第20話

 もうじき雪が降りそうな冬日。私は人生で初めて友人たちとカラオケに行くことになった。


 少し前まで、友人と呼べる相手はナツメくらいだった。それなのに、今はもう4人でカラオケに行けるようになっている。


「お、これ最新機種じゃん」


 タブレットを手にした蘭さん――歌手・天王寺薊こと、元アイドル・伊達蘭――はタブレットを手に取ると、ドリンクバーから持ってきた薄いオレンジジュースを飲みながら操作する。

 タブレットは各部屋に1台しか置かれていないので、とりあえず順番待ちしていると、私の隣に座った天月が聞いてくる。


「佐藤さん、カラオケよく行くの?」

「毎日」

「それはバイトでしょ!?」

「あ、うん。でもここのバイト、空いてる時間ならタダで使って良いんだよね、だからちょいちょい歌ってる」

「そうだったの? じゃ上手いんだ」

「え、いや、待て」


 この状況で――


「マジ? 音花上手いの? なら採点付ける?」

「嫌」

「なんでー」

「現役のプロ歌手と元アイドル相手に歌上手いとか自称する奴居たら、クソ痛いでしょ……」

「……それもそうか」


 最近蘭さんと天月が遊ぶとこによく同行するのもあって、口調が崩れてきてる。


「んじゃ、麻衣ほら」


 ようやく曲を入れた蘭さんが、消毒済カバーのかかっているマイクを2本取ると、1本を天月の方に放り投げる。


「おっけ!」


 入れられた曲は、唯一のゆいらんカップリング曲で――――



 ゆいの生歌披露、それも他メンのソロ歌ったりグループ曲ソロで歌ったり、これまでライブでもどんなイベントでも聞かなかった組み合わせに、リリオタだった私の魂が浄化されていく。やっぱ神だわRiLy。神はここにいた。

 ひたすら拍手だけしてたら、2時間経ってた。

 カラオケ、好きな方なんだけど、マイクを取ることすら忘れていた。涙流しながら生歌聞いてるだけで、どんなライブより感動した。まぁライブ行ったことないんだけど。


「ふぅー、歌った歌ったー」


 マイクをスタンドに戻した蘭さんは、タブレットを手に何か注文を始める。


「天月」


 グループ曲をノンストップで歌って流石に疲れたか、背もたれに身体を預け天井を見上げていた天月に声を掛ける。


「な、なに?」

「いや、

「え?」

「ゆいの声めっちゃ好き……可愛い……好き……結婚したい……」


 思わず口から出てしまった言葉を、止めることは出来なかった。


「えっ、……良いよ?」


 同意された。やったぜ。


「おいこら人の女口説いてんじゃねえ」


 眉間に皺寄せた蘭さんが胸をどついてくるので、どつき返す。……ちょっとふにってした。負けたわ……。


「は? 振った癖に今更何言ってんですか。今カノ相手に嫉妬? ダッサ」

「はぁー?? ぽっと出の女が何言ってんだこちとら2年以上百合営業してたんだぞ?」

「営業って認めちゃってんじゃん」

「あざみっ、佐藤さん取らないでっ!!」

「取ってねーよ!! てか、」


 何か注文をしたか、蘭さんがこちらにタブレットを滑らせてくるので受け取った。

 蘭さんは満足したっぽいし何か曲入れても良いけど、私なんかの歌で今の余韻帳消しにしたくないんだよね。

 とりあえずお腹空いたし、とたこ焼き(レンチン5分だ)を注文し、向かいに座っていたナツメに渡す。


 ――そう、4人目はナツメである。

 はじめ2時間で歌ったのは2曲だけだったが、ずっと楽しそうにしていたし、そもそもこの面子でカラオケに行こうと誘ってきたのが当のナツメだ。

 なんでこの面子? と集まってすぐ聞いたが、「楽しそうだし」としか説明されなかった。

 まぁナツメは蘭さんとも天月とも面識あるし、と深く考えていなかったが、それにしても少し変わった組み合わせである。


「てかさ、麻衣お前、まだ全然声出んじゃん。ボイトレとかしてないだろ?」

「してないけど……」

「……ずりー。また歌えよ」

「あざみと違って同じ声しか出ないし、流石にバレるよ……」


 それはそう。天月の歌声初めて聞いたけど、何万回と聞いた天艸ゆいと同じ声だった。

 しかし普段の声は、ゆいとはだいぶ違う。意識してゆいから変えているというより、ゆいの時を意識して変えていたのであって、地の声は元からこんな感じらしいが。

 それでも、歌う時はどうしてもゆいの声になる。私ほどでないにせよ、RiLyを聞き慣れてるオタクが聞けばたとえ顔を見なくともすぐに天艸ゆいと分かるだろう。

 逆に、蘭さんは全然違う。Qur@クーラの天王寺薊としての歌声、RiLyの伊達蘭としての歌声は、どちらも聞き慣れてる私が聞いても同じ人には全く思えないくらい違うのだ。あと普段の声は歌う時に比べたらだいぶ低いから、顔を見て声を聞いたところで見分け出来るものはいまい。


「さっきの何曲か録ってたんだけどさー」


 蘭さんはそう言うと、ボイスレコーダーアプリを起動していたスマホをこちらに見せるように置く。


「え?」

Qur@クーラの垢にあとでアップしていい? 友達とカラオケ行きましたーって」

「流石にバレるでしょ!?」

「いや、バレたらなんか問題あんの?」

「あ……、……ないかも?」

「ないだろ別に。仮に麻衣の方がバレても天王寺薊イコール伊達蘭って知ってる奴、業界にもほぼ居ねーし。どっかのネトストは置いといて」


 蘭さんが、隣に座るナツメのことをじっと見る。

 ナツメの異常なネトスト能力によって、特定出来るはずのなかった隠し事を見つけられた身としては、やはり複雑なのだろう。


「あたしとしてはドサクサに麻衣を再デビューさせたいとこなんだけど」

「しませんっ!」

「えー、だって暇だろ?」

「暇じゃないよ!?」

「高校生ってバイトとセックス以外することあんの?」

「勉強するけど!?」

「勉……強……?」


 素で首を傾げた様子の蘭さんに、ナツメが思わず吹き出した。そういえば先生だもんね。


「大学行きたいし……」

「…………え、大学行って何すんの?」

「勉強」

「大学行ってまで勉強すんの!? 遊ぶために行くんじゃなくて!?」

「そうだよ!? 佐藤さんも行くでしょ!?」

「馬鹿にしてんのか」


 無理に決まってんだろ。つーか大学行く気ねーよ。金ないし学力ないしやることないし。バイト先の店長が「卒業したら社員になる?」って誘ってくれてるから、就活もめんどいしそのままバイト先に就職するつもりだったよ。


「つか天月、大学行くつもりだったのになんでショボい公立高校なんて入ってんの?」


 天月の学力ならマシな進学校入れたろうに。だから浮いてんだぞお前は。

 しかし、「え」と首を傾げた天月は、首を傾げながら言う。


「私立全落ちしたからだけど……」

「……ん?」


 今なんて言った?


「滑り止めで受けてたとこしか受からなかったから通ってるだけだよ?」

「え、いや、あんた前から勉強出来たんじゃないの?」

「出来ないよ!? だから真面目に勉強してるのっ!!」

「…………は?」


 いや、だって、天月ってアレだろ? 成績は入学以来ずっと1位をキープしてるザ・優等生で――


「ん、あ、音花、お前、アレだな」

「あれ?」


 蘭さんが何かに気付いたか、「んーと、」と首を捻る。


「小学校から芸能事務所入って、そんで中学の間はアイドルしてたようなあたしらがさ、?」

「…………あっ」

「なんなら高校普通に卒業してんの、春乃さんと好ねーくらいだぞ」

「あれ? そうだっけ?」

「小中は通ってなくても卒業出来たからな。あたしも中学行ってねーし、真面目に勉強して高校入って、それどころか大学まで行こうとしてる麻衣がだいぶ変な例」

「なるほど……」

「変じゃないよっ!? 普通でしょ!?」

「業界じゃ普通じゃねー……」


 溜息交じりに蘭さんが答えると、ナツメは「でも勉強面白いよ?」なんて言い出すので、「それはない」と即答される。私も蘭さんに同意見。

 大学行ったら更に4年くらい追加で勉強することになるんでしょ? 絶対嫌だ……ただでさえ勉強嫌いなのに……。


「それで高校で1位キープしてんの……?」

「キープしてないからっ!! 1位取れたのは2年入ってから!」

「あ、そうなんだ」

「たぶん皆イメージで語ってるんだろうけど、万年1位でもなんでもないよ……」

「……イメージかぁ」


 まぁ、それはあるだろう。あんな優等生のガワした女が成績1位って聞いたら「ずっと1位なんだろうな」と思うに決まってる。現時点で天月に負けてる以上、「去年までは俺が1位だったんだ」なんて言える奴が出てくるとも思えないし。

 なんならうちの高校、別にテストの成績が貼り出されたりもしないから、順位情報は伝聞だ。そりゃ事実と異なる噂だって広まるだろう。


「音羽は大学行かないの?」


 ナツメに聞かれ、返答に困る。

 アイドル活動で中学時代の半分以上を失った元アイドル二人はともかく、ナツメは真っ当に大学を卒業して学校の先生やってるわけだし、唯一まともな高校生っぽい私に疑問を覚えるのは当然だろう。


「勉強したくないから、行かない」

「んー……、でも将来やりたいこととかは?」

「特にないかな」

「ホントに? 出来る出来ない関係なく、目指すことに意味があるのか、法に触れるか触れないか、お金が稼げるかどうか――、全部無視した上で、やりたいことは本当に何もない?」

「…………それは、」


 そう言われると、どうだろう。


 少なくとも、明日を行きたいと思った。

 どうして生きたがっていたか分からない。けれど、死ぬという選択肢は、私にはなかった。

 人生に絶望したことだって、数えきれないほどある。自分はこんな人生を歩んでいるのに、どうして他の人は幸せな家庭で幸せな未来を見れるんだろうと、無関係の他人を恨んだことだってある。


 でも、


 それでも、人生から逃げ出そうとは思わなかった。

 ――私には、逃げる勇気が、なかったのだ。


「……父親が、いるんだけど」

「殺す?」

「殺さない」


 ガラ悪いな!? 蘭さん吹き出しちゃったよ。


「いや、父親と二度と会わないとか、可能なのかなと」

「んー……、えっと、いま16とか17よね」


 「うん」、と頷き返す。


 将来やりたいこと――それを考えた時、真っ先に浮かんだのは、将来の目標みたいな大それたものではなかった。


 会いたくない人と、二度と会わないで済む方法を知りたい。それだけだ。


 どうせ、高校生の間は関わらないといけない。学費だってそうだし、家賃だってそうだ。どうしようもないほど、私は父親に活かされている。

 でも、社会に出てしまえば、あの父親と関わらないでいられるのだろうか。――それが、今の私が唯一欲しい未来だ。


「音羽、一応聞いておくけどお父さんと血の繋がりはある?」

「実の父親で、知ってると思うけど別居中」

「だよねぇ。縁切りで一番手っ取り早いのは親と血が繋がってない証明――『親子関係の不存在』だけど血縁者の場合はそれで攻められないし、年齢も16なら養子も無理。次に考えられるのは結婚だけど……、相手はいる?」

「居ない」

「ここに居るよっ!?」


 天月が慌てて立ち上がる。お前は座ってろ。ステイステイ。

 っていうか詳しいな。保健室の先生ってそういう相談に乗ることもあるんだろうか? 私小中高と一度も相談に使ってないけど、身体が弱いのでよく保健室のお世話にはなっている。


「じゃ、手っ取り早いのは除籍かなぁ」

「除籍? それって結婚する時にするやつじゃないの?」

「そうだけど、18歳以上なら別に結婚しなくても出来るんだよ」

「へー……、それしたら親子関係が消えるってこと?」

「消えはしない。けど除籍した後に違う自治体に引っ越せば住民票から辿れなくなるし、電話番号も変えちゃえばあっちからの連絡手段もなくなるから、逃げ切りといえば逃げ切りかな? 肉親が本気で探そうと思えば絶対見つけられないわけじゃないけどね」

「……なるほど」


 なるほど、法的に親子関係を切ることは出来なくとも、あちらから接触出来なくなれば良いのか。確かにそれならそこまで難しくはなさそうだ。

 逃げだした私のことを無理矢理探そうにも、数千万人が暮らす東京で一人の女を探すほどあの父親が私に固執するとは思えない。というか、関わらないで済むならもう関わらないで良いか、と開き直る可能性の方が高いだろう。

 高校入ってからは半年に一回も顔見せないしね。前会った時なんか左手薬指に見覚えない指輪してたし、私が知らない間に再婚してそうだ。あれ、でもそれってつまり、私には顔も知らない義理の母親とか、ひょっとしたら血も繋がってるかもしれない兄弟姉妹が居るかもってこと? 素直に嫌だ……。


「少なくとも、高校卒業してからってことか……」

「だねー、大学行かないんなら引っ越して一人暮らしも出来るだろうし、なんなら――」

「なら?」

「りりちゃんと一緒に暮らせばいいんじゃない?」

「それが良いと思いますっ!!」


 がたんっ。だからお前はステイ。


「え、……何あんた親元離れる気あんの?」

「なんでずっと一緒に暮らしてる前提なの!?」

「だって両親大好きだろうし……」

「それはそれっ!」


 それはそれか。てっきり両親に愛されてる奴はずっと両親と一緒に暮らしてくもんだと思ってたけど、そうすると結婚も出来ないのか? 結婚しても同じ家に住むって可能性もあるか。大変だなこいつの旦那は。


「え、麻衣、料理出来るようになったの? 昔おにぎりすら握れなかった癖に」


 そういえば毎週更新されてた動画サイトのチャンネルでメンバーが料理するのあったな。らんらんはかなり手際よかった記憶があるけど、ゆいはおっしゃる通りおにぎりすら握れず謎の未確認飛行物体を生み出していた記憶がある。


「前佐藤さんにおかゆ作ったよ!? ちょっとは出来るようになってるし? ……ねぇ、おいしかったよね?」


 心配そうな顔で言われた。おかゆ不味く作れたら逆に才能だろ。まぁ塩味は皆無だったが。


「あー、あの味ないやつ」

「レシピ通りに作ってそれなら仕方なくない!?」

「じゃ、二人で暮らすのがちょうどいいんじゃない? 足りないとこ補う感じでさ」

「ちょうどいいかぁ……?」


 ナツメの意見には、ちょっと同意出来ない。そもそも私だって別に料理は出来ない。小学校の時からほぼ一人暮らしと言っても、レトルトやインスタント食品で生きてるような生活だ。料理スキルは恐らく天月とどっこいである。こんな二人が暮らしたら……、きっと自炊を早々に諦め外食オンパレードになるだろう。


「んじゃさー」


 喋ってるのに飽きたか、タブレットで曲を探しながら蘭さんが言う。


「高校卒業するまでに本気にさせられたら麻衣の勝ち、ガチ惚れしなかったら音花の勝ち、で良いんじゃね?」

「勝ったな」


 ルールが決まったので、さっさと勝利宣言をしておく。このルールならたぶん負けない。


「でもさっきは結婚しよって言ったよね!?」

「あれは気の迷い」

「気の迷いだったの!?」

「ゆいの生歌浴びたら誰でもそうなるでしょ……」

「毎日歌おうか?」

「やめろ耳が腐る」

「腐らないよ!?」


 たぶん栄養過多でおかしくなるんだよマジでやめて。つーか毎日ってどこで歌うつもりなんだよ学校か? 奇人変人の類なんだよそれは。海外のミュージカルドラマじゃないんだから。


 話が終わるや否や速攻で大量の曲を追加し、それから3時間ほど歌い続けていた元アイドル二人だったが、フリータイムを終えてアフターでも行くかと思えば、想像以上にあっさりと解散した。言い出しっぺのナツメも歌いたかったというよりただ4人で集まりたかっただけのようで、ほとんど歌ってないのに満足げであった。


 蘭さんとナツメを駅まで見送ると、何故か天月と二人で残される。


「いや待って、スルーしかけてたけどあんたも電車」


 当たり前のように見送り側に居たけど、送られる側だろうが。ここが地元駅なのは私だけなんだよ。


「今日は帰りたくないの」

「帰れ。ヘイタクシー」

「呼ばないで良いからね!?」


 手を挙げた私を本気で止めるので、仕方ないのでタクシー呼ぶのは諦めた。というかちょっと歩けばタクシー乗り場あるし。

 そもそもどこに住んでるのかもよく知らないんだよね。私の家にはたまに来るけど、逆に天月の家に行ったことは一度もない。誘われたこともないし。


「……ね、佐藤さん」

「何」

「これからの話、しない?」

「……これからって?」


 明日のことなのか、数年後のことなのか、指定がフワっとしすぎて分からず聞き返す。


「さっき」

「うん」

「結婚しよって、言ったよね」

「…………気の迷いだから忘れてって言ったでしょ」

「嫌っ!!」


 まさかそれ掘り返すのかよ。やめろよマジであの時の私は狂ってた……。生まれて初めてゆいの生歌聞いちゃって頭がおかしくなってたんだよ……。


「そもそも同性婚なんて出来ないし」

「……出来るとこ、行く?」

「行かない」

「どうして!?」

「どうしてもこうしてもあるか」


 3年溜まっていたゆいへの好きが溢れちゃっただけだから。マジで忘れて欲しい。


「ゆいは、私。だけど、――もう、私は天月麻衣だから」

「……うん、そう」

「もう一回、言わせてみせるからっ!」


 そう言って、笑いかけてくる天月は。


 ――かつて憧れたあの子に、そっくりだった。

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