(2)

「傷口はそこまで深くはいってないみたいだぜ。……一瞬ちょっと痛いが、悪く思うなよ」

 矢場多は蟲刀を、羊野の毒を受けたクマノミメンバー男性の傷口に沿うようにして斬りつけた。

「うぅ……」

 すると男の傷口はみるみるうちに塞がっていく。

 細胞を活性化させ、治癒機能を高める能力。それが矢場多の蟲刀の持つ『毒』らしい。

「その娘の手にこれを掛けてくれるかしら」

 栗子の指示で、羊野美隷の両手は後ろ手で手錠を掛けられていた。栗子の一撃は余程応えたようだ。羊野は気を失ったまま未だ目覚めていない。栗子は自分の蟲刀を取り出し、羊野の両手を軽く斬りつける。

 手首あたりに出来たその傷口。しばらくすると、なんと女の肌は傷口から徐々に灰褐色の硬質へと変化していく。まるで石のようだ。

 そして女の両腕は指先から肩口まで、完全にごつごつとした岩のようになって固まってしまった。

「これでこの娘はもう蟲刀を抜けない。無理に手錠を壊そうとすれば、腕ごと崩れるわ」

 どうやらあれが栗子の蟲刀の持つ毒の能力のようだ。

「栗子さんの蟲刀『愚血おろち』だ。どうだ凄いだろ? まあ、蟲毒を使わなくても鬼のように強いのがあの人の凄いところだけどな」

「なんであんたが自慢げなんだよ……」

 横から語って来る熊雄に、修吾は返す。

 栗子だけでなく矢場多もそうだが、最早何でもありだ。毒というか、魔法のようでさえある。

「こっちの被害は少なくて済んだな……」

「意外と、あっけなかったな」

「ああ……」

 修吾のつぶやきに、熊雄は応える。深手を負ったメンバーもいるが、ほぼこちらの完勝といっていいだろう。作戦通りに、犯人を捕まえることが出来た。恐い程に、あっけなく。

「栗子さん、こいつの処分はどうしますか?」

「そうね……とりあえずアジトの牢に入れておいて貰えるかしら。矢場多くん、お願いしていい?」

「うっす、了解っす」

「一応、ひと段落だけど絶対に油断しないでね。私は一旦本部に戻るわ。色々と連絡しないといけないから」

 そして栗子はその場のクマノミメンバー達に細かい指示を出し始めた。


 修吾達は車に揺られていた。八人乗りの大型車に、七人が乗り込んでいる。ハンドルを握っているのは矢場多だ。

「矢場多さん、車なんて持ってたのか」

「いや、これは親父のだ。無理いって借りて来た」

 馴れた調子でハンドルを切りながら矢場多は応える。

「それにしても、マジで強かったなそいつ。バケモノじみた強さだったぜ……」

 修吾は座席の後ろ、荷物置き場を覗き込む。羊野はそこで横向きに倒され、頭には被り物を被されている。

「殴られた頬がまだ痛てぇぜ畜生……」

「というか矢場多くんまた叫びながら攻撃していたでしょう。何回も注意しているはずなんですけどね。敵に動きがばればれなんですよ」

「う……。だって、声出ちゃうんだから仕方ねーだろ……」

 四角野の突っ込みに、矢場多はばつが悪そうに応えた。

「でもそれ以上に栗子さんの強さが凄かったですね。何せ一撃ですから」

「うーむ、やはりあの人の剣は流石だな。改めて惚れ惚れしたよ」

 隣の熊雄は腕を組みながら感嘆を漏らす。

「その女、栗子さんどうするつもりなんだろうな?」

「さあ、何らかの罰則は与えるしょうが……。恐らく殺しはしないつもりでしょうね、あの人そういうところは甘いですから」

 四角野は眼鏡をくいっと上げながら、やや顔を逸らしていった。

「事前に聞いたところによると、恐らくその女は栗子さんのツテで収容所のような場所に入ることになるかと」

「収容所……?」

「あの人ちょくちょくそういう謎のツテがあるんだよなあ……」

「クマノミを作る前は別の蟲飼い関連の組織に居たらしいですしね」

 修吾はそれらの情報を耳に入れながら、さてどうしたものかと考えていた。

 恋子は現在クマノミ本部で待機している。栗子の口から作戦の結果は伝えられるだろうが……。

 ミッションは成功した。

 事件の犯人は捕まえることが出来たが……。しかし、修吾の成すべきことは未だ達成出来ていないのだ。

 如何にして羊野美隷を殺すか。

 流石にこれだけ人数が居る中で堂々と殺る訳にもいかない。実行したとしても、熊雄辺りに力づくで止められるのがオチだ。

 やはり今回は見送り、次の機会を伺うのが妥当なところだろうか。

 あいつがクマノミの牢に入れられている限り、機会は必ず訪れるはずだ。

 栗子のツテとやらに連行されてしまえば、流石に手を出すのは難しくなりそうだが、だが今はまだタイミングじゃない。その連中に連れて行かれる前に、なんとかケリをつけるしかない。

 或いは連れて行かれてしまえば、恋子にだってもう手は出せない。諦めざるを得ないだろう。ツテとやらに後はもう任せてた方がいいのかもしれない。

 だが、出来れば遺恨を残さない形で全てを修吾の手で片付けしまうのが理想的ではある。恋子ちゃんの殺意は本物だ。放っておくとどんな無茶をしでかすか分からない。

 皆が犯人を捕まえられた安堵に少し気を許している中、修吾は一人頭の中でそんな計算を働かせていた。

 車は町を出て、そろそろクマノミアジトへと差し掛かる。

「気を付けろよ」

「まだ気絶してんのか?」

「意識はなさそうですね」

「よいしょっと」

 車が駐車スペースに停まると熊雄は後部ドアを開き、だらりと力なく気絶したままの羊野を肩に乗せる。

「んじゃ牢の方に」

 四角野を先頭に、修吾達は施設内に入る。辿り着いたのは修吾が最初入れられた牢のある部屋だった。

 熊雄は部屋中央のベッドに女の身体を寝かせる。そして顔に被せた布きれを外した。

 女は相変わらずぐったりした様子で、意識がない。

 がちゃり、と牢の鍵が重く降ろされた。

「ふう、これで一安心か?」

「いや、まだだ……」

 いいながら矢場多は電燈スイッチの下にあるボタンを指差す。矢場多がボタンを押すと、ヴン、という不穏な音が牢の格子から洩れ始めた。

「なんだよそのボタン?」

「お前の時は使わなかったがな……。これを押せば格子に高圧電流が流れる仕組みになっている。触れたらただじゃ済まないぞ、触るなよ?」

「物騒な装置だな……」

「まあ俺達『蟲飼い』はその気になれば、こんな格子壊すことわけないからな」

 矢場多はふうっとため息を付きながら、近くのパイプ椅子に腰を降ろす。

「で、これからどうするよ?」

「栗子さんのツテで収容先が決まるまでは、こうして俺達が交代して監視するしかないだろうな」

「げー、マジかよ……」

「ということは、短くても一週間くらいは掛かりそうですね……」

 不満そうな矢場多。四角野はあごに手をやりながら少し考え込んだ。

「ねえ、熊雄くん。水や食料など、修吾くんと一緒に買い出しに行って来てくれますか?」

「ああ、別にかまわないが……」

「費用は後で返します。控室の冷蔵庫に放り込んでおいてください。何が必要か分かりますか?」

「大丈夫だ。大体わかる」

「監視は二十四時間体制になるでしょうから、とりあえず私と矢場多くんで”あれ”を見ておきましょう。他のみんなは栗子さんが到着するまで控室で休んでおいて下さい」

 親指で後方の牢を指す四角野。

「えっ、俺かよ? 疲れてんだけど」

「……何か問題でも?」

「あ。いえなんでもないです……」

 眼鏡をくいっと持ち上げる四角野の冷徹な視線に、矢場多はしゅんとなって応えるのだった。


「ただいま恋子ちゃん」

 栗子のデスクで一人座り待っていた恋子に栗子は告げた。

「終わったんですか!?」

 ばっと立ち上がり、恋子は訊いてくる。ずっとその姿勢のままここで待っていたのだろうか。

「……終わったわ。ちょっと仕事があって私はこっちに寄ったけど、他のみんなはアジトの方へ行ってもらってる」

「みんな無事ですか?」

「大丈夫よ。少し怪我人も出たけど、修吾くんもぴんぴんしてるわ」

 栗子はPCを立ち上げながらいう。それを聞いて恋子はホッと一息ついた。

「……それで、あの女は?」

「今頃アジトの牢に入れられてるはずよ。私もすぐそっちに戻るつもりだけど……」

 画面に視線を向けながら、栗子はちらりと恋子の顔を見る。能面のような無表情。だが栗子はその裏に、ドロドロとした屈折した感情が蠢いているのを感じる。今にも溢れて零れそうな憎悪を、必至に表に出すまいと抑え込んでいるのだ。

 弱ったな、と栗子は思う。

 危なっかしい娘だ。今すぐにでもあの犯人を殺しに行きかねない。

 勿論、栗子はそれを許すつもりはないが。とはいえ激情に捉われた恋子の気持ちが栗子にも分からなくはないのだ。

「あいつのこと、どうするつもりですか……?」

 暗く低い声で恋子は尋ねて来る。

「そうね……」

 少しだけ間を置いてから、栗子は応えた。

「一応、私のツテで反社会的な『蟲飼い』を収容するための施設があるから、そこに引き取って貰うつもりよ」

「収容……」

「勿論、法による裁きを受けさせるのが一番いいんだけどね。でも『蟲飼い』の身柄を警察みたいな公的な機関に明け渡すと、何故か行方不明になることが多いの。多分どこか政府の研究施設に放り込まれてるんじゃないかっていわれてる……」

「……」

「まあ私達にとっては必ずしもこの国は信用出来る相手じゃないってことね……」

『蟲飼い』の存在は表向きにはされていない。栗子達のようなこの社会に潜伏している蟲飼いの存在は伏せられている。蟲飼いの絶対数は、人類全体の数と比べると圧倒的に少ない。だがある意味では蟲飼いは人類に対する脅威でもある。人間と外見はそっくりだが、分化した似て非なる種。政府が裏で蟲飼いの捕獲を指示しているらしいという噂も嘘ではないのだ。

「やっぱりそれじゃ納得出来ないって顔してるわね」

「……」

 いわれて恋子は顔を下に向ける。

「仇を討ちたいのね、アカネちゃんの」

「……はい」

 苦しそうに恋子は声を出した。

「でも、ごめんなさい。あなたの望みは叶えてあげられない。クマノミのリーダーとしてね」

 いいながら、栗子の胸にも苦い思いが湧き出してくる。

 未だ拭え去れないその感情。

 だが。

 クマノミリーダー足る優木栗子には、そのような私情で組織の理念を自ら突き崩すような行動は許されていない。故に栗子は恋子を否定しなければならなかった。

「……」

 恋子は黙り込む。どうにもならない感情を無理やり抑え込んだような、その表情。

「……ごめんなさい」

「あ、恋子ちゃん……」

 言い残し、そのまま恋子は俯き部屋を出て行こうとする。矛盾を内に貯め込んだその表情。慌てて栗子は止めようとするが、声を無視して恋子は早足で去っていく。

 恋子の背中を見送りながら、栗子の表情もまた曇る。だが、今の栗子にはどうすることも出来ない。

 消灯したオフィスの中で、恋子の足音だけが妙に大きく響いていた。

「さて、これで誰も居なくなりましたね」

 四角野は眼鏡を触りながら冷静にいった。

 クマノミアジトの牢部屋には四角野と矢場多、そして牢の中に居る羊野美隷の三人しかいない。羊野は相変わらず意識のないまま、ベッドに転がっている。修吾と熊雄は買い出しに行かせたし、他のメンバーは控室で休んでもらっている。

「さあ、やりましょう」

「やりましょう……って何をだよ?」

「決まっているでしょう」

 四角野はいいながら自分の掌に手を添え、蟲刀をゆっくりと引き抜く。

「あいつを殺すんです」

 牢の中の女を顎で指しながら、四角野はいう。

「お、お前まさか……」

「そうですよ。その為に他のメンバーにはここから居なくなって貰ったんです」

 淡々と、表情を変えずに述べる四角野に矢場多は戸惑う。

「……だって、栗子さんは収容所に入れるつもりだっていってたんだろ?」

「そんなこと、許せるわけがないでしょ!?」

 突然それまでの落ち着いた様子を捨て、四角野は激高する。

「栗子さんのやり方は甘すぎるんです。あいつは私たちの仲間の命を奪ったんですよ?」

「……それは、そうだが」

「それに、奈琴くんもあいつが殺した」

「……」

「私が奈琴くんのことどう思っていたか、あなたは知ってるでしょう?」

「……ああ」

「じゃあ、これから私のすることを黙って見逃してください」

 いわれて矢場多は言葉を失うのだった。

「殺すって、でもどうすんだよ? そんなことしたらお前もうクマノミに居られなくなるぞ?」

「そんなこともうどうでもいいんですよ。私が、あいつを殺したい。ただそれだけです」

「それだけって……なあ、お前落ち着けよ」

「落ち着いてますよ。落ち着いて冷静に、どうしたらこの女を最も効率よく殺せるか、それを考えた結果が現在の状況です」

「……本気なのか?」

「本気に決まっています」

 戸惑う矢場多に、覚悟を決めた視線で四角野は返す。

「おい、冗談だろ? マジで落ち着けって……」

 矢場多が困り果てた表情で言葉を発したその時。

「何、あんた等? そんなにドロドロした関係なの? キモイんだけど」

 突如、第三者の声が四角野と矢場多の元に届く。牢の中、さっきまで寝転んでいたはずの人物。羊野美隷が上体を起きあがらせていた。

「お前、起きてやがったのか……」

「お前らがピーピーうるさくて眠れやしねーっつーの」

 いいながら羊野は頭を掻こうとしたのか、だが腕が石化されていることを思い出したのか肩を降ろす。

「よっと」

 足をくるりと器用に回し、羊野は地面に立った。

「事前の調査では奈琴玲仁には恋人はいなかったはずだけど……もしかしてそっちの眼鏡女はあいつに片想いしてたってわけか? マジで、超キモイんだけど」

 何が面白いのか、下卑た笑いを羊野は浮かべている。格子の前に立ち、挑発するように二人を見回す。

「奈琴玲仁はさ、超弱かったよ。雑魚かった。あたし二割くらいしか力出してないのにすぐ死んだからね」

「……黙れ」

 ぎり、と歯を食いしばりながら、四角野は目を吊り上げ叫ぶ。だが羊野は気にする様子もなく続ける。

「何怒ってんの? あいつの最後の断末魔教えてやろうか? 情けなくて超笑えるよ?」

「黙れと、いっているっ!」

 どん、と四角野は地面を足で叩く。コンクリートの地面には、クレーター状のひび割れが走る。四角野は格子を挟んだ羊野の前に立ち、冷静に告げた。

「矢場多くん、格子の電源を切って下さい。今すぐコイツを殺します」

「はあ? 笑えねぇジョークだな? お前なんて両手塞がってても余裕で殺せるんだけど?」

「矢場多くん、早くして下さいっ!」

 いいながら。

 四角野が矢場多の方に振り返ったその瞬間。

「じゅるり♪」

 喰らい付いていた。

 格子の間から。

 器用に首を出して。

 羊野の歯が。

 四角野の喉元に。

「……っ!」

 途端、格子に流れる電流が羊野を襲う。如何に蟲飼いといえど、触れば即意識が吹っ飛ぶほどの高圧電流のはずだ。だが電流を浴びながら捉えた四角野の喉を、羊野の顎は離さない。

 そしてその電流は四角野の身体をも襲う。既に意識はないのだろう。身体が奇妙にびくびくと震えていた。

「し、四角野ーッ!!」

 矢場多は焦りながら、壁のスイッチを押し電流を切る。ようやく震えの止まった四角野の身体が地面に落下する。

「お、おい、しっかりしろ!」

「……ぁ……あ」

 矢場多は慌てて四角野の元に駆け寄る。既に虫の息だった。喉の肉がごっそりと削り取られていて、呼吸がほとんど出来ていない。「ごぽっ」っと奇妙な音を立て、抉り取られた傷口から、真っ赤な血が並々とこぼれ出てくる。

「お、おい今助けるからな!」

「あーあー。だから両手なくても余裕っていったじゃん。でも流石にちょっと痛かったなあ。顔に跡残んないかな?」

 部屋全体が揺れるほどの衝撃が走る。羊野の放った蹴りが牢のドアをぶち破ったのだ。壊れたドアはそのまま壁にぶつかり落下する。

「あたしさ、なんだかんだで一応七色蠍攻蟲部隊所属だからさ。電流対策の訓練とか一通り受けてるんだよね」

「お、お前……」

 蟲刀を抜く間もなく。

 身体ごとの衝突。

 矢場多は壁に押し付けられる。

「ぐふっ……は!」

「じゃ、次はお前。いっただーきまーす♪」

 そして次に、羊野は矢場多の喉に齧り付いた。

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