第10話

 ――そんな時間は、1分だったか、10分だったか、1時間だったか、

 時間の感覚すら曖昧になっていく中、ようやくぬとりと唇が離れていく。


「……あ、頭、おかしいんじゃないの」


 なんか、口べとべとすんだけど……。

 私を押し倒したままの姿勢で、完全にマウントポジションを取った天月が、私をじっと見下ろしている。

 赤い顔を、隠しもせず。


「おかしくないわ」

「はぁ? 同級生の唇いきなり奪う奴居たら、普通警察沙汰よ」


 同性でも性被害って成立するわよね? 自信ないな。


「呼ぶ? 呼びたいならご自由に。私は全力で弁解するわよ」

「すんじゃねーよ性犯罪者。捕まれ」

「私とあなた、警察はどちらを信用するでしょうね?」

「…………」


 いやそれ言われると勝てねーよ。仮にこいつが被害者ぶったら絶対私は負ける。

 ブスが性被害語っても「はいはいブスが妄想語ってんよ」としか思われないけど、美女が性被害語ると「実体験なんだろうなぁ、可哀想」と思われるアレ。警察でも絶対有効だわそれ。警察官、大体男だし。天月の味方になるに決まってる。


 ってことは、あれ? 私、こいつに何されても訴える場所ないってこと?

 …………ヤバくね?


「てか、なに、アンタレズだったの」

「違うわ」

「はぁ?」

「今なったわ」

「ならねーだろそんな急に。性転換する魚か?」

「なるわ。好きになった相手が女だったの」

「好きになんなよ……こんな目付きも性格も育ちも悪いチビを……」

「佐藤さんを馬鹿にしないでっ!!」

「私を!?」

 おかしいだろ言う方逆だろ。

「好きな人を馬鹿にされたら誰でも怒るでしょ!? だから私は怒るわよ、相手が例えあなたでもっ!」

「自分勝手にも程があるだろ!」

天月麻衣は、佐藤音花のことが好きになったの。ねぇ、これ何か問題ある? あなたが言ったんでしょ? 恋人に認めて貰えって!」

「言ったっけなぁ……?」

「あなたは私を認めてくれたでしょう」

「ん? あー、まぁそうか……?」


 確かにそんなこと言った気もするけど、なんか違くない? そういうイントネーションじゃなかっただろ。


「付き合って。答えは『はい』か『イエス』で」

「ノー」

「選択肢にノーはないわ。シーでもウィーでもダーでも良いわ」

「なんだそりゃ」

「答えて」

「ノーだっつってんだろ」

「襲うわよ」

「やめろ性犯罪者、傷物にするぞ」

「してみなさい」

「ごめんやっぱ今のナシ」


 インターネットでレスバするノリで返しちゃったけど、目の前の性犯罪者に言って良い言葉じゃなかったわ。どう考えても傷物にされるの私の方だ。


「じゃあ、二つ選択肢をあげる」

「実質一つなのは選択肢って言わねーんだよ」

「一つ、断り続ける。この場合、あなたがなんと言おうが私は佐藤音花のことを恋人だと公言するし、あなたが嫌がっても全力で付きまとうし、押し倒すし、大人の関係も結ぶわ」

「お、おう……」


 インターネットで悪意に慣れた私でもドン引きする選択肢だな。ちなみにそれは脅迫って言うんだよ。


「……もう一つは?」

「私と付き合う。そうしたら、公言しない方が良いなら誰にも話さないし、大人の関係も、……最低限の節度は守ると約束するわ」

「おい選択肢やっぱ一つしかねーだろ」


 最低限じゃなくて最大限守れ。選択肢って言葉の意味分かってんのか? 1つ目の選択肢と2つ目の選択肢を繋げて主人公の長尺台詞を書くソシャゲじゃねーんだぞ。


「断るってこと?」

「そっちじゃねーよ!!」

「付き合ってくれるのね!?」

「だから選択肢! もうちょいマシな選択肢を用意しろ!!」

「……普通に公言して付き合うという、第三の選択肢を用意するわ」

「一つ目とも二つ目とも変わってねーよ。まず付き合うのを諦めろ」

「嫌」

「なんで」

「普通の人は、普通に誰かと付き合ったりするものでしょう?」

「まぁ、それもそうか……?」


 言われてみるとそんな気はする。男っけなさそうなナツメでも年1くらいで彼氏変わったりしてるし。ちなみに毎回非オタの一般人。オタクの彼氏は趣味に口出してくるから嫌らしい。


「……待て、普通それは異性だ」


 忘れてた。確かにLGBTとかもてはやされた昨今だけど、私はノーマルだ。いや三次元の男で好きになった相手とかマジで一人も居ないけど、同性愛者じゃない以上たぶん異性愛者だ。


「……好きな人とか居るの?」

「しいて言えば天艸ゆい」

「なら私で良いじゃない!!」

「いいわけあるか! 頭沸いてんのか!? 自惚れんなッ!!」


 そう叫び返すと、馬乗りになったまま(いつまでどかないんだこいつは)自分の目に指を突き刺す。――あぁ刺したんじゃなくてコンタクトか――両目からコンタクトレンズを外すと、もう一度私の方を見た。


 ――蒼い双眸が、私のことを見下ろしていた。


「え?」

「私が、」


 コンタクトレンズを無理矢理外したからか、涙がポロリと垂れ、私の顔に当たった。


「私が、天艸ゆいよ!!!!」


 そう、叫んだ天月は、


 日本人離れした碧眼で、私の目を見て言ったのだ。


「……この目に見覚えあるでしょう?」

「めっちゃある」

「あと、こうすれば、ほら」


 後ろ手に髪の毛をまとめ、ポニーテールにしながら、もう片手は私の顔に伸びて眼鏡を奪い取りかける。


「度強っ……」

「文句言うなら返せ」

「これ見て、まだ分からない?」

「…………」


 碧眼、元気っ子のように跳ねるポニーテール、そしてリムレスの丸眼鏡。


 ――天艸ゆいだ。


 天艸ゆいは生まれた時から弱視で(それは碧眼を継いだ影響だという。ご先祖も弱視だったらしい)、ライブ中は裸眼でも、激しく動かない時はいつも眼鏡を掛けていた。

 可愛い顔がはっきり見える、リムのないリムレス眼鏡を。


 あぁ、こうしてホンモノを見ると分かる。やっぱ私、リムレス合わないな。リムで顔の雰囲気が変えられない分、地の顔がよくないと駄目なんだ。

 度が強いせいでただでさえ小さい目が更に小さく見えるし、安いレンズだからちょっと歪曲しているようにも見える。


「この眼鏡、私が昔使ってたのと同じものね」

「……そうだけど」

「しかも、ブランドまで一緒。高かったでしょ? お父さんが買ってくれたからよく知らないけど」

「嫌味か? クソたけーよ。6万した」


 中学時代に必死に生活費削って買ったわ。あの時期が一番キツかった。


「佐藤さんあなた、ゆいの大ファンだものね? そりゃ同じもの欲しくなるわよね」

「おい今ルビおかしかったぞ」

「私と付き合えて光栄でしょう?」

「ゆいはそんなこと言わない」

「キャラ作ってたのっ! 元気担当抜けて入ったからその枠だったし!!」

「……マジか」

「マジよ。素はどっちかというと未来みき様が近いわ」

「…………確かに」


 自分勝手で我が儘なお嬢様――遠野未来。通称『未来様』。RiLyのラストメンバーの一人で、年齢は引退時で17歳だっけ。

 確かに考えてみると、天月のキャラはあれに近い。何考えてんのかよく分からないのに自信家なところとか。


 逆に、ゆいが元気担当は、常にメンバーに入っていた。ちょっとお馬鹿なことを言って春のんに注意されるポジションで、最初は好ぴー、そこから2代目が少し長くて、3代目がゆいだ。

 アイドルを推すのに、分かりやすいイメージを運営側が提供するのは戦略として当然だ。イメージカラーだって先代から引き継ぐことも多いし(ピンクは最初から最後まで春のんの色だったが)、それによってファンはどうやって推せば良いかも分かる。


 ――それが、作られたキャラクターだとしても、消費者はそれに従うしかないのだ。


 だから、アイドルじゃない時に会ってみると想像とキャラが違ったとか、アイドルを引退して女優に転向した子がアイドル時代と全然雰囲気違うのにやけに合ってるとか、そういった現象を起こしやすい。テレビではお馬鹿キャラで売ってるのに実は真面目な勤勉タイプなんて、よくあることだ。


「……イメージ結びつかなかったのは、そういうこと」

「そうね」

「バレたことあるの?」

「自慢じゃないけど、一度もないわ。コンタクトも人前で外すことないし」

「……そりゃそうだ。仕事でもバレないもん? 顔知ってる人とか会うんじゃない?」

「んー……、ファッションモデルでメイクさん雇ってる人なんてそう居ないし、業界的にも全く違うから会わないわね。あぁ、でも一度だけ撮影スタジオで昔会ったことある人に廊下ですれ違ったけど、気付かれもしなかったわ」

「…………そっかぁ」


 そりゃ、気付かないよなぁ。

 眼鏡、ポニテ、碧眼の三つが揃ったら、私の目の前に居るのは間違いなく『引退して3年経った天艸ゆい』だ。優等生イメージ+露出レイヤーとしての印象のせいで正統進化とは言い難いが、同一人物であることは想定出来る。


 ――けれど、そのどれもが違ったら?

 眼鏡を掛けず、髪はお嬢様のように真っ直ぐのストレート、瞳の色は日本人の黒色。

 髪色や、化粧だって違う。だけど、たったそれだけで別人になるなんて、そんなこと――


「……あ」

「佐藤さんなら知ってるでしょうけど、私がコスプレを始めたの、これならバレないかなって思ったからよ」

「まぁ、うん、それもそうか」


 そうだ、コスプレと一緒だ。

 同一人物であっても、全く別のキャラになる。たとえ顔を見知った相手でも、メイクと髪型が大きく違えば、知人とすら認識出来なくなる。

 それが、コスプレという世界だ。

 人間が他人を認識するのに使っているのは、実際のところ全体的な顔の作りでなく、一つ一つのパーツである。顔だけで相手を見分けるのは、相当な特殊技能なのだ。


 それこそ、変装した芸能人を一瞬で見分ける能力を持つ週刊誌のカメラマンとかにはそんな能力があるというけれど、一般人が持っている能力ではない。

 明かされるまで、天艸ゆいの顔を毎日見ていた私ですら、なんとなく似てるかもとすら疑わなかった。それだけ、天艸ゆいは記号的な存在であったのだ。


「あー……」

「どうしたの?」

「いや、今更気付いたの。天動りりの顔になんとなく見覚えあったのって……」

「私、というか、ゆいでしょうね」

「だよねぇ……」


 てっきり、天月麻衣の顔を知ってるからだと思っていた。だが、そんな程度でそこらのコスプレイヤーに既視感を抱くだろうか? 同級生とはいえ、話したことすらない他人だ。

 それより、毎日ずっと天艸ゆいのポスターに囲まれて育ってきたから、脳のどこかが何かしらの共通項を見つけてしまった――、そう考えた方が無難である。


「それで?」


 ようやくマウントポジションから降りた天月は、ベッドに横から腰掛ける。


「で、とは」

「私に何か言うこと、あるんじゃない?」

「……元気だった?」

「それはもう、見ての通りの健康優良児よ」

「…………それは良かった」


 あぁ、オタクとしての私は、天艸ゆいのオタクだった私は、これでおしまい。

 もう、思い残すことはない。――彼女が元気に生きていた。それを知れただけで、かつての私は救われた。

 元気すぎて、わけわかんないことになってんだけど。発情期のウサギか?


「てかあんた、私がゆいのオタクだったこと知って近づいたわけじゃないでしょ?」

「そんなわけないじゃない。こう言ったら失礼と思うけれど、ちょっと前まで顔も知らなかったわ」

「……でしょうね」

「でも、今は彼氏――じゃなくて、彼女だしね」

「おい待てさっきの選択肢まだ選んでねーぞ」

「実質一択だって言ったじゃない。あれ同意じゃなかったの?」

「してねーよ」

「あなたの大好きだったアイドルが、今目の前に、手の届くところに居るのよ?」


 そう言って両手を広げた天月は、抱き締めろと言わんばかりの表情で首を傾げる。


「何もしないの?」

「……しねーよ」

「どうして? 少なくとも私は通報とかしないわよ。好きな人にされたらなんでも喜ぶタイプだと思うわ。嫌と言ってもつい口から反射的に出ただけだと思うから気にしないで」

「お、そうか、それは助かる」


 そう言うと、ベッドから這い出て立ち上がる。


「トイレ」

「この状況で放置されるのは想定してなかったんだけど!?」

「うっさい、人んで発情すんな」

「してませんけど!?」


 いや絶対してただろ。なかったら急に唇奪わねえよ。


「……ファーストキスだったのに」


 部屋を出て小さく呟くと、部屋の中から「なんてー?」と声が聞こえる。


 トイレに入って、扉を閉めて、しっかり鍵も掛けて、過去一大きな溜息を吐いた。

 手にしていたスマホのインカメを起動する。


 ――私の顔は、真っ赤だった。


 あぁ、いつからだろうな。

 っていうか、これ、マジでどういう状況なんだろ。

 全然分かんねー。

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