第001話 空腹のダンジョン

 季節は初秋。

 少年とも青年ともとれる若い男が一人・・、全裸に腰袋一つという格好で森を彷徨さまよっている。


「お、お腹空いた……」


 草木が鬱蒼と生い茂る道なき道の途中で男は天を仰いだ。


 故郷より暖かなこの国の秋は、未だ森を緑一色に保ち、実りをちらつかせることなく風に揺れている。


 既に蓄えていたは底をつき、よく間引かれているのか森に魔物の姿はない。それでいて狩りや討伐に勤しむ冒険者や自警団なども見かけなかった。


「どうなってんだこの森は……」


 やや細身ながらも均整のとれた筋肉質な男の肉体はうっすら汗を纏い、まるで星々のように煌めいて見える。


 風に靡けばさぞ美しいだろう瑠璃色の髪は湿り気を帯び、青い竜胆色の瞳は疲労で濁っている。左目にはそれとは違う別の色が混じっているものの、やはり本来の宝玉の如き明澄さは感じられなかった。


 しかしそうであったとしても見るものすべて――森の動植物でさえも魅了してしまいそうな完璧に整った顔を歪ませて、ずいぶん前に拾った木の枝を頼りに、がっくしと俯いた。


「ありゅ・・ふ様、大丈夫?」


 男の足元から弱々しい男児の声が聞こえた。草木に隠れて姿は見えないが、もぞもぞ動く様子から男の横にいるのだろうと察せられる。


「ああ、まだなんとか。アドイードはどうだ?」

「……アドイードはね、お腹ぺこぺこだよ」

「ごめんな。俺が不甲斐ないばっかりに……」

「そんなことないよ。ありゅふ様はいっつもありゅふ様だよ」


 不甲斐ない、の返答にしては奇妙な言い回しだが、互いに通じ合っているようで、どちらも小さな笑顔を見せた。


 一見してぼろぼろのこの男たちだが、彼らこそ、一〇年前、魔法王国の王宮を吹き飛ばし、悪逆非道の数々を繰り返したとされるダンジョン。

 厄災のアンドロミカと呼ばれた、アルファド=アドイード・アンドロミカである。


 呼び名がありゅふ、なのはアドイードが『ら行』の発音を苦手としているためで、本人は愛称のアルフと呼んでいるつもりらしい。


 アルフもアドイードも今は復讐よりも、ダンジョンの本分よりも、とにかく空腹を満たすことに夢中だった。


「街道までもう少しだと思うんだ。あとちょっと頑張ってくれ」

「アドイード頑張りゅよ。ありゅふ様と一緒だもん、平気だよ」

「っ!? アドイードぉぉぉ!!」


 アルフはアドイードの健気さにやられた。木の枝を放り投げ、草の中から抱えあげて頬擦りをする。


 新緑の葉が幼児体型特有の丸み再現したローブのように体を構成し、そこから見え隠れする短い手足と、くるくるした若葉の帽子のような頭から覗く麗らかな愛らしさを極めた幼顔のアドイードは、どこか神秘的な雰囲気を纏っている。


 それはアルフのえげつないストーカーであったことを微塵も感じさせない。

 不思議だ。

 いつの間にか許可もなく勝手にアルフと融合したくせに、どんな手を使ったのか今はすっかり受け入れられている。

 本当に不思議だ。


 アドイードはほぼ全裸の想い人から頬擦りをされて、それはそれは嬉しそうに微笑んでいる……しかしそれは長く続かなかった。


 空腹に負けたアルフが草をむしって食べ始めたのだ。


「ダ、ダメだよ。動物のウンチやおしっこ付いてりゅかもだよ」

「そんな味しない」

「で、でもでも、ここらへん魔力全然ないよ。こんな雑草食べても美味しくないよ」


 必死に止めるアドイードだったが、アルフはバタッと倒れて涙を流しながらモシャモシャし続ける。


「はわわわ、ありゅふ様の頭がおかしくなっちゃったよぅ」


 アドイードはアルフの見るに耐えない姿を嘆き、可哀想なものを見る目でそっと寄り添うと、草を吐き出させるべくアルフの口に手を突っ込んだ。


 その時だった。


「う、うおぇぇぇぇ!!」

「うわぁぁぁぁぁ――」


 アルフの嘔吐えずきに交じって野太い叫び声が聞こえた。


 かなり小さかったが、アルフはガバッと起き上がり発生源の方を凝視する。

 対して、ころんと転がったアドイードからは、アルフの大きな芋虫・・・・・と口角から垂れる緑の液体が見えた。


「アドイード! ヒトだ!!」

「ごはん!?」


 アルフはアドイードをおんぶすると、一目散に駆けていった。





 山間の街道にて、豪奢な馬車を背に騎士とおぼしき者たちが戦っている。

 近年、山賊のさの字も聞いたことがないこの山で、幾年振りかの大事件であった。


 賊は皆、髑髏を捻ったような仮面を付けており、短剣やナイフだけの軽装備にも拘わらず、驚くほど統率された動きで次々と騎士たちを屠っていく。


「くっ、先行のやつらは何をしていたんだ――ぐぁ!」


 また一人、応戦する騎士が鎧ごと胸を貫かれた。


 残るは高位貴族らしき青銀の西洋甲冑プレートアーマーの騎士三名と、その部下の白鎧の騎士五名。


「結界はまだか!?」


 飛びかかるように襲ってきた賊を盾で薙ぎ払い、風を纏った剣で反撃した高位貴族の騎士が、距離を取った賊たちを警戒しつつ白鎧騎士たちに視線をやる。


「あと五分で完了します!」


 どうやら結界を展開する防御班が真っ先に狙われたらしく、本来の連携がとれていないようだった。


「あと五分か……」

「問題ない」

「そりゃそうだ。一人で一〇人相手すりゃいいだけだ」


 高位貴族の騎士たちが剣に再度魔力を込める。

 それぞれの先天属性と同じ風、火、水が剣に宿り、賊に向けて斬擊が放たれた。


 斬擊一つで六人。

 通常の賊相手なら簡単に屠れただろう。しかし相手は並み以上の手練れ。運悪く仲間に囲まれるように位置していた一人が吹っ飛ばされただけで、それ以上の損害はなかった。


 先ほどは強がってみたが、襲撃されてからものの数分でこの有り様。しかも魔法剣さえ簡単に回避される始末。

 五分が途方もなく長い時間に感じられた。


 互いに隙を伺う賊と騎士。


 沈黙に揺れる間合いの境界を賊が越える、そう思われた時、森の奥からバキバキと何かの迫る音が聞こえてきた。


 一瞬、ほんの一瞬の隙であった。

 騎士の二人が出遅れ、深手の傷を負ってしまった。

 一人だけ対応した風の魔力を扱う騎士が、止めを刺そうとしていた賊たちから仲間を守る。


 再び訪れた間合いの取り合い……いや、賊の数が減っている。次こそは確実に仕留めるための再配置の時間だろう。


 深傷の騎士が治癒ヒールポーションを取り出し呷ると同時に、賊どもが短剣に魔力を込め始めた。

 騎士たちが目を見開く。

 あの技術は騎士ですら習得が困難とされる技なのだ。

 手練れ過ぎるとは思っていたが、これはただ事ではない。


「くそっ――」


 短剣を持つ賊が一斉にその刃を振りかざした。

 迫り来る魔力の斬擊。

 どれも幾分か小さいものの、その威力は他ならぬ魔法剣の使い手である騎士の絶望を掻き立てるには十分であった。

 それでも、結界の完成と仲間の治癒時間を一秒でも稼ぐべく、風の騎士が残りの魔力をすべて剣に注ぎながら一歩前に出た。


「――っ!」


 治癒ヒールポーションの効果待ちだった二人の騎士が下唇を噛み締める。

 彼らは幼馴染みであり、皆が馬車の中で震えている主の婚約者候補でもあった。


 切磋琢磨してきたこれまでが脳裏を駆け巡り、誰が婚約者に選ばれたとしても友情は永遠だと誓い合った数日前のさかずきが目に浮かぶ。


「結界、展開します!!!」


 あいつは立派だった。そう語り継ぐことを心に決め、残った二人は馬車へ駆けて行く。


 風の騎士は微笑んでいた。

 愛する者たちを護れるならば騎士の本望。剣を握る手にいっそう力がこもる。


「うおぉぉぉぉぉ!!」


 斬擊を迎撃するため剣を振りかぶったその時――


「ごはんだぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 鬱蒼とした薮の中から全裸の男が飛び出してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る