1-4.空から空へ



 東の空が明るみ始めた頃、王都ユリオプスを守る門が開いた。ゆっくりとレウィたちを乗せた小型の舟が出発した。

 空を浮き雲をかく『舟』は、川に浮かべるそれと一見変わらないように見える。川を滑る舟と違うのは、飛空『舟』は基本的にレールのように引かれた航路の上を滑る。『漕ぐ』のは二名の見習い戦士だ。舟は戦士たちの使う“ボード”とよく似た仕組みで動く。カラクリが開くと風が起こり舟が空に浮く。それを巨大な羽で作った櫂と帆で操ってゆく。レールから外れる場合は、戦士の作り出す『雲』を使った即席のレールをまた改めて作る。

 空をゆっくり滑らかに漕ぎ出す舟。舟上から王都を振り返ったリナリアは城壁の人影に気づいて眉をひそめた。

「どうした?」

 リナリアの後ろでガチャガチャとブーツに仕込んだ鉄板を入れ替えていたレネがその手を止めて尋ねた。

「あれ」

 リナリアは隣にやってきたレネに、不機嫌そうに城壁の人物を目線で示す。レネはそんな彼女の横顔を呆れたように見つめる。

「よく見つけますこと…………」

「絶対、あれ、アクセルだわ」

 城壁の上には薄い水色のフードを被ったローブを纏った人物が立っている。深く被ったフードのせいで顔は見えない。

「恋人を見送りに来たんデショ」

「元、恋人。あんな軽薄で嫌味ったらしいヤツとレウィはもう関係ありません。

 ────ああ、イライラする。なんで嫌いなモノって目につくのかしら」

「イヤだイヤだも…………悪い」

 つい、いつも調子で茶化そうとしたレネだったが、リナリアの冷たい一瞥に口を閉じた。

 レウィとアクセルが恋人関係にあったのは二年前までの話だ。リナリアがレウィの『翼』になった頃、アクセルは素知らぬ顔で貴族の姫君と付き合い出していたので、リナリアはレウィとアクセルの事を詳しくは知らない。だが、リナリアはアクセル自身と元々ウマが合わなかったこともあるが、曖昧なままレウィとの関係を終わらせたあの勇者アクセルを酷く嫌っていた。

「…………まぁ、アクセルさんも心配なんだろ。結構酷い目にあったらしいしな」

 二人はアクセルの帰還後に王宮で数日に渡って開かれた作戦会議を思い出す。

 現在、『空の戦士』はレウィとアクセルの二人しかいない。元々、特殊な生まれの者しかなれない上に三十年前のマーマンとの戦いで大勢の勇者そらの命が失われていた。

 戦士たちの会議では、通常は上座の女王や貴族に続いて『の戦士』、翼を従える『の戦士』の順で並ぶ。『翼』である翼の戦士たちは普段はその会議に列席しないか、それぞれが属する『空』もしくは『剣』の戦士の後ろに控えることになっている。

 今回の作戦会議は数日にも及んだが『翼』であるリナリアとレネが参加したのはそのうちの一日だけだった。

 その日、長く空席だったレウィの向かいの『空』の席に厚く包帯を巻いた青年が座っていた。

 口調こそは────リナリアの言葉を借りれば「心のこもらない正論を涼しい顔で吐く生意気な」────いつものアクセルそのものであったが、怪我のためか彼の一挙一動はまだ少しぎこちなく見えた。

「あのアクセルがあんな状態なんだから、マーマンの大群てのは結構ヤバいんだろうな」

 アクセルはリナリアより一つ上の二十歳だが、レウィに並ぶ実力者である。普段は選ばれた『空の戦士』だからと当たり前に捉えられているきらいがあるが、努力だけではたどり着けない天賦の才能を持つ戦士だ。

「…………マーマンが群れをなして襲うなんて、錨を打ち込んだ時以来初めて。海にも国とか組織が出来たのかしら」

 それならそれで新しい解決策を探せるんだけど、と呟いたリナリアをレネが醒めた目で見た。

「話し合いとか無理だろ。そもそも、藪にデカい棒突っ込んだら、そこをねぐらにしていたヤツが飛びかかって来たようなもんだろ。ただ、それが虫なんかじゃなくて狂暴な海竜どもだっただけ────」

「私は! フロウと一緒に居るとマーマンのことをそんな風に割り切れな────」

「リナリア」

 レネの声がいつもより更に低くなった。ぱっとリナリアの顔に赤みが差す。

「フロウは、王国生まれの王国育ちだ。生粋のマーマンとは違う。それに、まだ子供だしな――――――あまり深く考えるな」

「────うん、そうだね……」

 レネの声の低くかすれているが、リナリアには時々優しく心地良く感じた。

「ところで、そのフロウはどうしたんだ?」

「いつも通りチャーリーとヘロルトが面倒みてくれるはずなんだけど…………、今朝はむくれて見送ってくれなかった。

 レネが昨日からかったせいだからね。あれから様子がおかしかったんだから!」

  チャーリーはリナリアの別館の隣に住む庭師、ヘロルトは向かいに住むリナリア付きの執事だ。二人共にリナリアが小さい頃から彼女を可愛がっており、フロウのことを知っても秘密を守ってよく面倒をみている。リナリアが住む別館には他の手伝いはほとんど近寄らない。日常の掃除や洗濯などといった家事はリナリアとレネ、二人が留守の時はヘロルトが行っていた。

「…………あー、特になにも言ってないような気がするけどな」

「フロウのこと、オスとか赤ちゃんとか…………」

「どっちもホントのことじゃねえの…………。

 そもそも、自分のことを僕って言ってるし。前は自分のこと名前で読んでたし、自分でもオスだってなんとなくわかって────」

 少し顔を赤らめて、言いにくそうにリナリアはレネの言葉をさえぎる。

「だけど、もしよ? もし、フロウが実は自分が女の子だって思ってて、レネにちゃんと女の子だって思って欲し────」

「それはないって」

 小さな声が同意した。

「ないよ…………」

「…………」

「ないよ、ない…………」

 リナリアとレネは足元に視線を落とし、げんなりした顔で見上げるフロウを見た。


 ────ひっ!

 舳先で話していたレウィと漕ぎ役の二人の戦士は慌てて振り返った。

 背を向けたリナリアの向こうからレネが大丈夫だと手を振る。

「ごめんなさい! いきなり舟の下から鳥が飛び出してきて…………びっくりしちゃって…………」

 空飛ぶ舟だから、そういうことは稀にある。

「はは、びっくりしますよね」

「わかります、わかります」

 重ねて謝るリナリアへ、戦士たちはこやかに笑った。

 もう一度、ごめんねと謝るとリナリアの小柄な体はレネの背中の向こうに隠れた。

 リナリアに向けた笑顔を崩さずに、戦士の一人が押さえた声を出す。

「師匠も鳥にびっくりして声あげるなんて、鬼だの悪魔だの言われても女の子だなぁ…………」

「まぁ、あれでも俺より五つも年下だしなぁ…………」

「鬼だ、鬼の指南番だとか言われているのは知っていたが、悪魔とも言われてるのか」

 レウィの指摘に彼らは悪びれる風もなく揃って笑みを深くした。

「師匠はワークの悪魔です」

「もう二度と研修生には戻りたくありません」

「…………そうか」

 レウィはリナリアの消えたレネの背をしみじみと見る。

「レネも努力したんだな」

 その言葉に二人は深く頷いた。戦士を志したのが遅かった彼はリナリアの下で恐ろしい特訓の日々を過ごしたという噂だ。

「ある意味、英雄です」

「ある意味、スピードスターより凄いことだと思います」

「…………」

  基本的にレウィのチームは双翼のリナリアとレネの三人で行動するが、今回のように数名の戦士が助っ人に入ることもある。助っ人とは言え、それも大概決まった顔ぶれなのでレウィたち チームの雰囲気を心得ている。普段、他のチームなら、ましてや『空の戦士』に対してここまで砕けた空気で接することは無いのだが、レウィのチームは特別だった。

「やっぱり、愛ですかねー」

 戦士の言葉にレウィは微笑んだ。

「だとしても、見事だと思うよ」

 長らく並ぶ者パートナーが居ないほど優秀だったリナリアと組み、最前線で戦う『空の戦士レウィ』の片翼となる。それには相応の実力が無ければ無理だ。

「付き合っちゃえばいいのに」

「鴉の三男と緑の大鷲の子なら、じゅうぶん――――――」

 言いかけて、戦士は黙った。一瞬、気まずい沈黙が流れる。

 『緑の大鷲の子』は口にこそ出さないがリナリアが嫌う二つ名であることを思い出したのだ。

「────ようやく、西の街が見えて来たな。お喋りは終わりにして船を着ける準備をしよう」

 レウィが進行方向を指す先には色とりどりの旗を掲げる島の姿があった。どこからか楽しげな音楽も聞こえる。

「そうですね」

「合図を送りましょう」

 二人の戦士はほっとした様子で仕事を再開した。


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