偶像世界の百合事情

衣太

第1話

『でさ、新しいことも始めよっかなって、事務所NGで出来なかったこと片っ端からしてるんだよねー』


 ずっと聞きたかった、彼女の声。


 小さな画面の向こうには、青い目をした中学生くらいの女の子。


 純潔の日本人なのに、外国人にも珍しい青目。曰く、北海道の開拓民だったご先祖様は現地人(おそらくアイヌ系)と結婚し、子を産んだことで、そちらの血が色濃く出ていると、以前トークイベントで話していた。


 アイドルグループ『RiLy』が解散してから、はや1週間。学校にも通わず、何をするでもなく、ただぼーっとスマホを眺めていた。


 Wikipediaで適当に開いたページから、適当にリンクを飛んで読んで、また適当に次のページを開いて読むって遊びは、時間つぶしには最適だったけど、すっごくつまらなかった。


『私さ、小3の頃からずっと養成所居たんだよね。あ、知ってる人いる? RiLyの3期生になる前も他の企画に誘って貰ってたりして、ま、デビュー前に企画倒れになっちゃったけど』


 知ってる。強く頷いても、彼女には聞こえない。

 これはただの配信だ。それも、録画して、既に何十回と聞いている。


『料理でしょ? お菓子作りしたり、遊園地行ったり、……あ、知ってる? エイル・レコードって所属も準所属もお仕事以外で遊園地行っちゃ駄目なんだよ。彼氏いる子、デートとかどうするんだろうね?』


 家デートをしようにも週刊誌に撮られてお泊りデートだなんて炎上するし、アイドルをしながら彼氏を作るのは本当に大変なんだろう。

 といっても、画面に映る『天艸あまくさゆい』には、彼氏が出来たことはないらしいが。


『あとさ、コスプレ! 可愛い衣装着たくてアイドル目指した私とか、なりたかったんだよねー昔っから、魔法少女! あ、そこはアイドルじゃないんだってツッコむところだよ』


 画面で笑うゆいを見て、こちらも微笑む。


 少しずつ、少しずつ、少しずつだけど、生きる気力が湧いてきた。


 だけど、あと少し、あと少しだけ、聞いていたい。


『実は解散してから一番最初に始めたのがコスプレで、もうイベントとかも参加しちゃってるんだよっ。関東圏のコスプレイヤーさん、どっかのイベントで私に会えても……黙っててね! ま、もう事務所辞めてるからバレちゃっても良いんだけどさー、やっぱファンの人にオフで会うのって恥ずかしくて!』


 うん、うん、そうするよ。

 口に出さず、頷き続ける。


「コスプレ……、うわ、衣装ってこんな高いの……?」

 配信(の録画だ)を止め、コスプレ衣装が販売されてるサイトを開く。

 ちょっと前にアニメが放送されていた作品の衣装があったので見てみると、4万円と出てきた。いくらなんでも高すぎる。


 アルバイトをしようにも、まだ中学2年生。

 ほとんど家に帰ってこないお父さんが、月に一度くれる1万円。それが、私の収入の全てだ。

 中学生に月1万円のお小遣いは多すぎる。私もそう思う。――これがお小遣いなら、だが。

 これはお小遣いでなく生活費だ。毎月1万円生活である。


「……育児放棄って、いうんだよね、これ」


 両親は、3年ほど前に離婚した。

 お母さんが不倫をしていたのが原因だ。それで、私の親権をどちらが持っていくかという話になった時、普通は母親側が持っていくことが多いらしいが、「彼氏との新生活に、あんた要らないのよ」と、置いてかれた。


 憐れんだお父さんが私の親権を貰ったらしいが、私は知っていた。お父さんには、お母さんよりずっと若い彼女が居たってことを。

 つまるとこ、私の両親はどちらも不倫をしていたのだ。先にバレたのがお母さんだったってだけの話。


 お父さんは月に1回か2回、私の様子を伺いに帰ってくる。

 安アパートに一人暮らし。好きなアイドルグループの解散がショックすぎて1週間引きこもっていても、学校の先生くらいしか心配しない。

 両親が離婚したばかりの頃は、それは小学4年生の頃だったので、金銭感覚がなくて1万円生活に苦労した。でも、「お金なくなった」と連絡したら追加でくれるので、初めの頃は頼んでばかりだった。


 今となっては、案外1万円でも生活出来ている。まったく、学校給食様様だ。

とはいえ、ほとんどが食費で消える。なんとか残せて2000円くらい。連絡用に買ってくれたスマホ代や、水道光熱費は、あと学校関係のお金はお父さんが払ってくれているので、ただ私は朝と夜の食事だけ考えれば良い。それなら、まぁ、難しいが、不可能ではない。

 まぁ、食費を抑えるために食べる量が相当少ないこともあってか、クラスで一番身長は低いし、運動能力は本当に低いんだけど。

 まぁ、それは離婚前からそうだったので、それが私なのかもしれない。


 鏡を見る。目付きの悪い、痩せたチビ女がそこに居た。

 目付きが悪いのは、目が悪いからだ。いつも目を細めてばかりいたら、気付いたらそうなっていた。

 眼鏡を買えば良いんだろうけど、お父さんには極力頼りたくない。まだ一番前の席に座れば黒板は見えるし、生きるのにギリギリ支障がないくらいの視力はある。


「あの目……」


 お父さんが、私を見る目。

 お母さんそっくりな私が、よほど気色悪いのだろう。

 自分だって不倫をしていた癖に、あいつは売女だと、私に会うたびもう居ないお母さんを罵っている。じゃあ自分はなんなんだよと言い返したい気持ちを抑え、熱が冷めて黙るのをじっと待つ。たぶん、彼女が居ることは私に隠していたつもりだったのだろう。彼女の方が隠そうとしてなかったので無駄だったが。

 お金を貰うたび、それを味わうことになる。――気分は最悪だ。だから会いたくない。


 私の境遇を知ってるアパートの隣に住むおばあちゃんが、よくお米や作りすぎたおかずをくれるので、栄養バランスも……まぁ、カップ麺よりはマシだろう。

 お節介焼きなお隣さんだが、そこまで深入りはしてこない。


 というのも、2年ほど前、私の境遇を知ったお隣さんが、こっそり児童福祉相談所に通報したらしいのだ。それを知ったお父さんは激怒し、あわや警察沙汰になるところだった。

 それきり、おばあちゃんは最低限しか交流しようとしない。当然だ。むしろあれだけのことがあって、愛想を尽かさないだけマシである。


「あ、自分でも作れるんだ」


 調べてみると、コスプレ衣装は自分で作ることも出来るらしい。そういえば小学校の時、家庭科の授業でシャツとズボンを縫ったことがあったっけ、と思い出す。実物は残ってないので、捨てたのだろう。


「ミシン……借りられるかな」


 最低限必要なのは、ミシンと布と糸くらい。

 ネックとなるのはミシンだ。しかし、お隣さんがミシンを持ってることは知っている。定期的にガタガタと音が聞こえてくるからだ。


「…………作れるかな、私にも」


 服の作り方を調べていると、難しそうだが、作れなくはなさそうだ。


「コスプレしてれば……」


 いつか、ゆいにも会えるのだろうか。

 私と同い年でありながら、国民的アイドルグループに所属していた、当時グループ最年少だった天艸ゆい。


 彼女には、生きる気力を貰った。両親が離婚して、育児放棄にあった私が生きていけたのは、彼女が居たからだ。同い年なのにこんなに頑張れる子が居るんだって、そう思えたから、私も頑張って生きようと思ったのだ。


 天艸ゆいがRiLyに所属していたのは、1年半くらい。

 リーダーの子が有名プロデューサーと枕営業をしていたという記事が週刊誌に載ると、それから1カ月もしないうちに解散となった。それは、日本国民誰しもが知るアイドルグループにしては、あまりにあっけない幕引きだった。

 6年間の活動期間で20名ほどメンバーが所属し、最後までグループに残っていたのは、天艸ゆいを含めて6名。彼女らは全員事務所を辞め、天艸ゆいも、この配信を最後に天艸ゆい名義の全てのSNSアカウントを消している。


 二度と会えない。――けれど、一つだけ希望があった。


「コスプレしてれば、会えるなら――」


 その日。

 チビで、ガリで、目付きが悪くて、運動も出来なくて、性格すらも悪い私が、

 変わろうと、そう思ったんだ。

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