空の戦士たち
カーテンの端をそっと押す。途端にまばゆい夏の日差しが飛び込んできて、僕は小さな悲鳴を上げて目を背けた。
すると、そんな僕に向けて忍びやかな笑い声が起きた。
「眩しいな? フロウ」
からかうような愉しげな声は耳に心地良い、甘いアルトの響き。
「レウィ…………」
一生懸命、首を伸ばして僕は声の主を見上げた。
「リナリアはドコ? お庭に居るの? 僕もそっちへ行ってもいい?」
ようやく強い日差しに慣れた僕の目に長い髪を風になびかせて微笑むレウィの姿が映った。青空を背に金髪が陽光を通してキラキラと輝いている。とてもきれい。
レウィは僕の言葉に首を少し傾げて────、返事の代わりに僕の元へとすたすたと大股で歩み寄った。
「今日のような強い日差しは、まだ小さいお前には毒なんじゃないかな。リアはさっき温室へ向かったから、私が一緒に行こう。運んであげるよ。」
そう言うと、レウィは僕をさっと抱え上げた。彼女は甘い声色や美しい姿を持っているが、淑女というより無骨できびきびとした言動の女性である。
冷たい鱗に覆われた身体は彼女が触れた温かな体温を心地よく伝えてくれる。だけど、さっきより近くなった太陽の眩しさに僕はくしゃみのような「キュウッ」という小さな声を漏らして、彼女にまた笑われた。
「ほんとうに可愛いね、お前は」
見上げるとレウィの瞳に映った僕が見えた。まるい瞳、小さな青い鱗と薄緑の尾ひれが太陽の光を弾いて白く光っている。
僕の名前はフロラ。リナリアが付けてくれた大切な名前だけど、みんなはフロウとかフローと呼ぶことが多い。
ホラ、「ハチベエ」くんを「ハチー」とか、「リュート」くんを「リュー」って呼ぶのと同じなんだと思う。ちなみに、ハチベエくんは隣の家の冠を被った真っ白なオウムで、 リュートはお向かいのキャラメル色の巨大な犬です。そして、僕は青い鱗のトカゲみたいなマーマンの仔。大きさは、まだお向かいのリュートよりもすごく小さくて、ハチベエくんよりちょっと小さいくらい。少し前に『こどものねこ』くらいだってリナリアが言ってたから、きっと今は『こどものねこ』より僕の方が大きいに違いない。
でも、中身はリュートよりかなりお兄ちゃんなんだよ? ちゃんとリナリアと同じ言葉だって話せるんだから!
「ね! リナリアは温室で『どんがってて』るんでしょ?」
僕が自信満々にレウィを見上げてそう言うと、レウィはちょっと困ったような笑みを返して、短く。
「解らん」
と、答えた。
────もう、絶対そうに決まってるのに。レウィも僕ほどはリナリアのことをわかってないんだな。
でも、それはちょっと僕とリナリアの親しさを表わしているようで、逆に嬉しい、かも!
「きょうはー、あかるい、そらのうえー」
なんだか嬉しくて小さく歌っているとレウィがまたくすっと笑った。ぱたぱたと動いていた尻尾が当たってくすぐったかったのかな。
僕たちが住む離れの軒先に設置された布製の日除けの下を歩きながら…………正確には歩いてるレウィの腕の中から、僕は
レウィは、僕の大好きなリナリアの親友。
…………終わらない戦いの続く、この王国の選ばれた『空の戦士』だ。
この国には『双翼』を従えて空を駆け戦う戦士たちがいる。彼ら、王国の戦士たちの中でも類い希なる力を持つ者に与えらえるのが『空』の冠。
レウィはその空の冠を戴く女戦士。王国の戦士たちを束ね、時には先陣をきって戦うすごい人だ。
僕は腕の中からレウィを見上げる。
ゆるく束ねた髪は肩の下まで。それは、夏の日差しみたいにキラキラと眩しい金髪だ。前髪の下から覗く、きりっとした眉の下には真夏の影のように黒々とした瞳。きゅっと結ばれた薄い唇。青空に舞うカモメを思わせる白い肌のすらっとした長身の身体。けれど、実は鋼のように硬さを持ち、組み込まれたばねのようなしなやかな動きをする。
戦場で『双翼』を従えて空を駆ける彼女の姿は凛々しく、そして鳥のようだろう。
────……僕はそれを見ることはないだろうけど……。
伸ばしたきゅっと首を下げて、それをレウィの胸に頭を押しつけた。すると、彼女は優しく僕の背中を撫でる。いつものココナッツみたいな甘くて爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。
「どうした?」
少し笑う、甘いアルトが耳に心地良い。
彼女と居ると安心する。
でも、それは僕だけじゃない。
その安心感は彼女が選ばれた空の戦士だからだって話す人がいる。彼らは、言うのだ。雲の上で戦う彼女は魔神のようにとても恐ろしいのだとも。
────レウィが恐ろしいなんてこと、ないはずだよ。
僕はリナリアの次に彼女を知っていると思っているけれど、それでも、時々尋ねずにはいられなくなる。
「レウィは、また、リナリアを連れて行くの?」
「…………悪いな」
僕は戦場なんて行ったことがないから、戦う彼女がどんなふうなのかは知らない。だけど、今の穏やかな彼女は知ってるから、こう思うのだ。きっと
────僕が生まれて二年くらい経つけど、一度もレウィの荒々しい姿なんて見たことないし、想像もできないもの。
むしろ、いつも荒々しくて、ついでに落ち着きの無いのは。
「…………甘い!」
聞きなれた声が聞こえた。
「ざけんな、ヘタクソ!」
かすれた怒声がそれに応戦する。
「居たっ!」
僕はレウィの腕からぴょんと飛び降り、騒がしい声のする方へと駆けだした。
『温室』は庭の奥にある。
半球型の透き通った屋根を持ってはいるが、実際はそう呼ばれているだけの建物だ。
僕が駆けて行くと、暑させいか両開きの大きな扉は開け放たれたままだった。
────ね、『温室の令嬢』と聞いて、どんな姿を思い描く?
苦労知らずの大切に育てられたお嬢様だろうか。
それとも、花が咲き乱れる庭で、もしかしたら、ガーデンテーブルに乗ったお茶やお菓子を優雅に楽しむたおやかな乙女?
そもそも、『温室』そのものの意味が余所のお家とはズレているから、同じ温室に入り浸る令嬢でも状況がかなり違うんだけど。
この『温室』はかなり大きく、そして、とても奇妙だ。
ドーム状の建物床と内外の壁はすべて真っ白。
天井は硝子のようにクリアだ。お陰でいつでも突き抜けるような青空が見えるけど、光や熱を調節する力があるらしい。そして、そこから差し込む陽光を白い壁や床が弾いて、室内は日中はいつでも程よく明るかった。
「リナリア!」
中は『温室』の二つ名にふさわしく緑が多い。
外壁に沿って作られた広めの歩道の両脇、太い柱と柱の間には様々な植物や木々が密集して植えられていて、そのせいで屋内はいつでも花の香りがした。
そして、その更に内側に僕が目指す場所がある。
「ううん……っと」
歩道を無視して植物の中を突き抜けた僕は、纏わりつく鎌型の葉を首を振って落とした。
足先に透き通った水がある。
視界が大きく広がった。
────そこは、浅く水を張った広々とした不思議な広場だった。
白い床石がそこだけ僅かに色づいて床に張った水が空の青をよく映した。
そこを皆は中天の景色だと言う。
────中天。本当にこんな所があるのかな。
その絶景に見とれていると、僕が追って来た彼女の声がまた響いた。
「あんた、スピードが出し過ぎなのよ。だからコントロールが甘くなるの」
「!」
嬉しくなって水面に踏み出す。
広場の端、水の上に張り出した石畳の上で一組の男女が言い争いをしているのが目に入った。
「いい? スピードはもちろん大切だけど、メリハリをつけて」
「自分が遅いのを棚に上げて何言ってやがる。オマエこそスピード上げて俺の動きについてこれるよう、精進したらどうなんだ? それこそ」
「スピード上げたってコントロールが甘くちゃ問題ありまくりでしょ。今の調子じゃ、あんたと同じスピードで駆けてたって同じ結果よ? そもそも、速いのは認めるけど、今はスピードを出すような────」
互いの言い分に予測がつくのだろう。相互に言葉を遮って怒鳴り合う青年と少女。
可愛い声を精一杯張って、ちょっと乱暴な物言いをしている小柄な少女が僕のリナリアだ。少しかすれた低い声で、かなり口の悪い細身の男の人がリナリアのパートナーのレネ。
「いつだってスピードは大事だろ? そもそも、俺がオマエのスピードについていける唯一の『翼』だからパートナーに選ばれたんだろ」
「違う! それは……っ、スピードはそうだけど────」
リナリアの、僕とお揃いの緑の瞳が強く光った。
「スピードが無くても、他に候補が居ても、私のパートナーはレネだけだよ」
「────……」
レネは何か言おうとしたようだけど、そのまま何も言わずに開きかけた口を閉じた。大真面目なリナリアに対して、彼はすっかり毒気を抜かれたような顔だ。
「……で。夫婦喧嘩はもういいかな?」
僕の後ろからゆっくりとした足取りで、笑いながらレウィが入って来た。
絡みついた小さな枝葉を払いながら、彼女は足元の僕に悪戯っぽく笑った。
「こんな所、抜けちゃ駄目だよ」
リナリアに抱きつくタイミングを逃した僕は、レウィの前をちょこちょこと走りながらリナリアの足元まで走った。
「夫婦喧嘩、終了ですよ。お気遣いありがとうございます」
「レウィ!」
レネが少しむくれながら振り返った。対してリナリアは可愛い顔をキラキラ輝かせながら華やいだ声でレウィの名前を呼ぶ。
…………なぜか色々と面白くない僕はリナリアの足元で抗議の声をあげた。
「あ、フロウ。ごめんごめん」
僕に気付くとリナリアは僕を抱き上げて優しく頭を撫でてくれた。ふっとオレンジの香りがした気がした。
「いつ戻って来たの?」
リナリアは、ゆっくり僕の頭を撫でながらレウィに尋ねた。相変わらず瞳はキラキラ輝いていてとても嬉しそうだ。対して、レネはさっきからずっと面白くなさそうな顔をしていて、僕は逆に気分が良くなった。
「今朝早くに。さっきこちらに着いて、ちょうどリアを探しているフロウと合流したんだ」
「そうなんだ。思ったより早くてびっくりした」
リナリアはにこやかに笑う。レネは少しリナリアから離れて仏頂面のまま彼らのリーダーに必要事項を確認した。
「女王様からの御言葉は下ったのか? 出撃はいつだ?」
「七日後。西風の街の錨を繋ぐ」
「────西風……」
リナリアとレネが息を飲んだのがわかったから、僕はさっきまでの明るい気持ちが再びシュウッと音をたててしぼんでいくのがわかった。
ああ、リナリアたちが行くのはきっと大変な場所なんだ────って。
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