(3)

「つーわけで、お前は俺と一緒だ。安心しろ、足手まといになってもちゃんとフォローしてやるからさ」

「けっ……。あんたの方こそ俺の足引っ張るなよ?」

 肩をドンと叩いてくる熊雄に、修吾は冷たい声で応えた。会議室に居た者達はそれぞれ部屋を出て、思い思いの方角へ散っていく。作戦実行は二十時丁度から。それまでに各人準備を整えなければならない。

「修吾くん……」

 背後から声を掛けて来たのは恋子だった。熊雄は気を利かせたつもりか、「二十時から現地集合。遅れるなよ」といって後ろから手を振り、その場を去っていく。

 恋子は修吾を連れて再び会議室に入る。用途を終えたその部屋は、今はもう誰もいない。

「修吾くん、いよいよだね」

 俯いたまま、修吾と目を合わさずに恋子はいった。

「恋子ちゃん……。俺は君の剣だ。君の望むとおりに俺は動くよ。それでいいんだね?」

「……」

 修吾の問いに、恋子はしばし沈黙した。

「私は……」

 ぐっと、恋子の拳が強く握られる。

「私は、あの犯人のこと絶対に許さないよ。殺しても多分、許さないよ」

 修吾の服の裾が、軽く摘まれる。

「お願い、修吾くん。あいつを捕まえて。そして私の前に連れて来て」

 その表情は伏せられていて、修吾の位置からは見えない。

 だけどきしむ音が聞こえるほどに、激しく歯が食いしばられているのが修吾には分かった。

「ああ。了解だ恋子ちゃん」

 と口先ではいいながら修吾は、内心どうしたものかと考えていた。


「いよいよだな」

 会議を終え、クマノミオフィスビルを後にしようとしたところで、四角野アイは背後から声を掛けられた。

「……」

 立ち止まり首を振り返らせると、矢場多は四角野のすぐ傍まで歩いてくる。

「最近忙しそうにしてたけど、この準備をしてたってワケだ」

「まあ、そうですね」

 矢場多の問い掛けに、四角野は淡々と返しながらまた足を進めた。

「……この作戦、絶対成功させような」

 四角野は再び立ち止まる。

 振り返ると、やや恥ずかしそうに鼻の頭を触りながら矢場多は続けた。

「あいつらの仇、取ってやらないと」

「……意外ですね、矢場多くんがそんな風にいうなんて。もっとやる気ないのかと思っていました」

 冷たく告げる四角野に、矢場多はやや傷付いた風にいう。

「……お前の中で俺の印象ってどういうことになってるんだよ」

「羊野美隷は必ず捕まえますよ。絶対に。何が何でも」

「……」

 黙る矢場多。

 四角野は気付いていない。

 その表情が、今どれ程険しく豹変しているかということに。

 普段は無表情で通している四角野が、唐突に感情を露わにすると酷く際立って見える。

「そう、だな……」

 驚いたのか、視線を僅かに逸らしながら矢場多は応えた。

 そのまま振り返らず、去って行こうとする四角野。

 矢場多はごくりと一度、唾を飲み込んでから四角野の背中に話した。

「……死ぬなよ」

「ええ、そちらも」

 静かに応え、四角野はその場を去るのだった。

 そして彼女は頭の中でつぶやく。

 奈琴くん。

 待っていてくださいね。

 あなたの仇は必ず私が取りますから――


「よお、早かったな」

 作戦会議より数時間後。

 駅のバスターミナル。

 修吾の姿を見付けて、熊雄が声を掛けて来る。

 時間は二十時より十分前。日は既に落ち、街のネオンの明かりだけが周囲を照らしている。

「あんたの方こそ、早いな」

 いいながら修吾は熊雄の隣、ガードレールに身体をもたれさせる。

「どうだ、緊張してるか?」

「……別に」

「ははは、肝の座った奴だ」

「今更緊張したってどうにもならねーだろうがよ」

「まあ、それもそうだ。戦闘になったら、後はもうやるしかないからな」

「……ふん」

 修吾は鼻で応える。

「大丈夫だ、最悪、栗子さんが何とかしてくれる。あの人はウチの誰よりも強い」

「……なあ、あんたって二言目に栗子さん栗子さんっていってねーか? もしかして好きなのか?」

 修吾と何かしゃべる度に、「栗子さんはもっと強い」だの「栗子さんはもっと凄い」だの熊雄はいっている気がする。修吾にとってそれは別に大した考えがあって出た言葉ではなかったのだが……。

「……」

 頬をぽりぽりと掻く熊雄。どうやら予期せぬまま弱みを突いてしまったらしい。

「……そんなに分かりやすいか?」

「いや、偶々だ。何となくいってみたら当たったので俺も驚いている」

「そうか……」

 やや恥ずかしそうな素振りから、熊雄は腕を組み威厳を保とうとする。

「まあ特別隠しているわけでもないし、ばれたって構わんのだがな」

「付き合ってるのか?」

「いや、そうじゃない。俺の片想いだ」

「好意は伝えたのか?」

「伝えてない」

「何故?」

「さあ何故なんだろうな」

 その口調はまるで他人事みたいだ。

「さっさと告白でもなんでもしてしまえばいいのに」

「まあ、あの人とは仕事上の関係もあるしな。色々と難しいところだ。それよりもその言葉はそっくりお前に返したい」

「……?」

「好きなんだろ、あの恋子って娘のことが」

「……」

 しばしの沈黙の後、修吾は短く応える。

「ああ」

「お前の方こそ、とっとと告白しちまえばどうなんだ?」

「……うるせーな、余計なお世話だよ」

「ははは、お互い様だ」

 鬱陶しそうに顔をしかめる修吾に、快活そうに熊雄は笑った。

「いずれにしろ、あの恋子って娘は恋愛事には鈍感そうだ。相手のアクションを待っているだけじゃどうにもならんと思うぞ」

「……ふん。それをいうなら栗子さんだって一緒だろ?」

 しばらく熊雄の動作が停止する。

「まあ、確かにそうだな……」

 ぽつりと、開いた口からそんな言葉が漏れだした。

「お互い面倒な女を好きになっちまったもんだな」

「は? 恋子ちゃんをそんじょそこらの女と一緒にしてんじゃねーよ」

「ははは、そこまでお前はあの娘に惚れこんでるのか!」

 再び熊雄は豪快に笑う。

「なあ依代。お前は何のために闘う?」

「……なんでそんなことあんたにいわなくちゃなんねーんだ?」

「真面目に聞いている。教えてくれ。お前の闘う理由はなんだ?」

「……」

 熊雄は真っ直ぐに修吾を見つめて来る。

 相手に真摯に向き合った、誠実なその眼。

 そんな熊雄の眼差しをみたのは、この短い付き合いの中ではじめてのことだ。

 何となく、話を逸らしがたい気がする。

「……決まっている。俺は恋子ちゃんを守りたい。あの娘は今自分から危険に飛び込もうとしている。大切な人を失ったショックで、恋子ちゃんは周りが何も見えていない。恋子ちゃん一人でアカネ先輩を殺したあの犯人に向かっていったところで、返り討ちにあうだけだろう。でもそんなことをいったって、あの娘は聞いちゃくれない。寧ろ他人を退けて、孤立しながら一人立ち向かっていくだけだ。だったら俺に出来ることは、少しでも恋子ちゃんの近くに居て、あの娘を守ってあげるしかない。その為に、俺はあの女を捕まえる」

「なるほどな……」

 一息ついて、熊雄は続ける。

「まあ正直俺から言わせてもらえば、お前は馬鹿で間抜けなサイコ野郎だ。もっと自分のことを大事にした方がいいぞ。……なんていったってお前はどうせ聞きもしないんだろうけどな」

「はあ? なんでそんなこと一々あんたに指図されなきゃならない」

「……ごもっともだ。俺もお前のその馬鹿さを止めてやろうなんて気は更々ないよ」

 ちらりと、熊雄は自分の腕時計を見る。

「さて、無駄なおしゃべりをし過ぎたな」

 作戦開始の時間は既に三分を切っている。

「……」

「……」

 特に会話もなく、二人は無言でただ時が過ぎるのを待つ。

「……」

 あと一分というところで、熊雄は口を開いた。

「なあ依代。お前は俺がサポートしてやる。だから絶対死ぬな。お前みたいな奴でも、一応俺の教え子だ。死なれると後味が悪い」

「ふん……当たり前だ。俺がこんなところで死ぬわけないだろう。あんたの方こそしょうもないミスで死なないように気を付けておけ」

「はっ。相変わらず口の減らない奴だぜ」

 お互いに皮肉気に口を利き合う二人。

「時間だな」

 熊雄は腕に巻いた時計を見、発言する。

 時刻は午後八時。

 作戦開始の時間だ。 

「行こう」

 修吾と熊雄は歩き出す。

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