(2)
翌日の放課後。
修吾と恋子は灰茨市駅周辺に建つビルの一角の前に立っていた。
「ここだよな?」
「そのはずだけど」
昨日優木栗子に教えられた話だと、ここにクマノミの本部があるということらしい。
「とりあえず、中に入ってみようぜ」
やや物怖じしている恋子を促し、修吾は自動ドアへと進んでいく。受付を覗き込むと、事務室の女性が対応してくれた。
「こんにちは。何か御用でしょうか?」
「あの、優木栗子さんに呼ばれて……」
恋子が応えると、その女性は無表情のまま手元で何かを確認をし応える。
「承っております。こちらへどうぞ」
短めの髪型に眼鏡を掛けたその女性に連れられながら、修吾と恋子は後を追う。
「しばらくお待ちください」
二人は応接間に通される。表情を変えずにぺこりとお辞儀をしててから、眼鏡の女性は部屋を出て行った。
どちらともなく、修吾と恋子は席に腰を降ろす。
「ふふふ、やっぱり来てくれたのね」
しばらくして優木栗子は例の大男を連れて部屋に入って来た。
「ああ、他に選択肢はなさそうだ。俺達をクマノミに入れてくれ」
「了解。許可します」
柔らかな笑みを浮かべながら栗子はいうのだった。
「そうと決まれば依城くんには、とりあえず自分の蟲刀を扱えるようになってもらうわ。そこの熊雄くんの指導でね」
「というわけだ。悪いが俺は容赦の出来ん人間だが、よろしく頼むぜ」
熊雄と呼ばれたその男は壁にもたれながら修吾に片手を差し出してくる。
「ふん……」
修吾も腕を伸ばし、熊雄の掌を握る。ギュッと、かなり強い力で熊雄が握りかえして来た。修吾も更に力を込めて、しばし二人はにらみ合う。
「はいはい、ちょっとあなたたち。二人とも人間の力じゃないんだからね。本気でやったら腕つぶれるわよ」
栗子に注意されて、ようやく二人はお互いに手を離した。指の付け根の辺りがじんじんと痛む。ムカつく野郎だ。修吾は熊雄を睨み付けた。
「えっと、それで私はどうすればいいですか?」
一人置いてきぼりにされていた恋子が質問する。
「うーん、恋子ちゃんにしてもらうことは……今のところないかな?」
「……え?」
「まあ、とりあえず事務仕事でも手伝って貰おうかしら」
「はあ……」
栗子に連れられる形で恋子は部屋から出ていくのだった。
「おい、俺たちも行くぞ」
「……どこにだ?」
「こんな狭い場所で刀を振るうわけにもいかねーだろ」
「……」
しぶしぶといった風に修吾は立ち上る。
「お前、生意気な奴だな。俺が稽古を付けるからにゃ、その性根を叩き直してやる。覚悟しろよ」
「……やれやれ、こんな無能そうな奴に物を教わらなきゃならねーとは早くも心が折れそうだぜ」
「ははは、面白いな。まあその威勢の良さが最後まで残ってりゃいいけどな」
熊雄は心底愉快そうに、修吾を見て笑うのだった。
「で、またここに来るのか」
熊雄の後に続いて、修吾が辿り着いた先は昨日の元パチンコ屋の建物だった。
「このアジトもウチの組織の持ち物なんだよ。まあ、正直なところ持て余しているのが現状だが……こっちだ」
後を追い修吾も建物に入る。熊雄は扉を開き、中は地下へと通じている階段だった。熊雄が壁に手を触れると、電球に灯りがともる。
意外なほど開けた白い空間がそこには広がっていた。テニスくらいなら軽く遊べそうなくらいの広さの部屋だ。
「さて。じゃあお前、自分の刀を抜いてみろ」
「……ふん」
どくん。
修吾は体内で“それ“が息づくのを感じる。早く引き抜いてくれと訴えているのだ。
修吾は自分の掌に意識を向ける。既に手順は理解していた。あの後解放されてから、自宅で何度か試していた。――そして修吾は自分が人間を辞めたのだという決定的な確証を得たのだ。
パクリ、と。
修吾の掌の中央に一筋の線が走る。口が開くみたいに線は割れ大きく開く。
その口の中は暗闇だ。修吾の体内に通じているはずの穴の中は真っ暗で、見通すことが出来ない。
ぬっと、それは生えて来る。
穴の中から出現した棒切れ。
修吾はその棒切れを掴む。
――それは刀の柄だった。
修吾は掌から、勢いよく刀を引き抜く。
赤い刀だった。さながら血の如き、柄頭から剣先まで朱色に染まった妖しい刀。
鍔の内側からは管のようなものが伸びており、穴を通って修吾の体内へと繋がっている。管はどくどくと、脈打っているのが確認できる。そしてその脈は、修吾の心臓の鼓動と同期し鼓動しているのだった。
「ふーん、なんか見てて気持ち悪い刀だな。実にお前らしい形じゃねーか」
「うるせーよ」
確かにその刀は余りにもまがまがしい。見る者に気味の悪い威圧感を与える、そんな刀だ。どこまでも毒々しく、おどろおどろしい刀剣。だが修吾は、その刀のことをどこか美しいと感じる。刀は修吾を、何時まで経っても見飽きることのない、完璧な絵画を見ているかのような気にさせてくれるのだ。
修吾の身体に無理やり結びついた、招かれざる同居人であるはずなのに。
不思議と愛着を感じる。
「よし、なら俺の蟲刀も見せてやろう」
修吾と同じように、熊雄も自分の掌に手をやり、蟲刀を引き抜く。
デカい、と一目見て修吾は思った。
刃は厚くてデカく、長さは熊雄の身長と同じくらいある。
巨大な刃だ。まるで飛行機の翼みたいだという感想を修吾は持った。
熊雄はその大きな刀を持ち上げ、両肩に乗せる。
「これが俺の蟲刀『
「……」
「さて、やり合う前に二つ説明しておいてやる」
熊雄は指を二つ立てて、修吾の方に示す。
「一つはその鍔から生えている管についてだ。その管のことを俺達は『
「……なに?」
「そしてもう一つは『
「……あんたのその無駄にデカい刀にも、『蟲毒』ってのが塗られてるってわけだ」
「そうだ」
修吾は自分の刀を見つめる。ならば一体自分の蟲刀はどんな毒を持っているというのだろうか。
「勿論お前の蟲刀も毒を持っているが、だがその刀の『蟲毒』の正体を調べるのはまだだ」
「……はあ?」
「初心者はまだ自分の毒の正体を知らなくていい。剣術を覚える前にそれを知ると、毒にばっかり頼った戦い方になってちっとも強くならない。そういう奴等から先に死んでいきやがるからな」
「……」
俺を勝手に知ったようにいいやがって、やっぱりムカつく野郎だぜと修吾は思った。
「まあ兎に角、そいつが毒を持った刀だってことは覚えておけ。そして最初の点に戻るが、そいつは猛毒を持った”生き物”だ。そんな危険な生物と融合しておきながら、俺達は毒に侵されることなく今もこうして生きている。何でか分かるか?」
修吾は暫し沈黙をしてから応えた。
「……抗体を持っているから?」
「そうだ。賢いじゃねえか」
馬鹿にしたような口調で、男は続ける。
「剣は俺達の血液に毒を流すが、同時に毒に対する抗体も流すように出来ている。だがこの抗体は俺たちの身体では生成できない。詳しくは良く知らんが、何せこいつらの正体は生物学者たちが必死に解析を試みているにも関わらず、未だに全然分からないらしいからな。こいつらは何者なのか。どこからやってきたのか。どういう原理で毒を生成しているのか。意思はあるのか。今のところそれらについての答えは何も分かっていない。そんなヤバい奴等が作ってる、わけのわからん毒。俺達の身体にはそんなもんが絶えず這いずり回っている。だから蟲管が切られ、蟲刀からの抗体の供給が絶たれると俺達は死ぬ。間違いなくな」
「……なるほどな」
修吾は面倒臭そうに応える。
「御託は分かったよ。さっさと稽古を付けてくれ」
「……いいだろう。なら早速、本気で俺に切りかかってこい」
「いいのか? もし俺の毒が死に至るものであった場合、取り返しがつかんのじゃないのか?」
「ははは、関係ない。お前の刃はどうせ俺には当たらんよ」
熊雄は微笑で返す。その表情は、修吾の太刀筋なんて軽く見切れると高を括っている表情だ。
「それよりも恐らくお前はこれから俺の毒を喰らうことになるだろうが、俺を恨むなよ? これは稽古だからな」
「……いってろクソがっ!」
いうと同時に、修吾は地面を蹴った。想像以上の速度で修吾の身体は前進する。改めて自分の異常な力を自覚する。修吾は刀を振りかぶった。
――キィン、という独特の音が響く。
修吾の攻撃を、熊雄は蟲刀の刃で防いだ。
「死にはしないがかなり痛いぞ? 泣くなよ?」
「それはこっちの台詞だ」
睨み付ける修吾に、熊雄は口の片側を吊り上げて応えるのだった。
「……くっ」
修吾は床に倒れていた。体中至る所に青あざが出来、また出血している。全身ボロボロだ。僅かに身体を動かすのさえも辛いといった有様だ。
「まあ、これが今の俺とお前との実力差ってことだ」
熊雄の方は傷一つない、汗の一滴もこぼれていなさそうだ。極めて涼しい顔をしている。
「これでも大分手加減している、毒の効果もかなり弱めたつもりだが……」
修吾の身体はところどころ、強いしびれに襲われている。感覚がほとんどない。これが熊雄の『蟲毒』の力なのだろうか。
熊雄と修吾との実力の差は圧倒的だった。修吾の攻撃は熊雄にかすりもしない。なのに熊雄は丁寧に打撃を加えて来る。その一撃一撃が重いのだ。鈍いダメージを修吾の身体に残していく。蓄積されたダメージから修吾は焦り、焦りは更に隙を生む。
結果、修吾は熊雄にかすり傷一つ負わせることもできないままこの体たらくだ。
「……くそっ……がは」
修吾の口から血が吐き出される。内臓を痛めたのだろう。
「安心しろ。蟲刀に細胞を置き換えられると、治癒能力が劇的に上がるんだ。その傷もどうせすぐ治るよ。胸の刺し傷みたいにな」
「……ゲホっ」
「まあ、こんなところでとりあえず今日は終わりだな。あとは回復したら家に帰ってとっとと寝ろ。明日もまたやるぞ」
そう言い残して、熊雄は去って行こうとする。
「いっとくが例の犯人はもっと強いぞ。今のお前の実力じゃ速攻で殺されるのがオチだろうな」
「……」
ドン、と扉の閉まる音が上方より聞こえた。
「……ぐっ。はあはあ」
無音の空間で修吾の苦悶の声だけが反響する。
あいつマジで強いんだな、と苦しみながら修吾は思った。非情に腹立たしいことではあるが、完敗だ。修吾は全力で掛かったが、熊雄にはこれっぽっちも歯が立たなかった。
悔しい。
悔しいが、上等じゃねーか。修吾は決意する。
「……はあはあ、はあ」
自分の前に立ちはだかる最初の課題。どうやら修吾にとって熊雄はそういう存在になりそうだ。勝たなければならない、倒すべき相手。強くならなければ。強くなって、恋子を守るのだ。
「くそ、あいつ絶対倒す……」
再び血液が口内に昇り、「ゲホっ」と修吾は痛みともにそれを吐き出した。
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