第018話 エミールの悲劇

 青々しく爽やかな香りに包まれ、しっとり冷ややかな感触と柔らかな刺激が素肌をくすぐる。

 さーっと吹き抜けた風は寒々しく、目を覚ましたエミールに冬の訪れを感じさせた。


『アルフがギルマスの部屋で待ってると言われて……』


 ガバッと体を起こし辺りを見回すと、だだっ広い草原に寝転がっていたのだとわかった。


 下腹辺りから、ころん、と転がって落ちた手のひらより少し大きな人形がもしゃもしゃ咀嚼しているものが服だと気付くのと、自分が全裸だと気付いたのはほぼ同時だった。


「い、生き人形!?」


 おろしたての白い高級下着が、今まさに食われていく。

 よほど美味しいのか、人形はうっとりしながらちびちび食べ進めていた。


「か、返せ!」


 いつかの為に一枚は持っておくべきだ、と友人に強く勧められたメイプルシルクワームの糸で織られたやたら薄くて透け感のあるボクサー型の下着は、エミール唯一の勝負下着。


 一九歳で購入してから長いこと引き出しの奥で安置されていたが、もしかするともしかるかもしれない、とスッキリするのを我慢して引っ張りだしてきたやつなのだ。


 およそ一〇年前の逸品。おろしたて、とは少し違うような気もするが、おろしたて中古と言うにはまっさらすぎる。


「ああ! そんな!!」


 既に食われたのだろう他の服も来るべき日に備えて揃えた一級品ばかりだった。

 いろんな意味でせめて下着だけでもと取り返したのに、前後共に大事なところの通気性が抜群にリメイク・・・・されていた。


「痛ってぇなぁ……」


 虫でも払いのけるかのようにペシッとはたかれた生き人形が、むくりと起き上がってエミールを睨む。


「返しやがれ!!」


 張り倒された後にそう言われたエミールの手に下着はもうない。


「良いもん着てっから助けてやったのにとんだ恩知らずだなてめぇ!」


 罵声のやまない生き人形を呆然と眺めていたエミールだったが、ハッとして状況を尋ねた。


「ああ!? アルフとアドイードがまたスキルを暴発させやがったんだよ。ちょっと小突いたくらいですぐ死にやがってクソ面倒臭ぇ!」


 言いながらずぶずぶと地面から引っ張り出したアルフたちを雑に放ってエミールに寄越す生き人形は、取り返した下着を一口で頬張った。


「後はそいつらに聞きな」


 それから「いつまで寝てんだボケが」とアルフたちに蹴りを入れると、散らばったタグ・・を広い集めてどこかへ飛んで行った。


 アルフもアドイードも共に顔面がぐちゃぐちゃ……というよりアルフの死体には首から上がなかった。おまけに服も着ておらず、顔以外は何もかもが丸見え。


 絶句するエミールだったが、目の前の死体がみるみる元に戻っていくのを見て、さらに言葉を失う。


「痛ててて……」

「もうクインてば乱暴すぎだよ」


 起き上がったアルフたちは、自分たちが体内ダンジョンにいると気付き不思議そうに首を傾げた。

 そしてエミールを見ると驚愕の表情になる。


「え、なんでここに!?」

「はわわわ、ばりぇちゃうよ! ありゅふ様がダンジョンだってエミーリュにばりぇちゃうよ!」

「わっ、馬鹿!!」


 手足をばたばたさせて狼狽えるアドイードの口をアルフが塞ぐ。

 しかし時すでに遅し。

 エミールは「ダンジョンだと!?」っとアルフに掴みかかっていた。


 だが――


「い、芋虫!!!」

「ぐあぁ!?」


 真横でブルンッと揺れたそれ。驚いたアドイードが蔓で思い切り強打した。


「芋虫だよ! おっきい芋虫だよ!」

「お、落ち着けアドイード!」


 倒れ込んだエミールに繰り返される、拷問の如き強打の連続。

 アルフは我が芋虫がひゅんっとするのを感じながら、アドイードを止めようと肩を掴む。


 しかしそんなことでアドイードが止まるはずがない。アドイードは植物に関する種族故か芋虫が大嫌いなのだ。


 今でこそアルフのそれは平気だが、初めて見たときは「害虫だよ!」とむんずと掴み、四方八方に引っ張った挙げ句、思い切り握り潰してアルフを助けようとした・・・・・・・・・・・くらいだ。


「嫌い嫌い! アドイード芋虫嫌い!」 

「違う、芋虫じゃない! よく見ろアドイード! 臭いも絶対違う!」


 だがしかし最早エミールの芋虫は原型を留めておらず、アドイードには飛び散った破片ですら芋虫に見えていた。

 無限に増殖する芋虫。

 アドイードの正気がゼロになるには充分だった。


「芋虫大嫌い! アドイード! 芋虫なんか! いりゃなーーーい!!!」


 アドイードの絶叫と全身から発せられた緑光が、幾兆もの魔法陣に変化し空間を埋め尽くす。


「頼むアドイード! 落ち着いてくれーーーーー!!」


 号哭の如きアルフの叫びは、星の爆発をも超える大閃光によって掻き消されてしまった。

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