第11話 風雲急を告げる、お嬢様
しかし数時間後、事態は風雲急を告げた。
夕食の席で酒寿さんに特訓の成果を披露していると、山手町のおじいさんがひどく青ざめた様子の赤坂邸に転がり込んできたのだった。
座り込みそうになるおじいさんの肩を酒寿さんが支えて運び、食堂の椅子に座らせる。
先程うちを送ってくれた姿から変わり果てひどい様子だ。顔は青ざめ、服はところどころ破れ、頭髪もぼさぼさになっている。
「どうされたのですか!?」
「れ、蓮歌様が……。み、身代金誘拐です」
その場にいた全員が息をのんだ。
「川崎のあたりで襲われました。おそらく川崎の半グレどもの仕業……」
「川崎の半グレ?」
事態が呑み込めていないうちに酒寿さんが説明をする。
「川崎の半グレは横浜に住むお嬢様の天敵です。襲撃されるお嬢様は年間に十人とも、二十人とも」
酒寿さんの説明曰く、川崎とは東京と横浜の間に位置する、まるで大阪神戸間の尼崎のような地域だそうだ。うちは「神戸みたいやね」と呟き唇を噛む。
豪奢な馬車がこの川崎を通過する際に、無法者の襲撃を受ける例は以前より多々あった。
しかしここ数年は半グレが勢力を増し手口が凶悪化。特にお嬢様狩りが横行しているらしい。要求通り身代金を払ってもお嬢様が無事に戻ってこないケースも多いそうだ。
「彼奴らめ、真っ先に馬車を操っていた私を狙い人質にしました。そのせいで蓮歌様は自ら身代わりに……」
「使用人はお嬢様の弱点になり得るということを熟知している……。常習犯ということでしょうか」
メイド長が毛布を持ってきておじいさんの肩にかけた。
「他にも不可解なことがあります」
おじいさんは小さくお礼を言ってから眉根を寄せて話す。
「私を人質に取った後に、彼奴は馬車の扉を開けて押し入りました。ですがあの扉は防犯のためのお嬢様力仕様。彼奴らのような粗忽者に開けられるはずないのです」
「それは不可解な……」
「そんなん、筋力に決まっとるやろ」
うちは悔し気にそう言った。お嬢様力仕様の扉は筋力で突破できる。うちも聖プラで転入初日にやったことがある。
「しかし、山手町さま程のお方がそう易々とお捕まりになるとは……」
「彼奴ら、妙なものを持っておりました。あれはおそらく〈お嬢様封じの首輪〉……」
「まさか! かつての京都動乱で失われたはずでは……?」
うちは二人の会話を聞きながら、自分の部屋に引っ込む。実家から送った荷物をひっくり返して愛用の木刀を引っ張り出した。
この子の銘は〈ジョセフィーヌ〉。うちが生まれた時に見子ばあから贈られた、黒檀造りの珠玉の一品。……中学の時にデコっちゃって木材は見えなくなってるけど。貼り付けたラインストーンとヒョウ柄ペイントを見ると地元の雑然とした雰囲気を思い出す。
湧き上がる懐かしさと激昂を感じながら、ジョセを肩に担いで食堂へと戻った。
「ともかく、一刻も早く救出隊を」
「警察に連絡すれば蓮歌様の命は無いと言われており……」
「むうう……」
「うちが行きます」
うちはジョセを素振りしながらそう言った。
ジョセを握るのは久しぶりだが以前と変わらず手によく馴染む。切っ先まで力が通ってゆくようだ。よかった、腕は鈍っていないみたい。
「春瑠子様!?」
「なりません‼」
「実際うちしかおらんでしょ、動けるの」
二人がぐぬぬと黙り込む。そう、今すぐ動ける人間でカチコミに慣れているのは南大阪出身であるうちだけだ。
「せめてこの酒寿も共に参ります! 確かメイドの中にも暗器を扱えるものが数名……」
「いえ、一人で行きます。『使用人はお嬢様の弱点になり得る』、やろ?」
酒寿さんが何かを言おうとして開いた口を、憮然とした表情で閉じる。
山手町のおじいさんも酒寿さんも、しゃんとしてはいるがかなりの高齢のはず。既に怯え切っているメイドの子を連れて行くのも言語道断だ。
しかし山手町家のおじいさんは扉の前で腕を大きく広げ、首を横に振った。
「春瑠子様、それだけはなりません」
「どいてください」
「蓮歌様に春瑠子様を止めるよう頼まれました。私はそのためにここへ来たのです」
「止めても無駄ですよ」
「蓮歌様からの伝言がございます。連れて行かれる直前に託されました」
「蓮歌から?」
カチコミの準備に向かおうとしていたうちの足が止まる。
「『来てはいけません。戦いに赴けば、春瑠子さんのお嬢様力の萌芽は失われるでしょう。もしかしたら、永遠に』」
「そんなん嘘や‼」
うちは跳ねた心臓を誤魔化そうと大きな声を上げた。そんなのうちを巻き込まないための方便に決まっている。
「いえ、あり得るかもしれません。めちゃくちゃに暴れることで内なるエレガンスが失われるとしたならば、あるいは……」
酒寿さんが神妙な声で呟く。うちの手から力が抜け、ジョセが床に転がる音が食堂に響いた。
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