1-5.かぜなみへの祭祀
港に舟が近づくと、停戦する真っ白な大船が良く見えた。色とりどりの旗で飾られた甲板には白い服に身を包んだたくさんの人が乗っており、そのうちの何人かは青い布を肩から斜めにかけているのが見て取れた。
「かぜなみへの祭祀ですね。これは幸先が良い」
櫂を操っていた戦士の一人が言う。もうひとりも帆を畳む手を止めた。
王国では子供たちは十月十日腹の中で育った後、白い卵の姿で生まれる。それから孵るまでに更に一年ほど。『かぜなみへの祭祀』は卵として生まれた後、孵る一年までの間に行う習わしのことである。卵が生まれた家族は時期をみて――――主に産後の母親の体調の回復を待って――――王都ユリオプスへの旅を行う。そこで、彼らは女王に卵を祝福してもらうのだ。そして、祝福を受けた卵とともに家へと帰り、この祭祀は終わる。これは身分に関係なく空の王国に生まれる民がすべて行わなければならない習わしであった。もちろん、卵を連れた旅は慎重を期さなくてはならないが、島と島を結ぶ船は定期的に運行しており『かざなみへの祭祀』を行う旅人の旅費はすべて免除される。
「うわあ、私、こんなに大きなかぜなみの祭祀の船は初めて見たわ!」
荷物を抱えたリナリアがレウィの横で嬉しそうに笑った。レウィもそんなリナリアに微笑む。
「今回はずいぶんたくさんの卵が旅路に就くのだろうね」
青い肩掛けは主に母親が着けている。ふたつのリングで調節してしっかりと体に密着させたそれを使って、家人によって愛情を込めた独自の文様をペイントされた卵たちを抱えている。卵は元々頑丈な殻を持っているが、それを更に肩掛けと布で厳重にくるんでいる場合も多い。
レネに手伝って貰いながら帆を畳み終えた戦士が感慨深げに言った。
「この中から次の『空の戦士』が生まれるんですね」
王都の女王の間に着くと、卵たちだけが『あおの間』と呼ばれる広間に集められて女王と巫女たちから祝福を与える。
時折、その祝福の際に青く輝く卵があるという。
それが、レウィやアクセルたちのような『空』の冠を与えられる戦士の証なのだ。『空』の子供たちはずばぬけた戦士の才能を持つ。巫女たちはあかしの現れ方によりその能力が発現する年齢を知り、卵に描かれた文様からその生家を読み取ることができる。そして、何も知らないまま家に返された卵たちは孵って、それぞれその能力が発現する年頃に『空の者』として王国からの迎えが来るのだ。拒否権はないが、永久の平和の王国を守る『勇者』とも呼ばれるその立場を拒否する者は居ない。そもそも、『空』のあかしが現れる確立が高いのは戦士の家系なのだから、それは名誉なことなのだ。
「早く生まれてくれればいいけどな」
青い布を見ながらレネはぶっきらぼうに呟いた。
現在の『空の者』はレウィとアクセルのふたりだけである。歴代の戦士の中で最も少ない。多くの『空』は三十年前の錨を海に打ち込んだ日、マーマンとの戦いで命を落としていた。
――――がつん、と舟が揺れた。舳先で操作してた戦士が慌てて謝る。それから、岸に片足をかけながら舳先に近い所に立っていたリナリアへ笑顔で手を伸ばす。
「さあ、師匠」
ところが、抱えた布袋を両手でぎゅっと抱きしめたリナリアはにっこりと微笑んだ。
明るい笑顔なのにどこか凄味がある。
「ふふ、鬼に手を貸す必要は無いわよ」
そのまま袋を抱えた状態でひょいと器用に岸に飛び移る。
「し、師匠~…………」
青くなり情けない声を上げる元生徒にリナリアは声を上げて笑った。
「冗談! でも、人の悪口はほどほどにね。あなたたちが鬼だの悪魔だの言ってる時は雰囲気でなんとなくわかるんだから」
ふたりの顔が凍りつく。
「言いたい気持ちはわかるけどな」
続けて岸に飛び移ったレネはいつもの一言を吐き、そのままリナリアとのお決まりの荒い言葉のやり取りが始めた。ターゲットが移って元生徒たちはほっと息をつく。
レウィはそんなリナリアたちを気にするでもなく二人の戦士たちに労い言葉をかけた。
「少し早いがこの街からは別行動で頼む。いつもの宿で待機していてくれ。
かぜなみの祭祀の船が出るということは街でも多少はなんらかの催しもあるだろうし、人もいつも以上に多いだろう。あまり大人数で行動して目立ちたくない」
次いで発せられた指示にふたりの顔が曇った。
「――――わかりました」
「…………お気をつけて」
三人に対する心配と不安を隠せないようだったが、戦士である彼らはそれを口に出すことはできない。頭を下げると舟をしっかりと繋ぎ課された仕事をこなすべく彼らは戻って行った。
レウィは彼らを見送りながら、後ろでいつものようにじゃれあう翼たちに声をかけた。
「────それで。フロウはその袋の中か? リア」
ぎょっとして動きを止めるリナリアとレネ。レウィは、元生徒たちに釘を刺したリナリアと同じ類の微笑みを浮かべて振り返る。
「賢明な判断だとは思えないが」
リナリアはレウィにだけは弱い。
普段、鬼だ悪魔だと称されるリナリアが青ざめる様子にレネは胸の内でこっそり笑った。笑いながら自分の顔が青ざめたのがわかる。リナリアはレウィを敬愛しているからこそ彼女の怒りに弱いのだが、レネは単純に怒ったレウィを恐れているのだ。
『リナリアを叱らないで!』
くぐもった声がリナリアの抱えた布袋の中から聞こえた。
『ごめんね、レウィ。僕が勝手についてきちゃったの。だから…………』
布袋から聞こえる子供のような声。リナリアは困ったようにレウィを見、レウィは小さくため息をついた。
「叱ってなどいないよ。だから、宿に着くまで少し黙ってくれると嬉しい」
『ほんと? うん! わか…………っ! なにす――――』
一瞬だった。嬉しそうに元気よく返事する布袋をリナリアから奪ったレネは自分が羽織っていた上着でぐるぐるに包んだ。そして、それを腕に力を込めて脇に抱える。
「ちょっ! レン、あんたね、私の――――」
左手で軽くいつもの宿の方角をふたりに指差すと不機嫌そうにすたすた歩き出したレネ。レウィは苦笑いを浮かべ、リナリアは不機嫌な顔で彼に叫びかけた。
その時――――。
「師匠!」
三人が振り返ると、舟の上からふたりの戦士たちが真摯な眼差しでこちらを見ていた。
「あの、ししょ────リナリアさんも、レウィ様も、レネさんも」
ふたりは声を張り上げた。
「お気をつけて!!」
言った後、即座に頭を下げる。
三人は顔を見合わせ、リナリアが大きな声でふたりに返した。
「帰りはよろしく!」
元気な声にふたりは顔をあげて少し笑った。
彼らも今回の目的やアクセルの結末もよく知っている。
そして、不安は舟の中での絶え間ないお喋りの裏に隠していた彼らの気持ちは、リナリアたちも気付いている。
「待ってますね!!」
もう一度。彼らの大声に港を歩く何人かが不思議そうな顔をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます