 微笑を浮かべて恋子はいった。

「君はそれでいいのかな?」

「え?」

「警察に逮捕させて、君は満足なの?」

「どういう、意味?」

「だって君はさ、アカネ先輩のこと随分気に入っていただろ? 犯人を警察に突き出したくらいで君は本当に満足できるのかな?」

「……何が、いいたいの?」

 恋子はやや表情を暗くしていった。だが気にせず修吾は確信を付く。

「君はさ。アカネ先輩を殺した犯人を見つけ出し、そしてその手で殺したいんじゃないかな?」

「……っ!」

 恋子の目が見開かれる。答えるまでもない。表情が内心を雄弁に語っていた。

「やっぱりそうなんだ?」

「……もしそうだったら、修吾くんはどうするの? 私を止める?」

 途端恋子の表情が一気に険しくなる。

 それは敵意だった。

 明確な。

 その敵意はアカネを殺した犯人に向けられているのだろうか。或いは修吾に向けられているのだろうか。

 いずれにしても、恋子の中でアカネの存在はそれ程までに大きな面積を占めていたということだ。

「おいおい恋子ちゃん、俺は何年君の幼馴染をやっていると思ってるんだい?」

 もったいぶって修吾はいった。

「助けるよ」

「……え」

「君が犯人を見付けて殺すつもりだというなら、俺はそれを手伝う」

「手伝うって……修吾くん自分のいってる意味分かってる? 人を殺すんだよ? 冗談で言ってるんじゃないんだよ?」

 取り乱しながら恋子はいう。

「その言葉はそっくり君に返したいところだな」

「でも巻き込めないよ……」

「なあ、恋子ちゃん。あの時君は俺を助けてくれた。もしあの時君が俺の傍に居てくれなかったら、きっと今の形で俺はこの場には居られなかっただろう。俺という人格が形成される上で、君は重大な位置を占めている。君が困っていたら、いつだって俺は君を助けたい」

「……」

「というか君が嫌だといっても、俺は君を無理やりにでも手伝うつもりだぜ。君と喧嘩しながら犯人を捜すよりは、協力関係を結べた方が俺としては合理的で助かるんだが」

「……」

 しばらくの沈黙の後、恋子は溜息を付いた。

「もう、修吾くんっていってること滅茶苦茶なんだから……」

「そうでもないさ」

「分かったよ。じゃあ手伝って……」

 それでもまだどこか抵抗があるような恋子の声色だった。。

「勿論だ」

「ありがとう……」

 恋子の表情は穏やかなものに戻る。ほっとしたのか、どこか安心感のある落ち着いた表情だった。だが、まだ僅かに困惑の混じったような表情でもある。

「ん」

 といって、修吾は拳を恋子の方へ向けて突き出した。

「恋子ちゃんはアカネ先輩を殺した犯人を、見付けて殺す。俺はそんな恋子ちゃんを手伝う。これはそういう約束だ」

 修吾は真剣な表情で、真っ直ぐに恋子を見つめる。

「……分かったよ」

 ごくりと唾を飲んでから、恋子も拳を突き出す。二人の拳がこつんとぶつかった。

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