第6話

「ん……?」


 目が覚めると、私は自室のベッドで寝ていた。

 記憶を辿る。どこで何をしていたのだろう。


 昔から貧血気味で、なんなら低血糖で、ついでに言えばてんかん持ちで、様々な要因で意識を失い慣れてる私にとって、目が覚めたら知らない場所に居るというのは別に珍しくもない。

 一度だけ本当に知らない家に居てビックリしたことがある。通学中に倒れて近所の知らないおばさんに介抱された時だ。(といってもあちらは私のことを前から知っていたらしい)


「家……家……」


 学校に行くのを忘れて寝ていた……わけではない。登校した記憶はある。なら昨晩寝すぎて翌朝になった……、にしては時計の針は4時を指してるのに外が明るい。


「……あー」


 思い出してきた。あれだ、体育祭の準備をしてたんだ。最後の記憶は曖昧だが、何かを運んでいた記憶がある。


「あれっ、起きた?」


 しかしキッチンからひょっこり顔を出してきた女を見た瞬間、思考が止まった。


「げ」


 天月麻衣。他クラスの優等生で、それで露出レイヤー。

 二度と話すこともないと思っていた相手が、何故か私の部屋に居る。幻覚かと思ったけど、幻覚なら二次キャラに留めて欲しかった。


「げって何よげって。誰があなたをここまで運んだと思ってるの?」

「えーと……、なんだっけ、高橋さん?」

「天月よっ! 天月麻衣!! どっから出てきたのよ高橋! どこの女よそいつ! っていうか間違えるほどありがちな名字じゃないんだけど!?」

「そうそう、天動りり」


 ぴくりと、顔を硬直させる。


「……元気そうでよかったわ」

「お陰様で。んと、あんま覚えてないんだけど」

「外で倒れて、私がここまで運んだの」

「それは素直にありがとう。でも、保健室行きじゃなかったの?」

「いつもは保健室って言われたんだけどね、心配になっちゃって。明らかに熱中症だったじゃない」

「熱中症……、あー、そういえば暑かったっけ」


 それもあるだろうけど、たぶん朝抜いてたから低血糖だったのもあるだろうな。

 別にダイエットをしているわけではない。ただ、抜いても死なないから抜いてるだけ。


「それも覚えてないの……?」

「どっかの健康優良児と違って貧弱なもんで。んで、あんたはそっちで何してんの?」

「何って、ご飯作ってるんだけど……」

「は?」


 ご飯作ってるって、今そう言ったか?

 包丁なんて触ったこともなさそうな顔して、何を作るんだ。っていうか冷蔵庫に食材なんてほとんど入ってなかったと思うんだけど。


「ちょっと待ってね、今作ってるとこだから」

「何を……?」


 そう言うとキッチンに引っ込んでしまったので、スマホを探すと――枕元に置いてあった。しかも2台とも。親切なこって。


 スマホゲームを起動してデイリー消化していると、30分くらい待ったろうか、天月が大きなお椀を持って部屋に入ってくる。インスタントラーメンとかで使うお椀だ。


「お待たせ」

「何作ったの?」

「おかゆ。見て分からない?」

「病人じゃないんだけど……」

「日中倒れて6時間目を覚まさないのは、世間一般じゃ病人って言うのよ……」


 呆れ顔で返される。それもそうか。私にとっては日常だけど、知らない人、特に身体が丈夫な人にとっては一大事だろう。


「待って、おかゆってガチのおかゆじゃない」


 お椀を受け取ると、白一色だ。なんかこういう麻雀の役あったっけ。


「ガチじゃないおかゆって何?」

「え、いや、……頂きます」


 流石にこの状況で文句言うのもな、とレンゲを手に、おかゆを口に近づける。大量の湯気が出ているので、ふぅ、ふぅと冷まし、ぱくりと一口。


「味無っ」


 若干出汁の香りがするけど、塩味は一切ない。ガチのおかゆだ。


「あ、やっぱり?」

「やっぱりて」

「レシピ見て作ったんだけど、味ないだろうなーと思ったのよね……」

「味見しなかったの?」

「したけど、そういうものだと思ったの」

「…………冷蔵庫、梅干し入ってるから取ってきて」

「はいはい」


 溜息交じりにキッチンに戻った天月が、梅干しの入ったタッパーを持って戻ってくる。

 近くに住んでる老夫婦が毎年漬けてる梅干しだ。私のことを孫かなんかと勘違いしてるのか、よく漬物をくれる。老人の自家製漬物なだけあってクソ酸っぱいやつ。塩の入ってないおかゆにはちょうどいいし、放置しといても腐らないのがいい。


「すっぺ……」


 おかゆに突っ込んだ梅干しをぐちゃぐちゃにかき混ぜ頬張る。酸っぱいが、丁度いい。酸っぱいというかしょっぱいだけど、一体どんだけ塩入れてんだろ。おかずない時は梅干しだけで白米食べたりする。


「冷蔵庫、食材ほとんどなかったけど、買いに行ってないだけなのよね?」


 私が食べてるのも構わず話しかけられるので、「んーん」と首を横に振る。

 正確には、買いに行かない、だ。食材は本当に必要最低限しか買ってない。主に炭水化物。近所の老人たちが色々くれるというのもあるけど、小食なのもあって、肉や野菜のような日持ちのしない食材を買ったところで腐る前に使いきれないからだ。

 腐らない、かつ安いものはよく買う。レトルトカレーとかラーメンとか。魚はあれね、鯖缶。肉はほぼ食べない。


「……お腹空いてたの?」


 私の食べるペースに驚いたか、そう聞かれるので頷き返す。

 最後の一匙を口に運び、ほとんど噛まずに飲み込んで答える。


「昨日の夕方から何も食べてなかったから。ごちそうさま」

「朝は!?」

「いつも食べないの」

「だから倒れるのよ……」

「でしょうね」


 自覚してはいるのよ。でも普段はそう倒れないし。直射日光の下で活動していたのがよくなかった。私は人間より吸血鬼寄りなのよ。


「……冷蔵庫の煮物、温めてこようか?」


 私がお椀をじっと見ていたことに気付いたか、天月が心配そうな顔で聞いてくるので「お願い」と返す。お粥には炊飯器に入れっぱなしで保温してた米を使ったんだろうな。あと一食分くらいだったから、これ以上はないのだろう。

 お隣さんの作った煮物は、貰ったの4,5日前だけど経験上まだ大丈夫。老人が作ったものって大抵塩味効いてるからね。


「ひゃぁっ!?」


 なんて声が聞こえてくる。虫でも出たか? と思ったけど、どうやら違うらしい。


「そ、その、佐藤さん? レンジがすごいことになってるんだけど……」

「レンジ? あー、普通に使えるから大丈夫」

「使えるの!?」

「使えるから」


 驚いたのはそれか。うちのレンジ、元は近所のゴミ捨て場に捨てられてたやつなのよね。

 外見上は普通の小型レンジだが、開けると中は真っ黒だしちょっと焦げた臭いがする。たぶん何かを発火させてしまったのだろう。発火というか炎上の後っぽいけど。

 試しに持って帰ってきたら普通に使えたので、それから3年くらい使ってる。たまに変な音鳴るしターンテーブルは回らないけど、温め機能は使えるので買い替えていない。

 キッチンから聞き慣れた異音。しゅるしゅると何かが回る音(たぶんターンテーブルを回そうとして中の何かが回っている音だ)、「えぇ……」とドン引きした様子の天月の声。


 しばらく待っていると、醤油の焦げた香りが漂ってくる。温めすぎか、それとも煮詰まっただけかは分からないけど、レンジを開けた天月がタッパーを取り出そうとして「あつっ」なんて言う声が聞こえてきた。

 それからお皿に移し替えた煮物を持ってくるので、受け取るとレンコンに箸をぶっ刺す。


「お行儀悪いわよ」

「教えてくれる人も居なかったし、人に見せる機会もないから」

「お箸の使い方知ってる? 教えてあげようか?」

「知ってるわよ……」


 家でくらい、良いじゃない別に。

 灼熱のレンコンを少しずつ齧りながら天月の方を見ると、椅子に腰かけ壁に貼られたポスターを眺めている。


「もう大丈夫だから、帰って良いよ」

「え?」

「お礼はまた今度するから」

「……何でもする?」

「何でもはしない。1万円くらいでいい?」

「どうしてそこでお金が出てくるの!?」

「お金以外持ってないし……」


 現金以外の誠意の形を知らないのだ。こういう時、普通は何を返すのか分からない。

 あー、合わせしようとか誘われたら嫌だなぁ、なんて言って断ろう。

 しかし私の懸念をよそに、ポスターから視線を外さないまま天月は言う。


「……アイドル、好きなの?」

「別に」

「この部屋で!?」

「見たら分かるでしょ、剥がしてないだけ」

「……RiLyでしょ、これ」

「そうね」

「推しは?」


 優等生のお嬢様から出てくる言葉じゃなくて、思わず吹き出してしまった。

 まぁそっか、コスプレしてるくらいだし、こいつもオタクだもんな。隠してるだけで。じゃあオタク用語も使うか。


「天艸ゆい」


 言わなくても分かるだろと気持ちを込め、伝える。

 グループのポスターの方が多いが、それは天艸ゆい単独グッズがあまりに少ないからだ。


「……よね」

「グッズあんまり出なかったんだよね。タイミングが悪かったとしか言えないけど」

「そうよねぇ、……ドーム公演で一気に出る予定だったのに直前でポシャっちゃって」

「そういやそうだっけ。てか詳しいわね」

「…………そう? 一般教養じゃない?」

「んなわけあるか」


 そういえば天月ってドルオタなんだっけ。今となっては一昔前の人気アイドルではあるが、ドルオタがRiLyを知らないはずはないか。

 途中で抜けたメンバーならともかく、天艸ゆいは所属期間は短いとはいえ解散まで残ったメンバーだ。人気も、まぁそれなりにはあったと思う。

 といっても、RiLyの人気は7割くらいがリーダーの琴浦春乃――通称『春のん』の人気だったので、残り3割くらいを他のメンバーで分け合っていたのだが。


 すぐ辞めるメンバーがちょいちょい居たのも、センター曲は増えないし握手会はほとんど春のんの列だしテレビ出演もほとんど春のんだけだし――、とまぁ、春のん以外が冷遇されていたのが原因と言われていた。

 そのリーダーが不祥事起こしたら、そりゃグループを解散させるしかなくなるだろう。残ったメンバーで同じように活動することは出来ないからだ。


「あんたの推しは? ドルオタなんでしょ?」

「うーん……、春のんって言うところなんでしょうけど、しいて言うならよしぴーかなぁ」

「え、珍し。初期メンでしょ? そんな人気あったっけ?」

「初めてテレビで見たのが好ぴーのソロ曲だったのよね」

「刷り込みかー、しゃーねーしゃーねー」

「刷り込みって、あなたねぇ……」


 呆れ顔で返され、ちょっと想像以上にオタクな答えが返ってきたのに困惑してる私。ニワカでもガチのドルオタでも春のんって返されるところだ。それが好ぴーて。普通に渋いわ。

 好ぴーこと河地こうち好美よしみというメンバーは、初期のRiLyで2年ほど活動していた、サブリーダーのようなポジションだった子だ。

 年齢が一番上、かつ子役出身ということもありデビュー前からファンはいたらしいが、いざメジャーデビューしてみると春のんの添え物にしかなれず、結局2年で引退して10代のうちに一般男性と結婚した。

 私がRiLyを好きになった時には既に引退していたので、当時の反響はネットの聞きかじり程度しかないが、実質の寿引退にファンはあまり驚かなかったという。


「他のアイドルに興味はないの?」


 そう聞かれるのも、まぁ当然か。

 天井までびっしりポスターが貼られている、この部屋を見れば誰でも分かる。あとついでにシングルとか関連グッズも飾ってあるが、RiLy以外のグッズは一切置いていないのだ。


「んー……、別にないかな」

「……どうして?」

「私が推すのは、ゆいが最後って決めたから」

「…………」

「そんな不思議じゃなくない? 推しが卒業したらドルオタ辞める奴なんてどんだけでも居るでしょ」

「……それは、そうだけど」


 どこか言いづらそうに、……少しだけ頬を赤らめて目を逸らすので、意味が分からず首を傾げる。


「欲しいの?」

「要らない」

「欲しいって言ってもあげないけど。中古のグッズ置いてるショップ行けばRiLyグッズなんてどんだけでも買えると思うし」

「……ならそこで買い替えたりはしないの? 結構日焼け酷いのもあるけど」

「そうね……」


 長いものは3年以上貼りっぱなしだ。お金がないわけでもない今なら、もっと状態のいいものが手に入るだろう。だけど――


「昔、なけなしの生活費削って買ったからね」

「……愛着があるのね」

「そうね。同じの買ったこともあるけど、張り替えるの嫌になっちゃって押し入れの中よ」

「…………じゃあ、」

「何?」


 言いづらそうに口をぱくぱくと開いた天月が、聞いてくる。


「天艸ゆいが今何してるか、知ってる?」


 視線を逸らしながら、自分に自信のありそうな天月にしては珍しく、少しだけ険しい表情で聞いてくる。


「知らないけど。あんなことあったんだから、芸能活動はしてないでしょ、流石に」

「……そうね」

「そういえばあんたモデルしてんだっけ。それで当時の関係者とかに聞いたとか?」

「それ、は……」

「知ってんなら言わないで」

「…………え?」

「知りたくないから」

「……でも、ファンだったんでしょう?」

「そうね、だから知りたくない」


 はっきりと、断言する。

 彼女が今何してるか、興味が無いわけではない。


 だけど、


 だからこそ、知りたくないのだ。


 最初は、コスプレを続けていればいつか会えるかもと、思っていた。

 けれど、彼女にとってはどうだろう。もし昔のファンに会って、古い芸名で呼ばれたら、墓の中から掘り返されたような気持ちにならないだろうか。


 グループに未練がなかったはずはない。ゆいは、これからだったはずだ。でも、未来は永遠に絶たれてしまった。

 そんな彼女が、今何してるのか。


 ――あぁ、知りたい。知りたい。だからこそ、知りたくない。

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