1-6.フロウのおせっかい

 舟の上のふたりに別れを告げて港を出たあと、目抜き通りを歩くリナリアは足早に歩くレネの後ろにつく。そして、彼の背中を引っ張りながら「フロウを返して」と訴えた。

 しかし、それはことごく無視された。

「ねえ、息苦しくてかわいそうよ」

「…………」

「ねえってば!」

 足を止めたレネは、不機嫌な眼差しでリナリアと上着でくるんだフロウを見る。

「かわいそう?」

「────えーっと」

 振り返ったレネは怒っているように見えた。

 珍しくそれに怯んだリナリアは、助けを求めるようにレウィを見る。

 レウィも一瞬不穏な微笑みを浮かべたが、すぐに小さくため息をついて助け舟を出してくれた。

「レネ。とりあえず、宿に着くまでリナリアに預けてやってくれ。今争っても仕方ない」

「そうは言いますけどね」

「腹立たしいのはわかるが、たぶん、リナリアは悪くない。フロウに説教くらいはしてもいいが、それは宿で。今は人目がありすぎる」

「────そりゃそうですけど」

 今度はレネが大げさなため息をつき、リナリアへ乱暴にフロウの袋を押し付けた。

「ほら、返すよ! 『アタシのフロウ』ちゃん」

「レネ――――っ!」

「いいか、お前、飼い主だったらちゃんと────」

「ペットじゃないもん! ちゃんとって言うけど…………ちゃんと────」

 分の悪いリナリアに加勢をしようとしたのか、フロウの入った袋がごそっと動く。

「しーっ!!」

 フロウの口がある辺りなのだろう、慌ててリナリアが袋をぎゅっと抑える。その様子を見てレネはまたため息をついた。

「わかった。早く宿に行くぞ」

 そう言い捨てて歩き出したレネ。

 後ろから来たレウィに優しく背中を押されて、リナリアもとぼとぼと歩き出した。


 通りからひとつ奥に入った所に目的の宿はあった。少し古いが重厚な造りの大きな建物だ。ここが西の街ゼピュロスでの戦士たちの定宿になっている。

「また頼む」

「よろしくお願いします」

「────よ、よろしくお願いします」

 慣れたもので三人も入ってすぐのカウンターに座る老女に挨拶をすると。そのまま部屋への階段を上る。

 最上階の五階まで階段を上りきり、踊り場の大扉の鍵を回すと見慣れた短い廊下が現れる。五階は、大きな居間と廊下を挟んで四つの寝室、そのほかの生活に必要ないくつかの部屋があり、レウィたちは長く滞在する場合はその階すべてを貸し切って利用している。

「さて、これで思う存分締め上げられるな」

 軽い音を立てて居間の扉が閉まるとレネはリナリアの腕から袋を取り上げ、逆さにして振る。すると、きゃあと声を上げて子犬ほどの青いトカゲが床に投げ出された。

「やめてよ!」

 悲鳴をあげてリナリアがフロウに駆け寄る。フロウはうらめしそうにレネを見上げたが、すぐに状況を思い出したのかしおらしく一声鳴く。そして、待て、と伸ばしたレネの手をかいくぐってフロウを追って床に座り込んだリナリアの腕の中にもぐりこんだ。

「反省してないだろ、オマエ」

「どういうつもりなんだ? フロウ」

 苛立ったレネとやけに冷静なレウィの声が重なる。

 まるで自分が責められているかのようにおろおろと、少し怯えた顔でふたりを見上げるリナリア。それから、彼女の腕から申し訳なさそうにちょこっと顔を出すフロウ。

「だって…………、リナリアがしんぱいで。僕もいっしょにいたかったんだ」

 フロウの言葉に目を潤ませるリナリアだったが、レネは目の端を吊り上げた。

「心配って、オマエ、オマエ自身の立場を何度も説明したよな?

 俺らはマーマンと戦ってるの。オマエはそのマーマンなんだから、屋敷から出たらマズイって何度もわかりやぁああすく話して────納得したよな? それを無視するほど馬鹿だったのか、オマエは────」

「だって、フロウはまだ生まれて一年しか経ってないし――――」

「卵の期間合わせたら一歳ってわけじゃねえだろ。オマエがそうやって甘やか――――」

「レネのばか! リナリアは悪くない!」

 ぱんっと乾いた大きな音がした。驚いて口を閉ざした三人は、すぐにそれがレウィが手を叩いた音だとすぐに気付く。

「………………」

 レウィはちょっと困ったように笑って、リナリアの────正確にはフロウの前に膝をついた。それから、リナリアに目線を向け安心させるように微笑んでから、ゆっくりとフロウに尋ねる。

「フロウ。任務はいつものことだろう? いつもはおとなしく待っているのに、今回はどうしてこういうことをした?」

「…………だって、リナリアがまた危ない戦いに出るのかと思うといても立ってもいられなくて」

「うん」と、レウィ。

「不本意だけど、僕はまだ小さいから────レネにね、守ってもらおうと思って」

「う…………え?」

「はあ?」

「は?」

 素っ頓狂な声をあげる三人を後目にフロウは一生懸命に続けた。

「リナリアは、あんなに馬鹿でもレネが好きみたいだから、旅の間にこっそりレネに協力してリナリアをもっとちゃんと守って貰えるようお願いしようと思っ…………」

「ちょっとまてー!!」

「な、に、いってんのよ! フロウ!? 私が守────」

「ぎゃうっ」

 絶妙に力が入り始めたリナリアの腕の中からするりと脱出するフロウ。それを取り上げたレウィは再び騒ぎ出したふたりから大股で離れる。

「それで? それときみがついて来るのはどんな関係があるんだ? フロウ」

「うん! 僕がふたりの協力をしてあげようと思って。リナリアは寂しがりやだし、レネはリナリアが好きみたいだから。僕がそばにいなくても、リナリアが安全で幸せならうれしいから」

「――――!!」

 言葉にならない悲鳴をあげるふたりを無視して、レウィは困ったように、しかし、はっきりと言った。

「それはとても優しい心がけだと思うが、そういうのはフロウの仕事じゃないからね。それに、リナリアもレネももう少し自分をしっかり持ってからじゃないとうまくいくものもいかないから」

 予想外の一撃、レウィの止めの一言によってリナリアとレネは完全に言葉を失った。


 フロウのよくわからない爆弾発言の後、なんとか立ち直った二人とレウィはこの仔竜の扱いを考えた。

「困ったな、いくら馴染みとは言え宿に置いておくわけにはいかない」

「今から迎えを呼ぶのは無理よ。どうすれば…………」

「リナリア…………。ごめんね? 僕、ただ、レネがリナリアをちゃんと好────」

「それ以上言ったら袋に詰めるからな」

「フロウは黙ってよう?」

「…………」

 結局、連れて行くという手段しか残されていなかった。

 そもそも敵であるマーマンの仔のフロウは、レウィやレネ以外はリナリアの信頼の置ける人間にしか知らせていない。宿に残せば宿の人間が見つけて騒ぎになるかもしれないし、戻るには背負った任務が大きすぎる。

「仕方ない。幸い、任務に向かうのは私たち三人だけだ」

 レウィの一言で話し合いは終わった。


 リナリアは頭を悩ませていた。

 ────こんな危険な任務で、もし私に何かあったらフロウはどうすればいいのよ…………。

 話し合いの後も個室で一晩考えたが、リナリアひとりに三人で考えた以上のアイディアが浮かぶはずもなく、あれから何度目かのため息が出た。

 そんなリナリアをレネは面倒くさそうに見た。

「オマエ、フロウにどういう教育してんだよ」

「────何よその言い方」

「俺のこと、なんだかんだって話してるわけ?」

「っんなワケないでしょうが!」

 フロウの連発する「好き」と「頼む」と「ついてくる」という言動がよく理解できなかった彼らは何度かその辺りを聞き直してみたが、結局、レネとリナリアがダメージを受けるだけでよく理解できなかった。

 レネが鼻で笑う。

「だよな。じゃあ、教育が悪いんじゃねーーの? 鬼だの悪魔だの呼ばれてる癖に、話す相手も居ないからペット相手に頭に花咲いた甘ったるい話ばっかり聞かせてんじゃね────」

「ペットじゃないって言ってるでしょ! あんたじゃあるまいし、大体そんな話なんてしてませ────」

「なんで、俺がそんな話してんだよ。あほじゃな────」

 心底馬鹿にした調子で毒づくレネの鼻先ににゅっと茶色の大きな包みが現れた。

「は!?」

 それから、遠慮がちで小さな声が続く。

「あのー、遅くなってすみません…………」

 ふたりが居るのは街一番の武器や防具を扱う王宮の戦士たち御用達の店。ここの店主は声は小さいが腕は恐らく王国一だ。包みの中身は今回の任務のためにあつらえた特別な鎧である。ふたりはレウィにフロウを任せて三人分の鎧を取りに来たのだ。

「あ、こちらこそ、うるさくしてすみません…………」

「…………たしかに、静かにして頂けると嬉しいです…………」

「すみません」

 約束していた品物ではあったがすでにずいぶんと長い時間待たされていた。しかし、店先で騒いでしまったために文句も言い辛く、リナリアはただただ頭を下げた。その代わりと言っては何だがこっそりと喧嘩を売って来た相棒の脛を軽く蹴っ飛ばす。

「っ痛ぇ!!」

「出るわよ」

 小さい声で、ありがとうございました、と見送る店主へ頭を下げるリナリア。倣ってレネも軽く頭を下げて外を出る。

「持つよ」

「いいよ」

「持つ」

「自分の分だけ持て」

 鎧はさすがに特別製と言うべきか、布で出来ているかのように軽かった。

 リナリアはひとつ多く荷物を抱えたレネを無意識に見上げてしまい、ばっちりと目が合ってしまい慌てた。思わず立ち止まり口からきつい言葉が飛び出す。

「戦士御用達の店先で喧嘩なんか売らないでよ」

「売ってねーって。オマエがわざとらしくため息なんか────」

「なにそれ、被害妄想甚だし────」

 相手の言葉を遮るようないつもの言い合い。お互いに他の人間とこんな風に言い合うことはないが相棒となると容赦なしだ。ただ、不思議と今までこれで深刻な喧嘩にまで発展したことは無かった。

 これも気の合うということなのだろうか、とリナリアは思った。

 ────そりゃ、私の唯一で一番のパートナーだけど。

 再び歩き出したレネを見上げる。すると、レネの金髪が揺れてまたじろっと睨まれた。

 ────よくわからないし、わかりたくないような…………。

 それはともかく、とにかくとにかく機嫌が悪いのか、いつも以上にレネが絡んで来る気がする。いや、明らかにフロウの一件のせいだとは思うが、いい加減、面倒になったリナリアはレネの前に回りこむ。

「とにかく、レウィが言ったように────」

 その時、リナリアと向かい合っていたレネの腕に、後ろからするりと細い腕が巻きついた。

 ぎょっとして振り向くレネとリナリア。

  ────レネに柄にも無く思考が変な方向へ向かいそうで、だから、頭をリセットしたかったのに。なのに。

「こんなところで会うなんて」

 ささやくような話し方。ハスキーな細い女の声。レネの腕に回した細腕の主はくるりと彼の前に現れた。

「…………ルピナ」

 なんともいえない顔でレネが名を呼ぶのは、小柄で細身の巻き毛の女性だった。

 目の前のリナリアも、腕を掴まれたレネも思わず動きが止まる。

 リナリアは彼女がレネに対してあまりにも親しげな様子であるのに驚いたが、振り返った彼女に目が釘付けになった。特に、そのにっこり笑う彼女の長いまつげの下に。

「…………────」

 緑の瞳――――リナリアは呟きかけた言葉を飲み込んだ。

 明るい茶の巻き毛に白いの肌。きっちりとした黒の服に身を包んだ綺麗な女性だった。齢はレネと同じくらいに見える。彼はリナリアの五歳上だから、それくらいだろうか。

 ルビナと呼ばれた彼女はリナリアに目もくれず、腕を絡めたままレネに微笑みかけていた。

 それに対して、レネは────。

「悪い、俺、ちょっと後から行くわ…………」

 驚いたリナリアが彼の顔を見る前に、レネは荷物を彼女に押し付け背を向けた。

 レネからさっきまでの勢いが無くなったように感じたのはリナリアの気のせいかもしれない。元気が無くなったのではなく、今までの馬鹿騒ぎから我に返っただけなのかもしれない。

 そのまま、振り返らずに人波に飲まれたふたりの後姿を目で追って、しばらくぼんやりとしていたリナリアだったが重く響く音が鳴り出したのに気付いた。

 日暮れを告げる鐘の音だ。

 気付けば、屋根の向こうに見える空はもう茜色だ。

 ────…………レウィもフロウも待ってるし。

「帰ろうっ」

 レネの置いていった荷物の包みを抱え直すと、弾かれたようにふたりと逆の方向へ走る。

 ────凄い、重くない。

 小柄なリナリアの身体では少しかさばるその荷物が、彼女の心を苛立たせた。



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