第12話

 そのまま、15分ほど食べていただろうか。

 後半には熱されていた鉄板も流石に冷めて、肉も冷えていた。けど別に冷たくなったところで固くはならなかったし、ゆっくり食べても味が落ちないのは助かる。私、食べるの超遅いし。

 食後のコーヒーをブラックで飲んでる天月を見ながら水の入ったグラスを傾けていると、どこかから視線を感じて「ん?」とそちらに目を向ける。


 ――知らない人が、こちらを見ていた。

 女性一人。年齢は、20代半ばくらいだろうか。


 一人客が珍しいわけではないが、なんとなく、どこかで見た記憶があるような気がして記憶を辿っていると――


「…………あ」


 にこりと笑った女性は、席を立つとこちらに近づいてくる。

 天月も見られていることに気付いていたのか、コーヒーを置き会釈する。


「相席良いかしら」

「どーぞどーぞ」

「おい勝手に許可すんな。おま、この人誰だか――」

「一応、しー、ね?」


 指を一本、私の口の前に伸ばした女性が、静かに微笑んだ。


 ――河地好美。通称、『好ぴー』。

 RiLyの初代メンバーであり、最も注目された初代だからこそ、春のんの陰に隠れてしまった不遇の世代。

 そして、天月が一番好きだと、以前話していたメンバーだ。


、お久し振りです」

「お友達の前だからって、そんなお行儀よくしなくたっていいのよ? ほら、昔みたいにお姉ちゃんって呼んでくれても――」

「もっ、もう、そんな歳じゃないですからっ!!」


 天月は顔を僅かに朱に染めて、向かいに座った女性から目を逸らす。

 えっ、何そのキャラ。なんかイメージ違うんだけど。

 っていうかあれ、さっきまで居たテーブル見た感じ既に食事は終えてるっぽくて、つまり私たちが食べてる間ずっと見てたってこと? ……なんで?


「……聞いてないんだけど」


 脇突いて小さな声で文句を言ってみたが、「くすぐったいっ」と返されて終わり。まぁ言わなかったのは、最初から聞いてたら私が来なかったからだろう。付き合い短いのによく分かってんな。あっ今の付き合いは恋愛的な付き合いじゃないやつね。


「それで、お話っていうのは?」


 天真爛漫な笑顔をファンに向けていた、私の知っている好ぴーのイメージと全く違う、けれど確かに面影のある女性は、優しい笑みをこちらに向けてそう聞いた。



「と、いうわけなんですが……」


 天月が説明するのを所々横から茶々入れつつ、まぁ大筋は間違ってないかなんて考えながら成り行きを見守っていると、好ぴー――吉川さんの左手薬指にきらりと光る指輪が嵌められていることに気付く。

 そういえば引退してすぐに一般男性と結婚したんだっけと思い返していたが、仮に天月が以前話していた親友というのが彼女のことならば、年齢が随分離れてそうである。

 それに、初代メンバーである好ぴーと3代目のメンバーである天月は、グループ所属のタイミングが一切被っていない。途中で抜けたほとんどのメンバーは春のんの陰にしか入れないことを悔やんで辞めていったようだから、あまり円満とは言いづらい退所のように見えたが――、実際はそうではなかったのだろうか。


「うーん……」


 説明を最後まで、ほとんど口を挟まず聞いてくれた吉川さんは、いつの間にか注文していチョコパフェの最後の一口を頬張るとようやく意見を述べる。


「友達って言葉の解釈の問題かぁー…………」

 溜息交じりに俯き、頭を抱えた。


 まぁ、うん、そうなるよね。

 そもそも以前私が天月に語った友達の基準は、友達が居ない私のほとんど妄想に近いものだ。それなのに天月が異常に思い悩んでしまっただけで、「でもお前は友達居ないだろ」で一蹴することも出来た。だがどうしてか、天月は心当たりがあると感じてしまったのだ。


「ぶっちゃけ、中学生とか高校生の友達なんて、社会に出たらもう会わないのよ」

「吉川さん、高校行ってましたよね」

「うん、元メンでも行ってないのは数人じゃないかな? ストレートには入れなくても引退して暇になった子は遅れて入ってたし。んで、まぁ、その、思春期特有の悩みの話なんだけど」

「……はい」

「……たぶん、そのうちどうでもよくなるわ」

「…………え?」


 やっぱそうだよね。

 世界観が違うから天月の親友になれる相手は居ない――というのは、あくまで中学や高校といった、狭い世界における話なのだ。

 お嬢様の天月がどうしてこんな平凡な公立高校に通っているのかは知らないが、高校を卒業してからも平凡を装う必要なんてない。大学は名門に行くんだろうし、次第に自分と同じステージの相手とつるむようになるだろう。


 ――そして、昔の友人のことなんて思い出さなくなる。友人の方は生涯忘れなくとも、天月の方は忘れる。私のような『その他大勢』のことなんて、会わなくなってからも思い出せるほど、印象に残るはずがないから。


「今2年生でしょ? あと1年半くらい。で、大学は4年と……」

「ま、まだ私、5年も学生するんですよ? そのうちって、相当長いんじゃ……」

「……いえ、思春期はもっと短いわ。麻衣ちゃんのことだから大学は良いとこ行くんでしょ?」

「その予定ですが」

「じゃ、あと1年半ね。その間に折り合い付けましょう。もっとも」


 ごくり、と隣に座る天月が喉を鳴らす。


「もう、芸能界こっち戻ることはないんでしょ?」

「……はい」

「じゃ、人並みの生活送るのよ。世間知らずのお嬢様だけど、よろしくね、彼女さん」

「彼女じゃないです」


 こいつどさくさに紛れて私のこと彼女って紹介したんだよね。毎回否定してるけど。

 まだモヤモヤが残るのか、天月は俯いて「うー……」なんて漏らしているので、吉川さんの方を見て小さく手を挙げる。


「……あの、私からも良いですか」

「どーぞどーぞ」

「こいつに年上で結婚してる親友が居るって言ってたんですけど、それ吉川さんのことですか?」

「あ、違う違う」

「違うんかい」


 悩んでる女の小脇に拳を叩き込んだつもりだが、2ダメージくらいしか与えられなかった。ほぼ無反応。非力すぎでしょ私。


「それ、あざみのことでしょ?」


 驚いたように顔を上げた天月が、すぐに俯くと小さく「……はい」と返す。

 薊――うん、誰? 少なくとも元メンバーにアザミという名のメンバーは居ない。


 好ぴーのことも吉川さんと本名? で呼んでるし、元メンバー同士でも活動名で呼ぶことはあまりないのだろう。それしたら顔隠しててもバレるだろうしね。

 吉川さんは、現役時代と随分雰囲気が違う。顔に面影はあるけれど、知っているからそう思っただけだ。何も情報がないところから好ぴーに繋がる人はそうはいまい。

 何せ、現役時代から7年か、8年くらいは経っているのだ。テレビに出なくなってからそれだけの時間経った人を、普通の人は憶えていない。


「アザミって誰? メンバー?」

「……うん」

「話さないなら帰る」

「かっ、帰らないで!!」


 立ち上がろうとした私の袖を、泣きそうな顔をした天月はぎゅっと掴む。

 して、その反応に驚いたのは私じゃなくて、吉川さんの方だ。


「……うわ、今の薊に超似てる」

「え、どっちがですか……?」


 一応確認しておこうと、私と天月を交互に指差すと、「あなたの方」と返される。


「……クソみたいな女ね」


 私に似てるとか、最悪じゃねーか。元メンバーかもしれないけど、きっとロクでもない女よそいつ。よく親友とか呼べたな。


「そんなに似てる?」

「似てないっ!」

「似てる似てる」

「どっち……」


 天月は似てないと言うし、吉川さんは似てると言う。分からん。でもまぁ、その人がこいつにどんな態度を取っていたかは、なんとなく想像出来る。


「結婚するって言われて、一晩泣いてたものねー」

 吉川さんの言葉を聞いて、私の中にあった何かが決壊する音がした。


 ――あぁ、そっか。


 そういうことだったんだ。


「……ねぇ」


 むすっとした顔の天月を見、溜息交じりに声を掛ける。

 ビクリと身体を震わせた天月は、何を言われるか分かったのだろう、私から視線を逸らした。


「私は、そいつの代わり?」

「ちっ、ちが――」

「結婚されて自分の前から居なくなったから、代わりに似た女を探してたってこと?」

「ちがうっ!!」

「じゃあ誰だよそいつ」

「…………」

「言えよ」


 口を噤んだ天月の顔を見れなくて、立ち上がる。


 自分の中にある感情の正体を、私はよく知っている。


 ――怒りだ。


 なんでもない自分に、ひょっとしたら生きている意味があるのかもなんて、最近思い始めていたのに。


 やっぱり、これだ。

 私には何の価値もない。こいつはただ、私を通してかつての想い人を見ていただけ。


 ――最悪の気分ね。


 自分が、ただの代用品だと知ってしまった。

 私そのものに価値なんてなかったと、世界で唯一私を求めた天月が認めてしまった。


 もう、要らない。


 そんな感情は、必要ない。


 期待されて落とされるのが、人は一番嫌なんだ。最初から期待されない方が、何倍もマシ。

 それを、少しだけ信じかけていた女にされた。


 やっぱり、他人を信じようとしたのが間違っていた。それも、こんな隠し事ばかりの人間を。


「どいて。帰る」

「…………」


 泣きそうな顔で頷いた天月が席を立つので、そちらを一瞥もせず小さく「ごちそうさま」と告げ、席を離れる。


 一瞬だけ、天月が私の服の袖を掴んだが――、ぺしんと、払いのけた。

 それはいつもよりずっと、ずっと弱い力しか込められていなかった。

 

「もう、終わりね」


 ボソリと呟く。

 こんなの、誰の目にも明らかだ。この関係は、もう修復しようがない。

 天月が黙っていたのは、よりにもよって最悪の隠し事だった。


 こうして、佐藤音花の初恋は終わった。

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