第019話 とある衛兵の幸福

 真っ暗な空間でエミールがどぎまぎしていた。

 ついさきほど木っ端微塵にされ、未だ少しの痛みを抱える芋虫・・に何かが触れていて、もにゅもにゅ動いているのだ。


 後ろは既に壁際まで迫っており、左右に動こうとしてもすぐにまた壁を感じ、逃げ場のないこの状況に顔を赤らめていた。


「あんまり動かないでください」


 暗闇の向こう、といってもすぐ側なのだが、アルフの声が聞こえた。


「アドイードがすみません。今、復元してるんでもう少しこのままじっとしててくれると助かります」


 目を凝らすとうっすらアルフのような影が見えるも、それ以上は何も見えなかった。


「う~ん、ちゃんとできてるかな」


 アルフがきちんと復元されたか細部まで確認するように手を動かす。


「ア、 アルフ! これ以上はもう……」

「あ、明るくすればいいのか」


 アルフがごそごそ動くのを感じて数秒、闇の中にクラゲ型のランプとアルフの顔がぼやっと浮かび上がる。

 それからランプはふわふわ上へ移動していき、ほどなくして止まると雰囲気のある間接照明のように光りだした。


「ア、 アルフ!!?」

「ちょっと待ってください」


 急にぐぐっと動いた芋虫をアルフが手助けするように皮をぺろんと下げて中まで確認し、しげしげと全体を観察してから「よし、ちゃんと復元できてる」とエミールを見上げて微笑む。


「あ、ああ……」


 真っ赤な顔で狼狽えるだけのエミールを不思議がるアルフだったが、とりあえず放置して今の状況を説明し始めた。


「今、発狂したアドイードの自爆待ちです。もう少しこのままでお願いします」


 それからここは自分の作った卵の中だと伝え、一瞬のことであまり広くできなくて申し訳ないと頭を下げる。

 そして顔をあげると、おずおずと喋りだした。


「あの、騙すつもりは満々だったですけど、危害を加える気は本当にないんです。俺たちはダンジョンだけど善良なダンジョンなんです」


 しょぼん、とうつむき加減で自分たちのことを説明していくアルフだったが、エミールはまったく話が入ってこなかった。

 それはそうだろう。

 想い人と暗がりで密着するようにして座り、しかも互いに服を着ていないのだ。


 エミールの呼吸は荒くなるいっぽうで、沸き上がる欲望に染まっていく瞳は葛藤に歪んでいく。


「――という訳で、これからも一緒にいさせて欲しいんです。いいですか?」


 やや潤んだ目のアルフの懇願に、ただただ頷くエミールは下腹したばらにとろりとしたものが落ちるのを感じ、慌ててそれを拭い首を横に降る。


「ダメですか?」


 アルフがずいっと近付いた。

 その強烈な色気にエミールはついに陥落、ガバッと抱きついてしまった。


「だ、だめじゃない……だめじゃないから……その……」


 もぞもぞ動くエミールの腰から戯れるように離れたアルフは、発言の先を許さず「良かったです」と満面の笑みを見せてから、外が静かになったと卵を割り始めた。


 次々と増えるひびの隙間から筋となって差し込む光が卵の中を満たしていく。

 露になったアルフの後ろ姿は、エミールの理性を今度こそ完全に破壊した。


「ア、 アルフ!!」


 堪らずもう一度抱きついたエミールだったが、すっと立ち上がったアルフのせいで、尻に頬擦りするような体勢になった。


「キャ、キャーーーーーーーー!!」


 響き渡る悲鳴。

 それはマリーのものだった。


「あ、あなたたちギルマスの部屋で何してるんですか!!」


 うっかりだった。

 卵の割れ口は円形であり、それはへ繋がる出入口になっていた。

 本当はアドイードの自爆など待たず、アルフはさっさと外へ出るつもりだった。

 ただ、その前になんとかエミールを丸め込もうと必死になったせいで、そのことを忘れていたのだ。


「し、失格です!! こんなモラルの欠片もないような方を特試合格にするわけにはいきません!!」


 マリーは持っていた実地試験免除及び試験合格通知を破り捨てた。


「どうしたの~?」


 ドアの向こうから近付いていくるふわふわした声と複数の足音。


「ギルマス! あり得ません!!」


 マリーは真っ赤な顔で走り去って行った。


「ちょ、あっ……」


 伸ばしたエミールの手の先に、赤茶けた毛の細身の兎獣人が顔を覗かせた。


「ああ~、これはこれは。気持ちはわかるけど、時と場所を選ぼうね。まあ僕も言えた義理じゃないんだけどさ」


 ハハハ、と頭を掻いて後ろにいるだろう職員たちに何か指示を出し、一人で部屋に入ってきたギルマスは「そのソファ使いやすいよね~」と言いながら散らばった書類の破片を集めていく。


「あれ? 君たち服着ないの?」


 いつまでたっても両手で芋虫を隠し居心地悪そうなエミールと、何故か堂々と丸出しのアルフにギルマスが首を傾げた。


「そ、それは、その……」

「突然現れた生き人形に食べられました。俺たちは被害者です」


 それはそうなのだが、エミールは信じられないといった表情でアルフを見た。

 けれどその曇りなきまなこに間違っているのは自分かもしれないと不安になった。


「ああ~、そういえばそんな報告が上がってたっけ。町中の服屋が襲われてるらしいんだよね~」


 なるほどなるほど、とギルマスは頷いてクローゼットからロングコートを二つ取り出してアルフたちに手渡す。


「マリーはああ言ってたけど、合格は合格だから安心してね。まあペナルティなしって訳にはいかないから、Fランク登録になるかな」


 本当ならDランクからだったのにね~、とへらへら笑うギルマスはずいぶんおおらかに見える。


「そういえばアドイード君はどこかな?」

「生き人形を追いかけて行きました」


 息をするように嘘をつくアルフだが、もうエミールは頼もしい以外の感情を抱かなくなっていた。

 あのまま断罪されていたら社会的に終わっていたのだから、仕方ないのかもしれない。


「あ~、じゃあ君たちも行ってもらおうかな。生き人形以外にタコの魔物も一緒で結構な騒ぎらしいんだよ」

「タ、タコ……?」


 アルフがさーっと青ざめていく。


 クインがタグを持って外に出ていったのは知っていたが、まさかタコまで……そうか、タコは飛んでいったままだった。

 アルフは壁の穴を見て思い出した。


「あれ? そんな所に穴なんてあったっけ……」


 チラッとアルフに視線を移したギルマスだったが、既にアルフはエミールの手を引っ張り部屋を去った後だった。

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