第4話
「佐藤さん」
ショートホームルームが終わり、アルバイトに向かおうと立ち上がった私を、廊下から呼ぶ声がある。
なお佐藤はありふれた名字であるが、このクラスには私一人だ。
天月麻衣。綺麗に前で手を組んで、はいお嬢様ですとても言いたげな立ち姿に、クラスメイトが騒然とする。
――邪魔だったので、反対側の扉から出た。
「ちょっと佐藤さん!?」
走って追いかけてきた。優等生が廊下を走るな。
「バイトあるんだけど」
不良ではないが誰とも話さない、ぼっちでチビで寸胴で眼鏡で目付きが悪い女と、いかにもな優等生が並んで歩く姿はよほど不思議なのだろう。通りがかる生徒達が、みんな私たちの方をチラ見する。
クラスでちょっと話すオタク男子が「この口答え……流石だぜ……」なんて驚嘆の声を漏らしている。うっせ。
「……では、帰り道だけで構いませんから、お話しましょう」
「えぇ、嫌ぁ……」
「私に話しかけられてそんな態度取る人、あなただけですよ」
「へー、ごめんなさいねそういう社交辞令とかよく分からなくて。育ちが悪いもので」
「しゃっ、…………いえ、佐藤さん、あなたにも興味がある話と思いますが」
「マジで? リューライに石増殖バグでも見つかった?」
「いえそういうのではなく」
スマホを操作する天月は、SNSを開くととある文字を検索窓に打ち込む。
「佐藤音花、――いえ、音羽さん」
ぴたり、と足が止まる。
今、聞き間違いでなければ、私のことを――
「してるじゃない、あなたも」
恐る恐る、天月のスマホを見る。
ハンドルネーム『音羽』、フォロワー212人のコスプレイヤー。
――私だ。
「…………黙秘権を行使する」
「生意気系のショタキャラが多いのね。確かにあなたの雰囲気には合ってるけど……」
「うっせ黙れ」
置いていこうと速足になっても、しかし私より随分長い足の天月はすぐに追いつく。
「お話、しましょう?」
「…………バイトの時間までならな」
しまった、やりすぎたか。
しっかし、まさかバレるとは。弱小レイヤーのアカウントなんてよく見つけたわね……。
靴を履き替え、下駄箱で姿が見えなくなった今がチャンスとばかりに駆けだすと、それを予知していたか、ほぼ同時に校舎を飛び出した天月が私の前に立ち塞がる。優等生って足も速いのかよ。
「で、何の用? 脅し?」
これ今朝もしたな。攻め手は逆だったけど。
「脅し……、いえ失礼なことを言うけど、私があなたを脅したところで、何か得があるとは思えないわ」
事実だから腹立つな。
「……じゃあ何」
「合わせ、しない?」
「…………ハァ?」
「あら、友達の少ない弱小レイヤーは『合わせ』もご存知ないかしら? 同じ作品のコスプレを一緒にすることだけど……」
「いやそんくらいは知ってるわ」
馬鹿にすんな。
「フォロワー30万も居るんだし、リューライなんて旬ジャンルだからいくらでもレイヤー居るでしょ。なんで私?」
「え、折角知り合えたんだし一緒にコスプレしたいと思っただけだけど……。私実は、コスプレ友達全然居ないのよね」
「…………ハァ?」
フォロワー30万居て、友達居ないとぬかすか? んなわけ――
「そんなわけないと思った?」
「……そうだけど」
「実際、居ないのよね。私のフォロワーってファンだけだし」
「あー…………」
「それにその、……女性からはやっかみの方が多くて」
「そりゃそーだ」
コスプレなんてほぼ女社会なんだから、男ウケに特化した露出レイヤーは同性に叩かれるのが常である。
というか、女社会は自分より可愛いものを許せない世界だし、人気者はまぁ大抵叩かれる。
「別に合わせなんてしなくてもコス楽しめてんでしょ? じゃあそれでいいじゃない」
「……どうして?」
「ん?」
「いえ、どんなことでも一人でするより他人と一緒にした方が楽しくない……?」
「いや別に」
こりゃ根本的に人生観が違うわ。
私は別に、誰かと遊ばないと死んでしまうような弱メンタルではないが、誰かと一緒に居ないと死んでしまうタイプの女は、まぁ割と多いのだ。ウサギちゃんか?
「……合わせ、したことある?」
「あるわよ……」
学校では友達居ないけど、ネットでは、まぁ、居ないわけでもない。ナツメとかね。あとナツメの友達とか。合わせたことは何度もあるわよ、これでもね。
まぁ知らない人の多い大型合わせとかはナツメに誘われても断ったけど。
「自慢じゃないけど、私はないわ。友人に言えない趣味を持ってる者同士、仲良くしましょう? ……あぁ、違う違う」
優等生のようにふふっと笑って、天月は言う。
「失礼、あなたは友人が居ないんだったわ」
「ぶん殴って良い?」
「どうぞご自由に?」
無抵抗の姿勢で言われると、うわぁ、殴りてえ……。
しかしどのような状況であっても、私が天月を殴ったら悪いのは私になるだろう。それが他者からの評価の差というものだ。優等生ずりー。
「というか、あなた」
「……何」
「可愛い顔してるんだから、男キャラ以外もやったら?」
「…………」
「メディア欄3年分くらい遡ったけど、女キャラほぼやってないみたいだし」
「…………キモ」
「キモくない」
「いや特定したのもそうだけど、全部チェックしてんのは素直にキモい……」
「キモくないって!!」
声を荒げた天月は、はっとした様子で周囲を伺う。幸い、学生らが向かう駅と反対方向に歩いているので、生徒らしき姿は見当たらない。優等生が崩れるところは人に見られたくないのだろう。
天月に指摘されるまでもなく、私はほとんど男キャラ、それも低身長のショタキャラのコスプレばかりをしている。
ただ好きだからが半分、身長的にやりやすそうな低身長のロリキャラは、30過ぎても10代に見えるような童顔レイヤーの魔窟だから混ざれる気がしないのが半分だ。
ナツメにもちょいちょい女キャラやるように言われるけど、キャラの多いスマホゲームなら私がコス出来そうな男キャラの一人か二人は居るものなので、現状なんとか逃げきれてる。
たまにやる女キャラは、昔から好きなアニメのキャラ(しかも私がコスしないとレイヤーが居ないようなマイナー作品)くらいだ。
「そもそも、どうやって見つけたの?」
「どうって、……探しただけだけど」
「探すも何も、レイヤーってことすら知らなかったんでしょ? そんなの探しようが――」
「コミケのタグ付けてる投稿されてる写真を全部見て、見つけただけよ」
「…………ん?」
「え、だってそのくらいしか探しようがなくない……?」
「……まずどうやって私がレイヤーって判断したの?」
「コスプレしてない人が、コスプレメイク前後の顔見て分かるわけないじゃない」
それもそうか。私もコスプレしてるから天月と天動りりが同一人物って分かったわけだし。
しかし、想像以上のゴリ押し特定だ。
私の写真撮ってる人はそう居ないけど、毎回写真を上げるカメラマンは居る。確かタグ付けてたと思うから、なるほどそこから見つけたか。あんのデブ……!
「私トワイスやるから、あなたは司令官ね」
「はぁ創作男主!? あんた夢女だったの!?」
「違いますけどっ!? むらピコ先生の公式漫画ですけど!?」
「あーあの原作崩壊やべー奴……読んでねー……」
「17話から20話にかけて司令官がショタ化してたんだけど……ご存知ない?」
「ご存知ねーよ。常識みたいに言うな。つーか何でショタ化してんだよ」
「ヒロイックの発明品で……」
「うーわっ……同人誌かよ……」
「……近いけど。ショタ司令官が駄目ならシンプルにハルフィーとか? それなら私トワイスじゃなくてアデリアやるし」
「ねぇ勝手に計画進めないで。合わせするなんて一言も言ってないんだけど」
「しよ?」
「嫌」
「なんで?」
「…………あんたと合わせなんかしたら、添え物になるでしょ」
嫌な理由は、それだ。
フォロワー30万、男ウケに特化した露出レイヤーと、フォロワー200の弱小レイヤーだ。一緒に合わせなんかしたら、私が背景になるのが目に見えてる。なんならピントすら合わないかもしれない。
カメラマンにその気がなくても、太陽の隣にちっさい星があっても誰も視界に入れない。そういうものだ。
なんというか、オーラからして違うのよ。ギリ勝ってるのは衣装の完成度くらいね。
けど、衣装のクオリティなんて気にするのはレイヤーだけ。カメラマンも、ましてやネットで写真を見るだけのオタクに、布や縫製の違いが分かるはずがない。
「……え、なんで?」
しかし、何も分からないといった顔で返され、溜息が漏れる。
「は? いやなんで分かんないの?」
「背景って、……二人で一緒に撮ったら二人とも映るでしょ?」
「…………あー」
そうか、なるほど。ようやく分かった。
こいつは、天月麻衣は、恐らく生まれてこの方、人に注目されることを当然のことだと思っている。
視線を感じることなんてないんだろう。
他者の気持ちを邪推することなんてないんだろう。
ただ、我が道を往けば、周囲が同調してくれる、そんな世界に生きてきたんだろう。
だから知らないんだ。人は、無意識で差別をすることを。
人は、可愛い女と可愛げのない女が一緒に居たら、無意識で可愛い女の方を見てしまうことを。
「悪いけど、本当に無理」
「どうして」
「人気者のあなたに言っても、絶対伝わらない」
「…………そう」
「だから、もう誘うのはやめて。言いふらしたいなら好きにして。どうせ友達なんて居ないから、大して困らないわ」
「……言いふらさないわよ」
「あっそ」
立ち止まった天月を置いて、バイト先のカラオケに向かって歩く。
少し歩いて、ふと振り返った。
一歩も動いてない天月が、俯いていた。
「……ごめんなさいね」
これは、私の弱さが原因だ。
格が違う相手と、横に並ぶ自信なんてない、弱い自分が悪いんだ。
天月は悪くない。けど、私にはこういう生き方しかできないから。
「もう、話しかけて、こないでよ……」
誰にも聞こえないくらいの声量で、そう、小さく呟いた。
天月と話していると、自分が惨めになる。
あいつに悪気がないのが、少し話しただけで分かったから。
むしろ、悪意100で来られた方がまだマシだ。そういう相手との会話の方が、私は慣れてるから。
あんな、善良な、愛されて生きてきたような女に、
――私の何が、分かるのよ。
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