第2話

「んー……?」


 高校2年の夏。

 大量の人間が集う、広場があった。


 コミックマーケット、通称コミケ。所謂オールジャンル同人誌即売会。

 といっても、ちかごろ女性向けジャンルのサークル参加者はめっきり減ったから、参加者の男性率は数年前に比べて跳ね上がっているらしい。


「誰だっけ……」


 コスプレ広場――その名の通りコスプレをした者が集うその広場には、囲み撮影(一人の被写体を大勢のカメラマンがぐるっと多い囲む撮影スタイルだ)をしているコスプレイヤーが数名居た。

 よほど人気でないと、囲みになることはない。というか、何がどうなったら囲みになるか分からない。


音羽おとはちゃん、どうしたの? 友達?」


 私の撮影をしていたカメラマン――2年ほど前から相互フォロワーの、体重100キロ超の巨漢――が、私の視線の先を追う。

 そこで囲み撮影をしているコスプレイヤーは、最近流行りのスマホゲームの、先日発表されたばかりの水着スキンのコスプレをしていた。

 スタイルがよくて、それでいて顔が良い。――完璧すぎて、腹が立つ。


「んーや、あそこのレイヤー、知ってる?」

「あー……、たぶん天動りりかな、スケブ見えないけど」

「てんどー? 知らねー」

「音羽ちゃん、ああゆうレイヤーさんに興味ないもんね」

「脱ぐだけで売れるから良いなーああゆうの」

「音羽ちゃんは脱がないの?」

「えっキモい無理マジやめて」

「ごめんごめん」


 鼻を鳴らしながら謝られて、溜息が漏れた。

 このカメラマン、私が素の態度でこういうこと言っても引かないから、まぁギリ、関係を保っていられる。たまにアフターとか誘われるけど、行ったことはない。つーか40過ぎのデブのオッサンが女子高生をアフターに誘うな。犯罪だ。

 私みたいな地味なレイヤーに声かける時点でワンチャン狙いなのは分かりきってんだけどね。こっちも多少は譲歩しないと、カメラマンすら見つからないわけ。


「そろそろ戻るかなー」

「じゃ、僕はこのへんで」

「ん、ありがとー」


 カメラマンに手を振って、広場を後にする。

 どうせ、私以外にも地味なレイヤーに粉掛けてるんだろう。

 幸い、物理接触はないタイプだし、言動は時折キモいが直球のセクハラはほぼないので、カメラマンの中ではマシな方。あとデブだけど臭くない。曰く体臭には人一倍気を遣っているらしい。ならまず痩せろ。50は落とせ。


「だっる……」


 真夏ではあるが、幸い天気は曇りなので暑くない。これで猛暑日だったらたぶん死んでたので、近づいてる台風に感謝せねば。


 サークルスペースに戻り、友人に後ろから声を掛ける。


「おつー、戻った」

「おっかえりー、どうだった?」

「人多すぎ」

「だよねぇ、防災公園まで行った?」


 うん、と頷き、キャリーの中から取り出したゼリー飲料を胃に流し込む。

 コスプレサークルが集まっているエリアは、同人誌即売会とは思えないほど華やかだった。何せ、売り子が皆コスプレをしているからだ。


 男性参加者の割合が増えたコミケにおいて、コスプレサークルのエリアだけは女性率が圧倒的に高い空間である。

 今日は友人のお手伝いでサークル入場したが、結局、昼前には新刊が完売したので、友人を置いてコスプレ広場の様子を見に行ってたのだ。


「そだナツメ、天動りりって知ってる?」

「テンドー……、あぁ、天動説の方の天動ね。どしたの?」

「や、近くで撮影してて視界に入っただけ。なんかどっかで見たことある気がしてさー」

「普通に写真回ってきてただけじゃなくて? ……ほら、うちのタイムラインにも居るよ。スキン発表から一週間も経ってないのに早いねー」

「いやま、水着だからでしょ、布ほぼないし」

「それもそっかぁ」


 そう笑う友人――年齢不詳本名不明、ハンドルネーム『海城ナツメ』との付き合いは、もう2年を超える。

 私より2,3は上だと思うけど、年齢を聞いたことはないので、初めて会った時からタメ口である。というか、あちらからタメ口で良いよと言ってきたから従ってる。

 私ほどコミュ力が低いわけでもない彼女のフォロワー数は2000人ちょっとはいて、まぁまぁ人気のコスプレイヤーだ。

 今日もイベントに持ち込んだ新刊はあっという間に完売したし(部数が少ないからというものあるが)、、売れてる方ではある。

 ちなみに私のフォロワー数は200人くらい。コミュ障で、性格も悪くて、顔も大して可愛くなくて、SNSでも愚痴かアニメの感想ばかり言ってる割には多い方だ。


「あ、貰ったものこのへん突っ込んであるんだけど、要るものある?」


 そう言って段ボールを指差すので、中を見る。アイスとか、お菓子とか、入浴剤とか、アイマスクとか――、アイス!?


「アイス入ってんだけど……」

「あー、捨てんの忘れてた。漏れてないよね?」


 恐る恐るパッケージを持ち上げる。中身はドロドロになってそうだが、漏れてはいない。個包装の棒アイスなのが幸いであった。


「大丈夫っぽい。……こんなん持ってくる人居たんだ」

「夏はちょいちょい居るねー、ま、流石に食べる勇気ないけど」

「そりゃね……」


 彼女が以前サークル参加していた時、差し入れされた入浴剤の箱を家で開けたら中に忘れ物追跡用のGPSタグが入ってたことあるらしい。誰から貰ったかも分からず、怖かったからすぐに引っ越したとか。

 コスプレイヤーは、男性カメラマンがストーカーにならないギリギリを見極めないといけない。だからって変に好感度上げちゃうと彼氏って勘違いして周りに喧伝したりするからキツい。非モテ男はすぐに勘違いしちゃうから、つかず離れずの距離を保つのは、案外大変だ。


「……あとで捨ててくるよ」

「よろしくー」


 一応全部チェックしたが、どれも要らないものだった。というか食べ物は保管状況が分からないから怖いし、なんか混入されてるかもしれないし、未開封に見えても中に何か仕込まれてる可能性もあるから、結局何を差し入れされてもゴミ箱行きだ。最早罪悪感も感じない。


「んじゃ、広場行ってこよかなー」

「いってら。テキトーにしてるからのんびりしてきな」

「うぃー。1時間かそこらで戻ると思うけど、店番よろしくー」


 友人を見送り、空いたパイプ椅子に腰かける。

 差し入れされてる中には同人誌も何冊か入っていて、偶然なのか故意なのか、ナツメが今日コスプレしているキャラの成人向け同人誌ばかりだった。

 手に取ってぺらりとめくる。未成年の私はまだ買えないけど、そういえば所持は違法じゃないんだっけ? 読んで良いけど買えないだけ? 忘れた。


 他に読むものもないのでしばらく差し入れされた同人誌を読んでいたが、まぁページ数が少ないし成人向け同人誌には内容なんてないしであっという間に読み終わり、スマホに移る。


「てんどーてんどー……天動説の天動って言ってたよね、……あーこれか」


 さっき見かけた、囲み撮影をしていたコスプレイヤーのアカウントを発見し、開いてみる。


 『天動りり』、アカウント開設日は大体3年前。

 フォロワー数30万、服は脱ぐがタイプの露出レイヤーで、簡単に言うと乳首は出さない。

 露出レイヤーは乳首を出す奴と乳首を出さない奴でジャンルが分かれており、こいつは乳首を出さない方なので、ファンサイトでエロ差分や即売会でエロい頒布物を作っていたりはしないらしい。所謂健全エロだ。グラドルの成りそこないと私は呼んでいる。

 本人によって投稿されている写真は結構加工されている。とはいえ囲み撮影をされるようなコスプレイヤーだ。検索すればいくらでも無修正写真が出てくるので、それを眺める。


「……やっぱどっかで見たことあるよなぁ」


 どれだけ見ても、どこで見たか、全然分からない。ナツメが言うように、ただタイムラインに流れてきただけの可能性もあるけど、露出レイヤーの写真が流れてきても顔まで見ない(乳デッカ、と声出て終わる)ので、顔を覚えるとも思えない。

 何より、名前に聞き覚えがないのだ。顔を覚えるほど頻繁に回ってくるなら、それより先に文字情報として名前を先に覚えているはず。


「誰だっけなぁ…………」


 もやもやを残したまま、私の高校2年の夏休みは終わった。

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偶像世界の百合事情 衣太 @knm

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