第3話

 夏休み明け。


 ほとんど毎日アルバイトで過ごしてきた私にとって、ようやく訪れた登校日だ。

 別に登校が楽しみだったわけではない。ただ、高校に通わなければいけない以上、アルバイトを限界まで詰めることは出来ない、というだけ。いくらでもお金を稼がないといけないという目的があるアルバイトと違って、高校なんて通えば良いだけなので楽だ。


 校舎に入って靴を履き替えていると、どこかから話し声が聞こえてくる。話しながら歩く数名のグループがちょうど目の前を通り過ぎた、その瞬間。


「あ」


 グループの、中心部。

 制服は全く着崩さず、シンプルに、スタンダードに。

 髪は長く、全く染めてない黒髪で、かつ腰まで伸びた真っ直ぐなストレート。

 ケアは完璧にされているのか、毛先に全く乱れはない。穏やかそうな目をした、そんな見た目からしていかにも優等生ですという女生徒の、顔を見た瞬間。


 ――歯車が、噛み合った音がした。


「……天動、りり」


 ぼそり、と無意識のうちに声が漏れる。

 聞こえるか、聞こえないか――、そんな声量だ。


 しかし、その優等生――天月あまつき麻衣まいという名の女は、ビクリ、と身体を震わせる。

 壊れた機械のように歪に首が動き、そして私の方を見た。


 ――首を傾げる。誰だこいつと、そう言いたげな顔だ。

 しかし、先の言葉を思い出したか、目を見開くと、友人たちに「先に戻っていてください」と別れを告げ、靴を履き替える私の元へ近づいてくる。


 目を見ただけで分かった。あぁ、ひゃくぱー、外敵認定されてる。優等生っぽいのに、大丈夫かソレ。


「……お名前は?」

「佐藤」

「……佐藤さん、少しお時間宜しいでしょうか?」

「いや無理」

「そこをなんとかっ!?」

「キャラブレてんぞ」

「…………では、無理矢理でも連れて行きますね」

「は? ……いや力つよっ!」


 私の腕をむんずと掴んだ天月は、先程友人たちが向かうのと反対側――教室でなく職員室などがある方向へ向かって迷いなく進んでいく。


 職員室も通りすぎ、やってきたのは進路指導室。なるほど進路相談? コスプレを仕事にしたいですとか? んなわけないか。

 扉を開き、誰も使っていないことを確認した天月は、私を部屋に放り込むようにして押し込むと後ろ手で鍵を閉める。


「……佐藤さん」

「何」

「先程、なんとおっしゃいましたか?」

「佐藤」

「その前ですっ!」


 ばんと、机を叩き叫ばれる。冗談が通じるような相手じゃなかったか。


「天動りり」

「……そのお名前を、どこで聞いたのでしょう」

「さぁ、どこだったかなー」

「話してくださいっ!!」


 ばんっ。そんな叩いてたら先生来るぞ。


 天月麻衣。

 同学年ではあるが他クラスなので詳細なスペックは知らないが、まぁ見た目の通り、お嬢様で優等生だ。こんな公立高校に居るのは珍しいくらいの、純粋なお嬢様。入学以来成績はずっと1位なんて噂を聞いた記憶がある。

 ――という認識だった。まぁ、違ったみたいだけど。


 顔を見た瞬間に分かった。メイクによって顔立ちは随分違って見えるけど、間違いなく天動りりと同一人物だ。

 コスプレなんかしていたらどうやって顔を作るか考えることが多くなって、他人の顔がどう加工されるかも分かるようになるのだ。


「別に脅したりするつもりはないから」

「……本当に?」

「ホントに。あーすっきりした」


 こっちはずっと、コミケ終わってからずっとモヤモヤ残ってたのよ。

 どんだけSNSで写真見ても思い出せなかったし、じゃあリアルで会ったことあるのかなって。でも顔覚えられるくらい会ったことある人間に該当者は居ないはずだし、とずっと記憶の中の人物ファイルを開いてチェックしていた。

 まぁ単純な話、顔は知ってるが、他クラスの、大して知らない女だったというわけ。分かんなくても当然だ。


「ねぇ喉乾いたんだけど、ジュース買ってきてくれない?」

「早速脅してるじゃない!!」


 天月はそう叫ぶと、部屋を飛び出して行った。


 ――3分後。

「はぁ、はぁ、はぁ……、急に言わないでよ……。どれ飲むか分からないからとりあえず全部買ってきたけど……」


 机の上に並べられる、オレンジジュース、リンゴジュース、ブドウジュースの紙パック。


「別に脅したつもりはなかったけど」

「はぁ!?」

「お願いしただけ」

「……良い性格してるわね」

「どーいたしまして。あー炭酸が良かったなー」

「ジュースは食品表示法で果汁100パーセント飲料を表す言葉よっ!!」


 そう叫んで部屋をまた出て行こうとするので、「冗談冗談」と背中に声を掛ける。

 一番近くにあったブドウジュースに付属のストローをぶっ刺し、喉を潤す。喉乾いてたのは本当だ。登校したら水飲むつもりだったし。


「……あなた、友達居ないでしょう」

「分かる?」

「会話が疲れるわ」

「あっそ」


 果汁100%のブドウジュースは、アルバイト先のカラオケ屋で飲み放題のうっすいソレとは比べ物にならないほど濃厚で、飲んでんのに若干喉が渇いてきた。口には出さないけど。


 しばらく、ずずずずと私がストローを啜る音だけが部屋に響く。

 すぽんと口からストローを外し、一言。


「なんか喋って」

「はぁ!?」

「いや、あんたが連れてきたんでしょ。私に用あったんじゃないの?」

「そ、それはそうだけど……」

「ないならクラス戻るわよ。ごちそーさま」

「まっ、待って!! お話、お話をしましょう!?」

「最初からしろっての。……で、何?」


 溜息交じりに返すと、もじもじと指を絡ませた天月は小さな声で聞いてくる。


「……どうして知ってるの?」

「あー、あんたが天動りりってこと?」

「そ、そう、それよ」

「知ってるというか、さっき気付いただけ」

「気付いた?」

「あんたコミケ居たでしょ」


 そう伝えた瞬間、天月は顔を真っ赤に染め上げる。

 ま、そっか、優等生キャラで売ってた女が、コミケで布すっくない水着着て、オタクに囲まれて撮影してたんだから。恥ずかしいに決まってる。

 露出レイヤーって羞恥心あったんだな、と思ったけど流石に口には出さないでおく。


「水着見られたくらいで、何よその反応……。露出狂の癖に」

「違いますけどっ!?」

「じゃあ何?」

「可愛い服を着たいだけですけど!?」

「あんなのほとんど紐じゃない……」

「誰がマイクロビキニよっ!!」


 思ったよりノリ良いなこいつ。優等生だと思ってたけど、キャラづくりの一環だったか。


「……あなたもコスプレしてたの?」

「え、いや違うけど」


 そして私は平気で嘘を吐く女よ。


「広場で囲み撮影してるとこは見てたわ。優等生が人前で水着になってキモオタ共にチヤホヤされて、さぞ楽しかったでしょうね」

「…………あの、」


 顔を真っ赤にした天月は、苦い顔をして言う。


「何」

「見たことは、言わないでいただけると……」

「フォロワー30万居るんでしょ? 私が言わなくてもそのうちバレるんじゃない?」

「そ、それでもよ」

「ふーん…………」


 じっと、天月の身体を見る。

 水着では出るとこ出てる感じのいかにも露出レイヤーな身体だったけど、こうして見ると寸胴体型にも見える。あぁなるほど、胸か。胸がデカくて線が太く見えるのか。

 現実の服は乳袋なんて搭載されてないから、腰できゅっと絞らないと胸がデカい女ほど太く見える。セーラー服だと特にそうだ。実際胸だけデカい女なんてそうはいないんだけどね。うちの制服は巨乳には優しくない。私は関係ないけど。誰が断崖絶壁だ。


「あの、」

「何よ、心配そうな顔して。別に言いふらすなんて言ってないでしょ。私をなんだと思ってるの?」


 話したことすらない女をどう信用するんだよ、と脳内の自分に突っ込みながら、ほっとした顔の天月を見て、溜息を漏らす。


「……言わないとも言ってないけど」


 がたんっ。


「ねぇ!」

「何」

「佐藤さんっ! あなたは何がしたいの!?」

「別に何も?」

「……え?」

「最初に言ったでしょ。すっきりしたって。囲み撮影してるレイヤーの顔になんか見覚えあるなーと思ってたから、それがあんたって分かってすっきりしたの。それだけよ」

「そ、それだけ……?」

「それにね、」


 これを言って良いものか悩み――、まぁ良いか、と溜息交じりに続ける。


「私、友達居ないのよ」

「…………」

「そんな私が、一体誰に言いふらすっていうの?」

「……………………」


 おい哀れみの目を向けるな。


「……ごめんなさい」


 そして謝るな。


「まぁ先生とかに言ったら面白いことになりそうね。我が校きっての優等生がコミケで水着着てエロい格好してオタクにチヤホヤされてたんだから」


 我が校きっての優等生なのかは知らないが、自覚はあるようで、顔を真っ赤に染めた天月は震えながら懇願する。


「お、お願いだから誰にも言わないでっ! なんでもするから!!」

「……へぇ?」

「あ、いや、あの、なんでもってのは言葉のあやで、現実的な範囲で――」

「服脱いで」

「ふぇっ!?」

「なんでもするんじゃないの? 写真とか撮らないから」

「ほ、本当に……?」

「……はい、これで信じる?」


 スマホをぽいと机の上に放り出し、天月の方へ滑らせる。

 コクリ、と頷いた天月は、部屋の鍵が閉まっていることを三度ほど確認すると、やけに煽情的な仕草で服を脱ぎだした。

 ――いやあんた、腕クロスして服脱ぐな。それ着エロ系のグラドルがIVイメージビデオでするやつだろ。素でその脱ぎ方するんじゃない。やっぱ痴女じゃねーか。


 ぱさりとスカートが床に落ち、私の方をちらちら見ながらブラジャーに手を掛け――


「あ、もういいよ」


 そう伝えると、ぴたりと止まった。


「それバッド入れてんの? ヌーブラ3枚重ねとか?」

「自前ですけど!?」

「へー……」


 優等生らしい(?)紺色のシンプルめなブラジャーは、中に桃くらいは入ってそうなサイズがあった。その乳で優等生はないでしょ。捥いでやりてえ。

 鞄から、を取り出す。先程天月に渡したのはSNSとかネットする用の古いスマホで、こっちが最新の、ゲームに使ってるやつだ。スマホ2台持ちである。


「ちょっと!?」

「何」

「撮らないって約束じゃ……」

「え、うん、そのスマホでは撮らないわ」


 顔真っ赤にした天月が、ずかずかとこちらに近づいてくるので、スマホのレンズをすっと向けるとぴたりと動きが止まる。ちなみにカメラは起動していない。


『リューゲームス!』


 美少女の甲高い声が生徒指導室に響き渡り、下着姿の天月はビクリと身体を震わせる。。


「……………………今の、独特なシャッター音とかじゃないわよね?」

「んなわけあるか。やってんでしょリューライ。それともエアプでコスするタイプ?」

「い、いえ、自慢じゃないけどローンチ勢よ」


 起動して画面を見せたのは、2年ほど前からプレイしているスマホゲーム。

 リューライ、正式名称『リューファンタジー・フォーライフ』。それは夏コミで私や天動りりがコスプレしていたキャラのいるゲームだ。


「フレンドなってよ。あ、もう服着て良いわよ」

「なんで脱がしたの!?」

「なんでも言うこと聞くっていうからホントか試しただけ。密室で服脱ぐまではセーフなのね」

「人のこと実験動物か何かと思ってる!?」


 いそいそと服を着た天月は、どこか苛立ち紛れにスマホを取り出しリューライを起動する。起動音声はオフだ。当たり前か。オタバレしただけで社会的に死にそうだもんなこいつ。


 フレンドIDを表示されたので検索画面に打ち込みフレンド申請をすると、天月が「え」と声を漏らす。


「あなたこれ、フレンドひとりって……どういうこと……?」

「フレンド機能大して使わないし……」

「友達居ないの?」

「居ないっつってんだろ脱がすぞ」

「ごめんなさい」


 ちなみに唯一のフレンドはナツメだ。


「うっわあんたの方こそ……水着トワイス完凸してんじゃないの……いくら課金したのよ……」


 先日水着スキンが実装されたばかりのキャラクターだ。なお夏コミで天動りりがコスプレしてたキャラクター。マイクロビキニというほどではないが、かなり布面積は小さい。


「に、20万くらい?」

「バッカじゃねーの」

「馬鹿とか言わないでよ!! 推しの水着スキンとか完凸まで回すのが礼儀でしょう!?」

「どこの国の礼儀作法だよ。男に貢がせたの?」

「違いますけどっ!?」

「どうせあれでしょ、ファンサイト会員はモザイク消えますつってSNSからファンサイトに誘導しておきながらモザイク消しても実際は乳首にシール貼ってるような詐欺師」

「やけに具体的な罵倒ね……!?」

「え、違うの?」

「だから違うって言ってるでしょ!? コスプレは趣味っ、趣味だからっ!!」

「へー」

「信じてないわね……!?」

「趣味でフォロワー30万になる女がいてたまるか」

「……そう?」

「そうよ」


 なんでちょっと照れてんのよ。別に褒めてない。


「じゃ、何してんの? ウリ?」

「違いますけどっ!?」

「お嬢様っぽいし高そうね。ホ別5くらい取れるのかしら」

「具体的な金額出すのやめてっ! 違うから!!」

「じゃあ何?」

「…………モデル」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて言われる。水着コスプレが同級生にバレるより恥ずかしいことじゃないだろ。


「へー、やっぱ下の毛とか剃ってるの? 永久脱毛?」

「ヌードモデルじゃないからね!? 剃ってるけど!!」


 会話のテンポ良いなコイツ。普段このノリで話してついてこれる子いないのに。レスバが日常の私にちゃんと追いつけるとは、優等生の割に、意外である。

 もしかしてネットでは匿名でレスバしてるタイプだろうか。レスバってちょっと遅れるだけで「顔真っ赤にして調べものでちゅかー」って煽られるから秒で返信しないといけないのよね。


「あんた案外面白いのね。優等生なんて内申点のためなら先生の足をオカズに白飯食べるような女しかいないと思ってたわ」

「普通に不潔だし気持ち悪い! いくらなんでも偏見が過ぎるわ!」

「そっちが素?」

「……えぇ」

「優等生キャラ、疲れない?」

「…………まぁ、多少は」


 ようやく落ち着いてきたのか、唇を尖らせ返される。


「あんたくらい人当たり良ければ、別に優等生キャラなんて演じなくても余裕で友達作れるでしょ。どうしてそんな疲れるキャラ演じてんの?」

「…………」


 口を開き、――閉じる。言って良いものか悩んでる顔だ。

 そりゃ、現状私との関係は最悪だ。人に聞かれたくないことを話せる親友のような間柄とは真逆で、どちらかというと敵対者である。

 そんな女に、話していいものか――、そんな葛藤が、目に見えるようだ。


「ちゃんと高校にも行って、浪人せずに大学入るのが、約束だったから」

「約束? なんの?」

「お父さんとの約束。芸能活動するための、条件みたいなものね」

「へー、芸能人なんだ。儲かるの?」


 ゆっくりと、首を横に振られる。


「……ただのファッションモデルよ。大して儲からないわ」

「そ。でも課金するくらいは稼げるのね」

「それはそうだけど……、あなたが想像してるよりずっと安いと思うわよ」

「別に想像してもないけど……。じゃあコスプレの方が余裕で稼げるんじゃない? ほら、ファンサイトで乳首権発行するのも落ちぶれたアイドルみたいなもんだし――」

「アイドルを馬鹿にしないでっ!!」


 ばんと、机を叩いて叫ぶ。

 反射的に動いてしまったか、はっとした顔で「ごめんなさい」と謝られるが、意味が分からない私は首を傾げる。


「なに、ドルオタ?」

「……まぁ、似たようなものね」

「へー」


 あんまり興味ないな。どうせもう話すことないんだし。

 時計を見る。きんこんかんこんとチャイムが鳴り響く。もうじきホームルームの時間だ。


「じゃ、話はもう終わり?」

「そ、その――」


 扉を開けようとしたところで、声を掛けられ振り返る。

 心配そうな顔で、私の方に手を伸ばしている天月の顔を見――、まぁこの流れで信じる方が無理か、と溜息を漏らす。


「……誰にも言うつもりはないから」


 念押しをし、部屋を出た。


 ――随分長い密会だったな。

 まぁ、どうせ二度と話すことはない相手だ。

 あちらが信じなくとも、ずっと私のことを疑っていようとも、少なくとも私にはこれを言いふらすメリットがない。友達も居ないし。一時SNSでちょっとチヤホヤされるだけ。

 そのうち「こんなのバラす方が悪いだろ」なんて方向になってネットリンチに遭うのが目に見えてるので、なんならデメリットの方が大きいくらいだ。どっちかというと叩く側だし。


 あんな優等生とは、もう関わることはないだろう。


 ――そう思っていた時期も、私にはありました。

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