1-14.『勇者』の隠れ家

 レウィの隠れ家は思ったよりだいぶ広い建物のようだった。僕がリナリアと住んでいた屋敷もチャーリーたちの家や先日泊まった宿に比べてかなり立派なものだったが、シンプルな造りのわりに細部まで手がかけられていたいた。

「どこぞの元貴族の建てた別荘らしい」

 ここは王国の離島で、売りに出されたそれを彼女が密かに買い取ったそうだ。

「レウィの隠れ家を、誰も知らないの?」

「ああ。隠れ家だからね」

 柔らかく微笑む彼女と秘密を共有することに沸き起こる、緊張と小さな責任感。

 レウィは扉の代わりに垂らされた紗幕を押し、奥へと進む。次々に通り過ぎるいくつもの部屋。ここには廊下というものがなく、奥へと進むためにはすべての部屋を通らなくてはならないのだという。

 僕は言葉少なに説明する彼女の後ろをのそのそと歩く。ほとんどの部屋は何も無かったが、時折、置かれた家具などが僕の巨体を阻むとレウィはすぐに気付いて通路を作ってくれた。

「そういえば、僕をどうやってこの家に運びこんだの? 今の僕、結構重いと思うんだけど」

 まだ慣れないのっそりとした体躯を見下ろし頭を捻ると、レウィは僕風車が付いた手押し車を指した。

「あれを使ったんだ」

 この家にはレウィが運び込んだ様々な”趣味”のものがあるらしく、その手押し車は彼らが使うボードと同じ原理で風を使って重い物でも楽に運ぶことができるのだそうだ。

 ────…………そういえば、レウィの趣味ってなんだろう?

 いつも穏やかな彼女に遊んでもらったいたけれど、仔竜だった僕はそういった会話をしたことがなかった。

 レウィは僕が尋ねる前に、前を向いたままぽつりと言った。

「私には両親が居ないからね。実家が無いんだ。風切羽の館は私の家だけど、”趣味”のためもあるけれど…………たまに独りになりたいことがあって、ここを買ったんだ」

「――――レウィは両親がいないの?」

 それは初耳だった。びっくりして僕が問い返すと彼女は静かに微笑んだ。

「港でかぜなみの祭祀を見ただろう? あの説明はしたよね。私の両親はかぜなみの祭祀で王都に来た際、私の卵をそのまま置き去りにしたんだ」

 僕にはレウィが言ったことが咄嗟によく理解できなかった。

「レウィの卵は、忘れられたの?」

「そうだね、ある意味…………忘れたんだろう」

 答える声があまりにもいつもの調子だったから、僕はそれがどれだけ残酷な問いなのか気づきそびれた。淡々と彼女は続ける。

「王国ではたまにそういうこともあるんだ。かぜなみの祭祀を行うために金銭の負担などは無い。お金がかからない。旅費も食事もすべて女王からの祝いという名目で振舞われる。だが、その代わりに、祭祀への参加は義務でもある。この義務の放棄には厳しい罰則もあるんだ。だから、祭祀だけ行って卵を孵すことを拒否する親もいる。

 私の卵は紋様の上に墨をかけられ、どの家のものかわからなくされていたそうだ。だから、もう一度城へ届けられ儀式を行った。その結果、”空”の卵だとわかり、そのまま風切羽の館預かりになったそうだ」

 だから、私は────他のどの戦士よりも”風切羽の館”あそこが自分の家だと言えるかもしれない、と彼女は続けた。

 女王と巫女からの祝福によって青く輝く”空”の卵。だが、”空”は国の将来の護り手となる大切な卵だが予言された能力が発現する年齢となるまで、その齢に城からの迎えが来るまで、”空”であることは本人も家族も本来は知ることがないのそうだ。”空”の者は王国を護る名誉ある戦士ではあるが、孵る前の卵の段階でそれを知らせると取り上げられることを恐れた家族のほとんどが”空”となることを拒むためだ。

 だが、レウィの卵はそれを知らない家族たちが自ら手放した。

「…………もし、レウィのお父さんやお母さんが、きみが”空”の勇者だって知ってたら卵を手放さなかったかもしれないのにね」

 レウィの寂しさをよく理解できないまま放ってしまった、僕自身気付いていない残酷な言葉。

「どうだろうね」

 その言葉にレウィは笑った。

「私の卵が放置されたころ、”空”の勇者たちはすべてマーマンとの戦いで亡くなっていた。そして、それからだいぶ後にアクセルが現れるまで。”空”の印が現れた卵は私一人。…………紋様が消されていても一度目の祭祀で唯一の”空”の卵である卵がどこの生まれだったかは祭祀を行った際の記録に残っている。だから、両親のことは巫女たちも知っているはずだが結局は教えてはくれなかった。知ることが、互いに良い結果に結びつかないと判断した────つまりはそういうことだと思うよ」

 つまらない話に反れてしまったね、と彼女は淡々と呟き、最後の紗幕を持ち上げた。




 ――――甘い…………。

 部屋を遮っていた布が持ち上げられた途端、今まで以上に強く甘いココナッツの香りが僕を包む。いや、違う、これは…………。

 その部屋は数は少ないながら僕が今までに見たことがあるどの部屋とも全く違う雰囲気を持っていた。

 窓ひとつ無い部屋の壁はタイルと固められた白い土で出来ていた。

 天井には星のような穴がいくつも開いて、外の光を取り入れている。

 床の大部分は水浸しで土が沈んでいる。

 元は豪華な浴室だったのだろうか。浴槽のような緩やかな傾斜で囲まれた浅い穴は大きく、中には水が溜まっている。

 土を敷いた浴槽の周囲には色々な植物が植えられ、ほとんどが水に漬かるように生息している。

 そんな不思議な部屋は、あちこちに溜まった水とその植物が放つ香りで満たされていた。

「――――私は少しおかしいのかもしれない」

 淡々と語るレウィの横顔は少し強張っていた。

 彼女が何を指して何を言いたいのか、唐突に理解した僕はレウィの横顔をじっと見つめた。

 甘い甘い、さっき知ったばかりの香り。

「これは…………海の水?」

 彼女は小さくこくんとうなづく。

「そう。ゼロ界域を生み出すのが海水なのか、それとも空間的なものなのか知りたくてこの部屋を造った。ここにある植物たちも海の中から運んできたものだ」

「どうやって? レウィたち王国の人間はゼロ界域には近づけないはずでしょ?」

 疑問を投げかける僕に、レウィは少し歪んだ笑顔を向けた。

「私は――――

 僕の脳裏に、僕を救うために海に飛び込んだレウィの姿と────見たことは無いが、卵の僕を抱え海から浮上したレウィのぬくもりがよぎった。

 そうなのか。

 それはすとんと僕の中に落ちた。

「ここを造った結果、海の幻影を起こすのはゼロ界域の空間であり、水でもあると解った。ゼロ界域には王国に人間のみならず、王国に住むあらゆる生き物が惑わされる」

 レウィの指先が部屋に植えられた植物の上を滑った。

「でも、私はこの部屋においても幻影に惑わされないどころか、…………むしろ、安らぎすら覚えてしまう────。”空”とは言え、そんな人間が居たとは聞いたこともなければ記録にもない。

 幻影による多少の思考の揺らぎはあるから、私はその不調を好む変人なのかもしれないね」

 そして、彼女は見えない塊を吐き出すように大きく息をひとつ吐いた。

「この部屋のことはお前以外誰も知らない。王国は保守的で女王の許可無く海に関する研究や干渉は一切認めていない。こんなことしていることを知られたら、”空”とはいえ、私はただでは済まないだろう」

 部屋に落ちる沈黙。

 ふいと視線を逸らしたレウィの姿を見て、僕は何か言わないとと焦った。

「僕はもちろん誰にも言わないよ! でも、どうして僕をここに?」

 彼女はゆるく笑って、入り口近くに立てかけてあったそれを手に取った。

「レウィ…………?」

 顔が強張る。背中に冷たいものが走った。

 部屋にあったいくつかのランプの光を浴びて美しくきらめいたそれは細長い剣だった。

 怯えた僕に気付いて、彼女は手にした剣先を少し下げて敵意が無いことを示した。そのまま剣を掴んだ反対の手でじぶんの髪をかきあげる。

「これは私の剣だよ。今日の戦いで青緑色の竜のマーマンの首に刺したものだ。マーマンはこれを首に刺したまま海へ堕ちて姿を消した。

 だが、これは今また私の手元に返って来た。フロウ、お前を海へ連れ帰ろうとしたあの人型のマーマンが船上で落したものだ」

 僕は首を捻った。

「どういうこと? あのマーマンが海の中で仲間の首から引き抜いて、レウィたちに復讐に来たの?」

「確かにそういう考え方もあるけど、私は…………あのマーマンは私が戦った青緑色の竜と同じものではないかと考えたんだ」

 レウィは手馴れた様子で剣を鋭く振る。小さく揺れた刀身が風を切って音を鳴らす。

「人型のマーマンは他のタイプのマーマンよりは戦いやすい相手だが、それにしてもあのマーマンは弱すぎた。まるで初めから深手を負った瀕死の敵のように。

 だから、私は思った。今まで少数しか現れなかった人型のマーマンと他のタイプのマーマンは同一の個体である可能性もあるのではないかと。

 お前の知性を見ていても、今まで単なる害獣や災害としか思われていなかったマーマンが、実は人と同じ知性と姿、文化を持っていてもおかしくないと思ったんだ」

 剣の刃こぼれをそっと撫で、彼女は愛用の武器を再び壁へ立てかけた。

「これはすべて推測だ。だが、変態する生き物はたくさんいる。可能性として試してみる価値はあると思う」

 そこまで聞けば、僕にだって彼女が何をしようとしているのかはわかった。

「海はお前の成長を促す。フロウ、もう少し成長し、人の形をとれないか試してみないか」

 こんなに成長して大きくなった僕はここで人化できなかったら、海で仲間を探すかここに隠れ住むしかなくなる。でも。

「────人の姿へと変わることができれば今まで以上にレウィたちと一緒に暮らすことができるね」

「…………そうだな」

 僕の脳裏に心配するリナリアの顔がよぎった。

 胸の奥で蠢く激しい鼓動で────息が詰まるほどに苦しい。


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四角くてまるい世界 @ni_3

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