9.かつての約束と、いまの想い。
――夜の帳が降りて。
俺は伯爵邸を抜け出して、街外れの路地へと向かっていた。
この一ヶ月の調査が正しければ、おそらく『彼』はここにやってくる。信じたくはないことだったが、これ以上はもう無視することはできなかった。
リィンの体内にはまだ、微量ながらヌタクサの毒素が残っている。
その解決策を持っている可能性があるのは……。
「…………きた、か」
物陰に隠れてしばらく、ついに事態が動き始めた。
気取られないように顔を覗かせると、路地の奥にはフードを目深に被った人物が立っている。細身ながらも体格からして、男性で間違いないだろう。
その人物はしきりに周囲に目配せをしてから、こう口にした。
「約束の金を、用意したぞ」
「くくく……やっと、決心がついたか」
すると、その声に応じてもう一つ。
暗がりから小柄な影が、ゆらりと姿を現した。不気味に笑ったそいつは、口元をマスクで隠しているが――右の眼から、赤の光を放っている。
赤の瞳は、魔族である証。
すなわち『彼』は、そのような相手と取引していたことになる。だが、
「なんだ、この……違和感は」
俺には赤い瞳をした奴が、魔族であるように思えなかった。
それはきっと、俺自身が魔族だから分かることだろう。そいつから感じる魔力には、どこか複雑な色があるように思えたのだ。
でも、いま気にするべきはそこではない。
「成人男性、一人を殺害するだけのヌタクサの毒だ。くくく、間違えて自分に使うようなことはするなよ……?」
「馬鹿なことを言うな。私はそのようなミスはしない」
「どうだかな。元々、アイツを殺す機会は何度でもあったのだろう? だというのに、この期に及んでようやく動いたのだ」
「……そ、それは――」
二人の会話に耳を傾ける。
どうやら、男性の方は『裏切り者』で間違いない。
そして赤い瞳の者が手渡したのも、ヌタクサの毒で相違なかった。それなら、あとは彼が一人になるのを待とう。取引相手の情報は、ゆっくり訊けばいい。
「まぁ、いい。しかし、人間の横恋慕というのは面倒だ。こちらとしては理解ができないが、それは相手の男を殺すに値するそうだからな」
「黙れ。これで取引は、終わりだ……」
「くくく……たしかにそうだ。だが、努々忘れるなよ? 契約の条件を」
「分かっている……!」
男性の方が声を荒らげた。
そこで、ようやく取引は終了したらしい。
小柄な赤い瞳の者は姿を消して、残った彼はこちらへやってくる。俺は一つ自分を鼓舞するように胸を叩いてから、その人物の前に姿をさらした。
そう、彼――。
「あ、あぁ……どうされたのです、リク様」
「………………ゴーナンさん」
――エルタの市民代表、ゴーナン。
彼はあからさまに狼狽えた表情を浮かべ、しかし無理矢理に笑みを作ろうとしていた。俺はそんな相手に、単刀直入に訊ねる。
「『裏切り者』は、貴方だったんですね……?」――と。
ヌタクサの毒でエルタを穢し、その毒でリィンの命を脅かした。
そして、いま手にした毒で殺害しようとしているのは――。
「次は、アルディオ伯爵……ですか」
「…………」
こちらの問いかけに、ゴーナンは眉をひそめる。
返答はなかった。だがそれは、無言の肯定と受け取って相違ないらしい。彼は空いている方の拳を強く握り、しかし不敵に口角を歪めて言った。
「いつから、お気付きになられておりましたか?」
「………………」
その質問に、俺は一つ息をついてから答える。
「この街にきて、間もなくからです。ほとんど確信に変わったのは、街の人からアメリアの花の情報を聞いた日、だったと思います」
「ほう……? それは、理由を詳しくお聞きしたいですね」
ほとんど諦めているのだろう。
それでもゴーナンは、あえてそう続けた。
「アルディオ伯爵は、ヌタクサの群生地を誰も知らないと言っていた。ですが、貴方は初対面の俺たちに地図を記して渡した。非常に細かく、正確な地図だった」
「ふむ。しかしそれならまだ、他の人間の可能性もあったのでは……?」
「それはないですね。アメリアの花の群生地を聞いた時、街の人々の面子は入れ替わっていた。共通してその場にいたのは、ゴーナンさん一人だけ」
「………………」
いよいよ口を噤んだ彼に、俺は告げる。
「どうやって先回りしたかは、分かりません。だけど両方にかかわって邪魔をできたのは、あの時点で貴方だけだったんです」
あとは、一ヶ月を使って身辺の調査。
少し時間はかかったが、今日このように尻尾を掴むことができた。ここまできたらもう、彼も言い逃れはできないだろう。
重い沈黙に包まれた中で、俺は静かに問いかけた。
「どうして、なんですか……?」
なぜ彼が、このような凶行に及んだのか。
俺はそれが理解できなかった。そんなこちらに、ゴーナンはひどく冷静な声色で応える。
「聞いていたのでしょう。……いわゆる、横恋慕というやつですよ」
「横恋慕……? それって、もしかして――」
「えぇ、そうです。ミラですよ」
彼はゆっくりと息を吐き出すと、語り始めた。
「ミラと私は、いわゆる幼馴染みだった。天真爛漫な彼女に、内気で引きこもりな私。常に私の手を引いてくれたのは、ミラだったんです」
おもむろに、月の浮かぶ空を仰ぎ見て。
「幼い私たちは約束をしました。いつかみんなで力を合わせて、この街を素晴らしい街にしよう、と。勉強しか取り柄のない私に、彼女は道を示してくれた」
穏やかに。まるで、心が凪いでいるかのように。
しかし、それもそこまでだった。
「――それなのに、あの男がすべてを奪ったんだ!!」
彼は突然に感情を露わにして、握った手を壁に打ち付けながら叫んだ。
「あのアルディオという男がきて、私の立場や役割の多くは奪われた! ミラと約束した街の開発計画も、あの男が主導することになった!! ――そして、ついには愛しいミラさえも……!!」
何度も、何度も何度も壁を打ちながら。
ゴーナンは今まで、たった一人で抱え続けた鬱憤を吐き出した。そして膝から崩れ落ちながら、うな垂れて言うのだ。
「ミラが亡くなって、何もかも失った。だから、壊そうと思った。あの男が作り上げたものすべて、私が……」
「でも、それは――」
「その通りですよ、リク様。それさえも、私は果たせなかった。貴方とカノン様が街にやってきて、すべての計画はまさに水泡へと帰した。……ははは、皮肉ですね」
「…………」
そこまで語ってから、彼は面を上げる。
瞳からは、大粒の涙が流れていた。すべてを失って、何もかもの意味をなくした虚無感によるものか。それは本人にしか理解できないだろうが、俺は――。
「……リク、様?」
「大丈夫だ。まだきっと、間に合う」
自分でも無意識のうちに、彼へと歩み寄って手を差し伸べていた。
「街は元通りだし、リィンだってまだ生きている。伯爵にだって、まだ毒を盛ったわけじゃないんだろう? それなら、まだ罪を償う機会はあるさ」
「……そう、でしょうか」
「あぁ、俺も協力する」
「…………」
その言葉にゴーナンは唇を噛む。
だがすぐに、どこか晴れやかな表情になって手を取るのだ。
そしてゆっくりと、立ち上がってから穏やかな表情でこう口にする。
「あぁ、それならすべてを白状しなければ、いけませんね」――と。
やけに、腹から出したそれ。
宵の闇の中に響いた声が、消えるよりも先だった。
「……がっ!?」
「ゴーナンさん……!?」
彼の背に、一本の矢が突き刺さったのは。
俺は即座に周囲の気配を探ったが、時すでに遅し。ゴーナンへ一撃を加えた者はもう、どこにもいなかった。
それを察知した俺は崩れ落ちる彼を抱き留め、ゆっくりと座らせる。
矢は確実に、背骨――すなわち、脊髄を貫いていた。
「あぁ、やはり見過ごされなかったか……はは……」
ゴーナンはそう自嘲気味に笑って、不自然な動きでこちらを見る。
きっともう、首から下はほとんど動かないのだ。
「無理に動くな! いまカノンを呼ぶから、すぐに治療を――」
「遅い、ですよ。矢には、毒が塗られて……いる、でしょうから……」
「それでも……!!」
俺はすでに死を悟ったように語るゴーナンに、必死に訴えた。
すると彼は優しく微笑みながら、震える手で一つの小瓶を取り出す。
「それよ、り……これを、リィンに……」
「……これは?」
「アメリア、の花……そ、の薬、です……」
「なっ……!」
俺は彼から小瓶を受け取って。
そこからはもう、何も言えなくなった。
「言った、でしょう? ……あの、子は……忘れ、形見」
涙を流して語るゴーナンをただ、見つめるしかできなかった。
彼は静かに空の月を見て、悲しげに――。
「あぁ、私……は……」
最期に、こう口にした。
「ミラに、赦して……もらえ、る……か……」――と。
――
長くなったけど、一気にお送りしました。
少しでも何かが揺さぶられた方は、作品の応援をよろしくです。
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