(2)

 どくどくどく。

 どくどくどく。

 体内を流れる血の音で、修吾は目が覚めた。目をこすり、掛布団をどける。この白い部屋に監禁されてもう何日経ったのだろう。

 窓一つない、光もなにも差し込まないこの空間には判断材料が少なすぎる。ただ食事時になると毎度律儀に運び込まれてくる弁当から察するに、少なくとも二日以上は経過しているはずだ。意識がはっきりする前、おぼろげだが苦しみながらベッドに横たわっていた記憶があるので、実際はそれ以上かもしれない。

 どくどくどく、と今も修吾の耳には自分の心臓の音が強く聞こえて来る。この牢に入れられてからというもの、何だかやけに鼓動が激しく聞こえる気がする。ろくに人の出入りのない空間なので、辺りが殆ど無音だからこそ普段は気にならないちょっとした音に敏感になるのだろうか。

「よお」

 気安い様子で、例の大男が扉を開きやってきた。

 監禁されている間、修吾の面倒をみていたのはこの男だった。時間になるとどこか近所で買ってきたのか、弁当とお茶を放り込んでくる。運動不足なのが不満だが、お蔭で修吾の身体は健康そのものである。あの激しい痛みも、今ではすっかり身を潜めている。

 男は格子の鍵穴に穴を差し込み、扉を開いた。

「出ろ」

「……ろくに自由も許さずこんなところに監禁されたかと思えば、今度は出ろだと? エラく勝手だな」

「俺達のリーダーがお前に会うんだとよ。いいから早くしろ」

 修吾の挑発には乗らず、大男は淡々と仕事を済ませようとする。ここでゴネてもしょうがない。修吾は気だるげにベッドを降り立ち上る。

「こっちだ」

 男に連れられて修吾はその施設を歩く。かなり広々とした施設だった。やや老朽化した建物らしく、どこまでも白い打ちっぱなしの壁が続いている。

「おい、まどろっこしいことをしていないで早く教えろ。恋子ちゃんはどこだ?」

 修吾はイラつきながら訊ねた。

 この監禁されていた数日間、修吾は気が気ではなかった。

 恋子の安否は無事なのか?

 それが修吾の最大で唯一の関心事である。

 監禁中目の前の男には何度もそれを聞いたのだが、男はまともな返答を一切寄越さなかった。

「……お前はホントそればかりだな?」

 大男は、呆れた風に修吾を眺める。

「お前たちは何者なのかとか、自分の身体はどうなったのかとかさ、他に関心事はないのか?」

「黙れ。何よりもまず恋子ちゃんの安否を確認することが先決だ」

「……やれやれ」

 男はため息をついてからいった。

「もしその恋子って娘が死んでたらどうするつもりなんだ?」

 いい終わる前に、瞬時に男は首を少し後方へずらしていた。

 ずらさなければ、男の顔面は潰れていたかもしれない。

 修吾の拳が、さっきまで男の顔があった辺りを通過し壁にめり込んでいたからだ。

「その時はお前を殺すっ!」

「おいおい、血の気の多い奴だな……」

 修吾の鬼人めいた気迫に、大した動揺もなく男は応えた。

 暫し無言で見つめ合う二人。

「というかお前、何とも思わないのか?」

「……?」

「その壁だよ。人間の拳がこんな風に容易くコンクリートの壁をぶち壊せるわけないだろ?」

「……」

 男の指摘を受け、修吾は改めて自分の拳を見詰めた。壁はまるでハンマーで殴り付けたようにひび割れ、砕けている。

 壁を殴ったのは殆ど無意識に出た行動だったのだが、改めてそういわれると修吾は驚愕せざるを得ない。

 とても自分がやったとは思えない。

 ありえない。

 人の力で成し遂げられることではない。

 頑丈な壁だ。これを素手でやったなんて、誰も信じちゃくれないだろう。自分だって信じられない。

「お前はどうやら頭に血が上ると何をしでかすか分からん奴と見た」

「なんだよ、これ……」

「お前はな、一度死んだんだ。そして人間を辞めて生まれ変わったんだよ」

「……」

「さあ、この部屋だ。早く入れ」

 道の突き当りにある扉のノブを男は回す。修吾はとりあえず言われたとおりに、その部屋の敷居をまたいだ。

「修吾くん!」

 途端、何かが自分に抱き付いてきた。

「大丈夫なの? 心配したんだから!」

 この声。この香り。この感触。眼で見て確認するまでもない。

 恋子は涙声で、修吾の胸に顔を押し付けた。

「心配掛けたな、ごめん恋子ちゃん」

 修吾は恋子の肩を抱いた。久しぶりに見る、愛おしい恋子の表情。安心感で修吾の胸が満たされていく。

「恋子ちゃんの方こそ、あの後大丈夫だったのか?」

「うん、私は大丈夫。修吾くんが刺されてすぐ、あの人が助けてくれたから……」

 恋子の視線は修吾の背後へと向けられていた。その先には例の男が腕組をして無表情に立っている。無言ながらその顔には「こんな茶番めいたメロドラマは勘弁だぜ……」と書いているように修吾には読めた。

「感動の再会を邪魔するようで悪いのだけど……」

 今度は恋子の後ろの方から声がする。

 部屋の奥、デスクを挟んで向こう側の椅子に座った女性が修吾に話しかけて来た。

「依城修吾くん。あなたに話しておきたいことがあるの。聞いてくれるかしら?」

 勧められるままに、修吾は椅子に腰を降ろす。その隣に恋子も座った。

 女の歳は二十代半ばくらいだろうか。修吾より年上なのは間違いない。清楚な印象の、可愛らしい感じの人だった。にこりと柔和な笑みを浮かべ、女性は自己紹介をする。

「私の名前は優木栗子やさきくりこ。クマノミという団体の代表をしているわ。クマノミはあなたのような蟲刀むしがたなを宿した人を保護するための所よ」

「……?」

「刺されたんでしょ、あの刀に。蟲刀はね、刺した人間の体内に卵を産み付けるの。あの刺し傷はあなたの心臓を突き刺していた。致命傷だわ。普通の人間なら確実に死んでた。蟲刀を体内に宿したからこそ、あなたは驚異的な再生力でもって再び生き返ることが出来たの」

 表情を変えずに淡々と、優木栗子は告げるのだった。

「ちょ、ちょっと待て、何のことか分からんぞ?」

 女の話の唐突さに、修吾の頭は混乱する。

「いっただろ? お前はもう人間を辞めちまったたのさ」

 後ろに立つ大男が話した。

「じゃあなんだ? 俺はその卵を産み付けられた……?」

「そういうことだ。さっきの壁を見ただろ? あれは明らかに並の人間の力じゃない」

「まあ、もしもあなたが蟲刀の母体として適応出来ていなかったとしたら、そのまま死んじゃっていただろうし、そういう意味では感謝してもいいかもしれないわね」

 突然そんなことを告げられても、にわかには理解しがたい話だった。

 蟲刀? 母体? 卵? なんのことだ?

 だが、あの女に刺された時、修吾は自分の心臓が停止するのを確認したのも事実だ。

 一度死んだはずなのに、何故自分はまだこうしてこの場に生きて存在しているのか。

「……その蟲刀ってのは、何なんだ?」

「蟲刀の正体については、私達も正確なところは分かっていないわ。人の体内に宿り、体細胞を作り替え、別の人間を刺すことで生殖を遂げ個体を増やしていく。今のところは『そういう生物』として理解するしかないわね」

「生き物、なのか……?」

「生き物だわ。それは間違えない。彼らは人から血液を貰うことで生存している。そしてあなたの体内にも、その蟲刀は宿っている」

 修吾は自分の掌を見詰める。あの激痛で苦しんでいた時に体内から生えて来ていた棒切れ。あれが蟲刀……?

「そこに居る熊雄くんも、そして私も勿論あなたと同じように体内に蟲刀を宿している『蟲飼い』だわ。私たちは人間であることを踏み外してしまった同じ仲間というわけね」

「……じゃあ俺を刺した、あの女は何者なんだ?」

「分からない。ただ、彼女が私達クマノミに何らかの害意を持った人間であることは確かね」

「あいつの正体を知りたいのは俺たちの方だ。何せあいつは赤神ネネからはじまり、既に俺たちの仲間を四人殺している」

「赤神、ネネ……? アカネ先輩のことを知っているんですか!?」

 これまで黙っていた恋子が、急に驚きの声を上げた。

「……赤神さんは私たちの仲間の一人だったわ。そして今回の事件の最初の被害者でもある」

「つまりアカネ先輩は俺と同じく、その『蟲飼い』とやらだったってことか?」

「そうよ。逆にこちらも質問させてほしいのだけど、あなたたちは赤神さんと知り合いだったのかしら?」

 修吾は恋子を横目で見る。

「私たちは、アカネ先輩と同じ学校の生徒で、生前親しくさせて貰っていました」

「……成程ね。それで犯人を追って、事件に巻き込まれたというところかしら?」

「まあ、大体そんな感じだ」

 修吾が応えると、優木栗子は暫く考え込むように腕を組み沈黙した。

「ねえ、提案なのだけどあなたたちクマノミに入った方がいいんじゃないかしら?」

 柔らかな微笑を浮かべ、優木栗子はいった。


「ふーん、こんな場所だったのか」

 そこは街の中心部よりやや離れた場所にある廃墟だった。立方体型の大きな建物。多分かつてはパチンコ屋か何かだったのだろう。廃棄されたその建物は、外から見れば今も誰かに使われているようには見えない。まさか体内に妙な刀を隠し持った、人間でない連中のアジトになってるなんて誰も思うまい。

 修吾と恋子は歩き出す。夕日に照らされ、辺りは一面真っ赤だった。

「ところで恋子ちゃん、俺が刺されてから今日で何日目になるんだろ?」

「えーっと、四日目かな」

「そうか、四日も学校サボってることになってるのか……」

「そんなことより」

 のんきそうな修吾とは対象的に、深刻な様子で恋子はいった。

「ごめん、修吾くん。私のせいだ。私が巻き込んじゃったから、修吾くんそんな身体に……」

「……」

「ごめん。本当にごめんね」

 今にも泣きだしそうな顔で恋子はいう。

「修吾くんのいうこと何でも聞くからさ……。恨んでくれてもいいよ」

「おいおい、恋子ちゃん。謝ることなんてないさ。前にもいっただろ。これは俺が自分で望んでやったことだ。この腹の傷だって、全部自分のせいだ。別に恋子ちゃんを恨んじゃいない。強いていうなら恨んでるのはあのヤンキー女に対してだな」

「……でも修吾くん、だって人間じゃなくなっちゃったんだよ?」

「とはいっても、あいつ等のいう通りならこれまでとそう変わるわけじゃない。ちょっとばかし変な身体になっちゃっただけだよ。そんなに気にしてない」

「……何ともないの?」

「今のところは。寧ろ前より健康になった気さえするよ」

 肩をぐりぐり回しながら修吾は応える。

 優木栗子のいうところによると、蟲刀を体内に宿した人間が普通の人間と異なるところは二点あるそうだ。

 一つは体内細胞の変化。体内に入り込んだ蟲刀は、人間の体内細胞を作り替えてしまう能力を持っているらしい。貫かれた修吾の身体と心臓を修復しながら、同時に蟲刀は修吾の身体に溶け込み、融合を果たしてしまったようだ。結果的に、修吾の筋力は優に人間の限界を超えた物になった。軽く叩いただけでコンクリートが砕ける。ちょっと飛び跳ねれば、建築物の二階や三階に届きそうだ。そんなな超人的なパワーを結果として修吾は手に入れてしまった。

 もう一つは修吾の体内に潜り込んだ蟲刀だ。どうやら念じれば、自分の掌からいつでも生えてきて取り出せる仕組みらしい。未知の構造物で出来た、未知の生き物であるそいつらは普段は人間の体内に潜んでいる。この状態なら金属探知機にも反応しないそうだ。全く持って不可解な、謎の生き物。修吾はこれから一生、その変な生き物と身体を共有して生きていかなければならない。

「だからさ、そんなに負い目を感じなくていいぜ。マジで」

「修吾くん……」

 酷く心配そうな眼だった。恋子はその潤んだ瞳で、修吾の眼をじっと見つめる。

「ねえ、胸の傷を見せてくれる?」

「……」

 そんな顔でいわれては断ることはできない。修吾は左胸がよく見えるようにシャツを捲り上げる。

「こんなにおっきい傷が残っちゃったね……」

 恋子は赤々とした、僅かに膨れ上がったその傷跡に手を触れる。少しひんやりした感触が残った。

「本当に気にしなくていいよ」

「……ごめんね。ありがと」

 恋子は俯きながら、聞こえるか聞こえないかというか細い声で応えるのだった。

「それでさ、修吾くんどうしよう?」

「勧誘のことか?」

 クマノミの二人は、修吾と恋子を組織の一員として迎え入れたい様子だった。修吾のような蟲刀に刺されたことがきっかけで蟲飼いになってしまった人間。そういう人間を保護し、仲間同士固まって助け合って行くことがあの集団の目的であるらしい。

「俺は入った方がいいかなと思っている。だって俺達はあのヤンキー女に対して何ら情報を持っていないからな」

 アカネを殺したのは、修吾を蟲飼いにしたあの女で間違いないようだった。奴はクマノミのメンバーを既に四人殺している。何のためにそんなことをしているのかは分からないが、クマノミの連中もただ黙っているわけではないようだ。犯人を捕まえたがっているらしい。仲間が殺されたのだから当然だが。

 修吾が望むのであれば、犯人確保の為のチームに是非入って欲しいとのことだった。何でも人員が足りなくて、猫の手も借りたい状況らしい。

 あそこに居れば、犯人に対する情報は否が応でも耳に入って来るに違いない。

「少なくともあの集団に入れば、先輩殺しの犯人へは大きく近づけそうだぜ」

「そうだね……。うん」

 恋子は大きく頷く。

 その表情は、何だか少し憂いを帯びていた。

 まだ修吾の胸の傷のことを引きずっているのだろうか。

 実のところ、修吾はそんなこと本当に全く、毛ほども気にしてもいなかった。

 それどころか、彼は喜んでいた。

 自分が人間を超える力を手に入れたことに。

 恋子を守るための力を手に入れたことに。

 修吾が普通の人間であれば、もう一度あのヤンキー女のような存在と遭遇した時に互角には戦えないだろう。また殺されてしまうかもしれない。そうすると恋子は守れない。

 だけど修吾は力を手に入れた。

 人智を超えた、凄まじい能力を。

 彼はもう無力じゃない。再びあのヤンキー女が攻めてきても、彼は恋子を守ることが出来るのだ。そのことが修吾には嬉しくて仕方がない。自分はもう無力じゃない。寧ろ修吾は、自分をこんな体にしてくれたあの犯人に感謝したいくらいだった。

 だが調子に乗ってばかりもいられない。

 まだ自分にはこの力を使いこなすことが出来ない。もっとあいつらから情報を引きだし、力の使い方を学んだ方がいいだろう。その為には組織に近付き、奴らの近くに居るのは悪い選択じゃない。

 それが修吾がクマノミへの参加を決めた最も大きな理由であった。

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