第2章

1.やさしい手。








『やーい、人間型の雑魚魔族!』

『悔しかったらやり返してみろよ、間抜けなリク!』




 ――これは、いつ頃のことだろうか。

 たしか自分がまだ幼く、人間と姿かたちが同じだからとイジメを受けていた時だったか。とにかく俺は周囲の魔族の子供たちから、爪弾きにされていた。

 それもそのはず、といえばいいのだろうか。

 魔族というのは力を持つ者が上、という意識が強い種族だった。そんな中でひときわ力の弱い、劣った血とされる人間型は格好の獲物だ。



『けっ……やり返してこねぇ、根性なしが』

『冷めた。次の奴に行こうぜー!』



 そんな仕打ちに耐えること、小一時間。

 イジメを働いていた魔族の子供たちは興味を失ったらしく、捨て台詞を口にして行ってしまった。俺は壁に背を預けたまま座り込んでいて、潤んだ視界で曇天の空を見上げる。そして、しばし途方に暮れてから――。



『……帰ろう』



 痛む身体を無理矢理に起こして、自分の家へ向かった。

 ほどなくして到着し、玄関から中に入る。



『ただいま、おばあちゃん』

『あぁ、おかえりなさい。……リク』



 すると俺を出迎えたのは、ひどく枯れてしまった女性の声だった。

 声の主は、狭い部屋の片隅に置かれたベッドに。もう起き上がることもできないのだろう、その『人』は咳き込みながら細枝のような腕を動かした。

 俺はやや駆け足に彼女のもとへ向かうと、手を握ってゆっくりと横向きに寝かせて背中をさする。ある程度の落ち着きを確かめると、ベッドの傍らにある水を器に注いで飲ませようと試みた。



『…………あぁ、そうか』



 だけど、無理らしい。

 この老婆はもはや、水を飲むこともかなわない。

 そこで俺は柔らかな布を探し、それを湿らせ彼女の口と舌を濡らしてあげた。そうやってようやく、その老婆はまともに口を利けるようになったらしい。

 見えているか分からない青の双眸をこちらに向け、細い指で顔を撫でてきた。



『ありがとう、リク。あなたは、本当にやさしい』

『やめてよ。優しい魔族だなんて、なんの価値もない』



 そして、嬉しそうに言う。

 だけど俺は素直に受け取れず、彼女の言葉を否定した。

 魔族はみな、強くなければならない。弱肉強食の社会の中で『優しい』なんて、それこそ『弱い』と馬鹿にされていると思えてしまったのだ。



『……いいえ。それは、違いますよ』



 しかし老婆は小さく首を左右に動かす。

 そして、イジメられて負った俺の頬の傷に触れて続けた。



『やさしさは、強さです。リクは強い子なのに、相手にやり返さなかった。相手に怪我をさせたくなくて、同じ苦しみを与えたくなかった』

『そ、れは――』

『そしてリクは、相手のことを理解して許している。それは心の強い者にしか、できないこと。貴方はきっと、素敵な殿方になるのね……?』

『………………』



 黙るしかできない。

 俺はただ漏れ出しそうになる嗚咽を堪えながら、彼女の手を握りしめて肩を震わせるしかできなかった。

 だって、そこにはもう終わりが迫っていたから。



『ほんとうに、そっくり……ね……?』



 隠し切れない大粒の涙が、頬を伝って落ちていく。

 止めどなく溢れ出す感情の波に吞まれながら、しかし俺は必死になって言葉を紡ごうと試みた。だけど、俺は彼女になにも伝えられない。

 理由は分からない。

 もう何もかもが、とにかくぐちゃぐちゃだ。

 ただ、悲しくて仕方なくて。ただ、終わってほしくないと願っていた。



『ありがと、う……リク。わたしの愛しい――』

『……おばあちゃんっ!!』



 そうして、彼女の最期に送ったのはそれだけ。

 頬を撫でていた『やさしい手』は、力なくベッドへ滑り落ちていった。



『……ああぁ……あああ、あああああああああああああああっ!!』





 そうして、叫ぶ。

 悲鳴のを上げるかのように、俺は一晩中ずっと泣き叫んだのだった。









「……いま、のは?」




 目を覚ますと、そこにはもう見慣れた宿の天井。

 無意識に伸ばした手を引っ込めながら、俺はしばしボンヤリと夢をたどっていた。



「ずいぶんと、古い夢を見たな」



 そして、そう声を漏らす。

 夢の中に出てきたのは、親のいなかった俺を育てた老婆だった。どうして魔族の俺を引き取ったのか、どうして人間が魔族領に居を構えたのか、自分の幼少期のことながら分からないことは多い。


 だが、一つたしかなことがあった。

 そうだった。俺は――。



「あの生活が――がふっ!?」

「もうたべられませんよぉ、リィンさん……げへへ……」



 ――などと、感傷に浸っていると。

 何故か当たり前のように隣で寝ているカノンの膝が、こちらの脇腹を深く抉ってきやがった。俺は想定外の痛みにのたうち回り、一時的な呼吸困難に陥る。

 それだというのに、馬鹿女は起きる様子もなく鼻提灯を作って寝ていた。



「こ、このバカ聖剣がぁ……!?」

「ふみゃぁ……」



 今日という日は、もう許すことができない。

 俺は両手両足をだらしなく広げて眠るカノンの上に跨り、抗議をしようと細く柔らかい腕を掴み上げて――。




「あ、あわわわ……リクさん、カノンさん……!?」

「え……リィン?」




 すると、何故かそのタイミングで開く扉。

 立っているのは、どういうわけか伯爵家令嬢のリィン・アルディオ。幼い少女は手に持ったバスケットを床に落とし、真っ赤になった顔を両手で覆っていた。

 ただ指の隙間から、その円らな瞳が覗いていたが……。



「あ、朝からそんな……い、いけませんっ!」

「ちょっと待て、それは違――」

「わ、わたくしは何も見ていません! お……おたのしみくださいませ!!」

「誤解だああああああああああああああああああああああああああああああ!?」






 駆け出すリィンに、慌てて追おうとする俺。

 そして、




「んあぁ……?」





 そこでようやく、聖剣少女は目を覚ますのだった。

 その日、水の都市――エルタでの日常は、何とも賑やかに始まったのである。


 




――

ここから第2章。


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