第5話
体育祭を9月にやる高校は、あまり多くないらしい。
昔は夏の風物詩だったなんて聞くが、その理由は――
「あっつ……」
直射日光を食らい、汗がダラダラと流れる。
この暑さで半日も外に居たら、救急車が何台あっても足りないだろう。体育祭が春や秋になるわけだ。
とはいえ、温暖化が進む昨今。9月半ばでも30度を超える日なんてザラにあるし、現に今日は最高気温33度。普通に夏である。
私はお値段の張る
じりじりと焼かれるような暑さの中、明日の体育祭で使う来客用テントを組み立てていると、ふと、視界の端に見覚えのある人影を捉える。
「あれって……」
佐藤。――佐藤音花。
私が周囲に隠しているコスプレ趣味に、恐らく唯一気付いた同級生。
分厚く丸い
友人たちに聞いてみると、去年同じクラスだった子すら、話したこともないと言われるくらい、周囲から孤立している。
いざ話してみると、その情報からは信じられないくらい雄弁だったけど――
結局、あれ以来一度も話せていない。
いつもの私なら、グイグイ攻めることも出来たはず。けれど、別れ際にあの、悲壮な顔を見た私は、自分が何か間違っていたんじゃないかと思ってしまった。
何を間違えたのか、分からない。けれど、正しい選択をしたのであれば、佐藤さんにあんな顔をさせることはなかったはず。
その答えが見つからないまま、もう2週間も経ってしまった。
あちらから接触してくることはないし、コスプレ趣味がバラされた様子もない。一応毎日エゴサしてみてるけど、特定に結び付く情報が開示された様子はない。
私が無意識で酷いことを言ってしまったのだとしたら、報復にあちらの持つ最強のカードを切ってしまう手だってあるのに、彼女はそれをしない。
――分からない。
佐藤音花のことが、何も分からない。
こんなに人のことが分からなくなったのは、初めてだ。
「んー……?」
パイプ椅子を両手に持って運んでいた佐藤さんが、ふら、ふらと揺れる。
身長150cmもないみたいだから、重いのかな? なんて思っていると――
ばたん。
倒れた。
がしゃっと倒れるパイプ椅子の音。
一瞬硬直した、彼女のクラスメイトであろう女子たち――
「え」
一緒にパイプ椅子を運んでいた女子が、彼女を見下ろすと首を傾げ、――そのまま自分の荷運びに戻った。
「はぁ!?」
思わず声が出てしまい、テントの設営を放り投げて駆けだした。
「大丈夫っ!?」
彼女の傍に行き抱き起こす。――身体が熱い。
虚ろな目が私の方を見たが、しかし口は開かれない。
ひゅー、ひゅーと、微かな呼吸音。こんなの確認しないでも分かる。熱中症だ。
「先生っ!!」
私の澄んだ声は、よく通る。
――昔から、よく言われたのだ。
距離があったからか、佐藤さんが倒れたことには気付かなかった体育教師がこちらに駆け寄ってくると、慣れたものか、「冷やすもの持ってくる!」と叫び走っていった。
ともかく、運ばねば。
直射日光に照らされたグラウンドより、まだ体育館の方が多少はマシなはず。
「軽っ……」
一人で持てるかな、と背負ってみると、――佐藤さんは、想像以上に軽かった。たぶん30キロ台だ。
確かに小柄に見えたけど、まさかここまでとは。小学生くらいしかない。
お陰で背負って運ぶのは容易であったが、しかし心配になる軽さである。ご飯とかほぼ食べてないんじゃなかろうか。SNSのアカウント、結構病んでる感じに見えたし。
体育館の端っこ、エアコンの風がよく当たるところに寝かせて3分ほど待っていると、先生が戻ってきた。
氷水の入ったたらい(たぶん佐藤さんより重い)を抱えた先生は、中に入れていたタオルを私に渡してくる。
「全身冷やしたいところだが、……サイズがな」
「いくら小柄でも、流石に入らないですね……」
このたらいじゃ、精々腰くらいか。並々注がれた氷水が溢れ出て体育館を水浸しにするのが目に見えているので、冷たいタオルを何枚も使って身体を冷やす。
こんな時プールに水が貼られていれば入れることだって出来たろうに、我が校のプールはどんな事情があってかずっと昔から使われていないので、そこには濁った汚泥が溜まっている。
「意識もないみたいなので、恐らくⅢ度の熱中症です。早急に救急車を手配すべきと思いますが、まだされてないですよね?」
私と一緒に佐藤さんを拭いていた先生に聞いてみたが、首を横に振られた。
「……天月は知らないだろうが、佐藤が倒れるのは、あまり珍しいことじゃない」
「そうなんですか?」
「あぁ、特に体育はな。本人は貧血気味なだけと言っていたが……」
「いつもはすぐに良くなるんですか?」
先生はコクリと頷いた。
私には入院が必要なレベルの熱中症に見えるのだが、先生がそう言うのならそうなのだろう。ここで疑って無理矢理救急車を呼べるほど、私は自分の判断に自信が持てない。彼女と会って、またほとんど経っていないからだ。
「……では、とりあえず冷やして、あとは親御さんに迎えに来てもらうくらいですか」
「…………それなんだが、」
どこか言いづらそうにした先生は、周囲の目がないことを確認し、小さな声で告げる。
「天月なら、良いか……。佐藤の家は、かなり複雑でな」
「複雑?」
「……まぁ、所謂育児放棄ってやつだ。入学前に、通っていた中学から連絡があった。佐藤の両親は離婚してて、小学生の頃から家に一人で暮らしてるらしい」
「ひ、一人で? 小学生の頃から……!?」
「一応戸籍上の親――父親なんだが――は居るには居るが、他所で家庭を持ってるらしくてな。学校から連絡すると数時間校長を拘束するレベルで激怒するらしい。そんな忠告があったから、何かあっても学校から親には連絡していない。というかまぁ、電話にも出ないんだが」
「…………」
ちょっと、想像以上に複雑な家庭事情である。
こんなの同級生に教えて良いレベルを超えてると思うのだが、私なら誰かに言いふらしたりしないと確信しているのだろう。
親に愛され、やることなすこと好きにさせてもらえていた私とは、大違いである。
「……では、どうしてるんでしょう」
「いつもなら保健室に寝かせて、動けるようになったら自分で歩いて帰ってる」
「…………児童福祉相談所に連絡とかはしたんですか? 確か、親から子を引き離すことが出来たはずですが」
「中学時代の担任が、したことはあるらしい。だが――」
これまた言いづらそうに、頭をぼりぼりと掻いた先生は、「あー……」と声を漏らすと私の顔を見て言う。
「近隣住民から、既に何度も通報されてるらしくてな、だが、虐待の痕跡はなく、生活費は不自由ない程度に渡されている。そして何より、本人が望んでいない」
「それは、……ストックホルム症候群ではないですか?」
「……そんな言葉、よく知ってるな」
ストックホルム症候群。誘拐された場合などに、被害者が犯人のことを好きになってしまうこと現象だ。
相手の態度を損ねたらまずいと無意識化で判断し、心理的に依存してしまう状態。DV被害者などにも度々見られると、ネットの記事で読んだことがある。
「佐藤の境遇は近所では有名らしくてな。だが児相の判断はいつも同じで、『仕事が忙しい親が子を家に残して仕事に出ているのと何が違うのか』――と、そう返されるらしい」
「…………」
「俺もやりすぎだとは思う。……が、校長も事なかれ主義でな。学校としては極力関わらない方針なんだ」
「そう、……ですか」
これを聞いて、責任逃れだと言及することだって出来るだろう。
だが、私は先生たちの気持ちが分かってしまう。それに、佐藤さんが保護を求めていないというのも、恐らく事実。少し話した程度だが、他人に保護されることを望む性格とは到底思えない。
「……分かりました」
「あぁ、分かってもらえると、こちらとしても――」
「私が彼女を家まで送ります」
「助か――、え?」
「住所を教えてください。タクシーを呼びます」
「え、いや、だからって天月がすることじゃ――」
「じゃあ先生が連れて行ってくれるんですか?」
「……それは、」
「なので、私が連れて行きます。どうせ、何かあっても学校から救急車は呼べないんでしょう?」
「…………」
「家であれば、最悪の場合でも遊びに来ていた友人が救急車を呼んだていに出来るはずです。時間が時間なので、詭弁と思われるかもしれませんが」
平日の昼間に女子高生の家に遊びに来てる友人なんて普通は居ない。だが、仮にその父親に知られても、絡まれるのは学校でなく私になるはずだ。一緒にサボってましたとか、適当な嘘をつけばいい。それなら先生も文句は言えまい。
「……分かった、だがもう少し落ち着いたらだ」
「そのつもりです。……体温、下がってきてますね」
氷水で冷やしているお陰か、顔の赤らみはなくなってきているし、呼吸も随分落ち着いてる。
これならもう少しで運んでも良さそうだ。本当にⅢ度熱中症ではなかったのか。やっぱりネットの聞きかじりじゃ駄目だな。
タクシーを呼ぶと、先生に住所を書いてもらったメモを渡す。
体操服の女子高生二人、しかも片方は寝ている――、運転手にはだいぶ不審そうな目で見られたが、後ろに先生が立っていたお陰か乗車を断られることはなかった。
市街地を10分ほど走らせ、小さなアパートの前で下ろされる。どうやらここが佐藤さんの家らしい。
全8部屋、戦後すぐに建てたんじゃないかと思えるほど、古びた木造アパート。
先生に持って来て貰っていた通学鞄には数字のテープが貼られた武骨な鍵がぶら下がっていたので、これが家の鍵だろうとアタリをつけていたが――、正解。これで違ったら大家さんを呼ぶところだった。
「お邪魔しまーす……」
背負ったまま、部屋に入る。
――涼しい。むしろ寒いくらいだ。
玄関で靴を脱ぎ、どこに下ろそうと部屋を見る。
構造的には、恐らく1K。区切りの戸が開けられ、居室のエアコンは付けっぱなしになっているようだ。
キッチンには最低限の調理器具に、一人用であろう小さな冷蔵庫が置かれていた。
コンロの周りは少し汚れているが、逆に言うと使われている痕跡があるということ。これでゴミ屋敷だったら流石に引いた。
そのままキッチンエリアを通り過ぎ、居室に入る。
「……え」
強風を吐く古びたエアコン。
ぱたぱたと靡くカーテン。
――壁前面を覆い尽くす、アイドルのポスター。
随分前から貼りっぱなしなのか、ポスターは随分と日焼けして色落ちしている。
それでも、そのポスターに映るアイドルが誰なのか、私はすぐに分かった。
「『
それは、数年前まで活動していたアイドルグループだ。
元は、ネット配信専用の単発ホラー映画の主演を務め一躍有名となった、一人の女子高生――『
芸能界なんて一切興味のなかった琴浦春乃だが、高校のOBが自主製作映画を撮影するとのことで、その主演をしたのが芸歴の始まりである。
素人とは思えない演技、主演女優にすら映画の詳細を知らされていないという(なんとホラー映画ということも知らなかったらしい)自主製作映画あるあるによって、本気で恐怖に歪む表情、そして何より、誰の耳にも通る綺麗な声――
1カ月もしないうち数億再生されたその短い映画は、彼女を、琴浦春乃をネットユーザーに刻み付けるには十分だった。
彼女に声を掛けた芸能事務所には、準所属の声優や俳優の卵が何人もおり、琴浦春乃をセンターに置いたアイドル企画として立ち上げられた。
そして、1年後には4人組アイドルグループ『RiLy』のリーダーとしてメジャーデビューを果たし、ファーストシングルは楽曲配信サイトですぐに1億再生を突破。
それから6年もの間、数度のメンバー交代を挟みながらも、確固たる地位を築いてきた――
それが、今から3年ほど前の話。
琴浦春乃が有名プロデューサーに枕営業を掛けていたという週刊誌の記事が出回り、ネット出身のアイドル、RiLyは、解散せざるを得なくなった。
もっとも、そのプロデューサーには妻子が居たが随分前に離婚しており、子の親権も持っておらず、それから女遊びすらしないタイプだったので、二人に歳の差はあれど真剣な交際だったのでは――、なんて言説も出回ったが、一度ついた黒い噂を払拭することはなく、RiLyのメンバーは全員、グループの解散と共に芸能界から姿を消した。
かつては時代を作ったアイドルであっても、解散から3年も経った今、RiLyのファンを自称するインターネットユーザーなどほとんど居ない。アイドルオタクは、現役アイドルを推す方が楽しいからだ。
――それなのに。
一度も剥がされていないであろう、日焼けしたポスター。
他のアイドルのポスターやグッズなどは、一つとして置いていない。
彼女はただ、RiLyだけを推しているのだと、この部屋を見れば馬鹿でも分かる。
まだ意識を戻さない佐藤さんをベッドに寝かせ、ポスターに近づく。
「……そっかぁ」
そういえば、前に言ってたっけ。
「どこかで見覚えがあった、ね……、そりゃそうよ」
ポスターのほとんどはグループ全員が映ったものだったが、その中に数枚、ソロで映ってるものがあった。
世にも珍しい碧眼の日本人、メンバー最年少の13歳で加入した、その子の名前は――
「
ぴとりと、ポスターに手を触れる。
あぁ、懐かしいな。そういえばこんなポスターもあったっけ。
加入期間が短いこともあり、作られたグッズはあまり多くない。それでも、グループが解散してから3年間剥がさなかったであろうこのポスターは、きっと彼女にとって特別なものなのだろう。
「んん……」
もぞり、とベッドの上で動く気配。
後ろを振り返ると、――きっと無意識なのだろう。掛け布団に包まっている。
彼女はまるで、何かから身を守るように。
小さく、小さく、丸まっていた。
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