(3)

「む? むむ?」

「……」

 恋子は不安そうな表情をしていた。

「んんん? むむむ?」

 男は眉を八の字に歪め恋子を見詰めている。それも息の掛かりそうなほど至近距離から、ジロジロと。

 歳は恋子と変わらないくらいだろうか。やや軽薄そうな雰囲気で、茶色に染めた髪をワックスか何かで立てている。

「むむむむむむむ?」

「……えと」

「矢場多(やばた)くんやめてください。お客さんが恐がっています」

 そういったのは少し離れた場所に座り、ずっとPCを触っている女性だ。眼鏡をクイッとあげ、冷静に告げる。あの受付対応をしてくれた女性だった。

「いやー、わりいな。久しぶりにこのオフィスで『蟲飼い』じゃない普通の人間見たからよ。ついつい」

「あなたの社会常識のなさにはどうにも困ったものですね」

「……うっせーよ! 馬鹿にしてんだろてめー!」

「はい」

「殺す! ぜってえ殺す!」

「日常会話で殺すとかいってると元から馬鹿なのが余計馬鹿に見えますよ」

 感情的なその男に、眼鏡の女性はモニターに目を向けたまま返すのだった。剣呑な空気の中、早く栗子さん帰って来てくれないかなあと思いながら俯く恋子。

 ここはクマノミのオフィスの一室。部屋に案内され座らされると、「ここでちょっと待っててね」という言葉と共に栗子は何処かへと行ってしまった。

「えーっと、お二人とも『蟲飼い』なんですよね……?」

 とりあえずこの空気をなんとかしたいなと、恋子は話題を振ってみる。

「そうだぜ。俺達は二人とも『蟲刀』を体ん中に持っている。二人どころか、ここに出入りしている奴らは全員がそうだ。あんたを除いてな」

「とはいえ警戒する必要はありません。栗子さんが認めたというのなら、あなたは信頼に値する人間なのでしょう。『七色蠍なないろさそり』などとは違って、私たちは無暗に人間を襲ったりしません。同じ人間として接して頂けたらと思います」

「七色蠍……?」

「人間を襲い、無理やり卵を産み付けている奴らの集団だ。いけすかねえ連中だよ。『蟲刀の力を得た自分たちは選ばれた存在だ』とかいって、容赦なく一般人を巻き込んでいやがる」

 恋子の疑問に、吐き捨てるようにして男は応えた。

「自己紹介がまだでしたね。私は四角野しかくのアイ。クマノミの参謀担当です」

「俺は矢場多やばたケンヂ。まー戦闘担当ってとこだな」

「あ、初めまして。蒼空恋子です」

 ぺこりと恋子はお辞儀をした。

「栗子さんから聞いたぜ。あんたアカネと仲良かったんだってな」

 アカネ、という単語を聞いて一瞬恋子の胸がざわついた。彼女の中の傷は未だ癒えていない。だからこそ、恋子は犯人を捜している。

「……ここでのアカネ先輩ってどんな感じでした?」

「アカネは……いい奴だったな。面白い奴だった。いつもヘラヘラ笑ってたな。常に頭良さそうにしてる感じが偶にムカついたけど」

「それはあなたが馬鹿だからでしょう? ……とはいえ、あの娘はウチに良く馴染んでいましたよ。みんなからも慕われていて。惜しい娘を亡くしました」

 二人はそれぞれに憂いの表情を見せる。

 クマノミでのアカネの顔。それは恋子の知らないアカネの一面だ。あの人はここでどんな話をして、どんな顔をしていたのだろうか。今ではもうそれを、アカネ自身の口から聴くことは叶わない。

「ふー、ようやく仕事がひと段落ついたわ。あ、ごめんね恋子ちゃん、お待たせしちゃったわね」

 ぐっと両腕を伸ばしながら栗子が部屋に入って来た。

「悪いんだけどアイちゃんに矢場多くん、席を外して貰えるかしら? 恋子ちゃんと少しお話ししたいの」

「うっす」

 二人は部屋を出ると、栗子は扉の鍵を降ろし恋子の向かいの席に座る。

「ごめんなさい恋子ちゃん、随分待たせちゃったみたいで」

「いえ……それで、私に話ってなんですか?」

「一応確認しておきたいことがあってね」

 栗子はそこで一呼吸置いた。

「ねえ、恋子ちゃん。あなたとアカネちゃんはどういう関係だったのかしら?」

「私とアカネ先輩との関係……」

「前に同じ学校の友達だったってところまでは聞いたわよね」

「アカネ先輩と私は……」

 もう失われてしまった、二人の関係。

 それに名前を付けるなら、果たして何と呼ぶべきだったのだろう。

「私は、アカネ先輩のことが大好きでした。あの人はいつも余裕があって、笑いながら私のこと何でも受け止めてくれて……とても素敵な、綺麗な人でした」

 そこで一旦区切り、恋子は話しを続ける。

「あの人が、こんな死に方しなきゃいけないなんておかしい。間違ってる。こんな間違ったことが許されていいはずがない。なのに犯人は未だ警察にも捕まらず、のうのうとしてる。だから」

「そう、だからあなたは犯人を捕まえたいってわけなのね」

「はい……」

「なるほどね」

 話していて、恋子の感情は昂ぶっていく。憎しみ、怒り、苦しみ。抑圧されていた感情が、途端恋子の中で実体を持ち始める。

「……」

「でも、それであなたはどうしたいのかしら?」

「……え?」

「仮に犯人を捕まえたとして、あなたはどうしたいの?」

「それは……」

 それはいつか修吾に聞かれたのと同じ質問だ。

 犯人を見付けて、それでどうしたいのか?

 狂おしいほどの憎悪を、どうするのか?

「私達もあの犯人に既に仲間を四人殺されている。正直、クマノミの中には捕まえて同じ目に合わせるべきだって声もある。私だってその犯人が憎いという気持はあるわ」

 恋子の答えを聞かぬまま、栗子は続ける。

「でも、やっぱり私は『殺す』のは良くないことだと思ってるの。それは人として、侵してはならない領域だと思う」

「……」

「勿論、その犯人が罪を犯した以上、彼女には何らかの形で罪を償っては貰うわ。だけど私はなるべく『命を持って償わせる』というやり方は取りたくない。それをしたら、私達も『七色蠍』みたいな平気で人を殺している過激な集団と同じになっちゃうから」

「……」

 明らかに、恋子は落胆している自分を感じた。

 栗子がいっていることは分かる。それは良識的な判断なのだろう。恋子も理屈では分かっている。だが、それでも彼女はアカネを殺した犯人の罪を、『命で償わせる』という形で清算したいのだ。

「そういえば恋子ちゃんはなんで奈琴くんのことを追ってたの?」

 奈琴玲仁。

 最初恋子がアカネ殺しの犯人として追っていた相手。

 だが彼もまた死んでしまった。アカネを殺したのと同じ犯人の手によって。

「……奈琴くんには犯人の情報分析をお願いしていたんだけどね。結果的にあんなことになってしまった。私のミスだわ」

 ふうと、栗子はため息を付いた。窓の外に向けられた表情には、やや陰が見え隠れする。

「前にアカネ先輩と、その奈琴さんが言い争っている所を見たんです。それで最初はあの人がもしかして犯人なんじゃないかって思ってそれで……」

「言い争い?」

 栗子は訊き返してくる。

「アカネちゃんと、奈琴くんは特に仲が悪かったわけではないんだけど……。何を言い争っていたかまでは分からないのかしら?」

「そこまではちょっと聞き取れなくて……」

「ふーん、あの二人が言い争いか。言われてみると、特に仲が良い二人というわけでもなかったわね……」

 考え込むように、栗子は腕を組む。

 恋子もまた頭では別のことを考えていた。

 クマノミが犯人を捕まえて、でも殺さないというのなら。

 私はどうするべきなのだろう。

 私の復讐は――


「ちょ、ちょっと待って……!」

 その後、クマノミオフィスを後にしようとエレベーターに乗り込んだ恋子。一階へのボタンを押したところ、ドアの向こうから声を掛けられる。

「すいません……」

 慌てた様子で男性が乗り込んでくる。

「一階でいいですか?」

「は、はい。お願いします……」

 恋子の質問に男は申し訳なさそうに答えた。恋子は『閉』のボタンを押し、ドアがスライドする。エレベーターが下へと動き始めた。

「……あなたもクマノミに入るつもりでここに?」

 やや躊躇が見え隠れするような口調で、男は問いかけてくる。多分、恋子よりも年下だろう。中学生くらいの外見に見える。

「あ、はい。そうです」

「……」

 男はいうべきかいうべきではないか、少し悩む風な様子を見せてからいった。

「やめた方が、いいと思いますよ」

「え……?」

 エレベーターが到着し、ドアが開かれる。二人は箱の外に出た。ドアがまた閉まり、中の箱が移動していく音が漏れ聞こえる。

「あ、僕は幅木はばきススムっていいます。今年の春からクマノミに入ってます」

「どうも。私は蒼空恋子です」

「蒼空さん……」

 幅木と名乗るその男子は確認するように恋子の名前を復唱した。やや自信のないタイプの人間であるように恋子の眼には映る。どことなく行動がおどおどしているのだ。幅木は辺りを見回し、人がないことを確認してから恋子に続きを話した。

「だってもう、ウチの組織この前の奈琴さんを含めると四人も人が死んでいるんですよ……。絶対危険ですよ」

 ヒソヒソと怯えるような口調で、幅木はいう。

「栗子さん達も色々対策をしてるんじゃないんですか?」

「そりゃあ、そうでしょうけど。でも現に四人も死んでるんだ。あの人じゃ僕らを守れない。大体こんなとこに入るからヤバい奴等に眼を付けられるんですよ……」

 二人はビルを出る。自動ドアが開き、駅の方へと歩を進める。

「こんなところ入るんじゃなかった。実は僕はここを抜けようと思っていて……。でも『今抜けるともっと危険だ』とかなんとかいって、中々辞めさせてくれないんですよ。ホントに困ってるんです」

「……」

「抜けたいっていってる人は他にもいるんだ。あなただって死にたくないでしょ?」

「そりゃあ、そうですけど……」

「だったらこんなところ入らない方がいい。絶対に後悔しますよ」

 まるで怒りを恋子にぶつけるようにいって、幅木は恋子と別れ駅のホームに足を進めるのだった。

 どうもこのクマノミという組織は一枚岩で固まっているわけではないらしい、と恋子は感じた。事実、ここに入ることにによって自分の死に対するリスクは跳ね上がるのかもしれない。クマノミの中で聞いた、『七色蠍』とかいう過激な連中の話が恋子の頭を一瞬よぎる。

 勿論、恋子だって自分の命は惜しい。

 無駄に命を落とすつもりは毛頭ない。

 だが、今の恋子にはやるべきことがある。リスクを被ってでも、やり遂げなければならないこと。

 今更元来た道には戻れない。

 たとえどんなことがあっても。

 恋子は一人、より一層の決意を固めるのだった。

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