1-3.ふたりの勇者
風のない静かな夜だった。
紺色の夜空に浮かぶ薄い雲の向こうで、少し欠けた月がぼやけた黄色い光を放つ。
風切羽の館のバルコニーに佇む人影があった。手すりに軽く身体を預けて静かに空を見上げる。その横顔は、今夜のぼやけた月よりよほど鋭く冷たい。
「珍しいね、君がここに居るなんて」
バルコニーの入り口に、部屋の灯りを背にして小柄な影が浮かび上がった。
「アクセル」
手すりから身体を離してレウィは振り返った。
身体のあちこちに湿布を貼り付け包帯を巻いた銀髪の青年が優しく微笑んでいる。
「てっきり今夜も大鷲のガージスの別館かと思っていたよ」
「────その呼び方はやめて欲しいな。リアが嫌がると思うから」
淡々と言った後、彼女は少し困ったような表情で、しかし、口角だけは上げて微笑みを装った。彼とに何かと突っかかる仲間の不満げな顔を思い出しながらも、彼に気を遣って言葉を選んだに違いなかった。
「それは失礼」
アクセルは慎重に自分の身体を支えながらバルコニーへの段差を降りると、レウィに歩み寄った。対して、彼女はそんな彼に手を貸すでも無く静かにそれを見守っていた。
「で、僕に会いに来たのかな?」
レウィの隣までやって来たアクセルは手すりに身体を預けると人懐っこい笑みを浮かべて彼女を見上げた。
月光に照らされて、白い包帯や湿布の間から白い肌と黒々とした瞳がのぞく。小柄な体格も手伝って、二十も半ばを過ぎたレウィより大分若く見える。事実、彼はまだ二十になったばかりだが彼女の前ではそれよりももう少しだけ幼くも見える時もあった。また、その逆も…………。
「ああ。でも、今、あなたが居るかどうか少し考えてた。今日会えなかったら、しばらく会えそうにないから」
レウィの答えに彼は一瞬きょとんとした。そして、彼女が言いたいことを察して苦笑を浮かべる。
「さすがにこんな姿で姫君のところへは行けないよ」
「そうか」
それが肯定なのか疑問なのかアクセルにはわからなかったが、敢えて問い質すこともしなかった。代わりに少し大人っぽい優しい笑顔で彼女を見る。
「それで? 僕のことを心配してくれたの?」
「もちろん。一年も消息不明だったしな」
睫を伏せ、溜め息混じりのつぶやくような答え。
レウィの横顔を捉えたアクセルの瞳がわずかに光った。
「気が狂いそう、だった?」
その視線を感じたのか、レウィはアクセルに顔を向けて揺らぎのない瞳で彼を見た。
「――――私はそんなタイプではないけれど、多少はね」
…………探るつもりのアクセルだったが、真っ直ぐな瞳に目を奪われた。
会話に、ほんの少しの間が空いた。
やがて、アクセルは微笑む。
「光栄だね」
手すりに背中を預け、夜空を見上げながらレウィは呟いた。
「姫君もそうではないのかな」
「そうかもね」
アクセルはレウィの隣で、彼女とは逆に手すりに身体を預けて両手を夜の中へと伸ばした。もう一度、夜空を見上げる彼女の横顔をじっと見る。
「だったら、一度元気な顔を見せたら安心するだろう」
星を見るレウィは当然のことのようにそう言った。
「勧めるの。ま、そうかもしれないね。
────でも、そんな話をしに来たわけじゃないでしょ」
小さく息を吐き、レウィはアクセルの顔を見た。
アクセルはレウィの前だけで見せる穏やかな微笑みを浮かべている。
────それは、すべてわかっているのに知らないふりをしている、したたかで母性愛にあふれた女のような笑みだと思う。
レウィは軽く頭を振ってからアクセルの視線を受け止める。
「一年もどこに居た?」
「報告書をちゃんと読んでよ。僕のチームは誰一人として動ける状態ではなかった。だから、仕方なく手近な島に逃げ込んで、船を修理しながら傷を癒したんだ」
凄惨であっただろう日々を、変わらぬ微笑みで語るアクセル。
現在、空の王国には『空』の名を贈られた勇者が二人いた。
『空の戦士』レウィと、『空の戦士』アクセル。
十歳で『空の戦士』の名を贈られたアクセルは、レウィの同僚であり師であり────かつての恋人であった。この三つの
そんなアクセルが、つい先日まで生死すらわからない状況だった。
一年程前、アクセルのチームは東の街エウロスの『錨』を繋ぎに旅立った。
それは、長く滞っていた海と空を繋ぐ、王国の未来のための重要な作戦であった。
『空の王国』は空を流れてゆく群島国家である。しかし、東の街エウロスが空を進む速度は他の島々よりもだいぶ遅い。長い時の果てにエウロスは王都ユリオプスや王国を形作る他の島々とはだいぶ離れてしまった。
他の島々とこれ以上離れたくないエウロス、少しでも果てより離れたい王国。
真っ先にエウロスが選ばれたのはそういった理由からであった。
三十年前に初めて空から錨を堕とした時はすぐにマーマンたちが鎖を伝って王国に攻め入って王国は多大な被害を受けた。今回は
作戦は、まず初めに敵に気取られないよう密かに鎖を打ち込みに行く必要があった。
それに選ばれたのが『空の戦士』アクセルだ。
アクセルは彼の『翼』である二名の仲間を率いて『海』へと降りていった。
その後、計画通りに『錨』は繋がれたが────代わりに彼らは行方知れずとなった。
その頃のことを思い出し、レウィは彼を責めるように聞こえないよう気遣いながら言った。
「あなたたちがいなくなって城は大変なことになった。その間のことを知りたいと思うのはおかしくないだろう」
彼らが姿を消して一年経った。ほとんどの人々は『空の勇者アクセル』を諦められなかったが、心情をよそに公的には粛々と『勇者の死』を前提に様々なことが動き始めた。
なのに、つい一週間ほど前にアクセルと二人の『翼』は満身創痍ではあったものの、何の前触れもなく王宮に帰還したのだった。
レウィをじっと見ていたアクセルが目を伏せた。
「…………記録にある通りだよ。それ以外、話せることはないんだ」
遠い東の街の島までは『船』と呼ばれる中型の飛空船を何隻も飛ばして、大勢の戦士たちが向かった。そして、アクセルたちはこの作戦の嚆矢となるべく、一団と別れて小型の『舟』でさらに三人だけで目的地へと向かった。
錨を繋ぐその周辺は、すでにアクセルをはじめ王宮の猛者たちが何年もかけて敵を追い払っていたから、それでも問題はないはずだった。
────だが、東の街エウロスを旅立った彼らの舟は、突然現れたマーマンの大群に襲われる。激しい戦いの中、辛くも錨を繋ぐことには成功したアクセルたちだったが、彼らの小型舟は破壊され三人も大怪我を負った。その後、幸運にも小さな無人島に舟ごと流された彼らは、王国と連絡を取ることができないまま一年近く怪我を癒やし舟の修理を試みていたのだ…………。
レウィは月明かりの下で白く光るアクセルの傷跡を見た。ほとんどがだいぶ癒えてはいるのだが、一年経っても残る痛みが、受けた傷の深さとまともに癒す術すら無かった過酷な環境を物語っていた。
────死ななくて、良かった。あなたが死んだら、きっと私は寂しい。
彼女の小さな小さなつぶやきは届いたのだろうか。彼は満足げにわらった気がした。
「────西風の街へ、錨を繋ぎに行くよ」
レウィのあまりに自然な一言を、アクセルは一度噛みしめてから理解する。
「――――――……行くの?」
「もちろん」
顔色を変えたアクセルへ、今度はレウィが安心させるように微笑んだ。そして、力強く続けた。
「帰ってくるよ」
アクセルは彼女へ伸ばしかけた手のひらを空で握りしめた。
「…………────君がバケモノと出会わないことを、心から祈るよ────」
「ありがとう」
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