第005話 不滅のアルコルトル

 やや湿った風の吹く盆地の中心で、死んだはずのアルフが自分の三倍はあろうかという森林模様の大きな卵を見上げ、首をポリポリ掻いている。


 傷跡があるわけでも、特に痒いわけでもないのにポリポリしているのは、本当にただ何となくである。


「どうすんだこれ」


 アルフが足元のアドイードを見る。


「……だってありゅふ様が殺さりぇちゃうんだもん。仕方ないもん」


 額にナイフの刺さったアドイードがむくりと起きて、ちょっと不貞腐れたような物言いをしながら、アルフの足に抱き付いた。絶対に離れないという確固たる意思を感じる。


 そんなことをしなくても、決して離れ離れになることのない二人だが、刻一刻と死に向かっていた拷問の日々を知っているアドイードは、知らないもの・・・・・・からもたらされるアルフの死がトラウマなのだ。


「俺の為にあんなになるのは嬉しいんだけど、こう再々無加工の土地を取り込むのってのは……」

「ダンジョンが広くなるのはいいことだよ」

「広すぎるだろ。ダンジョンを自由にできるっつったって、今でも全然手が回ってないんだし」


 これじゃあダンジョンじゃなくて、ただのバカ広いピクニック場だ。とアルフは言う。


「でも、だって……ありゅふ様が………」


 アドイードが涙目になった。


「えっ!? あ、悪い、責めてるんじゃないんだ」


 抱き付く手にぎゅっと力を入れ、涙が零れるのを我慢しているアドイードに尋常ではない罪悪を感じ、慌ててしゃがんでアドイードと頬をくっつけるアルフ。温かく若葉のような柔らかさが気持ちいい。


「そうだよな、仕方ないよな。わかってる。俺を大事に思ってくれてるんだろ。ごめんな。そしてありがとうアドイード。大好きだぞ」

「ふぁっ!? ふぁわわわわわわ!?」


 アルフの大好きはアドイードの宝物で、頬っぺをピトッは秘宝級。ぽんっと頭に綺麗な花が咲き、アルフに抱き付いて「そうだよねぇ、そうだよねぇ」と赤く染まった頬をくっつけ返す。


 ほっとしたアルフが離れても変わらずほわほわ笑顔なアドイードから零れた涙は、もう悲しい色ではなかった。


「楽しそうなとこ悪いけど、これ食べるの手伝ってくれよ?」

「ふんふふ~ん♪ いいよ~、アドイードこっちかりゃやりゅね~♪」


 ご機嫌なアドイードは額のナイフを放り投げ、卵の裏に回ると手のひらから蔓を出して卵を囲っていく。

 同じくアルフも蔓を出し、アドイードとは反対側から囲っていく。

 両方の蔓がピタッとくっつくと卵は溶けるように消え去った。


 別にアルフだけ、またはアドイードだけでも同じことはできる。

 ただ、こうする方がきっちり半分ずつ体内・・が広くなるような気がするという。ある種の儀式みたいなものだ。


「ほら、手繋ぐぞ」

「ありゅふ様のお手ては~、ほかほか~、すべすべ~♪」


 蔓を切り離したアルフが手を伸ばすと、アドイードも同じようにして、嬉しそうにアルフの手をとって含羞はにかんだ。


「せ~のだよ。せ~のだかりゃね」


 地面に落ちた蔓の輪を指差すアドイードに頷いたアルフは、愉しげな幼いかけ声に合わせて、ぴょんっと輪に飛び込んだ――


 ◇


 さわさわと風に揺れる若草ばかりの草原、その端に上空から落ちてきた森林模様の卵が着地して、ぐらりとバランスを崩し転がり落ちた。


「ああ! 落ちたよ!」


 同じく落下中のアドイードが「まてまて~」とはしゃぎだす。


 草原は生命力に溢れる植物にまみれた巨大で歪な白い塔の一部だった。

 一見すると植物に呑み込まれつつある遺跡郡の集合体のようなその塔は、その実あらゆる地形と建造物が無秩序に混ざり合ったものである。


 視線を動かすだけで、底の見えぬ遥か下から天空をどこまでも突き抜け聳える塔を中心に、これまた巨大過ぎる壁が若干の緑を抱えつつ、空の境界と交わる向こう側までぐるりとそれごと閉じ込めているのがわかる。


 壁は無機質で古びた建築物がひしめき合っており、遠すぎて霞んでいる向こうの壁もまた、同じく複雑に入り組んでいるのだろうと容易に想像できた。


 塔と壁の間に長い吊り橋や豪華な桁橋もあるのだが、そのほとんどは途中で崩落し、時おり塔や壁からや吹き出す水が滝となる様と相まって、よりこの場の神秘的さを引き立てているように思える。


 アルフもアドイードもこの落下中の景色が大好きだった。


「どこかにぶつかりゃないか心配だね」

「けっこう広い森だったからな。そう簡単に割れないと思うぞ」


 しかし改めて見る塔の歪さは、やはり凄まじい。

 壁ぎりぎりまで迫っていたり、逆に数十キロは離れている場所もある。

 そういった所では落下の速度に反して景色がゆっくりに感じられ、いかに自分がちっぽけで、それでいて巨大過ぎるのかを自覚する。


 そう、ここはダンジョン。


 厄災のダンジョンから善良なるダンジョンへと心変わりしたアルフとアドイードの体内・・


 その名を不滅のアルコルトル。

 決して滅することのない、永遠に存在する二人で一つの大迷宮。


「ありゅふ様と~、卵追いかけっこ~♪」

「お腹空いたなぁ」


 近年、異常な速度でその領域を拡大し続けている、神出鬼没の移動するダンジョンである。

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