第五章「蟲飼いたちの夜(前編)」
(1)
「次は市街のカラオケ屋まで歩いて、その周辺で二十分まで待機だったか?」
修吾の確認に、熊雄は頷く。
「五分ごとに行動指定がしてあったろ。四角野の奴も、ホントよくやるよ」
四角野の用意したレジュメの内容は、全て頭に入れて来た。手に紙を持ち、ああだこうだといいながら歩くのは敵に警戒してくれといっているようなものだからだ。軽口を叩き合いながら二人だが、その実彼らは周囲にそれとなく警戒を走らせながら道を歩く。
敵がどこから襲い掛かって来るか分かったものじゃない。
どれだけ警戒を強めても、やり過ぎということはないだろう。
「あまりキョロキョロするなよ。感付かれる」
「……」
熊雄の話を適当に聞き流しながら、修吾の頭を占めているのは恋子のことだった。
さて、どうするべきだろうか。
恋子のお願いに「了解した」などと頷きながら、実のところ最初から修吾はそんな約束を守るつもりなんてこれっぽっちもない。
修吾の頭の中にあるのは「如何に恋子の手を汚させずに、この事態を収束するか」についてだ。
恋子はあの殺人犯、羊野美隷を殺したくて仕方がないらしい。アカネ先輩を殺したあいつがどうしようもなく憎いのだろう。殺しても、殺したりないくらいに。
勿論、羊野を殺してもアカネ先輩は返っては来ない。そんなことは恋子も分かっている。分かっていても、それでもどうしようもないのだ。
それだけ恋子はアカネを大切に思っていたということでもある。
だが修吾は思う。もし恋子ちゃんが実際に犯人を殺したとして、それであの娘はこの先『まとも』に生きていけるのだろうか、と。
もし恋子が自分の手を汚しアカネの復讐を成し遂げたとすると、以後彼女は『人殺し』という罪を背負ってその先の人生を歩いていかなければならない。如何に奴が悪人だとしても、それで法の裁きもなく相手を殺していい理由にはならない。どんな理由があっても、人殺しは罪だ。少なくとも、この社会ではそういうことになっている。
果たして恋子はその罪を背負いながら、この先の人生を生きていけるふてぶてしさを持っているだろうか?
断じて否であろう。
修吾には分かり切っている。何せ恋子は真面目過ぎるほどに真面目なあの性格だ。本当のところ、あの娘は人殺しなんてしたくないと思っているはずだ。その罪の意識は人一倍強い。なのに犯人を殺したくて仕方がない。そういう大いなる矛盾を、恋子は胸の中に抱えている。
多分恋子が犯人を自らの手で殺した時、彼女は自分自身を許せなくなる。許せないまま、彼女はこの先の人生を歩んでいかなければならない。
そんなことは許せない。
たとえ恋子自身が自らが落ちぶれるのを許しているのだとしても、修吾はそれを許せない。
絶対に。
――恋子ちゃんは、もっと高貴な女だ。
こんなつまらないことで、その先の人生を全てふいにするなんて間違っている。
だから止めなければならない。
たとえ修吾自身が手を汚すことになっても。
つまるところ、修吾は恋子よりも先に羊野美隷を殺してしまうつもりだった。
そうすれば恋子は道を踏み外さないで済む。それが一番スマートなやり方だ。結果もしかすると修吾は恋子には厭われ、恨まれ、嫌われるのかもしれない。それでも別に良かった。
――恋子ちゃんに嫌われることぐらいで、それで恋子ちゃんがまともにこれから生きていけるなら、俺は別にそれでいい。
少なくとも修吾は本気でそう考えていた。
問題は、件の殺人犯がかなりの実力者であるという点だ。
修吾が一人で仕掛ければ、間違いなく返り討ちに合うだろう。
理想をいえば今回の騒動のどこかで、どさくさに紛れ始末できたらと思っているのだが……。
果たしてそう都合良くそんなチャンスが訪れるだろうか。
「…っ! 出たな」
つらつらとそんなことを考えていたところ、例のビー、ビーっという警戒音が修吾の耳にも届いた。
かなり近くだ。
「いきなりだな……」
「あっちだ、行くぞ!」
熊雄の後を追い、修吾も走り出す。
ブザーの音声は既に鳴りやんでいる。そういう取り決めだった。あまり長く音を流せば、関係のない一般市民が気にして近付くかもしれない。
三度角を曲がった先の路地裏、交戦中の仲間を発見する。
「くっ……」
吹っ飛んできた四角野を熊雄がキャッチした。
「大丈夫か?」
「コイツ強い……」
「おらぁ、死ねよ!」
奇声を挙げ、こちらを煽るその人物。居た。羊野美隷だ。四角野を吹き飛ばした羊野は凶悪な笑みを浮かべ、もう一人四角野と組んでいた男性に襲いかかろうとする。
修吾は勢いよく蟲刀を引き抜き斬りかかった。
素早く接近する修吾。
だが、刀を振り下ろす前に相手の蹴りが修吾の腹に届いている。
「げふっ」
修吾の身体は吹っ飛んで壁に激突する。と同時に、羊野は反対側の男に刃を当てていた。
刀は男の肩口から胸を通り脇腹辺りで抜ける。傷口は浅い。だが。
「う、うわぁあ!」
奇妙にも、男の傷口がもこもこもこっと膨らむ。まるで沢山の風船が詰められているみたいに。
そして。
次の瞬間。
「た、助け……」
限界まで膨らんだ風船は。
ぱちんと。
破裂する。
男の身体を裂いて。
肉と血潮が辺りに飛び散る。
「ぎゃあああ!! 痛いっ! 痛いっ!」
「あー、残念。ちょっと浅かったね。もっと深けりゃそんな辛い目見ず逝けたんだけどね」
地面にのたうち回りながら、男は絶叫する。
大量に飛び散った血液。
まずい血の量だ。あのまま放っておけばいずれ死に至るだろう。
「あれが奴の『毒』の能力……!」
察するところ傷口を破裂させることでダメージを与えるといったところだろうか。中々厄介そうな能力だ。
浅くても一撃触れれば致命傷になりかねない。迂闊に近づけない。直感的にそう考えた修吾だが、
「おらぁ! 喰らえ!」
女の背後から飛び掛かって来たその影。上段に蟲刀を構え、駆けつけた矢場多だった。
女は矢場多の一撃を躱すと、返す刃で攻撃し返した。
「う、うおおやべえ!」
矢場多はなんとかギリギリでその太刀をよける。
背後を取っておきながら叫びながら攻撃する奴があるかよ、と修吾は思った。
直後、体制を立て直した熊雄と四角野が二方から羊野に攻めかかる。
「ちっ」
舌打ちしながら女は二人の刃を受けた。四角野の攻撃を刃で止め、背後の熊雄の剣を避け、振り返りながら腹部に拳を叩きこむ。
「ぐふぅっ!」
熊雄の口から唾が吐き出される。
続いて放たれた女の蹴りは四角野の顔面を捉え、四角野はおもちゃの人形みたいに壁に叩き付けられた。
倒れた二人に続き畳みかけるように、修吾は間合いを詰める。
修吾の一閃。だが相手の刃で受けられる。
しかし。
「おらぁッ!」
突き出した修吾の脚は確かに羊野の胴体に入った。後方へ飛び、羊野はダメージを受け流す。
「一発入った!」
「あーっ! うじゃうじゃとうっぜえんだよ! 全員ぶっ殺す!」
素早く体制を立て直した羊野はイライラした様子で、頭を掻きむしる。
「お前が死ねっ!」
再び背後から接近した矢場多の攻撃。だがそれよりも早く女の拳が矢場多の頬を捉えていた。
脳天直撃コースだ。地面に倒れ伏した矢場多には既に意識がない。
「まだ来るか……」
と、更なる増援が羊野を取り囲んだ。三人からの攻撃を受け流しながら、羊野は苦戦しながらその場をどうにかやり過ごす。
気が付けば、ここに居るクマノミメンバーは既に八人。
「いけるぞ。畳みかけろ! このままなら勝てる!」
女の懐に飛び込みながら、熊雄が声を荒げる。
熊雄の刃を受けながら、女の顔には疲労が見える。
さすがにこれだけの人数に取り囲まれれば、如何に強くても余裕綽々というわけにもいくまい。
そして。
「熊雄くん、どいて」
修吾は後方を振り返る。
背後に居たのは栗子だ。既に刀を抜き、その剣は腰に構えられている。
栗子の剣は桜色の刀だ。美しい、鮮やかなピンクの刀。
熊雄は栗子の声を聴くと、さっと後ろに身を引いた。
――勝負は一瞬だった。
「ぐはッ……」
修吾の眼には、何が起きたのかほとんど分からない。
気が付けば羊野は身体をくの字に曲げながら、宙を舞っていた。
「安心して、峰で当てたわ」
後方に居た筈の栗子は、いつの間にか修吾の位置を超え、遥か向こうの位置で刃を放ち終わっている。
どさり、と羊野の身体は地面に落下した。白目を向いている。もう意識はないのか、ぴくりとも動かない。
栗子は凛として背後を振り返り、倒れた羊野を確認する。
その場にいる誰もが栗子の動きを捉えることが出来なかった。
あまりにもあっけない決着に、栗子以外の全員がぽかんと口を開けている。
まるで瞬間移動だ。
光線の如きその一閃。
修吾の頭に、ふとの熊雄の言葉が蘇る。
――あの人はウチの誰よりも強い。
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